異世界の自然は厳しいようです。
人間50年
戦国時代だったら、もう人生の半分折り返しなんだなと思った。
木之本 元気は25歳のどこにでもいるサラリーマンだ、特出することのない人生。学生時代からクラスでどこにでもいる地味で目立たないキャラだったと思う。
「元気、元気出せよ」
しょうもないイジリをずっと受けてきたような気がする。
社会人になってもそれは変わらず。
「木之本君は、休みの日には何してるの」
上司や先輩からの質問にこれほど困ることになることになるとは思っていなかった。
「はぁ、まぁ、ほとんど寝てますね」
「それはもったいない。元気がないねー」
いい加減にしてほしいとつくづく思う。
しかしまずい。これは休日に何か誘われるパターンだ。ゴルフかパチンコか、どちらにせよそれはまずい。たまの休みまで、上司に拘束されるのはごめん被る。
「いやーたまに山とか登ってます」
「へぇ、山ねぇ」
(よし!うまくかわせそうだぞ)
社会人というのはつくづく趣味を探す生き物のようだ。
上司の誘いをかわすために始めた登山。
とは言え、性に合っていたのか、意外と楽しめた。親しい友人も社会人になって疎遠になっているし、一人でも目立たないのはありがたい。
山の中を歩いて気ままに写真を撮る。元々生き物は好きだった。町には生えていない花や、虫、シカやアナグマいろいろな生き物を撮るのが楽しみになっていた。
しかし、登山に危険はつきものである。
山の稜線を歩いていると、足場だった部分が突然崩れ、深い沢筋に落ちてしまった。
考える余裕もなく、岩に体が打ち付けられ薄れゆく意識の中。
(死にたくない)
そう思った。
(ここはどこだ?)
意識がはっきりとしない。
トトト、トトト、脈打つ音が聞こえる。
早く、そしてか細い。
視界は無い。
(俺は確か、山で滑落して…)
体がやけに暑い。
(良かった、もう死んだと思ったが、何とかなったみたいだな)
ようやく目が開くと、薄っすら周りが見えてくる。地面は落ち葉で覆われ、梢からの木漏れ日がユラユラとそそいでいる。
森の中の見慣れた光景のようだが、何か違和感がある。
(なんか大きいような?)
落ち葉も石も草も木も目に付く物全てが大きく見えた。しばらく当たりを見回すが幻覚でもないらしい。
ようやく体が動かせるようにってきたので、力を振り絞り体を持ち上げる。
(何だこれ!?)
起こした体を見た俺は思わず叫んだ。
する思えない甲高い鳴き声が出た。明らかに人間のそれでは無い。
目に映るのは人の腕ではなく、か細い腕。体には服ではなく赤茶色のふわふわとした体毛が生えていた。
背中を見ると、尻には細長い尻尾まで付いている。
「チュウ」
どうやら俺はネズミになってしまったらしい。
悪い夢かと思ったが、時間が経つほどに意識がはっきりしてくるし、脚から伝わる地面の湿気や吹き抜ける風の感触が妙にリアルで、これが現実であることを嫌と嫌と言うほど伝えてくる。
俺は思わず走り出した。ネズミの体は当たり前だが恐ろしく軽く、森の中を風のように走ることができた。ただ、人間であった頃は、何も考えずに踏み越えていた、石や木の根はまるでとんでもない障害になっていた。
しかしそんな障害も軽々と超えることができる。今ならトレイルランニングにハマるやつの気持ちがわかる。
とても清々しい。
小一時間ネズミの体を楽しんだあと、見晴らしのいい丘の樹の上で休憩することにした。
(果たしてこのあとどうしたものか…)
木の上から景色をぼんやりと眺める。
やはりというか、ここは元いた山ではなかった。近くにあったはずの麓の街も見えないし、そもそも明らかに景色が違うし、そもそも今いるのは山では無いらしい。見渡す限りの木々の海。日本ではまず見られないような樹海が眼下に広がっていた。
登った木も松のようだが、見たことが無い種類だ。
果たしてここはどこなのか…
ため息を吐こうとすると「チュウ」と情けない鳴き声が漏れた。
いや、もうネズミなってしまったものは仕方がない。腹をくくろう!
人間としては全う出来なかった命だけど、ネズミとして全うしてやろう!
そう心に決めたのだった。」
しかしそんな決意など、木っ端のようにあっと言う間に吹き飛ばされてしまった。
まずは食料。これはさほど問題ではなかった。
時期が良かったのか、木の実や果実は小さな腹を満たすには十分な量が実っていたし、いざとなればそこらの虫も食べた。
(これも貴重なタンパク源です…)
今もまた捕まえたバッタを頭から食べてるところだ。
最初は抵抗があったが、ネズミの本能の為せる業なのか2匹目からは割りとすんなり喉を通った。
問題なのは…
背後からの微かな足跡を感じ、食べかけのバッタを捨て一目散に物影に隠れた。
細長くスラリとした胴、赤褐色の毛皮、黒いつぶらな眼。現れたのはイタチだった。
人間だった頃ならば物珍しさと、可愛さで目を奪われていただろう。
だが、今では目どころか命を奪われかねない。その可愛さとは裏腹にイタチは凶悪なハンターである。
鶏小屋にイタチが侵入すると一晩で全滅するらしい。
俺はイタチに見つからないように小さな岩の隙間に潜り込んだ。
肉食動物に襲われるのも、もう何度目かわからない。
(思えばネズミなんて食物繊維連鎖の底辺付近の生き物じゃないか!)
キツネに山猫、ヘビ、フクロウ、タカに果ては巨大な蜘蛛にまで命を狙われるしまつ!
ようやく十日生き抜いてきたが、命がいくつあっても足りないとはこの事だと思った。
中でも今出くわしたイタチはたちが悪い。鋭い嗅覚と小回りのきく細身でどこままでも追ってくる。
3日前にも同じ個体に遭遇している。
片目に傷があるので直ぐにわかった。
外からは自慢の鼻を使ってこちらを探すスカーフェイスの気配が伝わってくる。流石というべきかネズミの危機察知能力も大したものだ、何とかここまで生きてこれたのも、本能で身を隠すすべを持っていたからに他ならない。
あとは相手が諦めて去ってくれるのを待つだけだ。
(行ったか…)
どれくらいたっただろうか。
先程までビンビンにしていたイタチの気配がなくなっていた。
(この調子なら何とかやっていけそうだな)
ようやくの思いで、隙間から出る。
久しぶりの太陽の日差しがか眩しい。
このあとはこの前見つけた木苺の茂みでゆっくり美味しい食事にしよう。
だがそれは叶わぬ夢であったようだ。
黒い影が自分の体を覆うのに気付いた時にはもう遅かった、岩の上からの襲撃から俺は逃れることができなかった。
(行ってなかったのですか!?)
待ち伏せされていたのだ。
イタチの鋭い牙が体に突き刺さる。
一瞬に出来事に何もできず、なすがままにくわえられていた。
肺が潰されているのか息ができない。
(これまでか…)
本のこの前味わった死にゆく感覚を、俺はまたひっそりと味わっていた。