ダニッチ・3
陰鬱な空模様に見下ろされたダニッチ村のとある家屋にて、今ピシャリと力強く扉が閉められた。
「おやおや。私達はただ情報提供を依頼しただけなのにこの態度とは……。つれないですねぇ」
ウィルバーの弟の足跡を追ったはいいが、それは途中でコールド・スプリング峡谷と呼ばれる深い谷に吸い込まれていた。そこは曇天とはいえ、昼時でも谷底が見えぬほどの闇に覆われており、追跡を断念せざるを得なかった。
その上、足跡はダニッチ村とこの峡谷を往復しているだけのようで、高台から足跡をたどることは困難に思えた。
しかし罠をはる上でウィルバーの弟の動向を掴んでおかねばならない。
そのため一路、ダニッチ村に戻り、ウィルバーの弟の行動範囲について聞き込み調査を始めたのだが……。
「おーい。聞き込み行ったけど、ノックにさえ応えてくれなかったよ」
「僕の方も同じ。こりゃ相当嫌われていたね」
ハスター君とクトゥルフ君の言葉に共にウィルバーは下唇を屈辱で噛みしめる。
私やウィルバー、そしてハワトが向かった家はウェイトリー家の分家らしいが、その家主は老ウェイトリー氏が呼び出した化物のことを恐れてか、ありとあらゆる罵倒を彼女に叩きつけて扉を閉ざしてしまったのだ。
まぁ他の家でも大なり小なり同じような対応だったようだが。
「……ッ。無知蒙昧で堕落した連中め。みんなお爺様の偉大さが分かっていない……!」
「こらこら。『罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』ですよ。ここの御主人はなかなか口の悪い方でしたが、貴女はどうなのです? 貴女のお爺様は? まったく罪を犯したことがないのですか?」
キッと睨んでくる視線に思わず口元が緩んでしまう。
まぁ言葉がないあたり思い当たる節があるのだろう。先の人間も言っていたが、ウェイトリー家の評判というのは思っていたより悪い様だ。
元々、ウェイトリー氏は悪魔崇拝者として宮廷付きマジックキャスターの任を解かれ、ダニッチ村に帰ってきたという。そんな素性の人間に悪評がつかないはずがない。
その上、魔法の研究のため人付き合いも希薄で、その研究も妖しげな魔法ときた。そのような一家に好印象を持つほうがどうかしている。
「しかし、困りましたね……」
高台からの捜索も望めないため、あわよくば村人達から協力者という名の肉盾を得られるかもしれないと聞き込みをしたが、成果は芳しくない。
このままあてどなく不可視の存在を探し出すというのは中々骨が折れるし、なにより村の捜索はジーク達に一日の長があるため不利だ。
しかし一番の問題はこんな退屈な展開が続くと飽きてしまいそうになることだ……。いや、しかし兄上の頼みを無碍にする訳にはいかないし、困ったものだな。
するとクトゥルフ君が「あのさ、この際待ち伏せとかどう?」と提案してきた。
「もう面倒だし、どっかで待っていようよ」
「は? なに言ってんの? アイツがやってくるっていうの? そんな保障はどこにもないでしょ」
「そうかな? アレが食事をするのは食欲のためだろうけど、それ以外に儀式のために生け贄を揃えているってことはない?」
なるほど、次元を切り裂くには莫大なマジック・ポイントが必要になる。だがいくら半神とはいえ、単体でそれを補えるかは疑問だ。
ならば足りない分を生け贄で補うというのは道理であろう。
「ふむ、それで鍵たるウィルバーさんを待ち伏せしてまで襲ったわけですか。確かに半神を生け贄にすれば次元を裂いて余るほどのマジック・ポイントを得られるでしょうね」
「そういうこと。それに、君の従者も中々美味しそうだしね」
ちょっと骨ばっているけど、という言葉にハワトの線の細い体が震える。
確かに食いではないが、彼女には私の加護として魔力を分け与えているし、その精神にはイゴーロナク君も潜んでいるのでその手のモノからすれば垂涎の高級食材であることだろう。
「『おい、冗談じゃねーぞ。オレは生き餌かよ』」
「おや? イゴーロナク君、久しいですね。最近ずっと黙りではありませんか」
「『うるせー! それよりいざとなればテメェが体張って守れよな』い、イゴーロナク様! ナイアーラトテップ様の手を煩わせるわけには『うるせー! オレはテメェと心中するつもりなんざねーんだよ!』」
相変わらず元気が良いことだ。
だがイゴーロナク君には悪いが、やはり生き餌になってもらう他ない。
「でも、待ち伏せをしている間にあの冒険者達がアレを殺してしまったら……」
「ウィルバーさんの懸念ももっともですが、そう簡単にやられはしないと思いますよ」
ジークの持つ神代の遺物であるあの剣は私が施した魔力的な防御さえ切り裂く業物であるが、いささかデザインが対人向けすぎる。あの小さな剣で家ほどの大きさの怪物の急所(そんなものがあればの話だが)をつけるか疑問が残る。
「それに、ジーク君達は村中を闇雲に不可視の弟君を探さねばなりませんし、それほど焦ることはないですよ。ではどこか、屋根のあるところで待ち伏せをしましょうか。もっとも泊めていただける家はなさそうですが……」
「ウィルバーの家も吹き飛んでいたし、どうする?」
「そういえばの谷の近くで一家行方不明って家があるって聞いたよ」
ハスター君の話にウィルバーは心当たりがあるようで、私達はその家に向かうことにした。
そこは大破した家の倉庫であるが、どうも家主は消息不明になっているとのことだ。
「一夜の宿としては、まぁ……」
雨風がなんとかしのげる程度の粗末なそこに入るとカビと埃の臭いが鼻をついた。
とはいえ宿もない寒村なのだから我慢しなくてはならないだろう。
「おや? 降ってきたね」
最後に小屋に入ってきたクトゥルフ君が夕闇に閉ざされようとした空を一瞥して呟く。
いよいよ陰鬱さが増す中、ウィルバーが短い呪文と共に空中に光の玉を呼び出してくれた。
その明かりに照らされながらウィルバーとハワトは『ネクロノミコン』から儀式につかう呪文のおさらいを始めた。その様子をハスター君と見守っているとクトゥルフ君が大きなあくびをした。
「待つだけだし、僕はその時まで寝てるね。なにかあったら起こし、て……」
そう宣言するや彼は埃の積もった床に躊躇なく横になり、寝息をたてはじめてしまった。
それにハスター君は眉をひくつかせながら「どいういう神経してるんだ」と呟いた。
「まぁまぁ。どんなところでも寝れるのはすばらしいスキルですよ」
「限度というものがあるでしょ。こんな時にまったく……!」
ぶつぶつと言いながらもハスター君は兄を起こすことなく周囲の警戒を始めた。
そんな彼にウィルバーが躊躇いがちに問うた。
「あの、アベルさんはカインさんと喧嘩したと言っていましたけど、仲直りはしないのですか?」
「……余計なお世話だ。君だって弟と仲がいいようには見えないけど?」
意地悪な言葉にウィルバーは顔を伏せてしまう。
まったく、兄弟関係というのは面倒なものだ。それに、よくよく考えると私も兄上の我が儘に巻き込まれているし、やはり面倒なものだな。
しかしハスター君はしばらく口をもごもごさせたのち、聞き漏らしてしまいそうな小声でいった。
「ま、嫌いになりきれない、ってのはある、かも……」
思いもよらぬ言葉にハスター君を見返すと彼は恥ずかしげに頬を朱に染め、早口で言った。
「だ、だからといって許す気があるわけじゃないし!」
「あの、畏れながらアベル様。大変失礼かもしれませんが、申し上げます。その、カイン様は自分のしたことを悔いておられました。後悔しない日はないと。でしたら――」
ハワトの言葉を遮ったのはハスター君の無言の視線であった。そのあまりの圧に彼女は言葉を続けることができず、すぐに平身低頭して謝罪を口にする。
まぁ当然といえば当然か。彼らの溝は他所がどうこう言えるほど浅いものではない。
「後悔しない日はない? 兄さんが? ハッ! そんなこと、言われずとも分かっているさ。兄弟だからね。でも、だからこそ分かりあえないし、譲れない。そうでしょ?」
「………………」
「………………」
クスクス、神に人の道理を説くとは滑稽の極みだが、無知故に無謀に挑む姿は愛らしい。
もっとも兄弟関係というものをそこまで複雑に考えたことがなかったので、ハスター君の考えは新鮮だな。
「でも、だからこそ兄さんには分かってもらいたかった……。羊を、命を育てる苦労を……」
放牧というのもただ家畜を野にはなっておけばよいということではない。
それぞれ個体ごとに健康に気を配り、朝早くから夜遅くまで面倒をみなくてはならないのだ。その上で糞尿の処理や寝床の清掃、出産や病などがあれば対応を余儀なくされるのだから苦労も忍ばれる。
そしてどんなに可愛がった羊でも、いずれそれを肉にしなければならない時がくるのだ。
「事故や老衰で死んだ羊を肉にするのは仕方ないと割り切れた。でも、肉が欲しいがために、ぼくのエゴで肉にせざるを得ない羊には身を裂かれるような思いをしながら屠殺していたよ。こんな罪深い境遇に生んだ両神を恨まないことはなかったし、許して欲しいと主なる神に祈っていた。でも、どんなに苦しくても朝は幾度もやってくるし、いずれ肉になるかもしれない羊たちの世話もしなくちゃいけない……。だから何事もなく毎日が過ごせるのは主なる神のおかげだと思った。だから兄さんが承認欲求を満たすためだけに捧げた作物じゃなくて、ぼくの子羊と肥えた羊が顧みられたのは当然だと思ったよ」
だがそれがクトゥルフ君の逆鱗にふれてしまった。
彼らは自分がどれほど苦役をしていたか知っているからこそ一歩でも譲歩できないのだ。もし譲歩をしてしまえば真価が失われると知っているからこそ相争うしかない。
そんな宿命の兄弟にウィルバーもハワトも自分が軽率な言葉をかけてしまったことを反省しているようだ。そんな二人にハスター君はばつが悪そうに「でも、後悔はある」と呟く。
「あんなに兄さんが怒るとは思っていなかったんだ。でもぼくは主なる神に顧みられて有頂天になっていた。だから気づかなかったんだ。どれだけ兄さんが悲しんでいたか、誰にも顧みられなかった怒りがどれほどだったのか……」
「アベルさん……」
「もう少し、やりようはあったのかな。そう思うときもあるよ――」
しみじみとハスター君が話していると突然ガバリとクトゥルフ君が起きあがった。
「う、うわ!? な、ななな! おま、お前! べ、べべつにだからってお前を許すとかぜんぜん思っていないんだからな――」
「シッ。なにかいる」
クトゥルフ君の言葉に耳をすませるが、聞こえてくるのは雨音と時折吹き付ける風の音くらいしかない。いや、遠くで鳥が鳴いているな。
だが逆にそれくらいだ。
「なんとも、ないようですが?」
「……おかしいな? 気配を感じた気がしたんだけど」
「寝ぼけているんじゃないの?」
「うーん。気のせいだったか。もう一寝しよ」
コテンと横になるや再び規則正しい寝息をたて、クトゥルフ君は夢の世界に旅立ってしまった。
「はぁああぁ……。まったくこんな時になにを暢気な……」
「クスクス。聞かれていなくて良かったですね」
「うるさい! ま、つまりは兄弟関係ってのは複雑で、その、アレだ。ウィルバー!」
「は、はい!」
「ウィルバーがその、弟のことを殺すんじゃなくて、封印したいというのは、分かるよ。そう、それが言いたかった。うん!」
うんうんとうなずくハスター君に対し、ウィルバーはありがたそうに小さく頷くと共に、ふと寂しそうに表情をゆがめた。
「アベルさんの言うことは、正しいと思います。ひたむきにお仕事をされたから認められたのだと思います。でも、だからこそカインさんの気持ちもわかります」
するとハスター君はむっとしながら話聞いてた? と尋ねた。それにウィルバーは膝に顔をうずめながらクトゥルフ君の寝顔を盗み見る。
「誰かに自分を認めて欲しいという気持ちは、悪なんですか? 誰かから必要とされたいと思うのは強欲ですか? もしそうなら、そうなら寂しいですよ。誰にも見向きもされないなんて、そんなのあんまりじゃないですか」
「それは……」
「………………。あたしは、寂しかったです。祖父はいつも神に似た弟ばかり気にかけていて、あたしは儀式の補助を行う鍵としか、見られていませんでしたから」
寂しそうに宙に浮く魔法の光を見ながら彼女はそう呟いた。
世界を滅ぼすために娘を外なる神の副王と契らせる狂人にとって人間に似てしまったウィルバーより神性を色濃く受け継いだ弟と扱いに差がでるのは当然か。なんといっても老ウェイトリー氏が望む姿に近かったのは、弟の方なのだから。
それはきっと、彼女が生まれた時から老ウェイトリー氏が他界するまで続いたのだろう。
むしろそんな境遇に妬みを抱くなど、ウィルバーはまさに人間らしい。
「以前、アベルさんは農場でお爺さんの願いをかなえる自分を見て欲しいから『ネクロノミコン』を探しているのが本音じゃないかって問いましたよね? あの時は否定しましたが、やっぱり、あたしは祖父に、誰かにあたしの力を認めて欲しかった」
「……だからこそ、あなたはお爺さまの意に背いて弟君の封印を行うと決めたのですね?」
祖父の敷いたレールを走っていれば苦労は少なかったろうし、こうして弟と対峙することもなかったろう。
くすくす。老ウェイトリー氏が生きていたら、さぞや激怒したことだろうな。だというのに分かってレールを外れるのだから人間というのは面白い。
昔から連中は神の意志にさえ従わぬどうしようもない種族だったが、それゆえに愛おしい。
そういう意味でウェイトリーはまさに人間だ。愛すべき存在だ。
「そんな大した理由じゃありませんよ。ホテルで話したとおり、あたしはただ化け物になっていく弟が怖かったんです。だから――」
「その恐怖と戦うことを決められたあなたはまさに人間です。とても立派ですよ」
首を横に振るウェイトリーに私はこの者なら従者に加えても良いのではと思っていた。
この意志はハワトのそれと同じだ。彼女もまた絶望を踏破したといっても良いだろう。ならば十分資質がある。
それに兄上の血を引いているし、なによりその兄上に彼女のことを頼まれているのだ。悪くはない。
とはいえ、今彼女に私の魔力を与えるのはタイミングが悪いだろう。
こうも気分がいいと彼女の願いを叶えてやりたくなるから、やはり彼女の弟は封印に処すべきだ。
ならば不測の事態に備えて魔力を温存しておきたい。
「なにかあれば起こしますのでハワトさんもウィルバーさんも休んでいなさい。見張りは私とアベル君がやりましょう」
「しょうがないな……。休んでていいよ」
持ち前のお人好しで了承してくれた友神に感謝しつつ私達は夜を明かし、明かしてしまった。
そう、何事もなく。
◇
「……おかしいですね」
小屋の扉をあけると相変わらず気の沈む雨天が広がっており、風には気分を害する悪臭が混じっている。
だというのにまったく襲撃がなかった。
小屋に潜んでいたとはいえ、あの弟がウィルバーやハワトの魔力を見逃すとは思えない。
まさかジークに討伐されてしまったのだろうか。
「困りましたねぇ……。ん?」
ふと、雨音の中に複数の足音が迫ってくるのに気がついた。ウィルバーの弟でないな。もっと軽い足音だ。これは、人間か?
そう思っていると背後から気配に気がついたクトゥルフ君とハスター君がやってくる。
そんな三柱で村人達を出迎えると、その者達は十数人いたが、誰もが憔悴しきっていることにきがついた。
「おはようございます。朝食のお誘い、ではなさそうですね」
「……化け物がまた出たんだ。今も村を襲っていて、その、なんとかできないかと――」
「クスクス。昨日あれだけ邪険にしておいて助けを求める? これは、傑作ですねぇ。えぇ? そうは思いませんか?」
「ナイ! すぐに行きます。みなさんは避難を!」
ハスター君の鋭い声に村人達が動き出す。さすがはBランク冒険者だ。人の扱い方を知っている。
そう思っているとクトゥルフ君が「夜のあれは気のせいじゃなかったのか」とこぼした。
「どういうことです?」
「やっぱりあの弟君はこの小屋の近くを通ったんだ。多分、寝ていたからその足音を君達より感じられたんだろうね。で、あえて僕達を無視した」
「……すると、ウィルバーさんを生け贄にするのではなく、村人のみで魔力を充足させるつもりだったと?」
「そりゃ三柱も固まっているところを襲うより無防備な村で食べ放題するほうが気兼ねないでしょ」
これは、やられたな。
と、するとこれから村に引き返しているとどこかで入れ違いになってしまうかもしれない。
「弟君も儀式をするなら、陣のあるセンティネルの丘を目指すでしょうね」
図らずとも舞台は整ってしまった。ならばせめて幕があがりきるまえに舞台に躍り出なくてはな。
くすくす。面白くなってきたぞ。
遊びに行ってたら普通に更新忘れてました。てへ。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




