グールの襲来
時は逢魔が時。昼と夜の狭間に位置する不吉な時刻に不吉なモノ共が現れるというのはまさに道理であろう。
あざける屍肉食らい――屍食鬼は森の際に長く延びる影からこちらを伺っているようだ。まさに獲物を狩る獅子といったところか。いや、あの顔面はネコ科のものではないな。どちらかといえば犬か。
「くすくす。やっと面白くなってきましたね」
「勝手に言ってろ。楽しみたいならぼくより早く戦うことだよ」
ハスター君は黄色いポンチョをはねのけ、隠していた触腕を露わにしながら駆け出していく。
それと共に地平に太陽が没した。世界から光が失われ、影がどこまでも伸びる。
それが合図のように屍食鬼は耳障りの悪い声で何かを囁きあうと、これもまた一斉に駆け出した。総数は……。十五、六といったところか?
「 」
戦闘というアクセントはありがたいが、肝心の戦闘が好きではないためクトゥルフの鷲掴みという相手を押しつぶして動きを封じる呪文を唱える。
するとその効果はすぐに現れた。こちらに向かって駆け寄る二体の屍食鬼が巨大な不可視の腕に潰されたように地面に縫いつけられる。それと共に後続の屍食鬼も不可視の触肢にからみとられるように倒れていくが、素早い身のこなしの個体はそれをかいくぐって迫ってくる。
「ナイアだけに良いところはとらせない、よっと!」
ハスター君は風のように軽い身のこなしで屍食鬼に肉迫するや、触腕を鞭のようにしならせて屍食鬼の首にそれを巻き付ける。
即座に生々しい破砕音が響くと共にそれを放り投げて鋭い鉤爪を振りかざそうとしていた個体を怯ませ、その間にアウグスタが愛用していたダガーを抜いて怯んだ屍食鬼の頭と身体を引き離す。
「んー。やっぱり調子が狂うな。身体が重い」
そう言いながらも彼は硬い鱗が張り付いたゴムのような触腕で屍食鬼の鉤爪を弾きながら体重を感じさせない動きでバックステップを決めて距離をとる。
対して屍食鬼達は手強いハスター君を警戒してか、中々近寄ってこなくなってしまった。
そこへ後方から浪々とした呪文が響く。人間の発声器官では発音できない言語を紡ぐのはウィルバーであった。
「ほぅ……。ハワトさん以外にこれほどの魔法の使い手がこの世界にいたとは……」
ウィルバーが呪文を紡ぎきるや、足を止めていた屍食鬼達が不可視の拳に薙ぎ払われていく。あれはクトゥルフのわしづかみに似ているが、違うな。ヨグ=ソトースの拳か?
この世界の魔法のレベルは児戯にも等しい初歩的なものばかりだと思っていたが、これは意外だ。ハスター君が気に掛けるだけあるな。
「これは、驚いた。彼女は何ものですか? 君が手を付けて居なければ私のおもちゃにしたいくらいです」
「別に手を付けたわけじゃないけど、君の手に渡るくらいならぼくのにするよ」
連れない返事に肩をすくめると、そこでウィルバーの死角から迫る一匹の屍食鬼がいることに気がついた。
彼女は呪文に集中しているようでその接近に気づかないようで、ハスター君が小さく悪態をつく。
「ウィルバー!? くそッ。ナイアは残りの屍食鬼を拘束して! ぼくはあっちを助ける!」
「確かに見捨てるには惜しい逸材ですからね」
「そういう話じゃないだろ」
そう言うと彼は疾風のように駆け出していく。しかしその行動はほんの少し、遅かった。
ハスター君の接近に気づいた一匹の屍食鬼は脱兎のごとく勢いでウィルバーに迫るや羽交い締めにする。
そして鋭利な鉤爪を彼女の喉元に押し当て、聞き取りにくい声で叫んだ。
「動くナ。動けば、こいつの命はなイ」
ふむ、人語を解し、人質をとる知能があったか。
屍食鬼など人間のことを血と内蔵の詰まった肉袋程度にしか思っていないだろうと思っていたが、人間同士の価値観を理解しているからこそ“人質”という交渉が出来るのだろう。少々、侮りすぎたな。
「く、その子は無関係だ。放してくれ!」
「……? アベル君? 確かに惜しいですが、彼女の生存は必須ではなく努力目標でいいではありませんか。さくっとやって助かれば吉、そうでなければ……。運がなかったということで」
「イヤ、そうもいかないでしょ」
「まったくお人好しなんですから。まぁいいでしょう。ならば君が自分で自分のお尻を拭いてくださいね?」
なにをごちゃごちゃ言っていルと屍食鬼がうなる。
このままではクトゥルフの鷲掴みを解除するよう要求が飛んできそうだ。
言葉は通じても、話し合いが通じるとは限らないし、これは風の神のお手並み拝見といこう。
――と、思っているとすぐ横を誰かが横切っていく。誰かと思っていると青色の影はためらいなく屍食鬼まで近づく。
「なんだ、おまエ? 近寄るナ、止まレ。こいつを殺すゾ」
「あ、そう……。お構いなく」
徐々にスピードを落とした青い影はクトゥルフ君であった。彼は自然体で屍食鬼に迫るが、その眼中にウィルバーは映っていないようだ。まったく無遠慮に間合いをつめていく。
それにハスター君も屍食鬼も圧倒され動けずにいるようだ。
「ち、ちょ!? なにやってんの!?」
「く、来るナ! 来るナ!!」
屍食鬼の鉤爪がウィルバーの喉をかすると赤い線が浮き上がった。
しかしクトゥルフ君はそれにかまうことなく散歩するようにゆっくりと屍食鬼に近づくや、口元が小さく、そして素早く動く。
「なにヲ――。ぎあア!」
耳障りな声に悲鳴が混じると共に屍食鬼の身体が不可視の腕に捕まれたようにウィルバーから強引に引き離され、屍食鬼は地面に倒れふす。それと共にウィルバーが宙に投げ出されるが、そちらの方はハスター君が慌ててカバーに入ったため事なきを得た。
「ナイアーラトテップ様! ナイアーラトテップ様! ご無事でしたか!」
「あぁ、ハワトさん。この通りですよ。貴女も無事なようですね」
「はい。カイン様が森からよくないモノが近づいているっておっしゃられて」
「なるほど。予感的中でしたね」
そんな話をしている間にクトゥルフ君は屍食鬼を見かけによらぬ剛力で始末していく。豪快に胴から頭を外す様は傑作だった。
その圧倒的な力の前に残りの屍食鬼達も負けを悟ってか、次々に森に撤退を始める。
そして静かになりだした頃、羊達の異変を感じたのか牧場主がピッチフォークを手に慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫だ? あれま!? 屍食鬼でねーか! 怪我はねーべか?」
「はい。私たちは大丈夫ですよ。あの二人のおかげですね」
農夫の視線を二柱に向けてあげれば、そこにはウィルバーを介抱するハスター君と血にそまったクトゥルフ君が映ったことだろう。
さて、とんだ闖入者のせいで羊が大変なことになっているが、農夫は「あんたが屍食鬼を撃退してくれたべか?」と感動を称えている。
よかったよかった、めでたしめでたし、か。もう少しこの狂乱を楽しみたかったのだが、こんな中途半端では面白く――。
「カインちゅーたか? あんたのおかげで助かっただ。さっきは驚いてしまってすまなかっただ」
「……ん?」
おや? おやおやおや?
確かに第三者視点で見れば、そりゃいかにも血濡れのクトゥルフ君のほうが戦闘をしていたように見える。
もちろんハスター君の触腕にもべったりと屍食鬼の血がついているが、黄色いポンチョでそれを隠しているし、なによりクトゥルフ君は農夫がきてからも屍食鬼に止めをさして回っていた。
これは勘違いされてもおかしくないな。
「あんたのおかげで助かっただ! ありがとう! ありがとう!」
「え? 僕は別に……」
「いや、あんたのおかげだ! クエストの報酬にはもちろん色を付けさせてもらうだで!」
くすくすッ! なんと、これは――!
ハスター君の手柄を総取りしてしまうとは……!
これは面白い!!
ハスター君を見やれば奥歯が砕けんほど噛みしめているようだ。これは久しぶりに血を見ることができるやもしれんな。
だが冷や水を浴びせるようにクトゥルフ君が「だから! 話を聞いてよ」と叫んだ。
珍しい怒気に思わずみんな固まっていると彼は気まずそうに、そう、それこそハスター君に顔を伏せるように言った。
「僕は、とくになにもしていない。よくやったのはアイツだよ」
「そ、そうだべか……。で、でもお前さんらには深く感謝しているだ。ちゃんと冒険者ギルドにもその旨伝えるだで」
その後、困惑する農夫は厚いお礼をクトゥルフ君にしながらクエストは終了し、月が顔をだそうという中、農場を後にすることになった(泊まっていくことを勧められたので、遠慮なく好意に甘えることにした)。
まぁ私としてはこの喜劇的な逆転劇は面白い部類に入ったが、そうではないのが一柱と一人残ってしまった。
「最後はおいしいところ取りかよ……」
「そんな、これじゃお爺さんの願いが……」
クエストの貢献度としては私たちハスターチームの方が勝っていたことだろうが屍食鬼の襲撃で羊は四散してしまったし、畑を黙々と一人で耕していたというハワトのお活躍を鑑みればクトゥルフ君チームの方がリードしているともいえる。
ふむ、審判をあらかじめ立てなかったのは失敗だったな。
そう反省会をしていると苦虫を噛み潰したようなハスター君がビシッと指をクトゥルフ君に向けた。
「さ、もうナイアの茶番は終わったんだ。もう口出ししないでくれよ。これはぼくとクトゥルフの問題だ」
「……なにハスター? ヤりあいたいの? ふーん」
先ほどのこともあってか怒り心頭のハスター君に対し、クトゥルフ君は冷めた視線でそれに応える。それが挑発だと思ったのか、ハスター君の形相がみるみると見るに耐えないものになっていく。
やれやれ。近頃の若モノときたら沸点が低くていけない。
「あのさー。ハスター? それ今やらないといけない?」
「なんだ? 逃げるつもりか? なら大人しく殺されろッ!!」
「ま、良いよ。お前になら殺されてやっても、殺してもやってもいい。相手になってあげるよ。でも――」
クトゥルフ君はちらりとウィルバーを見やり、それからハワトに視線を飛ばす。
む? なにやらイヤな予感が……。
「条件として彼女に『ネクロノミコン』を渡したらってことで」
ふむ、これはこれは……。これは面白くない。
せっかく勝利したというのにこれではゲームをした意味がないではないか。
まったく、ほどほどに優しい神というのはこれだから――。
いや、これから行われる神々の戦いをタダで見物するというのは虫がよい話か? その対価と思えば――。
「おい、早く出してやれよ。ぼくはもう十分待ったんだ。だからさ、早く!」
「な、ナイアーラトテップ様、いかがいたしましょう?」
「……仕方ありませんね。私の遊びに付き合ってもらったのは事実ですし、貸して差し上げなさい」
しびれを切らしたハスター君に怯えるハワトの問いに答えてやると、彼女はローブの下からブックバンドにくくりつけられた人皮装丁本を取り出す。
タイトルも著者名もないその一冊を見たウィルバーは成り行きに不安を感じていた顔から一変し、驚喜を浮かべる。
「い、いいんですか!?」
「ただし――」
ひょいっとハワトの手から『ネクロノミコン』を取り上げる。
「この本の使用目的を教えていただいても?」
「そ、それは――」
「おい、ナイア。いい加減にしろよ。お前がそれを渡せばことが丸く収まるんだ。さっさと渡してくれない?」
「そうもいきませんよ。この本は元々私のです。それにこの本には人間が身を亡ぼすには十分な言葉が綴られております。それを易々と渡す方が問題では? 少なくとも使用目的が明確でなければ」
ハスター君はクトゥルフ君に向けていた敵意を私に向けてくる。
まったく、昔からそうだったが、熱くなると周りが見えなくなるんだから困ったものだ。
ちらりとウィルバーを盗み見るが、鉛を飲んだかのような表情をしている。
まぁ『ネクロノミコン』のようなモノに頼ろうというのだ。どうせ碌でもない理由だろう。これは中々口を割らないだろうな。
「ナイア! これ以上、ぼくを怒らせるっていうなら、まずは君から殺してやる。その方がノーデンスは喜びそうだ」
「そう逸らないでくださいよ。『与えよ。そうすれば、自分にも与えられるだろう』ですよ。小鳥のように口を開けているだけで餌がもらえると?」
今にも噴火しそうなハスター君だが、彼が火を吹く前にウィルバーが意を決したように仲裁にたってくれた。
「あの、話します。話しますからみなさん落ち着いてくださ――!」
しかしその言葉を終える前に何モノかがウィルバーの背後に立ったかと思うと彼女の首に禍々しい鉤爪を振り上げる。
それは一見人間のようであった。しかしひどく前のめりになった姿勢に顔は犬を思わせる風貌をしており、なによりその皮膚はゴムのような不愉快な輝きを放っていた。
「おや? 屍食鬼の残党ですか。勇敢ですねぇ」
夕方の残党か。屍食鬼は体色を変えることができる上に月が出ているとはいえこの闇夜だ。それにハスター君が振りまいていた殺気が濃すぎて接近に気づくことができなかった。
「お前だけは絶対に殺ス。シネ!!」
早口で泣くような声と共に鉤爪が背中から腰へ振り下ろされ、夜空に温かな液体が吹きあがる。屍食鬼は返り血を汚れた舌で舐め、そこで何かに気づいたように固まった。
「ウィルバー!? このッ!!」
この一方的な不意打ちに動けたのはハスター君だった。
彼は鋭く触腕を振るい、バターを斬るように屍食鬼を両断する。
「ウィルバー!? 大丈夫!? ウィルバー!?」
ハスター君が意識を確かめるようにウィルバーの頬をピシャピシャと叩くと苦しげな悲鳴が小さく響いた。
「よし、生きているな! 今止血す、る? ――ん?」
そう言いつつハスター君がウィルバーを抱き起すが、そこで彼女の衣服を汚すのが真っ赤な鮮血、ではなく悪臭を放つ黄色い膿のような液体であることに気がついた。
だがハスター君は疑問を感じつつも、その手は切られてしまった上着を脱がす為、そのシャツのボタンを次々に外していく。
首もとまできっちりと止められたその下は、人間の特徴を有していなかった。
「なに……、これ……?」
ハスター君の形相に思わずシャツの中をのぞき込むと、そこにはワニのようにゴツゴツとした皮膚があった。それにその胸元は一切骨の輪郭が浮かんでおらず、明らかに人間の構造をしてない。
なんと、おぞましい光景だろうか。
「ふむ、奇形でしょうか?」
「いや、そんなレベルじゃないでしょ!?」
硬直しているハスター君に「邪魔」とクトゥルフ君が告げるや、彼にかわってウィルバーの衣服を脱がせ、それを傷口にあてがって圧迫止血を試みる。
それから彼はハワトに治癒の呪文を唱えるよう指示をする。
「あんまり期待できないけど、しないよりマシでしょ。早く」
「は、はい!」
慌てて呪文をハワトが唱えると、容態も落ち着きを見せてきたのかウィルバーの意識が浮き沈みを始める。
すると彼女の口が譫言のようになにかを呟きだした。
「お爺さまの、ために……。門を開けなくちゃ……。根元に至る、門……。そのためにあたしは……。究極の、門……。世界を、越える……。いあ、いあ……。んがい、わふる、よぐ・そとほうす……」
「――ヨグ=ソトース?」
どうして兄上の名を?
そう疑問に思うと共にどこからか視線を感じ、ふと夜空を見上げる。
そこには鳥が――夜鷹が獲物を探す様に旋回していたが、やがて諦めたように静かに去っていった。
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