ダニッチ・2
私達を襲ったウィルバーの弟を撃退した解放者のリーダーであるジークは剣呑な視線をこちらに投げてくる。
抜きはなった神代の遺物の剣からもこちらをいつでも斬れるというメッセージを感じ取ることができた。
やれやれ、剣を持つ者は剣で滅びるというのに……。
「や、これはジークさん。お久しぶりです。お代わりありませんか?」
「………………」
聞こえていない、訳ではないだろう。
そんな私にクトゥルフ君が「誰あれ?」と聞いてくる。彼も一度会っているはずだが、まぁあの時は寝ぼけていたしな。
「ジーク君です。有名な冒険者ですよ」
「ふーん。友達なわけ?」
「友達というわけではありませんが、なんとも言い難い関係ですね」
納得したように頷くクトゥルフ君に対し、ハスター君はいたたまれないように黄色い雨衣のフードを目深に被って俯く。
ジークを裏切って袂を分かったアウグスタの体を使っているのだから分からなくもないが、そこまで身体のほうに入れ込まなくても良いだろうに。
まぁ彼は直情的だかららしいと言えばらしいが。
「そういえばもう一人お仲間がおられましたね? クレアさんでしたか? 彼女も息災ですか?」
あの赤い髪の魔法使いもどきはどこにいるのだろうか?
そう思っていると彼の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「やったの?」
「いや」
駆け寄ってきた赤い髪の少女――クレアがジークと合流すると、やっと私達に気づいてくれた。それと共に黄色いポンチョを着るハスター君――アウグスタを見て息をのむ。
しかしジークだけは冷めた目で私達を見るばかりで元アウグスタを気にかけるそぶりは見せない。
「クレアさん、これはご機嫌よう。インスマスの後、行方知れずになっていたので心配していたのですよ。ご無事でなによりです」
「あんた……! よくもぬけぬけと――」
顔を真っ赤にするクレアに対し、それを冷めた瞳のジークが片手をあげて制止する。
どうも少し会わぬうちにジークはつまらない人間になってしまったようだ。とはいえ、無下にするのはよろしくない。
「どうしたのです? インスマスで共闘した仲ではありませんか。再会を喜ぼうではありませんか」
「ナイさん。無駄ですよ。もう俺達は貴方の甘言に騙されるようなことはない」
「甘言? 私がいつ甘言を弄したというのです? 貴方のおかげでハワトさんは邪神崇拝を辞め、更正することができました。あの戦いで目が覚めたと――」
熱弁を振るう私の背後でクトゥルフ君が「君、詭弁しかしゃべらないでしょ」と、ハスター君は「邪論と戯論ばかりじゃん」と息を合わせて言う。こんな時だけ仲良くなるとはやはり兄弟だな。
そう感心しているとジークは話も半ばでくるりと背を向けて歩き出してしまった。
「や、待ってください。貴方達もアレを追っているのでしょう? ならば私達と協力しませんか?」
ジークの雰囲気が変わってしまったこともそうだが、彼らがイブン=グハジの粉を持っていたことから恐らくランドルフ・カーターの息がかかっているのは確かだろう。ならばどう動くか分からない駒を監視するためにも手元においておきたいし、何より肉盾として彼らが欲しい。そうすれば肉盾がどう生き足掻いてくれるかこの目で見る事ができるのだから。
「クレア。行こう。それと、ナイさん。勘違いしているようだけど、俺達の目的はただ一つ。この世にあらざるモノを全て殺すことだ。そこに例外はない。絶対だ、絶対に殺すんだ」
ふむ、すさまじい強迫観念だ。ここまでくると狂気に取りつかれているともいえるか。
そう思っていると顔を青くした山羊似の少女が前に出る。
「あの、どなたかは存じ上げませんが、冒険者の方ですか? アレは普通のやりかたじゃ殺すことも――。傷をつけることさえ出来ない危険なモノなんです! だから手を引いてください。お金が欲しいのなら支払いますから」
「金の問題じゃない。君の言うアレはこの世に存在しちゃいけない代物なんだ。だから俺達はアレを殺す。ナイさん、あんたも含めて、な。全てカーターから聞いたよ」
おや? まさか名指しとは思わなかったな。
それにやはりランドルフ・カーターから接触を受けていたか。一体彼になにを吹き込まれたのやら。
だが少なくともカーターによって闇に蠢くモノ共を憎む気持ちを植え付けられたというのなら、彼は私と敵対することを選んだというわけか。
まぁカーターは良い玩具として昔よくからかってしまったからな。恨まれても仕方ない。むしろどんな楽しいことを仕掛けて来るのか期待が膨らむ。彼も稀有な有望株だからな。
「あの、話を聞いてい下さい。あたしはアレを次元の彼方に封印する儀式が行えます。戦うよりよっぽど勝率が高いはずです! だから――」
「関係ない。俺のこの剣はどんなモノだろう必ず切り裂くことができる」
そう、ジークの両手剣は因果さえも切断できる神代の遺物だ。確かにこの剣であれば兄上に似たウィルバーの弟とてただでは済まないだろう。
現にあの剣はウィルバーの弟の触腕を切り飛ばしている。
その事をウィルバーの耳元に囁くと、彼女の顔色がみるみるうちに青くなってしまった。
「そんなバカな……! あの、アレはあたしの弟なんです!! だから――」
ウィルバーの言葉が終わらぬうちにジークの目の色が変わる。凄まじい殺気にウィルバーが悲鳴をあげたかと思うと、神速の足さばきでジークが彼女に迫り、剣を振り上げる。
どうやらこの世のモノではないものを全て斬るというのは嘘ではないようだ。
「会ったばかりで悪いけど、アレの姉弟ということは、お前もそっち側の存在か。なら死んでもらう」
「ぇ……」
悲鳴をあげる間もなく剣が振り下ろされそうとした時、一陣の風が頬を撫でた。かと思うとウィルバーの前にハスター君が割って入り、ジークが振り下ろそうとした剣の柄頭を手のひらで受け止めていた。
さすがハスター君といったところか。人間には出来ぬことを軽々とやってしまう。
「………………」
「………………」
剣を振り下ろそうとするジークに、それを片手で押さえつけるハスター君は互いに視線を交錯させるも、一歩も引くことなく無言のにらみ合いが続く。筋力値的にハスター君の方が分があると思うが、それでいて拮抗を生んでいるというのは身体の主がそうさせているのかもしれない。
そんな二人の拮抗を終わらせたのはクレアだった。
「やめて! ジーク!」
彼女の訴えにしばらくハスター君を、そしてウィルバーを睨んだジークであったが、彼は素早くバックステップで距離をあける。ハスター君なら追撃できそうなものだが、その隙を敢えて彼は見逃した。
まぁ彼に争う理由があろうと、私達にはそれがないのでわざわざ彼を攻撃しようとは思わないが。
「残念です。君とはもう少し仲良くできると思いましたが」
「………………」
話にならないとはこのことか。とは言え、言葉を交えないという防衛策は効果的ではある。
こうなれば仕方がない。肉盾は諦めるとしよう。
「ではゲームですね。どちらが早く――」
喋りきる前にジークは背を向け、ウィルバーの弟の足跡をたどり出していった。そんな背中にハワトは「ナイアーラトテップ様のお言葉を途中で無視するなんて」と憤慨していたが、ただ一人、クレアは悲し気にハスター君――いや、アウグスタを見ていた。
「ハスター君、なにか言って差し上げたらどうでしょう?」
「えぇ……。ぼくはべつにいうことなんてないよ。身体のほうも、ね」
こちらの会話は不首尾か。
なにか言葉を紡ごうとしていたクレアも、それを諦めてジークの背を追って行ってしまう。
「アイツら、本気だ……! アイツらより早くアレを見つけて儀式をしないと――」
「ウィルバーさん、ご安心ください。私達が本気になればジークさん達が弟君を見つけ出すより前に始末をつけることができますよ」
「はい、ありがと……。え? 始末?」
「えぇ。そうです。アレは殺せない類のものではありませんからね。ジーク君――先ほどの冒険者であれば弟君を殺し得る力を持っていますし、我々はこう見えて彼よりも強い力を持っています。私達に任せていただければよりスムーズに始末をつけることができますのでご安心を」
「え? でも封印に協力してくれるんじゃ……?」
「どうやら認識に違いがあったようですが、私は一言も封印するなどと言ってはいませんよ」
信じられないというように顔を引きつらせるウィルバーに契約のなんたるかを少し説法してやろうかと思ったが、クトゥルフ君もハスター君も同じような顔をしていることに気がついた。ただ一人、ハワトだけは当然というように頷いている。
もしかして私の神意が伝わっていたのはハワトだけなのか?
どう考えても次元を切り裂いて封印するより殺してしまった方がコスト的に優れていると思うのだが……。
やはり誰かに自分の思いを伝えるというのは難しいものだな。
「まぁまぁ。封印するとは言っていませんが、協力するとは言いましたし、弟君の野望を阻止したいというのも本音です。ただ封印するか、殺すかの違いですし、気にすることはありませんよ」
「い、いや。大きな違いじゃないですか!」
「おや? ウィルバーさんは異なることを申すのですね。どちらにしろ結果は同じではありませんか。次元の彼方に封印するのも、殺してしまうのも、それは貴女の近辺から脅威を取り除くという意味で同じでは?」
「それは……。封印ならまだしも、殺すなんて……」
言葉に詰まるウィルバーが絞り出した答えに思わず嗤いがこみ上げてきてしまった。
これは確かに兄上よりも母のほうに似ているな。
「殺すなんて可哀想、ですか? クスクス。ですが貴女は実の弟を化物と忌み嫌い、その消滅を願っている。ならばどうして私を批判できるものでしょうか? 『罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』と昔説いたことがありますが、まずはご自身の言動を振り返られては? 貴女はただ自己満足で弟の生死を斟酌しているにすぎな――」
つい、とスーツの裾を引かれたのを感じ、振り返ると厭世を映した水色の瞳が見返していた。
「そう、簡単な話じゃない」
「……まぁ、君がそう言うのなら」
兄弟殺しをしてしまったクトゥルフ君には思うところがあるらしい。
彼に免じてこれ以上の追及はやめよう。それに、兄上から頼むと言われているのだ。出来るだけ姪の自己満足に付き合ってやろう。
「言い過ぎましたね。謝罪いたしましょう」
「いえ、構いません。あたしも、どうすれば良いのか、分からなくて……。もう封印する以外に出来ることはないと思っていましたし、殺せるなんていわれても――」
「大丈夫です。私としては出来る限り貴女の意向に従いたい。貴女が望むのなら弟君を異世界なり、なんなりに送る手伝いをいたしましょう。ただ……」
ふとパーティーメンバーを見やるが、少し不安がある。私だけならまだしも、クトゥルフ君もハスター君も化身として偽りの身体を依代に顕現しているため本来の力を振るうことはできない。
それにハワトとウィルバーもこの世界の魔法の水準を軽く超えた妙技を習得しているが、身体能力は人間の域を出ない。
このメンバーが全力で殺しにかかれば難なくウィルバーの弟を倒すことはできよう。だが殺さずに儀式をするとなると足止めや段取りなど余計な手間が入るため成功率は落ちてしまう。
「貴女の望む結末になるよう努力はしましょう。しかし必ずとは言えません。それでも、よろしいですか?」
「……はい、覚悟、します」
「良い答えです」と返しつつ、私達は彼女の弟の足跡を追い、再度ダニッチ村へと向かうのであった。
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