34話 突然、管理人終わりました?①
トースターからの香ばしい匂いが食欲をそそる。
あとはサラダを盛りつけたら、朝食の準備はバッチリだ。
自分でいうのもなんだけど5人分の朝食を準備する手際も、最初に比べればよくなったと思う。ここに来て、管理人をするようになって早いもので3か月がたつ。この間にいろいろあったな。なんだか濃い時間を過ごしたせいか、もっと長く時間がたっている気さえする。
「おはようございます」
物思いにふけっているといつの間にかリビングに、パジャマ姿のマコトさんの姿があった。
「あ、おはようございます」
「どうしましたボーっとして、寝不足とか?」
「いえ、なんとなくもうここにきて3か月だなっと思って」
「そういえばそうですね。病室で静香さんに紹介された時はどうなるかと思いましたけど……」
「けど?」
「いえ、今は弘樹君でよかったなと思って」
「あ、ありがとうございます。なんだか照れますね」
「ほんとのことですよ」
なんだか褒められ慣れていないので、うまく返す言葉が思い浮かばない。
「こら。朝からイチャイチャするなよ」
そう言ってリビングに姿を現したのは瑞希である。その横にはまだ眠たげな表情をした久美ちゃんの姿もある。もちろん寝起きの悪い絵梨ちゃんはまだまだ夢の中だ。
「へ、へんなこと言うなよ」
「そ、そうよ瑞希。別にイチャイチャなんて……」
自分で言っていて恥ずかしくなったのか、マコトさんの声が徐々に小さくなっていく。
「ほんとかなー。慌てる様子が余計に怪しいぞ」
「慌ててないって。それに少し思い出話をしてただけなんだよ」
「思い出話?」
「そうなの。弘樹君がここに来てもう3か月になるねって」
「なーんだ。そんな話か。期待して損した」
何を期待していたのか分からないけど、納得してくれたのか諦めてくれたのか、瑞希の興味がテーブルに並ぶ朝食に向けられたようなので一安心である。
3人が朝ご飯を食べ始めると、狙ったかのように爆音のようなアラーム音が聞こえてくる。最初は驚かされた爆音も3か月も住んでいれば慣れた音である。
「弘樹君、お願いできますか?」
「あ、じゃ行ってきます」
朝ご飯を食べる3人をリビングに残し、俺は絵梨ちゃんの部屋に向かう。絵梨ちゃんの男性恐怖症はまだ治ってはいないようだけど、いろいろあって管理人として認めてもらえたのか、寮の中で普通に話してくれるようになったし、目覚ましの音でも起きない絵梨ちゃんを、部屋に入って起こすこともできるようになった。まさか絵梨ちゃんの寝ている部屋に入ることができるようになるなんて。これも最初の出会いからは想像もできないような進歩だ。
「いってきまーす」
それぞれの学校に向かうみんなを送り出して管理人である俺の朝のルーティーンは終盤に入る。残る仕事は散らかったテーブルの上を片付けること、さっそくキッチンで洗い物をしているとテーブルの上に置いた携帯が震える。
少しだけ白い泡が残った手をタオルで拭いて、携帯を開くとメールが一件。差出人は祖母からである。
こちらから連絡することはあっても、祖母から連絡があることは珍しかった。さっそくメールを開いてみると、文章は短く1文だけ。『話があるから病院にいらっしゃい』である。
日時も書いてない単純な文章。すぐに来いってことだろうか。別にこれといった用事もないから大丈夫だけど、あいかわらず少し乱暴な祖母である。
お昼前には行けるよと返事して、俺は携帯をテーブルの上に戻すと、残っている皿を片付けるためにキッチンへと向かった。
予定通り、祖母の病室を訪れたのは、11時を少し過ぎた頃だった。
「こんにちは」
扉を開けて病室の中に入ると、ベッドの上には誰もいない。検査にでも言っているのかと思っていると……。
「来たのね」
突然、背後から聞こえてくる声。
「うわ……」
「うわってなに? 大の男がビビりすぎよ」
「い、いきなり後ろから声をかけられたんだからしょうがないだろ」
どうして俺の知り合いはいきなり声をかけてくるような人ばかりなんだろうか。こっちの身にもなってほしいものだ。
「そういえば……もう立っても大丈夫なんだ」
ベッドに戻る祖母は病室の中を普通に歩いていた。
「この通りギブスも外れたからね。リハビリも兼ねて散歩してたの。医者が言うにはあと10日くらいで退院できるだろうって。思ったよりも長い入院生活だったわ」
「へーそれはよかったね。それで話っていうのは?」
「そうそう。実はこれなんだけど」
そう言って祖母は開いたままにしていたパソコンの画面をこちらにクルリと回転させる。
「SZK貿易……?」
パソコンの画面に映っていたのは、CMでも耳にするようになった会社のHPだった。確か外資系の会社で、ネット上の掲示板でも新卒が就職したい企業ランキングでトップ3に入るとか。
「聞いたことくらいあるでしょ。最近、日本でも上場したみたいだから」
「聞いたことはあるけど……これがなんなのさ」
「あいかわらず察しが悪いわね。弘樹の就職先に決まってるでしょ」
「……」
思ってもみなかったことに言葉が出てこない。え……今、就職先って言ったような。つまり……俺の就職先ってことだよな……。
「え、ちょっと。ちょっと待って。え? どういうこと?」
「だから、弘樹の就職先を私が見つけて、紹介してあげてるの? 理解できた? 外資系の会社だけど、あんた英語だけは話せるでしょ」
「え……あ、まーそうだけど」
自分で言うのもなんだけど、英語は数少ない特技であった。日常会話なら問題なく話せるレベルでもある。小さな頃に親の仕事の関係で数年間、イギリスに住んでいたおかげで話せるようになったのだ。この歳になって海外留学しても覚えることはできなかったかもしれないけど、子供の時の吸収率は恐るべしである。
「SZK貿易は嫌? 他の会社がよかった?」
「嫌って……わけでは」
そもそもそこまで会社のことを知っているわけでもないし、それに今、心の中にある感情はきっとどんな会社でも同じものだと思う。
「最初はあんなに嫌がってたのに。やっぱり離れるのが寂しいのね」
黙っている俺に、何かを察したように祖母は言う。痛いところを的確についてくる。
「それは……ちょっと寂しくはあるかな。でも、ばあちゃんが戻ってくるなら、みんなも喜ぶと思うし、管理人は二人もいらないよね。うん、きっと」
「せっかく仲良くなったのに別れるのは寂しいと思うわ。でも弘樹の将来を考えたら、いつまでも私のせいで寮の管理人をさせておくわけにもいかないのよ。それは弘樹も分かるでしょ?」
「それは……分かる……よ」
ばあちゃんの言う通り、いつまでも稼ぎのない管理人をしているわけにいかないのは理解できている。でも、なんだか急な話すぎて納得ができてないのだ。
「……くん……ひろ……ん…………。もう弘樹君」
「え? あ、はい」
振り返ると、そこにいたのはマコトさんだった。
「鍋」
「え?」
「鍋が噴きこぼれそうですよ」
「え……あーほんとだ。あつ、やばいやばい」
なんとかコンロの火を止めると、蒸気で傾いたままの鍋蓋をゆっくりもとに戻した。
「ありがとうございます。それでなにかようですか? マコトさん」
「はぁ」
分かりやすいくらいに溜息をつくマコトさん。俺……何かしただろうか?
「用ですかじゃないです。こっちこそ何かあったんですか?」
「え?」
「病院から帰ってきてから……心ここにあらずっていうのか……元気がなさそうだったので」
「バレてましたか……」
普段通り過ごしているつもりだったけど……知らず知らずのうちに仕草や表情に出ていたようだ。
「実は……」
別に黙っていることでもないし。病室での祖母との話を素直に打ち明けることにした。




