婚約破棄という前提 四
エメの罵倒はとどまることを知らない。己がいかに不幸な身の上にあるのか。語るのに酔っているようだ。キリエの顔色がどんどん悪くなっていく様も目に入っていないだろう。
「どうせその女のことが好きになって、私が邪魔になったんでしょう!? 私、知っているのよ! あなたとその女が一緒に宿に入ったり、最近夜遅くまで同じ部屋で二人っきりで過ごしていることくらいね!」
邪推はついにここまで極めた。妄想豊かな彼女の言葉に、頭の幻痛すら覚えた気がする。
勘違いにも程がある。確かにキリエとアルシュはともに宿に入ったり、夜の時間をわかち合った。しかしそこには然るべき理由もちゃんとある。
宿の下りは二人で城下町に降りた時のことだろう。
エメへのプレゼントを買いたい。品定めに協力してほしい。いつものキリエの言葉から始まった買い物の最中。納得のいく贈り物を探して街路を横切った際に、誤って水を引っかけられてしまった。
幸い、近くに衣服店があったので、服を購入して着替えることに。そのための部屋を一時借りるため、入ったのが宿だった。それだけのことだし、在中時間もほんの数分程度である。
夜の件もそうだ。
パーティーでは必ずダンスを踊る。しかしキリエはダンスが非常に苦手だった。御国の人種柄、運動神経は抜群なはずなのだが、普段着で踊っていても三回に二回は相手の足を踏む。
とうぜん、こんな下手くそな状態でパーティーに挑むわけにはいかない。自分だけでなく相手にも恥をかかせてしまう。キリエは、婚約者エメの前では完璧な男として振る舞いたがる見栄っ張りな面があった。
ダンスの練習に付き合ってほしい。そう頼まれたからつきあっただけである。つけ加えて言うが、キリエには後回しできない日中の仕事も山ほどある。そのせいで、練習時間が夜遅くに食いこんだだけのことだ。
キリエの行動の下地には、いずれもエメへの想いがある。側から見てもべた惚れなのが、火を見るより明らかだ。
それなのにエメはずっとキリエとアルシュの仲を疑い、それが真実だと思いこんでいる。
あえて言わせてもらうと、キリエとアルシュ両者の間に恋愛感情はない。お互い、物心つく前からの幼馴染。異性として意識するよりも、親友、悪友、気のおけないきょうだいといった情の方が常に先立つ。
だから男女の仲と穿った見方をすること自体が間違っており、不要な疑いなのだが。
「エメ、違」
「言い訳なんて聞きたくない! ごっこ遊びはもうたくさんだわ!」
彼女はキリエの弁解を聞く気すらないようだ。せっかく整えられた髪を振り乱し、地団駄を踏む様はまるで癇癪を起こした子供のよう。
そうして彼女はついに口にしたのである。──言ってはならない、あの言葉を。
「私を殺してまで婚約を破棄したかったんでしょう!? そんな男と結婚だなんて、願い下げよ! こちらからあなたとの婚約を破棄させてもらうわ!」
「……え」
次の瞬間、アルシュは確かに耳にした。一瞬で血の気が引く嫌な音を。すぐ隣から。