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新興宗教と親と子供

作者: あくたむし




2019年7月2日



僕はもう死のうと思って首を吊った。

どうしても今すぐに死にたくて、視界にあったネクタイで吊った。



本気で死のうと思ったのに、薄れていく意識の中で確実に「死」が見えたのに、あと本当に一歩だったのに、生きていた。



約1週間経過して、首の擦り傷が消えてきた。



生きていた。







僕の両親は某新興宗教の信者を熱心にやっていて、僕はその家に長男として生まれた。まあ大手のよくある宗教。



元々は父の祖父母が初代で、両親が2代目で、その後継として生まれたのが僕だった。母親は元々は無宗教だったらしいけど、父親と結婚する際に入信したらしい。



僕はそんな家に生まれた。生まれたら当たり前に入信させられ、当たり前に信心させられ、当たり前に同じ宗教の子供達と遊んだ。



右手や左足の意味を教わるのと同じ感覚で、宗教を刷り込まれ続けた。信心こそが生きる意味で、信心こそが唯一の親孝行で、信心こそが正しくて、そして信心だけが親から愛を貰える手段だった。僕は素直な良い子で、言われた通りにやった。喜んで貰えると嬉しかった。



小さい頃、母親はヒステリックだった。おかしな理由で叩かれたり罵倒されたりしていて、それがすごく悲しくて嫌だった。子供は親に好かれたいものなんだと思う。僕は両親の事が大好きで、パパとママに大好きになってもらいたくて、嫌われるのが怖くて、いつも萎縮して努力して良い子でいた。



「宗教」という問題は、たぶん経験ない人には想像できないくらい難しいし根が深い。上に書いてある事だけだと「ただのヒステリックな母親」位で済むんだけど。まあこれでも問題っちゃ問題なのかもしれないけど。でも大人になった今、分からなくもない気持ちもたくさんあるから、そんな事もあったかもな、くらいの話だよ。



ただ、ここに「宗教」が入る。「宗教」の押し付けは絶対に間違いなく虐待だと確信してる。ただ、非常にややこしくなる。当の本人はそれが正しいと心から信じていて、仮に違法な事だとしてもその上で教えを優先するわけだ。確信犯なわけだ。悪気なんて微塵もないだろうよ、「正しい」のだから。



宗教は自由だと思う。でも、何も分からない子供に教え込んで、考える自由を奪って、生きる意味も奪って、そんな事は絶対に許される事じゃない。子供の頃からの宗教に悩んでる人って実際にたくさんいて、僕の友達は宗教が原因で1人自殺したし、宗教が原因で失踪した人もいるし、僕自身も死のうとしたばかりだ。子供の頃だけの話じゃない、死ぬまで尾を引く重たい問題だ。信じるバカがいる限り連鎖するんだ、どこまでも、死ぬまで、死んでも。



幼い頃から徹底的にカルトの価値観を刷り込まれる。ヒステリックな母親。酒臭い父親。毎日読まされる新聞。本。映画。何でもあるんだ、知らなかったらたぶんびっくりするよ。マジで資源の無駄。



愛されたい一心で、宗教を頑張ってた。自分はクズだから信心しないといけないのも当たり前だと思っていた。クソ無駄な勉強をして変な試験も受けたし、宗教の新聞も配った。



社会的に「嫌われている」という認識はあったみたいだけど、正しい事をしている自分達に対する嫉妬だと本気で信じていたみたい。僕はそれで学校で陰口を叩かれたりも少しあったけど、それは嫉妬されているんだと。



大きくなったら友達にこの宗教の素晴らしさを説明して、一緒に世界平和の為に活動したい、と泣きながら話した。そんな気さらさら無かった。嘘だった。でも父親は心底納得していて、立派だと褒められた。



ただ、年齢と共に少しずつ周りの世界が見えてきて、自分の違和感にはっきりと気づいてくる。ちなみにその頃には僕の精神はすっかり完全に両親に支配されていて、両親の所有物か奴隷って感じだったから反抗期なんて無かったよ。



本当に一大決心で、「信じていない」って正直に父親に話した。18歳の時だった。無宗教の自分でも、正直にありのままの自分でも、もしかしたら愛してくれるんじゃないかと期待が少しあった。もう嘘つくのも嫌だったし、毎日仏壇の前に座るたびに惨めな気持ちでいっぱいだった。もう嫌で、限界だった。



父親が運転する車の中で、実は信じてないという話をした。父親は高速道路の真ん中で車を止めた。高速道路の真ん中で車が一台止まってるんだから、そりゃ異常だしすぐにレスキューの人みたいのが助けに来た。その時生まれて初めて壊れた人間を見た。空に向かって爆笑して、それ以降、自殺未遂、失踪、躁鬱、父親は壊れた。机にひたすら箸を刺していたり、叫んだりといった奇行が増えて、より一層宗教にのめり込んだ。



僕は邪宗に毒された極悪人で、ズルい嘘つきで、父親から名前も呼ばれなくなった。母親からはなんでそんな話を父親にしたんだと泣かれた。妹は一切話をしなかった。僕は眠れなくてより一層自傷行為にのめり込んだ。痛い時は痛みしか感じないから、嫌な現実から逃げれる。その年に、尿道の裏側をカミソリで裂いた。血がたくさん出て、視界が歪むくらい痛かった。「お前は女々しい、女みたいなやつだ」、幼い頃の母親からよく言われてた言葉をその時くらいに思い出した。もう限界で、逃げ場がなかった。



家族全員不幸なのに、何が世界平和だよ。



その時にやっとこいつら頭おかしいって思った。はじめて自分で考えた。この人たちの価値観は宗教が全てで、そして、自分は今まで努力して愛情を獲得していただけで、僕自身の事など微塵も愛していないのだと、やっと分かった。家族は宗教そのものだった。もう限界だった。だから手紙を残して家出した。絶縁して、いつか復讐してやると心に決めた。何年も前の話。



ただ、物理的に離れてからが本当にすごく大変だ。後から気付いたけど「無条件に愛される」って経験をしないまま大人になってしまった。今まで親から教わった事も宗教ばかりで、社会とのズレがあるし知らない事だらけ。人との距離感がうまくとれない。あととにかく自己肯定感が極端に低い。



発狂した父親の声が今でもフラッシュバックして眠れなくなったりするよ。大袈裟なって思うかもしれないけどね、未だにだよ。情けないけど。怖いよ、父親が、本当に怖い。



生まれてから今までずっとカルトと両親に支配された、考える事が許されない奴隷だったのに、急にありあまる自由を手に入れても、どう生きたらいいのか分からなくなる。



人生から完全にカルトを断ち切るには絶縁しか方法は無いんだけど、実の両親がカルトなわけで、そうなるとこの国はなかなかそれができないんだよ。だから子供はいつまでも支配される側で、どちらかが死ぬまで終わらない。



家出してからも結局、しばらくしたら連絡取る事になった。その時に父親から「お前には申し訳ない事をしてきた」って言われた。謝られた。その瞬間に僕の中で何かが死んだ。なんてズルい奴なんだと、殺してやりたいと、最後まで悪役でいる勇気も無いのかと、どこまで僕をバカにするんだと、そう思いながら、「仕方ないよ」って笑いながら答えてた。また新しい支配が始まった。謝られたのだから、許さなければならない。許せない自分が大人げないだけなんだと。



そこから自分をどんどん雑に扱った。元々ピアスと自傷行為だらけだったけど、いつのまにかタトゥーまみれになり、金もないから男にも女にも体を売り、身体改造ショーのモデルやSMなどどんどんアンダーグラウンドな方向に進み、1秒もシラフの時間は無くなり、たまにくる父親からの「たまには美味いもんでも食わしてやりたい」って感じの罪滅ぼしのクソみたいな食事に適当な笑顔で付き合い、嫌だと言えずに色んな罪滅ぼしに付き合い、自分で自分の気持ちを忘れようとした。家族なんだからと言い聞かせた。実際無理やり忘れていた。



ある日妹が結婚した。そして子供ができた。



父親のLINEのアイコンの画像が、まだ自我もないであろうその子の写真になった。それを見てこいつは何も変わっていないのだ、こいつにとって子供は所有物でしか無いのだと、再認識した。ただの所有物で、ペットと変わらない。



「育ててもらった恩」だとか、そういった気持ちも全部必要なくなった。ただの所有物、おもちゃ、宗教の奴隷、だからいらない感情なのだと気づいた。もっと自分を大切にしてもいいのかもしれないと思った。



仮に赤の他人だったとして、宗教漬けで支配的な人間と友達になるか、関わるかと考えてみたら、なるわけがなかった。あんなに無理してたくさんの罪滅ぼしに付き合う必要も無かったのかもしれないと思いだした。



だとしたら、僕の人生は何だったんだろう。



そのあたりから全ての連絡を無視しだした。罪滅ぼしをして、恩を売り、あわよくばまた宗教に…!と思っているように感じた。今でも自分にとっては何よりも恐怖の対象なんだと、改めて痛感した。過去の色んな事を一気に思い出した。



僕は父親が怖い。とにかく怖い。今でも目の前にすると胸がキリキリして、思ってる事は喋れなくなる。声を思い出すと涙が出る。「父親の前の自分」になる。とにかく怖くて怖くてたまらない。



連絡無視しだしたら、家によく来た。全て居留守を使った。怖くて話すのは無理だった。自分は自分で毎日を生きるのに必死だった。同じように宗教家の元に生まれた友人が自殺し、必死になんとか生きていた。関われば関わるほど自分が消耗するだけだと、痛いくらい分かった。家の前に父親がいるかもしれないと思うと怖くて家に帰れなくなった。家の周りも歩けなくなった。いるかもしれないと思って街を歩くと、街中のあちこちに父親が見えて、父親の声が聞こえた。それから家には帰れなくなった。全て失った。



しばらくして、職場に両親が来た。僕は震えが止まらなくてトイレで吐いた。もうどうでもよくなった。仕事を辞めた。無理して生きる意味が分からなくなった。



外に出ると父親がいるんじゃないかと常に警戒していて、音や動きに過剰に反応して、まともに出れなくなった。蓋をしていた記憶が、どんどんと溢れてきた。どれだけ異常な空間で育ってきたのかが分かった。分かった頃にはもう手遅れだった。



僕はずっと父親を許せないのがコンプレックスだった。離れてからも、ずっと許そうと努力を続けていた。好きにならなきゃいけないと苦しんでいた。反抗期みたいなものなんだと。



でも無理だった。やっと気がついた。そりゃ無理なのが普通だよ。それだけの事を何年も何年もされてきたんだもんね。無理だよ。



血が繋がった人間だろうと、何もかもを奪われてきたのだから、憎んで当たり前だった。自分を傷つける人の事を無理に好きになる必要なんてない。許せないなら許せないでいい。それを愛情に結びつけようとしてしまうから苦しくなるんだ。それに気づくのに何年もかかってしまった。やっと、やっと気がついた。



だから遺書を書き、首を吊った。何をしても苦しい。復讐の為に死ぬ。苦しみやがれ。悔やめ。そんな気持ちだった。



遺書の内容は、とにかく両親には二度と会いたく無い事、墓には入りたく無い事、葬式はやりたく無い事、遺影も飾って欲しく無い事、両親には一切遺骨も遺品も渡したくない事、死んでもなお許さない事、両親に関してはそんな感じ。生き延びてしまったんだけどね。



いくら悲しんだって苦しんだって、カルトに奪われた時間も感情も帰ってこないし、ズレは治らない。



この世に生まれてきたくなかった。生まれてきたのが間違いだった。うまくいくかもと、期待した自分もバカだった。本当に無駄な時間を無駄に苦しんできた。間違いなく一生続く苦しみだ。だからもう苦しみたくなかった。



もう何もかもを放棄する事にした。もう何も無い。今更踏ん張る気力もない。何もない。空っぽ。復讐心しか芯が無い。過去は変わらない。少しでも父親を苦しめれるなら、何でもいい。苦しめたい。生まれつき負け犬だ。よく分かってる。それでも憎い。悲しい。苦しい。辛い。寂しい。



「たくさんある命の中から、このお家に生まれたいって思ってくれたから生まれてきたんだよ」



小さい時、母親によく言われた言葉だ。今の僕には拷問だ。



「信心だけが唯一の親孝行だ」



小さい時、父親によく言われた言葉だ。キチガイだ。



そんな感じで、僕は新興宗教の家庭に生まれて、生きてきた。



書ききれない、色んな事があった。たくさん苦しんで、たくさん考えて、たくさん悩んだ。今もだ。



結果、僕は胸を張って親を憎む事にした。永遠に苦しめてやりたい。悲しいけど、虚しいけど、馬鹿みたいだけど、惨めだけど、死ぬ以外に僕には生きる意味や目標がそれしか無い。クソみたいに無駄な人生だ。支配者に会うと未だに僕は奴隷に戻って心が死ぬ。思ってる事も話せなくなる。



人間根っこの部分に染み込んだ物はちょっとやそっとじゃ変わらない。下手したら一生変わらない。苦しみは続く。今日も明日も明後日も僕の過去は変わらない。



親という立場を利用して宗教の奴隷を作り上げた父親に、次は僕が息子という立場を利用して苦しめてやりたい。金銭面でも、精神面でも、それで父親が死んでも、僕は構わない。



宗教の押し付けはもっとはっきりと犯罪になるべきだ。オウム真理教だって他人事じゃないんだよ。

僕はこの先どうしたいんだろう。どうしてこんなに苦しいんだろう。



物心つくまえに死ねていたら、どれだけ幸せだったろう。



一度でいいから親からただ愛されたかった。



信じたかった。



苦しい。



無駄な人生だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] ぼくも親はカルトでした。未だに毎日死にたいけど、心配されたい人というレッテルにも耐えられない。馴れ合いは嫌だけど、人を信じたい。いまだに自分の意思がどこにいるのかわからない
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