2話 管理人始めました②
「こんにちは」
扉を開けて病室に入ってきたのは、腰まで伸ばした長い黒髪に目がいく女性であった。服装や雰囲気からして、俺と同い年か少し下の大学生のように見えた。
「マコトちゃんいらっしゃい。今日はどうしたの?」
さっきまで話していた孫のことなど忘れたかのように、祖母は入ってきた女性と親しげに話しだした。どうやらマコトというのが女性の名前のようだ。
「え? 静香さんが呼んだんじゃないですか」
「あら、そうだったかしら? 最近物忘れが酷くて」
「またそうやって誤魔化して。せっかく買ってきたプリンあげませんよ」
そう言ってロゴマークの入った紙袋を祖母の目線まで持ち上げる。俺も見覚えがあるそのロゴマークは、駅前に昔からあるケーキ屋さんのものだった。
「あの……静香さん。そちらの男性は?」
置いてきぼりにされていた俺に気付いた女性が祖母に尋ねる。
「私の孫の弘樹よ」
祖母の紹介の後に俺は頭を下げると
「柳瀬弘樹といいます」
と、簡単に自己紹介をした。
その様子を見ていた女性は、一瞬驚いた顔をした後
「……七海マコトです」
と、少し困惑しながらも同じように自己紹介をした。
「あの……静香さん。お孫さんがいたんですか?」
すぐに慌てながらマコトさんは祖母に詰め寄っていく。
「あれ? 話してなかった?」
それに対して祖母はとぼけたように笑っている。孫だから分かるけど、この態度は絶対にワザと言ってなかった時だ。
「前に聞いた時、身寄りがないって言っていましたよね」
あいかわらず人をおちょくるのが好きな祖母だ。誰に対してもそれは変わらないようで、なるほど、マコトさんが最初に俺を見て困惑していたのは、そのせいだったようだ。それにしても、勝手に人の存在を消さないでほしいものだ。
「そうだったかしら」
「そうです」
「あの……」
放置されたままではしょうがないので、俺は二人の会話に割り込んでいく。
「ごめんなさい。夢中になってしまって」
「いえ、それで祖母とはどういった関係なんですか?」
病室に来た時から気になっていたことである。ただ、なんとなく想像はついているけど。
「静香さんは、私の住む寮の管理人さんです」
「やっぱり……」
予想していた通りの答えであった。祖母が聖蓮学園の寮を引き受けた話を聞いた時から、そうであると考えるのが普通である。
「それでね。マコトちゃんを呼んだのには理由があるの」
「理由?」
「私が入院してから管理人がいなくて大変だったでしょ」
「はい。それはもちろん」
「だから弘樹に、代理の管理人をしてもらおうと思うの」
「え? あの……弘樹って……こちらのお孫さんですよね?」
苦笑いをしながらマコトさんは俺の顔を見てくる。
「当たり前でしょ。他に弘樹はいないわよ」
マコトさんの問いに祖母は至極当たり前のように答える。
「でも……うちの寮って」
そこまで言いかけて、マコトさんの口は祖母の指で止められる。
「それは寮に行くまで秘密よ」
そう言って祖母は悪戯っ子のように優しく笑う。孫の俺としては不安しかない笑顔である。
「……ですけど」
「マコトちゃん。これはもう決まったことなの。それに理事長の許可もとってあるから」
そう言うと祖母は枕元の引き出しから、クリアファイルに入った書類を取り出した。
「ここにほら。許可するって書いてあるでしょ」
「……はい」
水戸黄門の印籠のように、理事長のサインを見せられると、マコトさんも素直に諦めるしかないようだ。もちろん当事者である俺は変わらず放置されたままだけど。
「ちょっと待ってよ。まだ俺は引き受けるとは言ってないけど……」
「おや、就職も決まっていないのに?」
「そ、それは……」
またしても祖母は痛いところを付いてくる。まるでスパイが調べているかのように。実は大学を卒業していながら、どこの企業からも内定はもらえていなかった。
「アパートだって引き払ったでしょ?」
「どうしてそれを……」
まだ誰にも言っていないはずなのに。
「そんなことはいいの。引き受けてくれるのかい?」
「……引き受け……ます。いえ、やらせて下さい」
こうして俺は祖母の企み……いや、正確には頼みにより代理としてまだ見ぬ寮の管理人をすることになってしまった。