ダニッチ・4
すまねぇ
雨が強くなってきた。
ふと、空を見上げると暗雲に紫電が走っている。そういえば神がなにかを伝えようと雷を降らせる雨を”神立”というのだったか。
「凶兆の前触れか、それとも吉兆の兆しか……。何にせよせっかくのスーツが台無しになってしまいますね」
「服なんか気にするなんてナイアは暢気だねぇ」
「昨日ぐうすか寝てたクトゥルフがそれを言う?」
あくびをかみ殺すクトゥルフ君にハスター君が頬をひきつらせながら言う。
その背後でウィルバーとハワトが小声でなにかを確認をしあっていた。
「ハワトさん、ありがとうございました。おかげで呪文もマスターできました」
「わたしはただナイアーラトテップ様の御啓示に従っただけですから。それにわたし達の目的は呪文のマスターではなく儀式の成功ですからね」
「ですね。それじゃ、儀式のサポートをよろしくお願いします」
「はい、お任せください」
ふむ、従者達の方も準備万端のようだな。
今一度、計画をシミュレーションするが、粗はないよな?
まずセンティネル丘の環状列石にてウィルバーの弟を待ち伏せし、そこで弟を異次元に封印する儀式を行う。
もっとも注意すべき点は儀式が完了するまで弟を拘束しておくことだろな。その点については三柱がかかればなんとかなるか?
最悪、本当に最悪だが、ニャルラトホテプが顕現し、ウィルバーの弟を殺すしかないが、少なくともウィルバーの弟の野望を阻止することはできる。
つまりどちらに転ぼうと最低限、世界の滅亡だけは阻止できるという寸法だ。
「ではみなさん。参りましょう」
各々の返事にうなずき、神立煙るダニッチに踏み出す。
村が襲撃を受けていることを告げた村人にはハスター君が避難を呼びかけていたため、静かに雨の世界をセンティネル丘目指して歩いていく。
時折、遠雷が聞こえる中、丘に向かっているとだんだん嘲るような鳥の鳴き声が強くなってきた。
「夜鷹ですね。夜鷹は人の魂をさらうといいます。もし魂をさらうことが出来たら夜明けまで笑い続けるって祖父が言っていました」
「凶鳥ですか。クスクス。それはいい。そうは思いませんか、ハワトさん?」
「はい、ナイアーラトテップ様。困難なものほど面白い、ですからね!」
その言葉に深く頷くとハスター君は「君らどうかしているよ」と呟く。
そんな時、ふとクトゥルフ君が立ち止まり、背後を振り返る。
「おや? 来ましたか?」
「雨のせいで気配を読みにくいけど、なんとなく」
「クトゥルフの意見に賛同するのは癪だけど、風が震えている。真っ直ぐこっちに向かっているよ」
私では気配を感じることができないが、二柱が言うのだから間違いはあるまい。
だが慌てることはない。勝利は確実なのだから。
「ウィルバーさん。環状列石まであとどれくらいですか?」
「ここからだと、あと三十分はゆうにかかると思います。それにここから先は足場が悪くなるのでもう少しかかるかもしれません」
「なるほど。カイン君。どうです? 追いつかれそうですか?」
「んー。まぁ気配の遠さからして微妙なとこかな。急いだ方がいい」
泥水が流れる山肌を滑らないように歩んでいくと、うなじが焦がれるような殺気を感じた。それもだんだん強くなってくる。それと同じくしてハワトもウィルバーも鳥肌をたて、冷や汗を流しているようだ。
そんな張りつめた空気に包まれながら丘を登っていると、突然視界が開けた。
そこには直径百メートルほどの大小様々な岩石が林立した遺跡だった。一歩を踏み出すと今までの泥の柔らかな感触から硬質なものが混じっていることに気がつき、足をどけるとそこには人間の頭蓋骨の一部が露出していた。
よくよく周囲を観察すると環状列石の周囲には人体のそれと思われる骨が散乱しており、儀式として人身供儀が行われてきたことが推察できた。
「最近のものではありませんね。遙かに古いもののようですが」
「正確な謂われは分かりませんでした。先史以前の祭儀場であることは間違いないのですが、ここでどんな神が奉られていたのかさえはっきりしません」
「ナイアーラトテップ様。そういえばわたしの両親もここには近づくなと言っていたような気がします」
ふむ、忘れ去られた儀式場か。
だが未だに濃い瘴気が漂っている上に天体に模した石の配置は魔力を効率的に収集できるようになっているようだ。
ここなら旧支配者の招来は無理でも接触くらいはできるだろう。
「老ウェイトリー氏と兄上を呼び出したのはここというわけか。では早速準備をしましょう。ハワトさんはウィルバーさんのサポートを」
「畏まりました」
二人が遺跡に向かって走っていくのを見送り、背後に向き直る。
いよいよ大粒の雨が肌を叩き、雷鳴が天を切り裂く。それとともにバキバキと木々のなぎ倒される音が近づいてきた。
それと共に夜鷹が狂ったように泣き叫び、鼻をつく異臭が濃くなる。
そして、ウィルバーの弟は現れた。
この驟雨によって雨粒が体に跳ねるおかげでだいたいの輪郭がつかめるが、それよりも不可視だったそれは村で生け贄を集めた際に大量の血を吸ってきたせいか、タコの触腕を思わせるものが幾本もの触手が薄ピンクに染まっている。
それは不規則に脈打ち、虚空へと繋がっており、そのサイズはやはり家程度はあるだろうか? よくここまで大きく育ったものだ。
「さて、叔父さんが遊んであげますよ」
「なら義兄さんも混ぜてくれるかい?」
「つべこべ言ってないで、やるよ!」
最初に動いたのは風を司るハスター君であった。彼は全身をバネのように縮め、一気に飛び出す。まるで稲妻のような速さでウィルバーの弟に肉薄するや、彼は黄色い雨衣に隠れていた触腕を鞭のように叩きつける。
既知の生物であればバターのようにあっさりと肉を両断する必殺のそれは、なんの手応えもなく弾かれてしまった。
「な!? コイツ、物理攻撃に耐性がある!」
不可視の弟は鼓膜を突き破らんばかりの絶叫を口走るが、ダメージを受けた気配は感じられない。
それに耳を押さえながらハスター君は宙を蹴って回転しながら着地する。
「魔法的な装甲を持っているということですか?」
「いや、あの手応えは物理的な力が効かない感じがする……!」
私がハワトに付与している加護は彼女に魔法的な装甲を施すことでダメージを緩和するものだから魔力が尽きれば防壁としての機能を喪失してしまう。
つまりはダメージが通るまで攻撃を行い続ければ良いのだが、それに対してウィルバーの弟はそもそも物理的な干渉が効かないというのだから厄介だ。これはウィルバーが封印するしかないと思う訳だ。
「厄介ですねぇ、これは。くくく、クスクス。あぁこの難易度! 楽しい! 楽しいぞッ! クスクスッ!!」
「言っている場合か! でも、ジークの攻撃は通った。きっと魔法的な攻撃は効くと思う」
ジークの扱う剣は因果さえも断切する神代の遺物だが、突き詰めれば剣というものに“切断”の魔法がかけられているに過ぎない(言うは易しだが、現在はその技術は失われ、再現は不可能だ)。
つまり魔法による攻撃ならウィルバーの弟に手傷を負わせられるはずだが――。
「とはいえ倒す必要はありません。儀式が完了するまで時間を稼げば良いのですから」
「そうも言っていられないかも、よ!」
するとウィルバーの弟は癇癪を起こした子供のように触手を振るい、手当たり次第に攻撃してくる。
ハスター君に比べれば鋭さの欠ける一撃だが、一般人であれば目で追うのも困難な上、目算で二から三トンはありそうな巨体から放たれる一撃は易々と人間を押しつぶす力があるだろう。
故に数メートルはありそうな木に触手があれば簡単にへし折られ、大地を叩けば埋没していた人骨が散弾のように飛び散る。
これでは近づくことはおろか、呪文を紡ぐことに集中することもできない。
これはどうしたものかと思案していると、革靴が人骨を踏んで滑ってしまった。
「あら?」
その隙を見逃してくれるウィルバーではなく、彼の触手が私の体を巻き取った。
と、思うと触手の先端と思われる部位が胸に食い込み、血を吸い出した。いや、血を介して魔力を吸っているのか?
それから抜け出そうともがくが、まるでびくともしない。
「ナイア! ッチ。仕方ないな。 」
クトゥルフ君が有史以前に使われていた忌まわしい言語を紡げば、身体がナニカに掴まれた感触と共に宙へ放り投げられる。
クトゥルフの鷲掴みで無理矢理私を引き離したか。本来なら対象を拘束させる魔法なのだが、まったく彼は大ざっぱなのだから。
「 」
だがおかげでウィルバーの弟の間合いから外れることができた。故に回避を考えることなく呪文に専念できる。
それでもウィルバーの弟は三柱のうち、もっとも私を危険視しているようで宙へ向けて触手を伸ばしてくる。
もう一音節で魔法が完成しようとしたその時、ふと奇妙な既視感が襲ってきた。この手はまるで――。
そう思っていると横合いから身体に触腕が身体に巻き付いたかと思うと落下とは別のベクトルに引き寄せられる。
「なにボーとしているんだ!」
「ハスター君……」
視界がぐるりと周り、気がつくとぬかるんだ大地に足をつけていた。どうやら彼が空中から助けてくれたようだ。
それと共にクトゥルフ君が朗々と精神を逆なでする忌々しい祝詞でクトゥルフの鷲掴みを発動させる。
それによってウィルバーの弟は大地に押しつけられ、苦しげな悲鳴をもらした。
「ふぅ。ま、こんなものかな?」
ゲームセットというようにクトゥルフ君が手をはたきながらため息をもらす。彼のほどこした魔法なのだから抜け出せる訳はないが、それでもウィルバーの弟は執念深く触手を振るい、手当たり次第に暴れることをやめなかった。
「凄まじい執念だな」
「ハスターみたい」
「は? クトゥルフの間違いだろ」
「いいや、ハスターだね」
「なんだと? やる気か?」「そっちがその気ならやろうか」と、そんな二柱の喧嘩を横目に背後に振り返ると、環状列石を中心に淡く妖しい光が石から放たれていた。引き寄せられそうになる光景の中心では空気が揺らいでいるのが見て取れた。
ふむ、順調に儀式は推移しているようだが、もう少し時間がかかるか?
空間を裂くための魔力に関してはハワトに与えた加護の分の魔力と、イゴーロナク君あたりのを使えば簡単に事足りるはずだ。
ならば一刻もたたずに次元が裂けることだろう。その時、「どおじでぇ」と泣きじゃくるような声が轟いた。
それは地面に押しつけられたウィルバーの弟の不可視の口が呟いた言葉だった。
「どおじでぇ、邪魔をする!! お前等もこちら側の存在だろう! なのになぜえええ!!」
「残念ですが、世界を滅ぼす訳にはいかないのですよ」
「ほろぼす? 違う! ただ、ただ仲間を呼びたいだけなのにぃ!! お前等だってこちら側の存在だろう!! なら仲間を呼ぶことのなにが悪い? 仲間と共に楽土を築いてなにが悪い!? どおじでお前等も、ウィルバーも下等な人間なんかのためなんかに邪魔をするう!? どおじでなんだあああ!!」
大地を揺らすように暴れるも、不可視の拘束を解くことはできない。それでも彼は呪詛を唱えながらもがき、自分の正しさを叫ぶ。
それが無駄だと分かると私達に向け魔法による攻撃をしかけてくるが、児戯に等しいそれはまったく効果をみせない。
それでも暴れる様はまるで子供のそれだった。いや、子供なのだ。
如何に世界の裏側を知ろうと、この世界の魔法の水準を遙かに肥える呪文を唱えられても、神の血が流れていても、彼はただただ子供なのだ。
ただ孤独を埋めようともがく餓鬼なのだ。
「昔、重い皮膚病を患った者と出会ったことがありましたが……」
あの時代、彼らは神に背いたから皮膚が腐り落ちる病にかかったと周囲から見放され、人として扱われなかった。
そんな彼らが一途に神に救いを求めた場にたまたま居合わせたのだ。
彼らはただ自分達が神に見捨てられたことを嘆き、再び顧みられるよう懸命に祈っていた。その純粋な様に、気まぐれで彼らを癒した。
そういえば、彼らのうち一人は治癒したことを感謝したのではなく、自分達を許してくれた(と思った)神に感謝をしていたな。
「君がさし伸ばした触手が、救いを求める彼らに重なったのですね」
姿形は変わろうと心というものはある。
彼もまた兄上の子として祝福を受けて生まれることもあったのかもしれない。
だが門として、道具として、化け物として見放され、孤独に陥ってしまった。だから彼は触手をさし伸ばしてきた……。
「ねぇお願いがあるんだけど」
「なんでしょうか、カイン君」
「ウィルバーと代わってくるから、その間、彼の魔法を維持しておいてくれない?」
「構いませんが、なにか思い当たることでも?」
クトゥルフ君は濁った水色の瞳に憐憫を称えながら言った。
「最後の別れをさせてあげたい。たぶん、この二人はわかりあえないだろうけど、それでも次元の彼方に彼を封印したら二度と会うことはないでしょ。だからこのまま別れたらいつか後悔する日がやってくると思う。僕はもうハスターを許すこともできないし、かといってあの時のことを後悔しない日はない。もうどうしようもないんだ。君には分からないことかもしれないけど、心というやつはそうなんだ。不安定で、不規則で、嫌っているはずなのに好いていることもある。だからその日が来た時のために別れをさせたいんだ。……後悔しないために」
ちらりとハスター君をうかがうと彼も同じ想いのようだ。
ならば私からいうことはない。
「”汝のなすべきことをしなさい”」
「……ありがとね」
クトゥルフ君は手のひらをひらひらさせながら去り際に言った。
「僕はハスターを恨まないことはないけど、それでももしかするともう少し、やりようはあったのかもしれない」
「あ、おま、お前!! 昨日起きてたのか!? おい、クトゥルフ!! この――! ぼくだってお前のを事を許すつもりはないし、ぼくから謝罪することはなにも――!! おい、聞いているのか!」
顔を真っ赤にしたハスター君の叫びを聞き流しながらクトゥルフ君が環状列石に向けて歩いていく。それを見送っていると、水煙の向こうで儀式を行っていたウィルバーと視線が交わった。
この大声だ。きっと彼女にも弟の叫びは届いたのだろう。そして私の意図を察してくれたようだ。
そんな彼女にうなずき返すと、その背後に立つ青年に気がついた。
「ん……?」
それは紛れもなく解放者のBランク冒険者ジークであった。
彼は一切の躊躇いなく神代の遺物を振りかぶるや、ウィルバーの背中を真一文字に、切り裂いた。
まず読者の皆様に謝罪いたします。
すまねぇすまねぇ。
恐らく読者の皆さまの多くはこのままウィルバーの弟を異世界に送還してウィルバーが新たな従者になると思われていたと思います。ですが今まで黙っていましたが、この章……。実はバッドエンドなんです。
すまねぇすまねぇ。
元々私はバッドエンド好きで、拙作である銃火のオシナーでもそうでした。ですがなろうでバッドエンドはダメだと、娯楽で読んでいるのに思い小説なんて求められていないと悟り、それを避けるよう書いてきました。
ですがバッドエンド好きは治らず、ここにきて発作が起こってしまいました。
すまねぇすまねぇ。
ま、まぁダニッチの怪でもウィルバーは死んじゃうし、それもミスカトニック大学図書館の『ネクロノミコン』を盗もうとして番犬にかみ殺されるとより壮絶な死を遂げるのでむしろ温情というか。
すまねぇすまねぇ。
あと私から言えることはあと二つで、この章はあと二話にて終了となります。第7回ネット小説大賞の一次選考祝いとして四月より更新してきましたが、だいぶ長引いてしまいましたね。もう第八回ネット小説大賞の募集も始まっちゃいましたし。
そんな長きにわたってお付き合いくださった読者様にこんな思いをさせることを心苦しく思いますが、心苦しく思うだけでストーリーを変える気にはなりませんでした。
そして最後にすまねぇ。本当にすまねぇ。オークに転生したので人間の村を焼いていこうと思うはじゃんじゃん人間の村を焼いてハッピーエンドにするので許して……。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




