思い出話と讃えられるモノ【割り込み投稿分】
こちらは加筆分となります。ご注意ください。
「クスクス。あぁ楽しい。楽しいな」
ハワトの家で蓄えられていたエールを口に付け陽気に酔ったふり|をしながら庭に出て大きく伸びをする。
まだ薄ら寒い夜空に輝く星々を見上げているとフラフラと従者が後を追ってきた。
「ナイアーラトテップ様? どうされたのですか?」
「いや、なに。星々をめでたくなっただけですよ」
ハワトがフラフラなのは酒に酔ったからではなく、魔力の枯渇によるものだろう。
人間に限らず生物にはその精神力から生まれる魔力というものをもっている。
しかし矮小な人間程度の脆弱な精神力など上限などたかがしれているためあっさりと魔力が枯渇してしまうものだ。
故に死者を起きあがらせ続けている彼女は明かりをつけっぱなしにした懐中電灯に等しく、いずれ消えてしまうのは必然である。
だがその命の輝きが消える瞬間の儚さといったらない。その一瞬を永遠に見続けたいという矛盾を抱きたくなるほどそれは美しく、愛おしい……。
「あの、ナイアーラトテップ様。お訊ねしたいことがあるのですが」
「なんでしょう? 今は気分が良いのでなんでも答えて差し上げましょう」
「ありがたき幸せ。ではその、先ほどナイアーラトテップ様は外なる神という存在は宇宙の法則だとおっしゃられましたが、その……」
「おや? 私が法則とは思えませんか?」
恐れながらとひざまずく従者に思わず微笑みかける。まぁ私とてはじめからこうだった訳ではない。
私にも長い神生で幾度か転機が訪れてきたものだ。
「これでも私は長い神生でいろいろありましてね。そもそも私は父たる沸騰する混沌の中心――アザトースの使者として作り出された存在ですが、その存在は兄や姉に比べ不完全なものでした。私は兄と違って全能でもないし、姉と違って愛情を知らなかったので旧支配者との関わりはトラブルの連続でした」
当初、不完全な私は父から与えられたメッセンジャーとしての役割をこなす事ができなかった。
だから私は旧支配者のコミュニケーションというものを観察し、考察し、模倣することにした。
彼らの輪に入ってみてトライアンドエラーを繰り返し、彼らのいう感情というものを疑似的に得ることに成功し、”楽しい”というものを知ることができた。
「ブレークスルーというのでしょうね。それまで色がなかった世界が突然輝きだしたのです。彼らは――旧支配者の連中は私にそれを教えてくれた」
「その旧支配者のお歴々はどのような方だったのですか?」
ふむ、改めて問われると難しい質問だな。
それに、何より気恥ずかしい。
だが夜空を仰げばそこに懐かしい顔ぶれが次々と浮かんでくると、口が勝手に動き出してしまった。
「厭世家で怠惰なクトゥルフ君。彼の弟で羊飼いのハスター君。二柱の仲はとても悪くてよく喧嘩をしていましたね。そうそう、クトゥルフ君も中々の怠惰でしたが、ツァトゥグァ君も中々ダラダラした神でしたね。あの二柱は起きている時間の方が短かったように思えます。クスクス。それに蛇の神のイグ君は見かけによらず中々優しい奴でした。あぁ、小悪党ぶりの似合うイゴーロナク君もいましたね。彼とは趣味が一致していたので色々とバカなこともやりました。あと忌々しいクトゥグァ。アイツめ、アイツは私の拠点だった黒き森を焼き払うような暴挙を平気でやる不届きな奴だった。あの報いを絶対に受けさせねば気がすまないというのに――」
「たくさんいらっしゃったのですね」
「……えぇ。色々な神がいましたよ」
自分でも驚いたが、思い出の蓋を開けたら止めどなくあの懐かしい日々が蘇ってくる。
全て忘れたと思っていた些事も思い出せるのだから不思議だ。
あの頃は良かったと過去を憂うのは私の趣味ではないが、それでも、それでもあの頃は良かったと思えてしまう……。
あの輝かしい日々を壊したのは、私だというのに――。
「畏れながらナイアーラトテップ様。”いました”ということですが、今は……?」
「………………。……戦争があったのです。旧支配者と敵対する旧神とのね。旧支配者はそれに破れ、みんな封印されてしまったのですよ。いや、違うな。私が彼らを、友を封印してしまったのです」
旧支配者と敵対する旧神との敵対が避けられなくなったあの時、私は開戦を叫ぶ友達を封印することに決めた。
もし戦の火蓋が切られればどれだけ多くの友が傷つき、倒れるか愚鈍な私にも分かっていたのだから。
「戦争の機運が高まるごとに”楽しい”とはかけ離れた感情を初めて抱きました。それがどうしようもなくイヤでイヤでたまらなく――。そして私は旧神に和平案として旧支配者の封印を持ちかけたのです」
もっとも強大な神である旧支配者の封印を同じ神である旧神ごときが行えるものではない。むしろだったら殺してしまう方が簡単だ。
だが宇宙の法則たる外なる神の私が手を貸せば事情は変わってくる。
「私は旧支配者の知性を奪いさり、彼らの封印を手伝ったのです。私は彼らが傷つくくらいなら無傷のまま封印に処された方がマシだと思ったのでね。確かに知性を奪われ、永劫に近い時間を封じられるのは苦痛でしょうが、それでも存在が終わってしまうより遙かにマシだと思いませんか?」
彼らが生きてさえいればそれでいい。生きていればその封印を解くこともできるというものだ。
合理的に考えればこれ以上の上策は存在しないだろう。
それに知性を奪われた旧支配者といえどその力は強大であり、それを封印しようという旧神の方も膨大な力を消費することくらいわかっていた。そうなれば旧神の多くは休眠状態となって勢力は大きく削がれることになる。そうなればいくらでも封印を解く機会など巡ってくるというものだ。
だが、彼らはそれをよしとはしなかった。
「ですが彼らは白痴になり、尊厳を奪われることを恐れた。知性が奪われるくらいなら華々しく戦いたい、と。旧神に組した私を裏切り者と罵られましたね。今でも思いますよ。どうしてそんな不合理な考えしか出来ないのか、とね」
「……わたしは、ナイアーラトテップ様は間違っておられないと思います。自分が終わってしまうのは、とても怖いことですから」
振り返れば小さく震える少女がそこにいた。夜気で震えているのではないのだろう。
昼の戦いがそれほど怖かったのだろうか? 死ぬのが怖いとは人間らしくて好感がもてる。
「あの、それからどうされていたのですか? 戦争は終わったんですよね? 封印した方々を復活させられたのでしょうか?」
「それが忌まわしいことに旧神の連中の目がありましてね。表立って封印を解けないので色々と暗躍していましたよ。時折、暇つぶしにですが人間に混じって暮らしたこともありました」
「そうなのですか!」
「えぇ。時には科学者として兵器開発に携わり、ある時は暗黒のファラオとして民を統べ、そして人間を救うためにエルサレムの地で――」
あれはもう、二千年くらい前の出来事だったか? 友神達を救えなかった代わりに人間くらいは救ってやろうと思って乾いた大地に降臨し、奇跡という名のまやかしを披露していたらいつしか弟子がつき、教団の体を為していたな。
あの頃は、あれはあれで楽しかった。特にあの人間――。ハワトのように私のことを深く理解した人間がいた。あれは十二人の弟子の中でもっとも神理に近づいていたが、最後の最後でアレは自殺をしてしまった――。
いや、これ以上、思い出すのはやめよう。碌でもない思い出だ。
「――? ナイアーラトテップ様?」
「いえ、なんでもありません。つまり、私は千の貌を持ち、いろいろなことをしてきたということです。さ、冷えてきましたし、部屋に戻りましょう。明日は早いのですからハワトもお別れはそこそこに。私は寝室で一夜を明かさせてもらいますね」
ふむ、この新鮮な世界に少し浮かれてしまっている。そのせいか口が軽くなってしまっているな。
それに、昔のことを思い出したせいか、ハワトがある人間と被って見えることに気がついた。
あの人間は私がとった十二人の弟子の中で最も私のことを理解してくれていたが、そのせいか従順なハワトにアレの面影を見ようとしている。
「……バカバカしい。もう二千年も昔の話だというのに」
そう、昔の話だ。もう終わった話で、私が救えなかった話。私が手を差し伸べたというのに、救いようがなかった人間共。貧弱で、愚かで、なにも学ばない下等な種族。
だが、本当にまれに絶望を踏破する者があらわれる。だからこそ人間という種は愛おしい。
この新しい従者も、どこまで私を楽しませてくれるだろうか?
◇
外宇宙のどこかより。
蝙蝠のような羽に馬のような頭の化物に乗らされてどれくらいあったろうか。
化物は音も無く飛び立ち、気づくと青い空を通り越して無明の世界を永遠と飛んでいた。
息をする事も許されず、時には灼熱の光の中を、時には極寒の闇をの中を飛んでいく。それは人間が生存するには過酷を通り越して不可能な世界であった。
その責め苦に悲鳴を上げた精神が早々に自害の道を選んだのは必然と言えよう。だが舌を噛み切ろうと、眼窩に指を突き刺して脳を破壊しようとしても舌は千切れず、目玉さえ貫通できない。まるで見えぬ壁があるように己の体を傷つける事ができないのだ。
自害さえ叶わなずに無限の苦痛を負わねばならぬと悟った時、俺の精神は絶望を通り越して崩壊を迎えた。
どこか遠くから我が身を見ているような錯覚を覚えながら痛苦に身を任せているとある時、気がつくと俺は宇宙の中に佇む黒い宮殿にたどり着いた。建物と言うには悍ましい狂った形をした居城。
そこには名状しがたき肉塊から触手を伸ばしたナニカが宙を舞いながら太鼓やフルートをでたらめに演奏し、それにあやされる様に黒い玉座で泡立つ不定形の体を収縮させながら何かを呟いているモノと邂逅した。
「 」
その不定形のそれがもらす冒涜的な言葉が俺に残った最後の理性を刈り取るには十分な忌まわしき意味が内包されており、限界を迎えた意識は逆に高揚をもたらしてくれた。
あれこそ宇宙の根源。創造者にして破壊者。原初の混沌。
盲目にして白痴の王よ。理性を蒸発させた形なく、知られざるモノ! アザトース!
俺は今、宇宙の根源に居るのだ。
あぁなんと素晴らしいことか! 最早肉体の苦痛は消え失せ、ただ解放的な気持ちだけが残っている。
あぁ! あぁ!!
なんと気持ちの良い事か!
いあ! いあ! あざとほーす! ふんぐるい、むぐぅなぐる、ざぁだ・ほぉぐら、いあ! いあ! あざとほーす!
補足
アザトース
宇宙の原初にして万物の王。この世の最高神。この世界は彼の神の見る夢の一端であり、目が覚めると共に世界が崩壊する。
強大な力を持っているが、盲目にして白痴のため宇宙の中心にある居城にて冒涜的な話を吐き続けており、それを下劣な太鼓と呪われたフルートの音によって慰められている。
ナイアーラトテップはその意思無き王の言葉のメッセンジャーでもある。