カインとアベル・3
ハワト視点
「ここがミスカトニック大学図書館です。わたし達はここで待っておりますのでごゆるりと」
「え? 入らないんですか?」
「することもありませんし……」
我ながらに苦しい言い訳だと思う。とはいえ図書館に入ると館長のアーミテッジ氏に会うことになる。万が一にもわたしとアーミテッジ氏に接点があり、星の知恵派に関わっていると教会に知られると厄介なことになってしまうので出来れば会いたくない。
それに今、教会は邪教徒狩に精を出しており、昨日の会合でアーミテッジ氏に『ネクロノミコン』を隠すよう伝えてある。だがアーミテッジ氏のことだからわたしがいればウィルバーに『ネクロノミコン』の閲覧を許可することだろう。
だが、それだときっと面白くない。だからあえて入館したくないのだが……。
「分かりました。すぐ済ませてきます」
しかしウィルバーは食い下がることなくそそくさと図書館に消えていった。
その速さはまるでなにかに追われているかのようだ。
「ナイアーラトテップ様、御身の御許可をいただかぬうちに判断をくだしてしまったご無礼をお許し」
「いえ、かまいませんよ。私も同行を断るつもりでしたから。今は教会関係でアーカムはピリピリしているでしょうから図書館も迂闊な行動はとれないはず。と、なるとウィルバーさんのような新規の利用者がそれを閲覧することはできないでしょう。それが出来るとしたら図書館と深い関係を持つ者――。それこそハワトさんの顔パスが必要になると思われます。ですので私も貴女と同じ判断をしましたよ」
さすがご聡明なナイアーラトテップ様! わたしのような愚昧な従者の考えなど御見通しだ。
もっともハスター様は「性質が悪いな」と非難がましい視線を浮かべられる。
しかしクトゥルフ様は興味なさそうに空を見ながらぽつりとつぶやかれた。
「それにしてもさっきから犬がうるさいな。おちおち昼寝もできないよ」
「クスクス。君は犬の遠吠え程度じゃ動じないでしょうに」
「そう……?」
そんな他愛のないことを話していると図書館の入り口に肩を落としたウィルバーが現れた。
どうやら面白いが的中したようだ。
それに内心、口元を緩めているとナイアーラトテップがパンと仕切り直すように手を打ち鳴らされた。
「さて、ここでは目的を達成させられなかったようですね。では当初の予定通りチーム戦と洒落込みましょう。そうですね、チームは私とカイン君。アベル君とウィルバーさん、それにハワトさん。これでどうでしょう?」
え……?
「こらこら、ハワトさん。そんな目で私を見ないでください。なに、貴女と組んでしまうとイゴーロナク君を含めて三柱対一柱の戦いになってしまうのでバランスが悪いですからね。ここは公平に二柱対二柱になるのがベストでしょう」
「『おい、さりげなくオレを巻き込むんじゃねーよ。んな面倒なことテメェ等で勝手にやれよ』」
「どうせ一抜けたはできないので観念してくださいね」
『くそ』と悪態を漏らすイゴーロナク様が絶対協力しないと断固たる表明をぶつけてくる。
そして不承不承のアベル様を伴い、冒険者ギルドに向かったのだが――。
「ふむ、私はギルドに入るのは遠慮しますかね。以前、邪教徒の嫌疑をかけられて。ここはハワトさんとアベル君がなにか適当なクエストを選んできてください」
「はぁ!? なにやってんの? そもそもなんでボクがそんなことしなくちゃならないんだよ」
「冒険者登録をしているのが貴女とハワトさんしかいないのでクエストを受けられるのは貴女がただけなのですよ。では任せました」
「はぁ……。それじゃ、なにか二つのクエストを受けてくればいいの?」
「それでは公平とは言えませんので、一つでいいですよ。依頼主にどちらがクエスト達成に貢献したかチェックしてもらい、それで勝敗を決めましょう。ハンデとして、どのような依頼を受けてくるかはそちらで決めてもらってかまいませんよ」
では外で待ってますので、とナイアーラトテップ様達と分かれて冒険者ギルドに入ると相変わらずの賑わいが出迎えてくれた。
いや、以前の比ではないほどの冒険者の数だ。誰もが肩をぶつけて歩くようなそこでは各所で「屍食鬼討伐か」「難易度高すぎて受けれないだろ」「誰だ今足をふんだのは!」と喧噪が飛び交っている。
そんな大繁盛のギルドに驚嘆していると、気づくとアベル様を見失ってしまっていた。
どこにいかれてしまったのかとアベル様を探しながらギルドをさまよっていると「このサラダはなんだ!」という怒鳴り声が飛び込んできた。
どうもギルドの片隅に作られた喫食スペースに出てしまったようで、ところせましと並んだテーブルの一角でナイアーラトテップ様がお召しになられているような服――スーツといったか――をまとった神経質そうな相貌に思わずめにつくほど長い顎の男が「これはなんだ?」とフォークに刺したタコの足を店員にかかげて怒鳴っている。
「は、はい。そちらは本日のサラダのタコのマリネでして、キングスポート産のタコを――」
「タコ!? タコだと!? あの無数に蠢くおぞましい触腕に、海の底に巣くう陰気で不気味な軟体動物を、こともあろうに食卓にだだすだと? ありえん! 断じてありえん! 君、頭がどうかしているよ」
なんと傍若無人な言葉を吐き続けているのだろうか。呆気に取られながらその人物――いや、神物と敬うべきだろうか?
「トーファセボル様、ですか?」
「ん? おぉ、君は黒い男の従者ではないか。久しいね」
確かナイアーラトテップ様に見初められた人間だったと聞いたことがあるが、それ以上詳しいことをわたしは知らない。
そんなトーファセボル様は店員に一言二言文句をつけた後、「座りたまえ」とうながしてこられた。
「ハワト君、私は確かにトーファセボルと名乗ったが、その名が嫌いでね。そうだな、ランドルフ・カーターとでも呼んでくれ」
「どうしてわたしの名を――」
「なに、この世界の作者だからね。作者が登場人物の名前を知らない訳がないだろう。それより何か頼むかね? ここのサラダはなんとも名状しがたい狂気的なものだったからお勧めできないが、一緒に甘味でもどうだろう。チョコレートはいいぞ。心身の疲れを優しく癒してくれる」
「大変恐縮なのですが、お連れのお方がいらっしゃいますのでゆっくりできるお時間がありません」
「そうか、残念だよ。ところで君。そんな畏まらなくてもかまわないさ。私も元は君と同じ人間で、その鍵の使い手でもある。まぁ私も君も今の状態を人間と呼べるかは疑問だがね」
そう言って指さされたのはナイアーラトテップ様が与えて下さった草色のキャミソールの下に隠された銀の鍵だった。
この鍵は時空の扉さえ開くことのできるアーティファクトであり、この男はそのオリジナルを持っているとナイアーラトテップ様から聞いたことがある。
「は、はぁ……。あのカーター様はナイアーラトテップ様と敵対しておられる、のですか? その、立ち位置がよくわからなくて」
するとトーファセボル様は「もっともな疑問だね」と店員にチョコレートケーキを頼み、思慮深げに腕をくまれた。
「どちらかと問われれば敵対だな。つまり君の視点からすればノーデンス側にいると考えてくれたまえ」
「なるほど。では 」
「――ぅうッ。はっ。私の心臓を握りつぶすつもりか」
怖気を生むほど呪われ、忌まわしい太古の言葉を紡ぐと共に周囲にじゃ香の臭いが立ち込める。
相手の心臓を握りつぶすというニョグタのわしづかみという呪文を唱えるとカーターに苦悶の表情が浮かぶが、彼はわたしの呪文に対抗するようになにか小さな言葉を呟く。するとわたしの魔法が霧散する感覚が伝わってきた。
「――ッ!?」
「ふぅ。危ない、危ない。即死級の呪文をいきなり唱えてくるとはね。だが残念だったね。あの呪文は強力だが、君の消費した魔力以上の魔力をぶつけることで無効化できる。まぁこの世界の住人には難しいことだろうが、私や君なら造作もないことだろう」
まるで何事もなかったかのように振る舞うランドルフ・カーターの姿にはうすら寒さと共に得体のしれないものを感じざるを得ない。
これがナイアーラトテップ様に選ばれた存在なのだろうか。
「さて、言っておくが私は君の慕う黒き男となれ合うつもりはないが、少なくとも君とここで争うことを望まない。物語に急転直下はつきものだが、今はその時ではない」
「……ではその時、とは?」
「間もなくそれは訪れるだろう。今はただ伏線をはるのに忙しくてね」
どういう意味か分からない言葉の羅列に首をひねろうとした時、話を遮るようにウェイターがチョコレートケーキの載った皿を運んでくると共に「なに遊んでるんだ?」とアベル様が疲れを滲ませながらやってきた。
「まったく、どこで遊んでいるのかと思えば……」
アベル様の言葉に振り返ると、そのテーブルにはチョコレートケーキが静かに鎮座するだけで誰も座っていなかった。
白昼夢でも見ていたのだろうか? いや、このチョコレートケーキは確かにカーターが頼んだものだ。
しかしこうも忽然と人が消え失せられるものだろうか。そう考えていると脳内にキヒヒと不気味な笑い声が響いた。
『そういや、お前の記憶の封印だが、テメェの御主人様以外にもできる奴がいたな』
「……カーターのことですか?」
『他にいねーだろ? この世界で高等な魔法が扱えるのは、テメェの御主人を抜いたらランドルフくらいしかいねぇ。だがなんの記憶なのか気になるな。解呪してやろう』
キヒヒという笑い声に薄ら寒いものを感じているとしびれを切らしたアベル様がトンと背中を叩いた。
「なに一人でぶつぶつやってるの?」
「え? いえ……」
「ほら、いくよ。このギルドからお勧めってのを選んできてやったから、さっさとやってしまおう」
……もしかしてアベル様も口ではいやいやとおっしゃられておられるが、案外この戦いに乗り気なのであろうか?
◇
「あんたらが手伝いをしてくれるっちゅう、冒険者の方々だべか?」
純朴そうな農夫が優しそうな笑みを浮かべ、歓待を表してくれるのに対し、ナイアーラトテップ様は不機嫌を隠すことなくアベル様に小声でささやいた。
「どうして牧場の手伝いなどとパッとしないものを選んだのです? モンスターの討伐など、色々とあったでしょうに」
「なんでもいいって言ったのはそっちでしょ。それに、受付の人間に聞いたけど、最近じゃアーカムの冒険者が減っているらしくてこういう低ランク向けのクエストが滞っているらしくて、助けてくれとお願いされちゃってさ……」
アベル様はどうも、お優しい神様のようだ。面倒見がよいというか……。
それをナイアーラトテップ様も熟知されておられるのか、小さい嘆息を吐き出すだけで追求をお止めになられた(道中ずっと同じ話題で詰問なされていたが……)。
「大丈夫だべか? まさかクエストの手違いで誤ってきちまったってことじゃ――」
「あー。それはないから安心して」
「はぁ。にしても、えらい大所帯だで、クエストの報酬はギルドに頼んだ以上あげられねぇだ。んでも大丈夫だ?」
「それについてはご心配なく」とナイアーラトテップ様は人当たりの良い笑みを浮かべ、巧みな話術で牧場主と事務的なお話を続ける。
それがひとまとまりすると、牧場主につれられてクエストの現場へと向かった。
そこには広大な牧草地に白い綿毛のような羊が草を食んでおり、なんとも牧歌的な光景が広がっていた。
「まずは羊の世話をお願いしてぇだ。あと農場の方も少しばかり手を割いて欲しいだで、いいべか?」
するとアベル様はナイアーラトテップ様が言葉を紡がれる前に「ならぼくは羊の世話をしよう」と提案された。
「クスクス。君は容赦がないですね」
「悪い?」
「いえ、別に。あ、ハワトさん。私とチームを代わってカイン君と組んでくれませんか? 代わりに私はアベル君とウィルバーさんとチームを組みますので」
「え? はい、仰せのままに」
突然の事に戸惑うが、顔色を変えられたのはアベル様だけであった。わたしもウィルバーも顔に疑問を張り付けて小首をひねるが、なにかお考えがあるのだろうと思い、わたしはカイン様と共に畑へと向かうことになった。
そして農夫のあとについていくと「君も苦労しているね」とカイン様が呟かれた。
「苦労ですか?」
「負け戦に放り込まれるなんて苦労以外のなにものでもないでしょ?」
どういう意味か測りかねていると五十メートル四方はあろうかという広大な畑に案内された。そこを耕すのを手伝ってほしいと鍬を渡されたのでローブを脱ぎ、それを振るう。
ナイアーラトテップ様と出会う前は父や母の手伝いとしてよく畑に出ていたから身体が鍬の使い方を覚えていてくれた。
それを懐かしく思い出していると、ふとカイン様が視界に入った。
カイン様は鍬を杖に空を見上げ、一向に畑仕事をする気がない様だ。
それもそうだろう。偉大なる旧支配者であらせられるカイン様――クトゥルフ様が矮小な人間の仕事をなされるほうがおかしいのだ。
だから黙々と一人鍬を振るっているとクエストの依頼主である農夫が戻って来るや「なにしているだ?」と不躾な愚問を投げて来た。
「マジックキャスターさんばかり働いて……。あんたも冒険者ならしっかり働かないとダメだべ?」
「え? あ、はぁ……」
農場主の言葉に反し、カイン様は一向に畑に踏み込もうとしないので「仲間を放って遊んでいるのはよくねぇだ」と文句が飛び出したところでわたしの堪忍袋の緒が切れた。
「なにをおっしゃっておられるのです!? 大いなるルルイエの主たるカイン様にこのような雑事を申しつけるなど不敬にもほどがあります!」
「は? ルル――? な、なにを言ってるんだべ?」
くぅ、知らないとはいえ、この無礼な農夫にはカイン様がどれほど大いなる存在であるか、知らしめる必要がありそうだ。
外宇宙に潜む闇の中の闇。世界の真実をこの曇った眼に知らしめてやらねば――。
「あの、僕は農作業ができない身でして」
「はぁ? どっちもなに訳のわからないこといって……。そんなんで煙に巻こうだなんて百年はえぇだ。口より手を動かしてくれ、手を。そんためにあんたら冒険者を雇ったんだべ。こちとら凶暴なモンスターのせいでみんな街さ、行っちまって人手が足りないからクエストを申し込んだだ。これじゃクエスト失敗とギルドに報告せねばならないだ!」
この無礼者! 自分達がどれほど卑しく、取るに足らない存在か、今こそ知らしめてやろう。記憶に刻まれた呪われし太古の呪文を口にしようとしたその時、カイン様は大きなため息と共に鍬を振り上げ、そして振り下ろす。
するとそこにこまごまと生えていた小さな雑草が、枯れた。それも見る見る間に緑のそれが茶色へとかわり、地面に倒れ伏すのだ。その上、さらに別の個所に鍬を入れても同じ非日常的な現象が起こった。
こ、これは一体――!?
「あー。やっぱりね。世界が変わってもこればかりは変わらないか。ごめん。これでこの土地は死んじゃった。もうここに何を植えても実を結ぶことはないよ。悪いことをしたね……」
見間違いかと思い、よくよく地面を観察するが鍬が入ったその土から雑草が見る間に茶色く枯れている。
一体なにをなされたのか分からずその横顔をうかがうと、その表情は今にも泣きそうな童のような顔をされていた。
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