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Call of Dreamlands ――異世界の呼び声   作者: べりや
未知なる異世界を夢に求めて
8/70

村での晩餐

 ハワトに通された家を一言で言えば簡素な木造の一軒家であった。低い石壁に囲まれた茅葺屋根のその家には一本の煙突があり、薄らと白煙を天に燻らせている。



「小さい家ですがどうぞ」

「ではお邪魔いたします」



 木戸を潜れば玄関兼居間兼台所の様相を見せる部屋に通された。右手にはさらに小部屋に続くと思わしき扉が二つ。左手には竈と暖房器具を兼ねた暖炉や桶と言った台所用品が並んでいる。そして奥には開け放たれた裏口が見て取れた。

 もっともそれらの周囲を囲う木の壁には隙間がいくつか散見され、隙間風が舞い込む余地が多分にあるように思えた。

 ふむ、それでよしとされる家なのだから冬はそれほど厳しくは無いのかもしれない。



「す、すみません。汚い家で。いつもはもっと掃除も行き届いているのですが……。あ、お茶でしたね。えと……。コップ、コップ……。この棚にあったはずなんだけどなぁ。どこ行っちゃったんだろ?」



 ハワトが恥ずかしそうに声を上ずらせて言うが、賊が入った後の家は汚いと言うより騒然としている有様だった。

 陶器の食器が散乱し、生々しい剣戟の跡がついたテーブルが倒れ、床にはおびただしい血液が広がっており、そこに母と妹らしき人間が身を沈めている。

 まぁ玄関を入ってすぐこの居間であるが、ハワトはただ家の散らかり具合を恥じ入るばかりで惨事に持目もくれない。



「どれ、私も探しましょう」

「い、いえそんな! ナイアーラトテップ様のようなお方にそのような事などさせられません」

「一人で探すより二人です。違いますか? それ手持ち無沙汰なのはどうも性に合いません」

「……ありがとう、ございます」



 逡巡に笑顔で頷き、無事そうな棚に目星をつける。あそこなら――。だがそこにはコップではなくチーズやベーコンに焼しめられたパンといった乾燥した食べ物が収められているだけだった。これは失敗。

 だが乳製品や肉類があると言う事は畜産が行われている証だ。だが殺戮の広がる村に放牧がおこなわれている形跡は見当たらなかった。と、言う事は森で放し飼いか、肉は狩猟で得ていると考えるべきか?

 いや、街道には轍があった。森を進まずに街道のどちらかを行けばこの村にたどり着けたことだろうし、それを思えば行商が来るのだろう。そこから買っているのかもしれない。



「ナイアーラトテップ様! ありました! これをお使いください」

「ありがとうございます。逆に手間をかけさせてしまったようですね」

「いえ、そんな――! あ、今お湯を沸かしますので少々お待ちください」



 ハワトは慣れた手つきで裏口の近くにある暖炉に鉄の鍋を架け、水桶に漬かった柄杓の中身をそこに空ける。



「私が言ったことですが、わざわざお茶を淹れていただけるとは恐縮です」

「そんな畏まらないでください。それに安いものなのでナイアーラトテップ様のお口に合うかどうか」

「気になさらずに。”与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう”大切なのは茶の味では無く一杯の茶を私に施してくれることです。そうした他者への気遣いこそ重要なのですよ」



 そうした歓談をしている間に湯が沸き、ハワトはティーポットに何かしらの茶葉を入れてそこに出来上がったばかりの湯を注ぐ。

 ふむ、この世界では水を飲用する文化があるのだな。

 ノーデンスは中世ヨーロッパ風の世界と言っていたが、ヨーロッパであれば水は硬水であり、飲用としてはソフトドリンクよりもアルコール飲料が好まれていたものだ。

 もっとも硬水が飲めない訳ではないが、そもそもあの頃の人間共は水が身体に害をなすと真剣に考えていた。その上、茶などが欧州で供されるのは海外植民地を得た頃から盛んになる。

 そう考えると中世なのに水を飲むというのはチグハグナ印象を受けてしまう。



「どうぞ」

「ありがとうございます。これはカモミールですね」

「はい、そうです」

「良い香りです。さ、貴女も召し上がりなさい」

「い、頂きます……」



 さて、推察できる事はして来たが、後は確証と他の事も知りたい。

 ハワトが新たなコップを探し出し、そこに注いだカモミールティーを口につけるのを待ってから質問をする事にした。



「ハワトさん。いくつか質問をしてもよろしいですか?」

「は、はい」

「緊張なさらずに。まず改めて私の名は          。別の世界から遊興にやってきた神です」

「――?」



 まぁハワトが如何に我が姿を直視したと言っても頭蓋に収められた脳髄が矮小な人間のそれであることに変わりは無かったか。

 魔法で情報を直接脳にダウンロードさせることもできるが、取りあえず口によるコミュニケーションを図ってみよう。時間は有り余っているのだから少々の無駄遣いくらい良いはずだ。

 そして私の半生を簡単に話し終えると――。



「………………」

「ハワトさん? 理解出来ましたか?」

「は、はぁ」

「煮え切りませんね。どこまで理解できたか知りたいので先ほど話した内容を簡易で良いのでまとめてみてくれませんか?」

「その、ナイアーラトテップ様は神様で、たまたまこの村の近くをお通りになられた、と言う事ですよね? そのナイアーラトテップ様がおっしゃる外なる神と言うのはわたし達が言う魔人族と言う事ですか?」



 魔人族?



「魔人族なるものを知らぬのでなんとも言えませんが、恐らく違います。外なる神(アウター・ゴッド)とは謂わば宇宙の法則そのものです。そこらの神格――旧神や旧支配者とも別格と言えるでしょう。我が兄は門にして鍵として時間と空間を超越する力を、姉は豊穣神――万物の母としての力を暗愚の実態たる父より授かりました。私もまた父より使者として生み出された存在ですのでその魔人族というのがこの星の住人の一つに過ぎないと言うならまったく別の種族でしょう」



 そう言えば外世界に行く際には時空の狭間に要る兄上たるヨグ=ソトースを通過しなければならなかったはずだが、この世界に来る時はノーデンスに直接送り込まれてしまった。どんなパスを使ったのだろう?

 自慢ではないが、私はありとあらゆる魔法を極めているが、ノーデンスがした魔法がなんなのかさっぱり見当がつかない。

 と、するとノーデンスが生み出したオリジナルの魔法か? あれは独自の魔法を生み出すことに長けているからな。こんど解析して模倣してやるか。



「あの、ナイアーラトテップ様にはご兄姉がいらっしゃるのですか? 神様なのに?」

「えぇ。仲の良いとは言えませんが……。それでこの世界では神様は兄姉が居ないのですか?」

「神様はお一人だってアーカムから時々来る神父様はおっしゃっていました」

「……アーカム?」

「街道を南に三日くらい歩くとミスカトニック河の畔にアーカムと言う大きな町があるんです。この村のような小さなところはそこから神父様をお招きして洗礼を受けたりするんですよ」



 アーカム……。アーカムか。

 アメリカはマサチューセッツ州の町名と同じ都市が異世界にも存在しているとはなんとも奇妙な縁を感じる。

 あそこは色々と面白いものが多くてよく遊びに行った物だが、最後に行ったのは七十年くらい前だったろうか。



「まぁその坊主の話は所詮人間が妄想した童謡に過ぎません。世の中には貴女方が知りえない深淵に住む種族が五万とおり、平凡な日常を陰から蚕食しようとしているのです。それに関してはこの『ネクロノミコン』を熟読すれば自ずと知れる事ですから常に勤勉にありなさい」

「はい、ナイアーラトテップ様!」

「ではお茶を終えたら荷物をまとめてください」

「荷物を、ですか?」

「そのアーカムに行きましょう。このまま村に残っても面白そうな事はもう無さそうですからね」

「ですが村を離れるなんて――!」



 ん? あぁ。農民とは土地に縛られる生き物だ。縛っておけば金の卵を差し出す鶏となるのだから領主はあの手この手で農民が逃げないようにする。

 下手な逃亡を企てれば重いペナルティーが下るもの。だがそれは農民の話だ。



「勘違いをしないでいただきたいのですが、私は“お願い”ではなく“命令”をしているのです。我が従者よ」

「ひッ……。で、ですが――」



 ふむ、抵抗するか。意識そのものを洗脳する魔法もあるが、すでに狂気に呑まれている状態を鑑みるとあまり手荒に扱っては壊れかねない。

 言葉を尽くして彼女を説得することも出来るが、それよりもたまには妥協をしてみるか。

 それに焦ってアーカムに行く理由もないしな。



「少し気が変わりました。疲れたので一眠りしたいのですが、ベッドをお貸しくださいませんか?」

「構いませんが、アーカムに行くのでは?」

「察しが悪いですね。ですが嫌いではありません。今日の出立は見送りましょう」

「ナイアーラトテップ様……! ありがとうございます! ありがとうございます!!」

「ですが私がこの村に逗留するのは今日だけです。明日の朝には村を出ますよ。ですのでしっかりとお別れをしておくように」

「はい! では父と母のベッドを使ってください。こちらです」



 案内された寝所はベッドが一つと服が収められているであろうクローゼットらしき縦長のボックスがあるだけのこれまた寂しい部屋だった。



「では明日までに準備を整えるのですよ」

「はい。……おやすみなさい」

「おやすみ」



 ぱたんと扉が閉まる。やれやれ、外なる神も人間に大分甘くなったものだな。

 ……いや、正確に言えば人間に期待していないから投げやりになっているだけか?

 確かに一時だったが人間に期待を抱いて彼らを救済しようとしていた頃もあった。だが人間の愚鈍さに嫌気がさして救済を放り出してしまった。

 それ以来、人間に期待を抱くのをやめてただ彼らが絶望の淵をどう足掻くのかを楽しみに過ごしてきた。

 だが人間に失望したものの、中にはその絶望の中を抗い、命の輝きを見せてくれる個体が現れる。

 それがハワトという少女であった。

 絶望を踏破してきたのだから期待こそしないが、言う事くらい聞いても良いのかもしれない。



「やれやれ。私はなにをうじうじと考えているのか。考えても詮無き事だろうに……」



 まぁ言ってしまった事は仕方ないからしばらく横になるとしよう。

 黒の背広と革靴を脱ぎ、藁の上にシーツを敷いたベッドの上に転がり込む。

 そのまま本気で眠る事も出来たが、そのような気分ではなかったので久しぶりに昔のことを考えていると居間の方から床を重い物がこする様な音や雑巾がけをするようなリズミカルな音が聞こえて来た。

 もう二度と帰ることのない家の掃除? いや、二度と帰らないからこその掃除と言うべきか? もしかすると彼女は几帳面な性格なのかもしれない。


 いつしか掃除の音が静かになり、代わって火の爆ぜる音や包丁がまな板を叩く音が聞こえて来る。そして窓から見える空がオレンジに染まる頃には小さな歓談が聞こえ出した。

 はて。確か彼女は父親の首を手にしていた。その上、母や妹と思わしき死体もあった。

 では誰と会話をしているのだろう。他の姉妹や兄弟? 祖父母? 村の生残り? いや違う。聞こえて来る声は一つしか無い。


 くすくす。これはまさか――! まさかなのか!?


 唇が譏笑の形に吊り上がるのを我慢できない。震え上がる好奇心のままに音を立てぬようにベッドから起き上がり、背広も着ずにゆっくりと居間に続く扉を開ける。

 掃除のかいあって簡単に清められた床。剣戟の跡が残るテーブル。そこに鎮座した燭台がゆらゆらと席についた()()()()を照らし出す。



「それでナイアーラトテップ様は凄いの! だからね、わたし――」



 赤々と輝く暖炉に架けられた鍋をかき混ぜるハワトの背名。なんと小さく、なんと華奢な事か。



「わたし、この村を出ようと思う。あぁアリス。駄々を言わないで――。あ、お母さん……。でもお母さん! もう十五だから嫁入り修行しなさいっていつも言ってたじゃない。それって家を出るって事でしょ? ならナイアーラトテップ様について行っても良いじゃない。――。あぁお父さんが言う事も分かるけど、でもナイアーラトテップ様はそんなお方じゃないわ。だってあの偉大なお方はわたしのような矮小なものなんて歯牙にもかけないのでしょうから……」



 どうやらハワトさんは家族会議の真っ最中のようだ。死んだ家族との――。

 そう思ったが、小さな死体がドンとテーブルを叩いた。いや、それだけではない。母親の死体も、首の無い父親の死体もハワトとの会話に合わせて動き、ぎこちなくテーブルの食器に手を付けている。

 なるほど。ゾンビの創造か。



「熱の入った議論の最中に失礼しますよ」

「ナイアーラトテップ様!? すみません。お静かだったので起こすのは悪いと思いましてお声をかけませんでした」



 暖炉から彼女が振り向く。その顔は血涙と鼻血に顔を染まっていた。

 ふむ、どうやら私の忠告を忘れて魔力を死体共に注いでいるようだ。いや、“忘れて”ではないな。“無視して”か。

 従順な従者と言うのは理想だが、それでは面白みに欠ける。やはり命令無視と言う不確定なエラーが生じるモノの方が私の想像を超えた行動をとってくれてる。

 その上、この小娘は我が邪悪なる化身の一つを直視し、その恐怖に打ち勝っている。くすくす。面白い! 面白いぞ!!



「気にしないでください。それより、よろしければ私も晩餐に混ぜていただけますか?」

「もちろんです、良いでしょ、お父さん」

「………………」

「ほんと? ありがとうお父さん!」



 「これはお父様。感謝の言葉を」そう頭を下げると器用にもお父様も私に会釈をして来た。



「私の席を使ってください。すぐにお皿を用意しますね」

「うん、美味しそうな匂いですね」

「自信作です! わたしがこの家で作る……。最後の料理ですから、腕によりをかけました」



 ハワトはぼろぼろと血涙を流しながら気丈そうに煮立つ鍋からスープを配膳してくれる。

 豆とベーコンを使った素朴なそれ。いささか鉄分が多いようだ。



「では改めてお祈りを。天にまします我らが父よ――」

「おっと、お待ちください」

「――はい?」

「君が祈るべき神は天では無くここにいるではありませんか」

「あ、そう言えば。申し訳ありません」

「いえいえ。では貴女に新たな祈りの呪文を教えましょう。私の後に唱えなさい」



 口に出すのもはばかられる忌まわしく、根源的な恐怖を呼び覚ますような悪しき呪文が唱和される。



 クトゥルフ・フタグン。ニャルラトテップ・ツガー。シャメッシュ、シャメッシュ。ニャルラトテップ・ツガー。クトゥルフ・フタグン。



 そして冒涜的な祝詞を終えると楽しい晩餐が幕を開けるのであった。


補足


”与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう”

ルカの福音書6:38


ヨグ=ソトース

盲目にして白痴の王アザトースが無名の霧から作り出した存在。無定形の怪物であり、時空間の底の底にて絶えず泡立ち続ける玉虫色の球体の集積物のような見た目をしている。

全ての時空間に接し、全ての時間に遍く存在する全知全能の存在。

外なる神の副王。全にして一、一にして全。門にして鍵。YHVH。


アーカム

アメリカ合衆国マサチューセッツ州の地方都市。アイビー・リーグに名を連ねる名門大学であるミスカトニック大学の所在地。同大学は1930年の南極観測にて不幸な事故が起きたことでも有名。

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