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エピローグ:異世界の怪

 ダニッチ村を震撼させたあの騒動から一週間。私達はアーカムへと帰って来ていた。

 当初はダニッチでの後始末(と、言っても復興を手伝ったのはハスター君だけで残りはウェイトリー家から魔導書などをあさっていただけだが)と冒険者ギルドへの報告などをしていた。

 そして今日、クトゥルフ君とハスター君に連れられ、私とハワトはアーカムの郊外に広がる野原へと赴いていた。



「へぇ。野原に行こうと誘ったはいいけど、思ったより良いところじゃん。お昼寝によさそう」

「だからなんでそんなに呑気なんだよ……。それよりナイ、念のためにナーク=ティトの障壁張って」



 やれやれ。落ち着いたと思った矢先に兄弟喧嘩がしたいだなんて、物好きなものだ。

 付き合わされる私の身にもなってほしいものだが……。



「まったく、君達。『兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない』ですよ。ウィルバーさんの話を聞いて改心して仲直りがしたいというのならここで握手でもすればよいではありませんか」



 驚いたことに、クトゥルフ君とハスター君は今まで一向に埋まらない溝を今、埋めようとしていた。

 たった一人の人間が二柱もの考えを、生き方を変えさせるとは驚きを隠せなかった。

 まったく、あんなところで死んで良い存在ではなかったな……。



「それじゃダメなんだよ、ナイア。僕がどれほどハスターを憎んでいると思う? 握手をしてはい、終わりじゃ終れないんだ」

「あぁ、クトゥルフの言う通りだ。ぼくがどれほどコイツを殺したいと思っている? 謝ってはい、終わりですむ関係なら、こうはなっていない」



 ふむ、どちらももうやる気まんまんか。

 仕方ないと大きなため息を吐き出し、物理的に空間を遮断するナーク=ティトの障壁を張る。

 これで中から外へ、外から中へ干渉することができなくなった。それも最大強度で張ったので二柱がどれほど暴れても大陸が消し飛ぶなんてことは防げるだろう。



「では確認しますが、君達の喧嘩の立会人を私がするということでよろしいですね?」

「もちろん! ぼくが勝ったらクトゥルフ! お前の眷属をインスマスから追い出してもらう!」

「はいはい。それじゃ僕は……。ま、なんでもいいか。さ、やろうかハスター」

「勝敗はどちらかが戦闘不能になるまででいいでしょう。では、始め」



 だらりと両手をぶら下げ、戦闘態勢には全く見えない構えをするクトゥルフ君だが、ハスター君へ凄まじい圧を送っている。それに私の後ろにいたハワトは悲鳴を漏らし、歯の根が合わない恐怖に身を震わせていた。他所から見ているからいいものの、あれを直接浴びせられたら並の人間ならそれだけで正気の糸が切れてしまうことだろう。

 そんな兄に対し、ハスター君は静かに黄色いポンチョをまくりあげて触腕を露わにするや、全身をバネのように縮めてエネルギーを蓄える。彼だから出来ることだろうが、常人なら力を解放した瞬間に全身を骨折するやもしれない。



「神々の戦いをこんな最前席で観覧できるとは、面白いことになりそうですね」

「は、はい。わたしもそう思います」



 震える声が終わると共に動いたのはハスター君だった。さすがは風を司る神格というべきか、目で追うのも苦労する速さで飛び出すや、その触腕をクトゥルフ君に叩きつけた。

 しかしそれを見切っていたのか、クトゥルフ君は拳で迫りくる必殺の一撃を受け流し、懐に飛び込む。肉薄した彼はその勢いのままハスター君の顔面へ拳を叩きこもうとするが、ハスター君は首を傾けることで軽々とそれを避けてしまった。

 まったく、かわせたから良かったものの、まともに直撃していたらきっと首から上が飛んでしまっていただろうに……。

 とはいえこれで両者が攻撃を終えた。これを一ターン目と考えれば両者とも有効打を与えることができないが、様子見は完了したといったところか?



「くぅううとぅるふうううッ!!」



 刹那の沈黙の後、ハスター君は裂帛の気合いと共に人間のままの右手を突き出し、クトゥルフ君へ目つぶしを行おうとする。それにクトゥルフ君は即座に反応して首をかしげるが、僅かにハスター君の爪が頬をかすってしまい、赤い線が頬に走った。

 しかしクトゥルフ君は眉一つ動かさずに掌底を放ってハスター君を文字通り弾き飛ばす。それだけの重い一撃というのもさることながら、直撃の間際にハスター君が後方へ飛ぶことで威力を減じさせているため見るほどダメージは与えられていない。



「す、すごいです……! なにが起きているか分かりません……! それに、直接叩かれたわけでもないのに肌がビリビリします」

「クスクス。人知を超えた戦いですからね。勝敗を分かつのは小さな天の采配だけかもしれません」



 またもや先手を取ったのはハスター君であった。彼はクトゥルフ君に弾き飛ばされ、着地と共に再び身体にエネルギーを溜めるや、バネのように飛び出す。どうやら再び左腕の触腕で攻撃を行うつもりのようだが、それに先んじてクトゥルフ君が拳でそれを受け流そうとする。

 が、ハスター君は直前で急停止するや、地面を蹴り上げて砂煙のカーテンを張った。



「――ッ!! はすたあああッ!!」



 そして砂煙から飛び出したハスター君はわずかにだが、角度を変えてクトゥルフ君に迫ったため、応戦態勢を整えていたクトゥルフ君の拳が触腕を受け流しきれずに態勢が崩れてしまった。こんなところで致命的失敗をするとは彼も運がないな。



「はあああッ!!」



 強く握りしめられた拳がクトゥルフ君の頬を捉える。それと共に肉を、骨を打つ音が数メートルは離れているのに聞こえた。

 そのままハスター君は触腕でクトゥルフ君の身体を縛り上げ、何度も、何度も右手で彼を強打し続けた。



「お前の、お前の自分勝手な、自分が一番苦労してますって態度が前から、昔から気に入らなかったんだ!!」



 幾度もの殴打でクトゥルフ君の水の精を思わせる端正な顔立ちが消えて行く。もう鼻や唇から血が垂れ、目元は腫れあがってしまって目も当てられない。

 それでも彼は一言も反論するこなく殴打を受け止める。そんな様がより一層ハスター君を苛立たせた。



「お前のそういうところが、そういうところがあああッ!!」



 触腕がミシミシと彼の身体を締め上げ、それと共に肉が、骨が押しつぶされ、ついに肉体としての限界を超えてしまう。

 聞くだけで身震いするみずみずしい音と共にクトゥルフ君の身体から力が抜け、足元に鮮血が溜まる。



「く、クトゥルフ様!?」

「心配いりませんよ。クトゥルフ君は不死ですから」



 耐久力がゼロになったクトゥルフ君の身体ははじけて溶解し、緑がかった巨大な雲へと変貌していく。その大きさは三十メートルを優に超え、ナーク=ティトの障壁の天上を越えそうであった。

 その雲はやがて一つに凝固する。

 タコに似た頭部。顔に幾多もの触手が密生し、肥満じみた体はゴムのような鱗に覆われている。その背中には悪魔を思わせる一対の翼があり、見下ろさんばかりの巨体が、この世の生物進化の全てを否定しているようであった。

 ルルイエの主――。クトゥルフが復活したのだ。



「はあああすたあああ!!」



 鼓膜が破けんばかりのそら恐ろしい声と共に巨腕が振るわれる。だが風の化身であるハスター君にとってそれは緩慢な動きであり、易々と避けてしまう。

 しかしナーク=ティトの障壁という限定的なフィールドの中、巨大なクトゥルフ君が現れたため逃げられる範囲は多くはない。すぐに彼はクトゥルフ君の顔から伸びた触手に足を絡めとられ、それまで攻撃の主導権を握っていた足を奪われてしまった。



「く、放せ! 放せ、この――。あっ」



 間抜けな声と共にハスター君は地面に叩きつけられた。常人であれば肉が破裂することで確実に息絶える一撃だ。だがハスター君の加護によらしむるところなのか、奇跡的にアウグスタの身体は原形を保っていた。

 とはいえ地面に人型を深々と刻んだ彼は起き上がることができず、倒れ伏したままだ。



「ふむ、完全にノックアウトされていますね。はい、勝負ありです。良いですね?」



 その言葉と共にクトゥルフ君の身体が徐々に縮みだす。そして化物だったその体は人の、少女のものへと変貌を遂げた。



「どうですクトゥルフ君。久しぶりに元の身体に戻った気分は?」

「んー。別に? でも、少し清々としたかな」



 おや? と思う。いつも鬱屈に濁った水色の瞳が、どこか清々しい色を浮かべている。

 そんな彼は未だ地面に縫い付けられたハスター君を起こしてやった。



「おい、起きろ。おーい」

「……ん、うーん」



 すぐに気絶から起き上がり、重い溜息を吐き出すと共に地面に寝転がった。その様にナーク=ティトの障壁を解除し、二柱に近づく。



「やれやれ。君達。これで満足しましたか?」

「ぼくは、負けたのか。くそ……。てか、元の姿に戻るのは反則だろ!! クトゥルフを殺した時点でぼくの勝ちじゃない!?」

「とはいえ、元の姿に戻るのを禁じてはいませんでしたからねぇ」

「――ッ。つ、次は必ずお前を殺してやるからな!! 覚えてろ!!」

「クスクス。威勢が良いですねぇ。しかし君とクトゥルフ君では地力が違い過ぎると思いますが?」



 ぶっちゃけハスター君がクトゥルフ君に勝っているのは俊敏性と体力くらいじゃないか? その体力も微々たる差だろうし、それにクトゥルフ君は私ほどではないがありとあらゆる魔法を習得しており、その不死性からハスター君が勝てるビジョン事態が存在するとは思えないが……。



「うるさいな。おい、クトゥルフ!」

「なんだい?」

「……悔しいけど、今回はお前に勝利を譲ってやる! でも次は――」

「はいはい。分かっているよ。次もお前のことを殺してあげるし、次の次もお前を殺してあげる」



 とはいえ、クトゥルフ君は勝ったというのに端麗な顔をゆがめ、そして絞り出す様に言った。



「……ごめんな。やっぱりお前を殺してしまった事を、僕は謝れない。お前を許してやれない。ごめんな」



 そんなクトゥルフ君にハスター君は口元に優しい笑みを浮かべた。



「ぼくだってクトゥルフを許してやるつもりなんてない。むしろ許してくれって言われたら殺していた」

「ハスター……」

「でも、また殺し合えるんだろ? 次があるんだろ? なら、今はそれでいい。例え殺し、殺される関係だとしても、背中を向け続けるよりかは……。そうでしょ、兄さん」

「……。そうだな。まぁ、僕はお前の番人じゃない。好きにするといいよ」

「は? なに偉そうなことを言ってるんだ?」

「なに? やる気? いいよ、ハスター。殺してあげよう」



 まったく、この二柱は……。

 とはいえ、やっていることは変わらないが、それでも彼らは変わろうとしている。



「……『のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ』か。自分で言っておいてなんですが、まさかあの二柱が変わるとはな」



 人は、いや神さえもその生き方を変えることはできないと思っていた。

 だがクトゥルフ君とハスター君は今、まさに変わろうとしている。それも、半神とはいえたった一人の小娘の言葉に従って……。

 それが、それが不思議でしょうがない。

 万を超え、億も越える時を生きてきた旧支配者がたかが十年と少ししかいきていない者によってその生き方を変えられるなど信じられないというのが本音だ。



「ナイアーラトテップ様、ウィルバーは鍵だと自分のことを言っておりましたが、それ故にクトゥルフ様とハスター様の扉を開けることができたのでは?」

「ふむ、面白い推理ですね。しかし半神とはいえ、ただの小娘が旧支配者の開かずの扉を開けたなど、にわかには信じられませんが……。クスクス。分からないですね」

「くすくす。分からないというのは面白いですね!」

「えぇ、本当に」



 そして、気づくと再び殺し合い(けんか)をしようとする二柱がいた。

 やれやれ、変わったとはいえ、前途多難そうだ。

 ここまでうるさいとはな。ヨグ=ソトース(ちちおや)によく似ていないものだ。


補足

『兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない』

マタイの福音書5章


『のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ』

ルカの福音書6章


カインとアベル

創世記4章

ご存知アダムとイブの息子たち。

神に捧げものをするも羊飼いの弟であるアベルばかりほめられ、頭にきたカインがアベルを殺してしまうお話。

これが転じて宿命の兄弟のことを意味することも。

カインは初めて殺人を行い、嘘をついた人間である。そのため大地に呪われ、農耕ができなくなってしまう。そのためエデンの東にあるノドという町に追放される。

宿命の兄弟で弟が羊飼いとくればクトゥルフとハスター(羊飼いハイタに詳しいですね)を当てはめずにはいられませんでした。

なお、カインは追放される際、放浪者となる我が身を殺そうとする者がいるだろうと嘆き、神はカインを殺す者に七倍の復讐を与えるカインの印というものを授けますが、本作ではさすがにチートすぎるので省きました。



と、いうことで三章完結です!!

昨年のネット小説大賞一次選考通過祝いで開始した本連載もまさか年をまたいでしまうとは思いませんでした。

バッドエンドという終わりかたではありましたが、お付き合い下さりありがとうございました。

また不運な星辰のめぐりあわせがありましたら再びお会いいたしましょう(まだ構想段階ですが、恐らく次が終章になりそうです)。


それではご意見、ご感想をお待ちしております。

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