30話 居場所になれますか②
「こんにちは」
病室の扉を開けると、ベッドの上で祖母はパソコンを開いていた。
「おや、弘樹よく来たわね」
「え、あ、うん。ちょっとね」
いつものようにベッドの脇に置かれた丸椅子に座る。
「何してんの?」
「これ? 時間があるからちょっと株でも始めようと思って」
「株?」
「みなみちゃんに教わったら面白くなって」
「みなみちゃん?」
「前にいた看護師の子よ」
「あぁ。あの人か」
一番最初に病室を訪れた時に祖母と楽しそうに話していた人だろう。
「それで何しにきたの?」
そう言って祖母はパソコンを閉じる。さすがに俺が相談に来たことはお見通しのようである。
「絵梨ちゃんのことだけど……」
わざわざ病院まで出向いたのは、昨日の揉め事があったからだった。
「絵梨? 絵梨に何かあった?」
「いや、元気なんだけど……ちょっと嫌われてて」
「なんかしたのアンタ?」
「してないよ。してないけど……」
「嫌われてるのね。まぁあの子は昔から男嫌いだからしょうがないわ」
そう言って一人納得したように頷く。
「知ってたの?」
「当たりまえでしょ。私は管理人であり、あの子たちの家族なのよ。知らない事の方がないくらいよ」
「じゃあ、ばあちゃんは知ってるの?」
「何を?」
「絵梨ちゃんが男嫌いになった理由だよ」
「もちろん知ってるわ」
食い気味な程に、即答する。
「あのさ……教えてもらえないかな?」
「駄目よ」
これまたさっきよりも食い気味に即答された。
「本人から聞くのが筋ってもの。私に聞くのはフェアじゃないわ」
「わかってるよ。わかってるけど……」
それができたら苦労はしないのだ。
「……」
「……」
「はぁ……私もまだまだ孫には甘いのね。管理人としては半人前。いいわ。今回だけ特別に教えてあげる」
そう言うと、少し重たい口ぶりで祖母は口を開く。
「あの子もかわいそうな子でね。あそこにいる子たちはみんな両親を亡くしているから寮に住んでいるの。でも……絵梨だけは違う」
「違う?」
「絵梨は幼い頃に母親を病気で亡くしてはいるんだけど……父親は生きているわ」
「え? でも……それじゃあどうして寮に?」
普通に考えてみると、一緒に住めばいいと思ってしまう。
「住めない理由があるの。そしてそれが男嫌いにも関係しているの」
「何があったのさ?」
俺の問いに、祖母はじっと目を閉じた後、ゆっくりと語り始めた。
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「パパー、パパー」
幼い女の子が、書斎で机にむかう父親に走りよっていく。
小さな手で胸に絵本を抱きしめて、どうやら女の子は父親に読んで欲しいようである。
「パパ……パパ?」
女の子の声が聞こえていないのか。待っていても気づいてはくれない。少ししてやっと父親は側にいる娘に気付くと、頭を撫でた。
「ごめんな絵梨。パパは仕事が忙しいから、本はママに読んでもらいなさい」
「えーパパがいい」
「また今度ね」
まだ年端もいかない娘であれば駄々も捏ねてしまう。ただ仕事に集中している父親は気づく様子はない。
見かねた母親は娘の側にいくと
「絵梨、ママが呼んであげるね」
「……うん」
と、優しく手をつないで娘を書斎から連れて行った。
「パパは絵梨が嫌いなのかな?」
絵本を読んでいる母親に絵梨は尋ねる。
「嫌いなわけないわ。どうしてそう思うの?」
「だって……全然絵梨と遊んでくれないもん」
参観日や運動会といった学校行事にも父親は参加したことはなく、休みの日にどこかに連れて行ってもらったこともなかった。
「パパはただ仕事が忙しいだけ」
「……そうかな」
「本当はすっごく絵梨が大好きで、絵梨のことをよく見てるのよ」
「本当?」
「本当よ」
そう言う母親の笑顔と言葉を、幼心に絵梨は信じていた。
それから10年……
雨がしとしとと降り続ける日、黒いワンピースを身にまとった絵梨は葬儀場にいた。
「どうして帰ってこられないの」
電話に向かって絵梨は声を荒げていた。
「仕事なんて休んでよ」
電話の相手は父親である。
父親にとって自分の妻の葬式の日に、仕事場にいたのだ。
「いつもいつも仕事仕事って……ママが死んだのもパパのせいよ」
絵梨の言葉は大粒の雨を払いのけるほど空気中に響いていく。
「パパなんて大嫌い」
雨が降る中、絵梨の目からは雨と同じように大粒の涙が流れていた。
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「……そんなことがあったんだ」
祖母の語る話に、泣いている絵梨ちゃんの顔がはっきりと想像できた。
「あの子はそれ以来、父親を信じることができなくなったの。それが男性不審にもつながって自分の殻に閉じこもるようになったの。弘樹、絵梨の殻を破ってあげて。アンタにはそれができると思うの。あの子、本当は寂しいだけなの」
祖母の言葉に、俺はじっと黙っていることしかできなかった。