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Call of Dreamlands ――異世界の呼び声   作者: べりや
外伝:          の福音書
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外伝:          の福音書・下

「なぜ、だ……?」



 私はこの世界に救いの種を蒔いてきた。

 時にワインを水に変え、業病を癒し、死者さえ蘇らせてきた。

 だと言うのに――! だと言うのに――!



「この詐欺師め!」

「偽救済者! 磔にしろ!」

「殺せ! 殺せ!!」



 裁判所に響く罵声の嵐に言葉が消えてしまう。

 そんな唖然とする私を見下ろすローマから派遣されてきた総督は肉のついた顔を歪め、重い口を開いた。



「ユダヤの民よ! 今日は貴様等の神の祝祭日――過越し祭りの日だ。よって偉大なるローマはここにいる二人の死刑囚のうち一人に恩赦を与えようと思う。貴様等は誰に恩赦を与えて欲しいか?」



 その問いに民衆はもう一人の死刑囚の名である「バラバ!! バラバ!!」と叫んでいた。

 ふと隣を見ると鞭を打たれ、砂埃にまみれた小汚い男が「悪いなあんちゃん」と顔に笑みを浮かべる。

 彼は確か熱心党と呼ばれるローマの支配に反発する過激なテロリスト集団の一人であり、ローマへの反逆罪で捕まっていたはずだ。



「みんなオレ様を選んでくれたようだな。テメェの噂はよく聞いているが、ユダヤの民が求めているのは無力な話屋じゃねえ。オレ様達熱心党のような実力者なんだよ。ゲハハハ」



 不快な笑みを浮かべる男に虚脱を覚える。

 そうか。連中が求めていたのは”救い”や”信仰”ではなく”便利な奇跡”だったのか。

 私はそれを見誤っていたというわけか……。



「人間とは、なんと救いようのない生物なのか」



 私は勘違いをしていた。

 魔法を見ればそこから神の存在を感じ取り、平伏して信仰を抱くものだと――。

 だが人間は私が思っていた以上に欲深く、学ばず、愚鈍だった。



「キミ。残念だが、判決は覆りそうにないな」

「総督殿……」

「私個人としてはキミを保釈したいところだが、それでは暴動が起こりかねない。キミには悪いが――」

「もう構いません。もう……」



 やれやれ。疲れてしまったな。

 全てが徒労に終わってしまうとは思わなかった。

 私はローマの兵に引きずられ、裁判所を追い出される。そこを出ても周囲には私に罵声をあびせる群衆で溢れており、彼らは無遠慮に私の衣服をはぎ取って「ユダヤの王様万歳!」と王冠代わりに茨を頭に巻き付けてくる。

 それらのなすがままになっていると最後に重い十字架を背負わされた。このまま刑場まで私がかけられる十字架を運べという趣向か。

 私は十字架と諦観を持ちながらゆっくりと大路を歩いて行く。そんな私を待っていたのは数えきれない悪意達だった。



「死ね! 死ね!!」

「いつもの奇跡でなんとかしてみたらどうだ!?」

()()()()()()!!」



 肩に食い込む十字を担いで歩く私に投げかけられる言葉は罵詈雑言のみであり、今まで説いてきた愛というものの欠片もなかった。

 少しでも、少しでも良い。ほんの一人で良い。

 私の言葉に目覚めた人間は居ないのだろうか? 例え蒔いた種が疫病に犯されて死んでしまったとしても一粒くらいは芽を出さないか?


 そうだ。私の弟子達は?


 直接教えを伝えてきたあの者達ならその一粒になってくれないだろうか?

 ふと怒声を浴びせてくる群衆を見やるとその陰に隠れるようとする屈強な男――ケファと目があった。一秒に満たない時間だったが、確実に視線が混じり合ったというのに彼は「知らない、知らない、知らない!」と言うように目を伏せて群衆の中に消えていってしまった。

 他に誰かいないかと見渡すも怒れる群衆しか目に入らず、今まで共に過ごしてきた弟子はまったく見あたらない。


 ふむ、そうか。彼らも、ダメであったか。

 思わず力が抜けてドスンと十字架の重みにつられて倒れてしまった。



「あぁ。私は、()()失敗してしまったのですね……」



 数億年前――。

 世界が滅亡するほどの戦争が起ころうとしたその時、私は戦いを防ぐため旧支配者達を裏切って彼らの理性を奪い去った。

 その時も私は彼らから”裏切り者”と罵られたな。

 私はただ皆と共に面白いことを探していられれば良かったというのに。そんなちっぽけな思いを守るために破滅よりも遙かにマシな結果になるよう努力したというのに――。


 私はただ彼らを傷つけただけであった。

 どうして誰も分かってくれない? あの時、この時も私は最善を選んできたはずだというのに、どうして間違ってしまう? どうして誰も私を罵る? どうして私は救世主(メシア)になれぬというのか?



「大丈夫ですか?」



 地に伏す無様な私に高く、甘い声がかけられる。顔をあげると憎しみの視線で私を射抜く群衆の中から大きな日除け用の頭巾を目深に被った少女が駆け寄ってきていた。あれは――。



「先生! 先生!!」

「おや。来てくれたのですか? 私を売ったお金ですぐにここを出た方が良いでしょうに。貴女も酔狂ですね」

「先生。一緒に逃げましょう! もうローマだとか、ユダヤの王だとか関係のないような場所へ! 先生の御業なら出来るはずです! 一緒に逃げて、そこで一緒に暮らしましょう!」

「……おやおや。なんとも魅力的な提案ですね」



 そうだ。まだ私には彼女が居る。誰によりも私の教えを理解し、信仰というものを心に刻んだ彼女が――。

 そうか、彼女ならば大丈夫だろう。私の教えは彼女の中で息づき、それを伝導してくれれば芽はやがて花を咲かせ、たくさんの種を再び蒔くことだろう。

 なるほど。そうか、前提が違ったのか。

 外なる神(わたし)では人間は救いようのなかった。だからこそ人間を救いうるのは人間なのだろう。彼らを救うのは神ではなく、人間自身なのだ。それこそ救済ではないか?



「クスクス。私が間違っていたのですね」

「え?」

「なんでもありません。それより逃亡でしたね。魅力的ですが、お断りしましょう」

「ど、どうしてですか!?」

「そういう気分ではないだけです。やはり私は悪として消えるべきでしょう」



 救済に私は必要ないのだから一度、星間に帰ろう。彼女の活動を見守りながら友の封印を解いて謝ろう。余計な事をしてしまったと――。

 それが終わったらまた彼女に会いに行こう。



「私は先に()きますので、ではまた後で」

「せ、先生――! ワタシは、ワタシは先生のことが          です! もう何もかもどうでもいいんです! 私は先生と――」

「――はい? 今なんと? 聞き取れなかったのですが?」

「ですから私は先生のことが――」

「おい、ユダヤの王様! 休憩は終わりだぜ!」



 彼女の言葉を聞き取ろうとするが、不思議と何を言われているのか分からなかった。再度聞き返そうとするが、答えが返ってくる前にローマの兵が私を蹴りつける。

 それによろよろと立ち上がり、髑髏(ゴルゴダ)の丘へ歩いていった。


 ◇

【???視点】



 ローマの兵に連れて行かれる先生を見送るとポロポロと涙がこぼれていた。

 気がつくと昨日まで先生を慕っていた民衆は先生の処刑を見物しようと刑場に行ってしまい、通りには人っ子一人いない。



「先生……」



 主よ。ワタシは罪を犯しました。

 先生の言葉に疑問を抱いてしまいました。先生を売ってしまいました。先生のことを――。



「主の子である先生にこんな感情を、人に向けるような感情を抱いてしまうなんて――」



 気がつくと頬に暖かいものが止めどなく流れていた。

「先生……」



 先生を裏切ってやっと分かった。誰よりも先生を理解しているはずなのに先生の行いに疑問を抱いてしまう苦しみのおかげで、私は理解してしまった。

 私が先生に抱いている本当の感情が敬意や恐怖などではなく”          ”なのだと――。



「先生。あなたは矮小な人間よりも尊き存在であると、理解しております。情動から生まれた感情を向けて良い存在でないことを、理解しております。でも、でも――」



 それでもワタシは先生を          てしまっていた。

 だからこんなにも胸が苦しい。その感情を吐露した今でもなお引き裂かれるほど胸が苦しいのだ。

 ワタシはなんと冒涜的な行為をしてしまったのだろう。それでも先生は「また後で」と言われた。ならば――。



「はい、先生。共に()きましょう」


 ◇


 刑場にたどり着いた私は背負っていた十字架に(はりつけ)にされたが、安らかな死などやってこなかった。



「はぁはぁ。ふうぅ、ぐッ!」



 両手を広げ、手のひらと足首の三カ所を杭に打ち抜かれて吊るされているため横隔膜が圧迫され呼吸ができない。

 その苦しみから脱しようと体を持ち上げようとすると足に打ち込まれた杭によって激痛が走り、重力に従って体が引きずられて再び横隔膜が圧迫されてしまう。

 その繰り返し押し寄せる苦しみと激痛こその磔刑であり、受刑者は体力の続く限りこの責め苦に苛まれる。



「もう日没か」



 執行官のローマ兵が朱に染まった太陽を見て呟く。



「よし、頃合いだ! 槌をもってこい!」



 槌を使って足の骨を折り、体を持ち上げられないようにする算段だろう。そうなれば横隔膜が圧迫され続け、やがて窒息死に至る。どれほど屈強な受刑者でも朝日を拝む事は出来ないのが磔刑だ。



「やれやれ。やっとですか。あぁ喉が渇いたな」



 死ぬ事が出来ないため地球に思わぬ長居をしてしまった。

 だがそれも終わりだ。

 あとは彼女の働きを――。



「ん?」



 それが目に入ったのは偶然だった。髑髏の丘と呼ばれる刑場から見下ろしたところに立つ一本の枯れ木。そこに彼女がいた。

 遠くて表情までは分からないが、彼女が私を見つめているのはなんとなく理解できた。



「……何をして?」



 彼女はしばらく私を見た後、枯れ木に上りだし、枝によじ上ると何か紐のようなものを結び、それを自分の首にもかけて、飛び降りた。



「――ッ!?」



 宙づりになったシルエットが夕日に照らされ、その手に握られていた金貨が零れ落ちてキラキラと輝く。

 どうして? なぜ!?

 彼女こそ私の教えを真に理解していたはず。

 見誤った?

 いや、違う。彼女こそ弟子の中で一番に私を理解していた。ならば――。



「私を売った罪悪感に耐えられなかった、のか……?」



 人の精神は脆弱だ。彼らの心はすぐに壊れてしまう。

 だが彼女ならと思っていた。私の教えを深く理解したただ一人の存在である彼女ならばそんな絶望を踏破し、私の教えを弘めてくれると――。


 しかし――。あぁ――!!


 無駄だった。全て無駄になってしまった。

 私の起こした奇跡も。彼女に託そうとした救済も。私の裏切りも――。今まで経っていた



「……終わった、終わってしまった」

「――? なんだ?」

「――クスクス。くくく。クスクスッ」

「お、おい気でも狂ったか?」



 執行官が突然の嘲笑に驚く。だがそんなこと、もうどうでもよい。



「クスクス。そうか、そうなのだな。私が全て間違っていたのだな? おぉ私が施した奇跡も愛も信仰も理解できない愚かで哀れな種族よ、私は間違っていた! 神の御業を目の当たりにし、真の信仰に自ずから目覚めるよう貴様達の成長を期待していたが、それは間違いだったのだな!! もう私はお前たちを信じはしない。お前たちの成長に期待もしない。故に貴様達は二度と奇跡の施しは受けられない。例え奇跡が与えられたとしてもそれは成長のためではなく、貴様等を壊すためだ! 貴様等が信仰を感じられるのは神の慈悲ではなく、深淵より打ち寄せる恐怖の中になるだろう。もう神の恩寵は降り注がない。あるのは絶対的な絶望のみだ!!」



 足に力をいれると激痛が襲ってくるが、それを無視して傷口を広げながら力を入れ続ける。するとまず片足が杭から抜けた。



「汝ら人間に、“不幸”よあれ!! “災い”よあれ!!」



 抜いた足を支点に残った足も杭から引き抜く。

 すると体が支えを失ってつり下げられる。一気に呼吸が出来なくなったことで私の意識が闇に沈んだ。



「な!? こ、こいつ、自ら足を――! なんてやつだ……!」



 執行官の顔に冷や汗が浮かぶが、彼は冷静に己の職務を全うしようと部下に命令を下す。



「おい、ロンギヌス。本当に死んだがお前の槍を刺して確認しろ」

「は、はい」



 ぶすりと堅い穂先が柔らかな内蔵を抉る。

 その瞬間、傷口から黒い物体があふれ出した。液体とも気体ともつかぬそれが瞬く間に十字架ごと私の体を覆い尽くして這いうねり、鍵爪のついた触腕、ぽっかりと闇を抱く貌へと形を変えていく。

 その虚のような無貌から耳を潰したくなるような人類の有史以前に使われていた邪悪な呪文が響き出す。


 それを目の当たりにした執行官は神を冒涜するおぞましい存在に自分が如何に矮小で取るに足らないものかを悟り、恐怖の余りに自らの得物で首をかき斬って死んだ。

 私に槍を突き刺した男は両目から血涙を吹き出し、縋るように語られる太古の忌まわしい祝詞を私に続いて読経する。

 先ほどまで殺さんばかりに私を見てきた群衆は発狂して逃げまどい、アリの巣に水を流し込んだような慌ただしさを見せていた。

 なんと浅はかで哀れな種族だろう。せっかく救いの手をさしのべたというのに……。だが逆にこうして姿を表すことで連中は神とはなにか心に刻んでくれたことだろう。



「          」



 素直に私の奇跡を信じていれば良かったものを――。

 そしてひとしきり世界の全てあざ笑い、私は星間への帰還を始めた。


 ◇

 『          の福音書第一節』執筆者不明より。



 前置きとしてこれから記すものは忌まわしくも全て真実である。

 他の使徒が書き記した書物を読むことで概略くらいは知っているだろうからまずあの日の後日談から軽く記していく。

 あのあとローマの兵隊が大勢やってきてあのお方の一派に対して大規模な人狩りが行われた。

 ローマを含め司祭長達はアレの存在を無かったことにするようだった。

 そのため彼の神の信者と思わしき者が次々と逮捕され、処刑されていった。

 だがどれほど血を流したとしてもあのおぞましい存在を消す事はできない。

 それをやっとローマや議会(サンヘドリン)は悟ったのか、今度は真実を隠蔽するために偽の噂が巷に流布させ始めた。


 曰く、あれの最期は天の使いが迎えにきた。

 曰く、槍を刺したロンギヌスという兵は返り血を浴びて視力が回復した。

 曰く、死後、信仰という形であのお方は復活した。


 他にも様々な噂が流れ、まことしやかに語られるようになった。あれから幾年も経った今、真実が流布することはない。

 なぜか?

 それは誰もが語りたがらないからだ。誰もが早く忘れようとねじ曲げられた嘘を真実としたかったのだ。

 オレも、他の使徒もそれは同じであり、現在広まっている話のほとんどは嘘に塗り固められた偽物である。


 だが昨今、どこからか視線を感じるのだ。闇の中から何かが自分達を覗いているような気がして仕方ない。

 あのカーテンの隙間から。家具と家具の間から。自分が落とす影からも――。

 ありとあらゆる影が自分達を見つめてきている気がしてしまう。

 気のせいだろうがその瞳の主がまるで責めるように見てくるのだ。

 例え嘘で隠蔽されても人の手には負えない大いなるモノがこの世界には存在し続けているのだと伝えるように。どうして三度も知らないと言ったのかと責めてくるようなに。


 そんな恐怖感から逃れるためにあれを一番信奉していた金庫番に代わって記す。

 その金庫番の存在も今ではあれに次ぐ忌まわしき者として語り継がれる事が禁止されているため、そもそも存在が書き換えられて醜い金の亡者へと変貌し、あまつさえ男であると伝わるようになってしまった。

 あいつこそあのお方の教えを一番深く理解し、深淵をのぞき込んでいた唯一の使徒であったろう。

 そんな深くを知る彼女に、オレはおののき、思わず攻撃的になってしまっていた。謝罪するつもりはない。今でもオレはあいつが怖くて仕方ないし、自ら死を選んだことに安堵を覚えてしまっているのだから。


 だがそれでも存在が消えて良いはずがない。

 偽の信仰で事実を覆い被してもあの化け物と狂信者は存在したのだ。

 万が一、再び深淵の扉が開いた時のためにこうして一冊だけ真実を書き記す。



 ナイアーラトテップ。……かの這いうねる混沌(メシア)。……私が最後だ。……大いなる虚空(ヴォイド)の秘儀を教えよう――!

補足

熱心党のバラバ

実は熱心党とは聖書に書かれておりません。しかしバラバはマルコの福音書には暴動時の殺人、ルカの福音書には殺人、ヨハネの福音書には強盗で捕らえられた囚人とされております。

本文ではオリジナル設定として熱心党ということになっております。



聖金曜日

復活祭(イースター)前の金曜日のこと。今年の場合は先週の金曜。受難日とも。

大工の息子の受難と死を記念する日でもあり、カトリック教会では断食を行う。

この日から三日目(日曜)に大工の息子さんは復活したそうで、それをお祝いするのが復活祭(イースター)


と、いうことで今回はニャル様の過去編でした。

今までオブラートにしてきたところが白日の下となり、多方面から怒られそうな気もしますが、全ては偉大なる這いよる混沌のため。


くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー


残念ながらネット小説大賞は一次選考止まりではありましたが、このようなお話でも日の目を見る事が出来、嬉しく思っております。

それでは次章でお会いしましょう。


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