カインとアベル・2
クトゥルフ君改めカイン君を連れてホテルミスカトニックに向かうと、その入り口から「うぅ、おじいちゃんの金貨がみんななくなってるなんて」と肩を落とす頭に比べ異様に顎が細い少女と、その両隣で彼女を励ます濃紺の魔女帽子とフード付きのローブをまとったハワトと黄色い雨衣を羽織ったアウグスタと出会った。
いや、あれは【リベレーター】のアウグスタではないな。
「はす、たー?」
隣を見ると今まで眠そうな半眼の少女の瞳が見開き、その青く淀んだ瞳が飛び出さんばかりに見開かれていた。
そしてふとこちらに視線を向けた黄色い少女の視線もまたカイン君に釘付けになる。
やはりあれはアウグスタの皮を被っているが、間違いなくハスター君だ。
どうしてこんなところに彼が――。
だがそれを思考する前に今までふらふらと足取りも覚束なかったカイン君がサッと腰を落としたかと思うとなんの前触れもなく一陣の風が頬を撫でた。
気がつけばその風に乗るようにハスター君は神速でクトゥルフ君に迫り、刃渡り三十センチほどのダガーを抜いてその鋭い刺突が彼の胸を貫こうとする。
「危ないじゃないか」
カイン君はそうぼそりと呟くや、常人では見切るのもやっとな文字通り神速の一撃を受けながすように斜め下から拳で払い上げ、今度はカウンターといわんばかりに右の拳を無造作に叩きつける。
予備動作もないたったそれだけの所作だというのにハスター君の体が宙を舞った。かと思うとその勢いのままホテル・ミスカトニックの壁に叩きつけられるや、彼を中心にクレーターが出来てしまった。
「おやおや、お見事。人智を越えた戦いをこうも間近に見られるとは面白いですね」
「……あっち行ってた方がいいよ。巻き込まない自信がないや」
「ご親切にどうも。それより今日はこのくらいにしたらどうです?」
やれやれ、この兄弟神が相争わねばならぬ深い事情を知っている身ではあるが、こんな往来では興も冷めるというものだ。やはりこうした戦いには相応しい舞台があってしかるべきだ。
故に仲裁に乗り出すが、今度はハスター君が「ナイ! どかないと君ごと殺す羽目になるぞ」と腰を落としながら死刑宣告をしてくる。
あれほどの強打を受けたというのに元気なものだ。普通の人間が食らえば骨折どころではなく内蔵破裂くらいしているだろうに……。彼の加護か?
「久しぶりに会ったというのに第一声がそれですか? ハスター君も落ち着いたらどうです? そうだ、美味しい喫茶店がこの近くにあるのですよ。二人とも朝食がてらどうです?」
「飯は食った!」「朝ご飯は食べない派なんだ」とつれない返事に思わず肩をすくめてしまう。
まったく。仲が悪いのか、良いのか迷うな。どうも人心――いや、神心はいつまで経ってもつかめないものだ(故に面白いともいえるが)。
「ですが、そろそろやめていただかないとこの大陸が消し飛んでしまいますよ」
まぁ彼ら程度の神格の争いなら世界が滅ぶとはいわないが、大陸くらいは沈んでしまうだろう。
せっかく私が延命させた世界なのだからもっと大切に扱ってほしいものだ。
もっとも二柱が私の話を聞いてくれれば良いのだが――。
「うるさいなぁ。これは僕とハスターの問題だよ。口出さないで」
「黙れ、ナイア! 君なんかに説教される覚えはないよ。口を挟まれるいわれれはない!」
「やれやれ、困ったものですねぇ」
まぁ言葉で済めば事がここまでこじれてしまうこともなかったか。
ふむ、仕方がない。実力行使は好きではないが、二柱を止めるにはいささか本気を出さねば――。
「あ、アベルさん落ち着いてください! ま、街中でそんなことしたら――」
ハスター君の連れと思わしきどこか山羊に似た風貌の少女がそう叫ぶとともにどこからか警笛の音が聞こえてきた。
ことを大きくしすぎたな。
「あなたがたも外野が入るのは面白くないでしょう。さぁ行きますよ」
そして無理矢理カイン君の肩に手をかけると彼はしばらくハスター君を睨んでいたが、好きにしなよと力を抜いてくれた。直情的なハスター君に比べ、クトゥルフ君はこういうところが大人で助かる。
当のハスター君の方も警笛とカイン君を見比べ、地団駄を踏んでダガーを納めてくれた。
「ナイアーラトテップ様!」
「おやハワトさん、貴女もご一緒でしたか。再会を喜びたいところですが、今は走りますよ」
「はい!」
その場から遁走――。しようとしてやめた。
平凡な見せかけの魔法を使い、周囲に溶け込むと追っ手と思わしき武装した兵士が数人やってきたが、辺りを見渡すばかりで犯人が眼前にいるというのに首を傾げ始めてしまった。
「さて、これでいいでしょう。どうです? 皆さんで午前のお茶にするというのは?」
明らかに渋々と、だが促されるままにホテルミスカトニックにほど近いオープンテラスを有するお店に入る。
その店先に広げられたテーブルの大半を占拠する形になりながらまずはお互いの自己紹介を始めることにした。
「さて、私はナイ。このハワトの師をしております。で、こちらがカイン君。私の古い友神です」
どもねと面倒くさそうに手を振るカイン君にハスター君は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
そのイライラにあてられた見知らぬ少女がおどおどと「ウィルバー・ウェイトリーと申します」と名乗った。
「ダニッチ村からやってきました。その道中、魔物に襲われていたところをアベルさんに助けられて」
アベル? ちらりとハスター君に視線をよこすと彼は「そういうことにして」とアイコンタクトをしてきた。
まぁ彼がそう望むのならべつにいいだろう。
「なるほど。アベル君もまた私の古い友神でしてね。そしてカイン君とアベル君は兄弟でもあるのです」
するとウィルバーは要領を得ないように「彼? 兄弟?」と首を傾げる。
まぁ今は性別が入れ替わっているが、神にとってそんなもの些細なことだ。
「それで、ハスター君。いや、アベル君ですか。君はまたなんでこんなところに?」
「………………」
「黙りですか、困りましたねぇ」
「『キヒヒ。こいつぁインスマスを浄化するために依代になっている娘が招来させたのさ。旧神の封印ももろくなったもんだぜ』」
「は、ハワト!? いや、お前、イゴーロナクだな!? なにを勝手に喋っているんだ!」
なるほど。そういう訳か。ハスター君の依り代となっているアウグスタは深き者がインスマスにやってきたことを快く思っていなかった。
だから彼の種族と敵対しているハスター君を招来させた訳か。
もっともハスター君を筆頭に旧支配者の多くは”大いなる戦争”の直前に私が理性を奪い、旧神の手で封印を施されたが、長い年月の末にその封印もほころびを見せ始めている。
だから人間でも正確に儀式を行えば封印を解けるが、そうなるとハスター君の招来方法を教えたのは誰か、ということになる。それにハスター君はみたところ私が奪って別に封印したはずの理性が戻っている。
と、なると十中八九あの作家あたりが動いているということか。
あれはノーデンスと協同している訳ではないが概ね別の意図で動いている。いや、物語を書いているというべきか? 奴がどんな伏線を仕込んでくるかわからないが、私を楽しませてくれるのなら好きにやってほしいものだ。
「それよりナイこそなにをやってるの? いや、聞いたぼくがバカだった。お前はまた自分勝手に”面白い”を追いかけてるだけだろ。兄さんを復活させたのも――」
「ご名答。その通りです」
重いため息を吐き出されるが、そんなものどこ吹く風。まるで関係ない。
それよりも気になるのは彼の隣に座るウィルバーだ。
見た目こそ人間のそれだが、まず彼女は普通の人間ではないだろう。とはいえその正体はまだ謎だ。
しかし警戒心を解かぬまま正体を喝破しては距離を詰めることは叶わぬだろう。まずは外堀から埋めていこう。
「ウィルバーさんは観光ですか?」
「い、いえ、捜し物をしに」
すると今度はハワトが私に耳打ちしてきた。
「『ネクロノミコン』を探しているようです。理由は不明ですが……」
「ほぉ。星の智恵派……ではなさそうですね。ということはこの娘もアレの差し金か……。いや、そうとも限らないのか? クスクス。わからないというのは面白いですね」
どうやらハワトは意地の悪いことに『ネクロノミコン』の話を彼女にはしていないようだ。
それにちょうど人数も集まっている。これは面白いゲームが出来そうだ。
「ウィルバーさん。実は貴女の求めるものを私は所持しております」
「え?」
「ただし、代価が必要です。今、この本の扱いは難しいものになりましたからね」
そして今度は無言で殺気の応酬を続ける兄弟に視線を向ける。
「アベル君の目的はインスマスの正常化でしたか? カイン君を抹殺したい、それが願いですね?」
「まぁ、そんなところかな」
「それでカイン君は……。まぁ君はなんでもいいのでしょうね」
「そうだね。君の好きにしていいよ。僕に殺し合いをしろというのならするし、面倒になって僕を再封印してもいいし。あ、でもハスター――いや、カインと殺し合いくらいはしたいかな? それくらいは許してよ」
「まだ再封印すると決まったわけではないですよ」
まったく無欲なことだ。いや、無関心というべきかな?
クスクス。まぁどちらでもいい。やはり昔の連中とこうして遊ぶのは愉しいな。
「では整理しましょう。ある本を探しているウィルバーさんとそれを持つ私とハワトさん。カイン君とアベル君の私的な対立。おや? 偶然にも二つのグループが出来そうですね」
「つまりナイアーラトテップ様とカイン様、わたしの組とアベル様とウィルバーの組で戦うということですね!」
良い従者を持つと仕事が楽で良い。
その通りと頷くと生気の薄い頬に若干の朱がさす従者に満足を覚えているとアベル君の重いため息が響いた。
「また適当なこと言って……。そもそもボク達の兄弟喧嘩にウィルバーを巻き込む必要性がまったくないだろ。君はウィルバーに本を見せる、ボクはインスマスにはびこる深き者とついでに愚兄を殺す。それでいいじゃないか」
「クスクス。君は相変わらずの常識神ですねぇ」
「君達が非常識なだけだろ」
クスクスと笑いが漏れてしまう。
昔もよくこんなくだらない会話をしていたなと思うと、懐かしさでどうしても笑ってしまうのだ。
「こればかりはアベルと同意見かな。めんどうなことすっ飛ばしてさ、僕はアベルを殺してあげたいし、アベルに殺されたい。『ネクロノミコン』についてはどうでもいいや。好きにして」
まぁ彼の厭世家は今に始まったことではないからおいておこう。それに彼はいつも口では面倒だとか、ハスター君を殺したいとか言うが、最終的になんやかんやで私につき合ってくれる良い奴でもある。
「街を壊さず平和的に全てを解決する方法――。そう、冒険者としてクエストの達成について戦う、というのはどうでしょう?」
「だーかーらー! ウィルバーを巻き込むことないだろ。てか、ウィルバーの探している本って確かミスカトニック大学図書館にあるんだろ? ならこんな奴につき合うことないよ」
「あ、アベル様。畏れながら申し上げます。私的な伝手からの情報なのですが、昨今の邪教の取り締まりが厳しく、ミスカトニック大学図書館では『ネクロノミコン』を見つからないよう隠しているとか。閲覧を願い出ても叶うとは限らないと思いますが」
「なんなの君達さ……。そんな人を困らせるのが楽しいわけ?」
面白くなってきたな。これは良い。ウィルバーに「どうです? 私の話に乗りますか?」と訪ねると彼女は逡巡を浮かべるも頷いてくれた。
「本当に『ネクロノミコン』をお持ちなのですか?」
「えぇ。ハワトさん。見せて差し上げなさい」
そう命じるとハワトは何冊も本を挟んだブックバンドから一冊の皮で装丁された本をウィルバーに見せる。その異様な雰囲気を放つ魔導書こそアラブの狂詩人アブドゥル・アルハザードが記した『ネクロノミコン』そのものだ。
ウィルバーはそれに吸い込まれそうなほど顔を寄せ、視線を釘づけにしている。
どうやら真贋の説明をするまでもなくこれが本物であることを知ってくれたようだ。
「さて、これで満足ですか? あ、それともミスカトニック大学図書館にも行きましょうか。そこで閲覧が叶わなければこのバトルに加わっていただく。そして勝てればこの『ネクロノミコン』の閲覧を許可しましょう。なんなら写本を貴女に贈ってもいいですよ」
すると彼女は「わかりました。お受けします」と私の提案を快諾してくれた。
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