出会い
雨が上がったばかりの夕暮れ、ネオ・ナゴヤの地下街には、照明の白が強く反射していた。
天井から吊るされた大型広告には、今年で50回目を迎える「IDC」のロゴと、笑顔のアイドルたちの姿。スマートガラスに映る映像広告では、人気アイドルの最新パフォーマンスが無音でループ再生されている。
街は活気があり、音はないのに情報量は過剰だ。人々は誰も彼も自分の世界に閉じこもって歩いている。視線を交わす者などいない。
「……もう何人目だっけな」
黒崎トオルは、地下街の柱に寄りかかりながら、スーツの内ポケットからタブレットを取り出して、断られ続けたスカウト記録を見返した。
"名刺すら受け取られなかった"が五件、"警戒された"が三件。
「はぁ……ほんとにいけると思ってるのかな、あの社長」
口をついたのはため息とも文句ともつかない独り言だった。
パスケースの中には芸能関係者専用ID──通称「パス」。このご時世、スカウトにはこれがないと話にもならない。悪質スカウト対策で導入された制度だが、こんな弱小事務所に説得力を持たせるほどの効力は、正直なかった。
そんな時だった。
「──ありが、とうございます……」
遠くから聞こえたその声に、トオルの耳がピクリと反応した。
透き通っていて、でもどこか、機械の読み上げのように抑揚のない声だった。
振り返ると、人の波の向こう、照明のやや薄暗いブロックの隅に、ぽつんと立っている少女がいた。
銀色の髪。無地の制服。動きは最小限。
少女は、目を閉じて静かに歌っていた。
──君の笑顔が、ぼくの明日を照らす。
聞き覚えのあるフレーズ。今流行中のアイドル曲だ。
それを、彼女は完璧に──あまりにも、完璧に歌っていた。
音程もリズムも、息継ぎすら正確で、まるでスタジオでミックスされた音源のようだった。
けれど、その完璧さは逆に、何かを欠いていた。
感情が、ない。
「……なんだ、あれ」
トオルは人混みを抜けて、ゆっくりとその少女に近づいていった。
彼女は歌い終えると、誰もいないはずの前方に向かってお辞儀をし、静かに一礼した。
まるで、観客がそこに“いる”かのように。
「ちょっと、君」
声をかけると、少女はピタリと動きを止め、ゆっくりとこちらを振り返った。
ビー玉のような透き通るようなアイスブルーの瞳が、まっすぐにトオルを見つめてくる。だが、そこには感情の色がなかった。
「……はい。ご用でしょうか?」
表情は柔らかい。けれどそれが“笑顔”なのかどうか、判別がつかないほどに、均整のとれた顔立ちだった。
「あのさ、今の歌──君が歌ってたんだよね?」
「はい。正確に再現したつもりです」
「再現?」
トオルは思わず聞き返した。普通の高校生なら、“カバーした”とか“好きで歌ってる”とか言うはずだ。
「なんていうか……君、アイドルに興味ない?」
その瞬間、少女──アンは、まるで検索エンジンが起動したかのように、小さく首を傾げた。
「……興味とは、好奇心や関心を抱く状態を指す言葉で、感情に分類されます。現在、私は“興味がある”という状態ではありませんが、“必要とされるなら”参加することは可能です」
「……え?」
返ってきたのは、どう考えても人間らしくない受け答えだった。
「君……名前は?」
「AN-0317。通称はアンと設定されています」
「設定……?」
だが、トオルの中で、すでにある可能性が点と点を繋ぎ始めていた。
整いすぎた顔。感情のない声。意味深な返答。
そして──“あまりにも完璧な歌声”。
「……君の保護者の方、いるかな?」
「はい。父がいます。……ご案内しますか?」
「案内……って」
アンは一歩だけ前に出て、静かに頷いた。
「今なら、在宅していると思います」
こうして、黒崎トオルは“彼女”の秘密へと、一歩足を踏み入れたのだった。
書きたくなったので書きます