反省会
昔の話をしよう。俺が小学六年生の夏の話だ。この頃はまだ俺も自分に才能が無いなんて自虐的なことを思わず、向上心を持って、何か特別な存在になれると信じて生きていた。ただそれとは裏腹に他と自分を比べ、劣る部分が増えていることが多くなっていることも実感していた。
しかしそんな時、本物の向上心がある人間ならば他の才能を認め、失敗から学び、反省を活かして、己を磨く。人間が成長するために一番大切なのが反省する事とそれを活かす事だ。
この頃の俺にも向上心があった。ただそれは俗に言うものでは無い。俺の向上心は言い換えてしまえば他人より上に居たいという欲望でしかなく、そのための行動は疎か、反省なんて俺の自尊心が許さない。
思えばきっとこんな些細な(些細と言ってしまう辺りが間違っているんだろうか)性格が積み重なって今の俺の土台を作ってしまったんだろうと思う。
そんな俺だが唯一自分の行いを心の底から反省する時間がある。寝る間際だ。
前回は睡眠が唯一の特技など言い放ったが、この頃の俺はとにかくその時間が恐ろしかった。なんたってその反省会は俺主催じゃない、ベッドに入って目を瞑ると勝手に始まるんだから、たまったものじゃない。
当時は幽霊などが俺への嫌がらせのためにやっているものだと思っていたが、今になってあれはきっとまだ僅かに残っていた俺の良心が見せていたのかもしれないと思っている。今更どうでもいいか。
一から話そう。その反省会が始まるのは上記に書いた通り、寝支度を済ませベッドに入ってから数分後の事。…ここから少し馬鹿らしい事を書くかもしれないが全部本当に俺の身に起きたことだと言うことを理解して欲しい。
俺が眠るのは決まって十一時、部屋を真っ暗にして眠る。反省会は俺が目を瞑ってから数分後、落ちかけていた微睡みからいきなり引っ張られた心地で目を開ける。そして気がつくのは全身が動かない事。
唯一俺の意思で動かせるのは瞼と目。他はまるで他人の体かのように感覚がない。そう、言ってしまえば金縛りだ。
初めてそれを体験した時、知識として知っていた俺は冷静に金縛りが落ち着くのを待った。異変が起こるのはここからだ、真っ暗闇の室内で天井を眺めていた俺は部屋中に隙間風と似たような高い音を聞いた。頭も動かせないから眼球だけをギョロギョロ動かして部屋を見渡した。するとあろうことかドアや窓の隙間から、クローゼットやタンスの隙間に至るまで部屋のありとあらゆる隙間から黒い霧のようなものが入り込んできているのだ。
その黒煙は漏れ出すように隙間から溢れ、気がつく頃には床を覆うほどになっていた。俺はまず火事を疑った、しかし鼻を通る空気に煙臭さはない。
冷静だった心拍が急速に上がって感覚の無い体を揺らした。もはやこのまま体内で破裂してしまいそうな勢いのまま俺の呼吸も荒くなる。ただそれと同時ほどに黒い霧が入ってくるのが止んだ。
しかし息をつく暇もなく今度は床に溜まった黒い霧が俺の横で竜巻のように舞い出すのだ。
しばらくするとその竜巻は勢いを殺し、段々と人の形を成してくる。唯一自由な眼でその様子を離さず見る、悪魔の使いか死神か。どちらでなくても良くないことが起こるのは目に見えていた。しかし体が動かないんだから仕方がない。
ただじっと、まな板の魚のような心地で黒煙を見つめていると、それはどうも死神の類ではなさそうだった。
毎朝、鏡の前で否が応でも見ることとなる顔。気づくにはそう時間はかからなかった。黒煙が成した人間は俺そのものだったのだ。黒煙の俺はただ哀れそうに俺を見つめる、動かない口で叫びたい事をそいつは知っているようだった。
「お前は誰だ。お前はそう言いたいんだろ?」
瞬き二回で頷いていることを表した、黒煙の俺にも伝わったらしい。
「俺はお前だ。お前のプライドのせいで居場所を失った俺だ」
俺は何を言っているのか、当然理解できない。
「いいさ、理解しなくても。お前が理解するのは自分の失敗、失態だけでいい」
以前かわらぬ顔つきで黒煙を見た。
「今から俺が今日、お前が何を失敗し、何を悔いるべきかを思い出させてやる。その一つ一つに改善するべき事を述べろ」
思考は突然現れた黒煙の自分に命令されたことも含め、焼ききれる寸前までいっていただろう。そんなこと黒煙の俺はお構い無しだ。今日、テストの点が悪かった。教科書を忘れた。宿題をやらず床に就いた。まさに俺しか知らないようなことまでひとつずつ目の前に広げられて、次に俺はそれを次回どう改善するかを応えろと言われるのだ。
当然、拒否するに決まってる。しかしこの時の俺は神妙な顔つきで動かないはずの口を動かし、ポツポツと反省点を上げ、これからは気をつけますなどと言い出す始末。そんなのが小一時間続いた。
心身ともに疲弊した俺はいつしか記憶が途切れ、気がつくと黒煙は晴れ、窓からの陽の光を浴びている。こんな夜が一週間に一、二度起こる。
夢だったと言ってしまえばそれまでだが、俺はそうとは思えないでいる。
自分の失態を反省しようと思う心が睡眠時にしか現れないほど弱く儚いものでも、まだ自分に残っていると思えれば救われる。俺はまだまともな人間なんだと。
まぁ、ここ数年、いつしかそんな夢も見なくなったが、俺はまだきっと真人間だ。反省すべき所がないだけ。
才能が無いことを、それに対して努力しない事を反省しろなどと言うならば、首釣る他にないのだから。