風が運んでくれた出会い
「うわぁ、お綺麗ですね! よくお似合いですよ!」
スタッフの方に嬉々として褒められて、私も満更ではありません。
今日は結婚式。お越しいただいた方々のためにも、何より夫となる彼のためにも、今日は一生で一番綺麗な私でいたいですから。
純白のドレスに、いつもより念入りなメイク。少し癖のある髪もきちんと纏めてもらいました。
幼い頃からの憧れていた姿が目の前の鏡に写っていると、少々緊張してしまいます。
これから私は花嫁になるんですね。
「旦那様とは職場で出会ったんですよね。良いですねぇ、オフィスラブってときめきます」
この方はとてもお話し好きなようで、準備をしている間にもずっと話しかけてきてくださるので、じっとしていても退屈しませんでした。明るくて好感が持てます。ただし……。
「ふふ、夫から聞いたんですね。彼はそのように思っているはずです。……本当は違うんですけど」
あまり人には言わないのですが、気が緩んでしまっているからでしょう、ついポロッとこぼしてしまいました。
それを聞き逃す彼女ではありません。
「えっ、そうなんですか⁉︎ ではでは、本当はどういう出会いだったんですか?」
顔を近づけてきて喰いつかれてしまいました。しょうがないですよね。私だって、きっと興味を惹かれてしまうでしょう。
「まだ時間もありますし、ちょっとだけ昔話をしましょうか」
あれはまだ私は中学生の頃、初夏の日の夕方のことです。お気に入りの緑色のワンピースを着て、白いハットを被って外に出かけました。私は昔から散歩をするのが好きでしたので、涼しい時間になってから家を出たんです。
初夏にもなると昼間は暑くて外を出歩くのが大変ですけれど、夕方にもなれば陽が沈み始めて丁度良い温度になります。その日は心地好い風も吹いていて、陽気も相まって良いお散歩日和でした。
しばらく歩いていて並木道に差し掛かったところで、突然強い風が吹きました。私は咄嗟にスカートを押さえたのですが、そのせいでハットが飛ばされてしまったんです。
飛ばされたハットは側にあった木の枝に引っかかりました。その木はとても背が高くて、背伸びをしても跳んでも跳ねても届きません。
木登りは……情けないことにとてもできそうにありませんでした。
引っかけるための棒や脚立もなくて、ハットを取る手段がありません。
その場で途方に暮れていた時、自転車に乗った一人の男子高校生が通りかかりましたーー学ランを着ていて明らかに歳上の方だったので、高校生だと分かったんです。
彼は自転車を停めて声をかけてきました。
「どうしたの?」
「え、えっと、ハットが……」
私は上手く話すことができませんでした。
正直、私は男の人が苦手だったんです。私は小学校から女子校に通っていて男の人と接する機会があまりありませんでした。
それなのに、どうしてか街を歩いているとやたらと声をかけられるんです。その時の彼らの視線や声の調子が、何と言いましょうか、快くないものでしたから、余計に苦手になっていました。
この時声をかけてきた彼もその人たちと同じだと思っていたんです。
でも、彼は木に引っかかっていたハットを見つけると、
「よし、ちょっと待ってな」
そう言って、するすると木に上って行ったんです。何かを言おうとして結局何も言えずに、私がオロオロしている間に彼はすぐにハットを手に取って木から下りてきました。本当にあっという間のことでした。
彼はハットについた葉っぱを慎重な手つきで払ってから、
「ほら、これだろう」
微笑みながら私に手渡してくれました。
私はまだ緊張が解けなくて、受け取った時も挙動がぎこちなかったと思います。
それでも彼は私に優しく笑いかけて、
「今度は飛ばされないように気をつけてね」
それだけ言い残すともう自転車に乗り込んでいました。私はそこで彼に何もお礼を言えていないことを思い出しました。
「あの、ありがとう、ございました……! お礼をさせてください。お名前を……」
私がそう言うと、しかし彼は黙って首を横に振ってから、微笑み一つ残して走り去ってしまいました。
……初めてだったんです。家族以外の男の人から無償の優しさを向けられたのは。
きゅんと胸が高鳴って、それでも遠ざかった彼を追いかけることができませんでした。
その出来事は私の大切な思い出となって、彼に拾ってもらったハットは大事な宝物になりました。今でも綺麗に取っておいてあるんですよ?
その後も散歩に行くたびに同じ道を通るようにしたんですけれど、自転車に乗った彼とはついに再会することは叶いませんでした。
今思えば、あれが私の初恋だったのかもしれません。そして、それは実ることなく過ぎて行ってしまう。そう思っていたのですが……。
「その彼と職場で運命的に再会することができたんですね!」
話のオチを拾われてしまいました。私は黙って頷きます。
運命的……そうですね。驚いたことは確かです。思わぬところで、再びあの微笑みと再会することができたのですから。
あまつさえ、彼から私に告白してくれるなんて。あんなに幸福な一瞬を私は他に知りません。だから、私もはっきりと伝えました。
「私も貴方のことが好きです。ずっと待っていました」
彼は知らないでしょう。でも私は本当に、本当にずっと待っていたんですから。
「運命の赤い糸でガッチガチに固結びされてるじゃないですか! 素敵だなぁ。……あれ、このことって旦那様はご存知ないんですか?」
「ええ。彼はきっと覚えていないでしょう。ですから、私からも言いません。ナイショにしてるんです」
だって、私ばかり覚えているのは……何だか悔しいじゃないですか。
「だからヒミツなんです。今聞いたことは彼に言わないでくださいね?」
「ふふ、わかりました♪」
スタッフさんと笑い合っていると、タイミングを見計らっていたかのように部屋の外から声がかかります。
「新郎様がお越しになりました」
白いタキシードに身を包んだ彼が私の元までやって来た。彼は少しの間黙ってこちらを見つめてから、
「とても、綺麗だよ」
どこか夢見心地な調子で褒めてくれました。見惚れてくれたんでしょうか。
「ありがとうございました。貴方もとてもカッコいいですよ」
私がそう言うと、彼は頬を掻きながら「ありがとう」と照れたように笑います。私に見惚れてくれるのは嬉しいですが、この表情の方が私は好きです。
まだ教会に行くまでに時間があるため、少しの間私と彼は雑談をしていました。
「ご存知ですか? フランスでは男性が投げるブーケトスがあるんですよ。投げるのはブーケではありませんが」
「へえ。代わりに何を投げるの?」
「ガーターです」
「は?」
「私も今太ももにつけているガーターリングです」
「おいおい」
「新郎が新婦のドレススカートに潜り込んで、身につけているガーターを外して未婚男性のゲストに投げるんです。貴方もやってみますか?」
「絶対にやらないよ!」
「残念です。では、私独りでブーケトスを頑張ります」
私も本当は恥ずかしいですから。
「今日は風が強いらしいですね。上手くできると良いんですけど」
「まあ、そこまで気負わなくても大丈夫だよ。それに、いくら風が吹いても今日はハットが飛ばされることはないからね」
「ええ、本当に。……え?」
彼、今何て言いましたか?
おかしいです。私はこれまで彼の前で一度もハットを被ったことがないのに。
「もしかして、覚えて……?」
私が訊ねようとすると、彼はあの時と全く同じように黙って首を横に振ってから、今は苦笑を浮かべて部屋の入り口の方まで行ってしまいました。
「俺はそろそろ戻るよ。また後で」
部屋の扉が閉められました。追いかけたくなるのも山山ですが、今は身動きの取りづらいウェディングドレス姿。この場は堪えましょう。
でも、あの頃の私とは違います。
永遠の愛を誓ってから、きっちりと彼を問い詰めることにしましょう。
今度は逃しませんからね、旦那様♪