ダニッチ・1
少し落ち着いたウィルバーは旅支度をしながら己の出生のことを話してくれた。
「祖父は究極の門であるヨグ=ソトースを招来させようとしていました。しかし門を開けることは出来ても、それ以上は不可能だったようです」
それはそうだろう。全知全能の神たる兄上にアクセスするには銀の鍵が必要だ。
過去にも兄上を手にして神の座につこうとした魔術師達はいたが、うまくいった試しはない。
「そこで祖父はヨグ=ソトースに繋がる門と鍵を作ることにしたんです」
「鍵を作る、ですか?」
人間如きが? と続きそうな言葉をなんとか飲み込む。
そもそも銀の鍵は旧支配者と旧神が相争った“大いなる戦争”以前の技術で作られた神代の遺物だ。それを狂人が再現できるものか?
いや、待て。そう言えば彼女は己の出生についてなんと言っていた? 確か彼女は己の出生について“母に忌まわしい方法で作らせたんです”と言っていた。
まさか――。
「もしかして、それは貴女のことなのですか?」
「概ねそうですが、あたしはただの鍵です。ヨグ=ソトースの招来の儀式を執り行い、異界との扉を開けるために作られたといえましょう」
くす、クスクス。まったく、自分の娘に神の子を宿らせるとは大胆なことをする。
だがヨグ=ソトースの落し子であれば銀の鍵の代用くらいにはなりそうだ。中々よいアイディアだな。
「それと、祖父が作ったのはあたしだけではありませんでした。より強大なモノをこの世界に呼び出すには相応の門となる陣地が必要です。それが、あたしの弟なんです。いつもは近くの環状列石の遺跡を使って異界のモノ達を呼び出しているのですが、偉大な旧支配者達を復活させるには力不足でした。だから疑似的な究極の門を、作ってしまったのです」
鍵の対となる門までも作るとは手の込んだことを。
よほどこの世が憎かったと見える。
もっとも、カタカタと震えるウィルバーはその入念な準備に恐れを抱いているようだ。
「弟は、人の形をしていませんでした。環状列石の遺跡で呼び出す異界のモノ共によく似ていて、たぶんあれは父上の方に似たんだと思います。アイツは日に日に大きくなって、誰もアレを殺すことはできません。いえ、もう傷をつけることさえも――。出来ることは儀式を行って次元の彼方に封印することくらいしか……」
だから彼女は儀式を執り行おうとしていたのか。
なんだか残念だな。これで彼女も兄上へ繋がる門を開いてくれたら、きっと面白いことが起こっていただろうに。
「あの、こんなことを出会って間もない皆さまに頼むのもおかしい話ですが、どうか力を貸してください。アレを封印するには『ネクロノミコン』に記された呪文が必要なのです。呪文が分かれば儀式もできますし、その際にアレを次元の彼方に封印できます。ですから、どうか『ネクロノミコン』を――。痛ッ」
息を荒げたせいで背中の傷が痛むのか、ウィルバーは再びベッドに沈み込む。
ふむ、これは……。どう対処すべきか悩むポイントだな。手を貸すにしても『ネクロノミコン』を渡してハイ、終わりという訳にはいくまい。
ウィルバーが半神とはいえ、座学だけで次元を切り開く門になるような存在を封印できるか疑問だし、最悪返り討ちにあう可能性も捨てきれない。いや、それはそれで面白そうだ。
つまりはどちらに転んでも見ごたえのあるショーになるのは間違いない。ならそれを見逃すのは損になる。
「『ネクロノミコン』だけとは水臭い。私達も弟君をなんとかするお手伝いしましょう」
「え? でも、すごく危険な儀式なんですよ。皆さまを巻き込む訳にはいきません」
「それは重々承知しております。しかし、貴女は彼の神の子であるなら、私は私的な事情で貴女を手伝わねばなりません。それに私達はすでに仲間じゃありませんか」
「ナイさん……!」
「みなさんも良いですね?」
それにクトゥルフ君は仕方なく、ハワトとハスター君は当然というように、協力に頷く。
そんな私達に涙を浮かべて感謝を述べるウィルバーと共にその後、旅支度が整い、私達は足りないものを買い足しに行くためミスカトニックの街に繰り出したのだが……。
「なにやら騒がしいですね」
「見たところ冒険者が慌てているようです」
ハワトの言葉通り荒くれ者然とした連中が右往左往している。
それに首をひねりつつ冒険者ギルドで買い物をすべくそこに向かうと、受付嬢と思わしき女が「緊急クエストです!」と顔を青くしながら依頼書と思わしきものを振りかざしていた。
「対象はAランク以上の方に限ります! どうか力を貸してください!」
その鬼気迫る様子になんだろうと思っていると、その受付嬢がこちらを見て、そしてハスター君に気づいた。
「あ、解放者のアウグスタさん! ちょうど良かった、助けてください」
「え、えぇ。なに?」
そういえばハスター君の体はアウグスタのものだったな、と思っていると、周囲の冒険者から「あのBランクの!?」「ギルド一の盗賊という!?」「あの人なら!」とざわめきが起こる。
それに元来のお人好しが加わり、ハスター君は「話だけなら聞くけど……」と言ってしまった。
やれやれ、こちらも急いでいるというのに。ま、ハスター君抜きでもハワトだけいれば事足りるだろうから別に問題はないが――。
「実はダニッチ村で未確認のモンスターが出たそうなんです。家畜小屋ごと牛が襲われたりしていたそうなのですが、最近は家を壊されて村人にも犠牲者が……。でもモンスターの姿を見た村人は誰もいないそうなんです。ただ家屋を壊すほどの力があるみたいで、その体も大きいんじゃにかって言われていて」
その言葉に弾かれたようにウィルバーが「その話を詳しく!!」と受付嬢の肩をつかむ。
その恐々とした姿に気おされながら受付嬢は私達一行を見渡し、それからギルドの会議室に通してくれた。
そこには以前、私とハワトを聴取した壮年の男――ギルドマスターがやってきた。
「うん? あなたは確か以前、邪教徒討伐に参加された――」
「はて、なんのことでしょうか? 誰かと勘違いされているのでは?」
素早く平凡の見せかけという呪文を唱え、認識を阻害させてやればギルドマスターはそれ以上の追求なく改めてクエストの説明をしてくれた。
「ダニッチ村で起こっていることは聞きましたか? 実は村付きの冒険者の報告によるとモンスターは不可視の上にCランク冒険者を返り討ちにするほどの強さを持っているそうです。その討伐から唯一生き残った者の話によると這いずった跡だけで数メートルはあるとか。ただ、証言をしてくれた冒険者はその、恐怖のせいか精神に異常をきたしているようで、情報をそのまま信じていいのか判断がつかないという状況なのです。そこで信頼のおける高ランク冒険者にダニッチ村に赴いて実情を探ってほしくて。もちろん高報酬をお約束しますので、なにとぞ」
するとウィルバーは「間違いない」と顔を青くしながら呟いた。
なるほど、彼女の弟が……。これはいよいよ助けてやらねばならぬ事案になってしまったな。
「分かりました。調査依頼という訳ですね。でしたらお任せください。こちらには優秀な冒険者であるアウグスタさんもおりますしね。ね?」
「は? う、うん。ま、まぁ任せてよ」
珍しく空気の読めたハスター君にギルドマスターは破顔して彼の手を取る。
「ありがとうございます。Bランクのアウグスタさんが行ってくれるとは心強い! あ、ちなみに他の解放者の方々は?」
「あー。今は訳あって別行動中で……」
歯切れの悪い回答であったが、ギルドマスターはそれ以上の追求をやめ、クエストに関する手続きを整えてくれた。
しかもギルドから馬車が貸与されるという。
これはありがたい。
「では参りましょうか、ダニッチへ」
◇
途中、一泊だけではあるが野営を挟んでダニッチの地にやっとたどり着いた。
その間、ウィルバーはハワトに『ネクロノミコン』のことについて師事を乞い、熱心に学んでいた(ハワトは煩わしそうであったが)。その理解力は驚くことに脳を弄ったハワトに迫るものがあり、天才の片鱗が見て取れた。
そして短い旅を終える頃には必要な呪文を習得し、いよいよダニッチ村に帰ってきた。
そこはただでさえ寒村であるというのに、謎のモンスターの襲撃に怯え、住民は家の中に隠れて息を潜めているためより一層、陰鬱な空気が――。いや、異臭ただよっている。それに犬達が狂ったように、いや、怯えたように吼えている。
「ふむ、空模様がすぐれませんが、ダニッチにはお似合いの天候ですね。どうですハワトさん、懐かしいですか?」
「え? あ、はい」
ふむ、どうしたのだろう。いつもは歯切れの良いハワトが言いよどむとは?
それよりもウィルバーは「あたしの家は村の外れで、まずはそこに向かってください」とギルドがよこしてくれた馬車の御者をナビゲーションする。
その間、村には大破した家屋やなけなしの資材を投じて家を補強している様も見て取れたが、はたしてどれほどの効果があるものか……。
そんな恐慌状態の村から六キロメートルほど離れた山の中腹にウェイトリー家があった。いや、正確には家だったもの、だろう。
そこにあったのは瓦礫の山だ。まるでダイナマイトが内側から爆発したような具合に壁だったものや柱だったものが四散している。その上、残骸を中心に恐ろしい悪臭を放つタールじみた不気味な液体が付着している。村で臭った異臭の源はここか。
「やっぱり、アイツ……!」
「ふむ、すごいことになっていますねぇ」
「あたしの、あたしのせいです……。本当はもっと早くに帰る予定だったんです。じゃないと、アイツにご飯を与える役がいなくて……」
なるほど、どのような生物も空腹を癒すには食べるしかない。
それにしても……。
「この規模の家を壊すのですから相当な力があるようですね。大きさだけで数メートル? いや、十数メートルはありそうですね」
「……はい。アイツは際限なく体が大きくなって。でも普段は姿を見ることができないんです。ただイブン=グハジの粉をかけた時だけ、アレの姿を見ることができます」
ふむ、振りかければ不可視の相手を可視化させる秘薬を知っているのか。確かに目に見えぬ彼女の弟を探すには必要な秘薬だが、残念ながら調合に必要な材料がないし、この大破した家の中にその材料があったとしても探すのは骨が折れそうだ。
「ふむ、捜索は難航しそうですね」
「いや、そうでもないと思うよ。ほら」
そう言ったクトゥルフ君は地面を指さすと、そこにはシュロの葉のように一点から放射状に何本も指が伸びた足跡があった。だがそれはシュロの葉の何倍も大きく、そして深く地面を穿っており、そこには家の近辺に散らばっていたタール状の粘液が悪臭を放っていた。
そんな一筋の足跡が村へと伸びており、これを辿れば問題の弟君と出会えるであろう。
……しかし、足跡になにか違和感がある。そう、どこか歪んでいるような――。だがそれ以上はわからない。
「分からないというのは、面白いですね。何が待っているのかワクワクします……。まぁ、憶測ばかりでは面白くありません。ウィルバーさんの弟さんの追跡のために高台に登りましょう。そこから足跡の向かう先を観察しようではありませんか。ハワトさん、案内を頼めますか?」
「え? 高台ですか? えと……」
ふむ、おかしい。
ハワトはダニッチ村で拾った従者だからこの近辺の地理には明るいはずだ。
だというのに言いよどむのはおかしい。
それを問いただす前にウィルバーは「それなら」と案内を始めてしまった。
タイミングを逃してしまったが、それほど面白い案件ではないだろう。後で聞くとしよう。
「そこはセンティネルの丘と呼ばれているですが、そこには環状列石の遺跡があってよく儀式でそこを使っているんです。そこなら村を一望できますし、門を開くことに適した場所なので罠もはれます」
「それはいいですね。ではそこに向かいましょう」
馬車に再び乗り込み、御者が二頭の馬に鞭を振るう。その時になってやっと気づいたのだが、馬達は怯えたように嘶き、一向に進もうとしない。
それを不思議に思った御者が再度鞭を振るおうとした時だった。突然、周囲に漂っているものよりも濃い悪臭が吹き付けられた。
と、思うと馬が立ち上がった。いや、不可視の手に捕まれたと言うべきか?
馬は前触れもなく馬具ごと持ち上げられ、破砕音と共に馬車が竿立ちになる。
「うあああ」
悲鳴と共に馬車から投げ出され、なにが起こっているのか理解する前に顔へ暖かな血液が降り注ぐと共に馬の絶叫が鼓膜を圧した。
それを拭い、馬車から這いだすと頭部を消失し、血を噴出させる馬がいた。その馬はバリバリと不可視のナニカに食われていき、続いてソレは隣の馬もあっという間に平らげてしまった。
「くすくす。なるほど。私の感じた違和感の正体はこれか。これは中々賢しい弟のようだ」
ウィルバーの弟は自分が歩いた跡に足をおいて戻ってきていたのだ。だから足跡が若干崩れており、それが違和感となって映ったらしい。
つまり最初から彼はここで待ち伏せしていたわけだ。家に帰ってくるであろう姉を――。
そんな不可視の弟君がこちらを見た、気がした。
それと共に悲鳴をあげて逃げ出した御者がナニカに捕まれ、宙を漂ったかと思うと、馬達と同じ運命を辿る。
そんな弟にウィルバーは慌てたように既知の言語とは全く異なる音を発する言葉で語りかけた。
「 」
「 」
すると彼女の弟も空気を振るわせるように怖気の走る不気味な言語でそれに応じる。
ウィルバーはなおも説得を試みるが、弟からの嘲笑を浴びせられるばかりで話し合いにならない。
「ナイアーラトテップ様……!」
「えぇ。どうやら弟君は知ってしまったようですね。人間が如何に脆弱で、取るに足らないかを」
どうやら生まれてからずっとウィルバー宅で過ごしてきた弟は初めて見た生の世界で自分に勝る存在が付近に居ないことを、そして自分が如何に他の種族よりも優越しているかを、知ってしまったようだ。
だから彼は紛い物の支配者がのさばるこの世界を一掃し、かつて世界に君臨した旧支配者達を呼び込もうとしていた。
「『カエサルの物はカエサルに』ですか。お爺様に似られたのですね」
「言っている場合か!?」
ハスター君は鋭い言葉と共に戦闘態勢に入りつつあり、逆にクトゥルフ君は「どうすんのさ?」と尋ねて来た。
そもそも弟君のいう旧支配者達を招き入れという点に関してはすでに達成されているのだが……。
「どうするのさ叔父さん。アレの願望を叶えてあげるのかい?」
「カイン君にとっては異母兄弟ではありませんか。君こそどうしたいのです?」
するとクトゥルフ君はどっちでも、と肩をすくめる。それに対し、ハスター君は「なに呑気なこといいあっているの!?」と肩を怒らせていた。
「アレを放っておけばこの世界は終わりだよ。もう封印するしかないだろ」
「じゃ、弟の意志どうするのさ。それを邪魔しようというの?」
「世界を壊すことが意思っていうなら止めるしかないだろ。アイツの自己中にこの世界の人達を巻き込んでいい道理はない!」
「ただ仲間が欲しいだけだろ? それに世界なんてまた作れば良いんだし」
やれやれ。このままでは何もされなくてもパーティーが全滅してしまいそうだ。
とはいえ私の方針は決まっている。
「はいはい。そこまで」
「それじゃナイアはどうするんだ!? まさか面白いからってアレを野放しに――」
「しようとは思っていませんよ。アレの野望を阻止しましょう」
「え? 本気?」
「本気ですよ。彼の考えは中々面白いですし、世界の終焉というやつも面白いでしょう。しかし全て終わってしまっては面白くない。完全なる破壊ほど面白くないものはありませんからね」
そう、完全な破壊ほどつまらないものはない。そんな結末など断じて許せない。
ならばウィルバーを助けてやるほうが幾倍もマシだろう。
それにウィルバーの願いを聞いて彼を異世界に送る方がまだ兄上の願いに沿えるというものだ。
「ナイアは相変わらずだな。でも、アレをどうにかしようっていうのは賛成」
「まぁ君がそうしたいのなら僕も従うよ。ちょっと面倒だけど、サクっとやってお昼寝しよう」
「では参りましょう。三柱もいれば落し子程度、訳ありませんからね」
ハスター君が首の骨をポキリ、ポキリと軋ませ、クトゥルフ君も音をたてて拳を握る。
戦闘準備は万端。いくら門になりうる存在とはいえ、所詮は半神だ。二柱の旧支配者に、世界の法則たる外なる神が相手では数分と持つまい。
「さ、行きます、よ?」
そんな出鼻をくじくようにどこからともなくウィルバーの弟に向かって小さな袋が投げられたかと思うと、それが空中で鈍い音をたててナニカにぶつかる。するとその袋の口がゆるみ、中から鈍色に輝く粉が吹き出した。
「イブン=グハジの粉!?」
その粉がふりかけられた部分に輪郭が浮かび上がる。
それは海産物を思わせる触腕を幾本も動かし、蜘蛛のような歩行肢で体を支えるのが見えたが、粉のかかり方が不十分で全貌はつかめない。
ただ、それでもウィルバーの弟は十二、三メートルもありそうな巨体をしていた。
「はあああッ!!」
裂帛の気合いと共に化け物然としたウィルバーの弟に斬り込んだのは、少年であった。それもよく知る人間だ。
「ジーク……!?」
ハスター君、いや、アウグスタが発した言葉を気にかけることなく彼は長剣を振るい、ウィルバーの弟の触腕を一本切り落とす。
あの剣は確か全ての因果を切断するアーティファクトだったな。
その斬撃に弟は身を震わせて悲鳴をあげ、のたうち回る。その反撃にあたっては一撃で致命傷になるだろうからと距離をとると、触腕は壊れていたウィルバー宅や馬車を破壊していく。
それと共に彼の姿は再び不可視のものへと変貌し、一通り暴れ終わると身を翻してどこかへと這っていった。
後に残ったのは我々一行と、そして解放者のリーダーだけであった。
「やれやれ、面倒なのが生きていましたね」
だが、どうして彼がこんなタイミングで現れたのだろうか?
まぁ、彼がイブン=グハジの粉を所持している段階で誰の意図なのかは明白であるが……。
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