婚約破棄という前提 五
高らかなエメの婚約破棄宣言の手前から、彼女に寄り添う男の姿があった。見覚えのない青年だ。彼はエメの隣に立つと、親しげに腰に手を回す。
婚約している女性に肉親でない異性が不自然に密着するのは、礼を失した行為だ。しかしエメは彼に嫌悪を示すどころか、手に手を重ねる。愛おしそうに。まるで想いあう恋人を相手にしているかのごとく。
「卑怯な手口で彼女を不幸に陥れようとするあなたに、エメを渡すわけにはいかない」
青年は目を細め、挑発的に宣った。婚約者を奪い取るという不謹慎かつ不穏な言葉だ。
二人の男に取り合われている。そんな状況にエメの頬が赤らんだ。嬉しげに、甘えるように青年にすり寄り、声を張り上げる。
「私、彼と結婚するわ! 女と乳繰り合ってまったく姿を見せなかったあなたとは違って、毎日私のもとに足を運んで優しくしてくれた、このコンタール王子とね!」
青年コンタールが勝利を確信した表情を浮かべた。
「キリエ王子よ。愛を失ったあなたに、彼女の隣にいる資格はない! 彼女に選ばれたのはこのコンタールだ!」
アルシュはキリエを見た。目の前で愛しの婚約者が知らぬ男に身を委ね、想いを通じ合わせている光景に、顔色が青ざめを通り越して最早死人のようになっている。まずい。
口を挟むと拗れる危険性があったので成り行きを見守り、今まで固く閉ざしていたが、こうなってしまってはそうも言っていられない。アルシュは貝のようにぴったりとくっつけていた唇を開いた。しかし、遅かった。
「これはどういうことだ、キリエ」
威厳ある声音が険をにじませてホールに響く。声の主は玉座に腰かけたキリエの兄、現カルブンクルス国王だ。
鋭い眼がキリエを見据えている。眼差しに乗った感情は、どう見ても嫌な予感をもたらすものでしかなかった。
「お前は婚約者を放置し、さらにはサプフィールの姫君にまで手を出していたのか」
「ち、違います、兄上!」
思わぬ濡れ衣に目を剥いたキリエが否定の声を上げる。が、彼もエメ同様、すでに聞く耳を持ってはいなかった。
「言い訳は無用だ。兵達よ、この愚か者を引っ捕らえて牢に繋いでおけ!」
「兄上! 話を──」
「くどい! お前には失望した! どれだけの事をしでかしたのか、牢の中で深く反省するがいい!」
一方的なエメの話を聞いただけで、兄王はキリエを悪と判断していた。命じられた兵達が、戸惑った様子を見せながらキリエに迫る。
──それが決定打となってしまった。