外伝: の福音書・上【???視点】
ネット小説大賞一次選考通過祝いに外伝を投稿いたします。
ただ舞台設定は本編の遥か昔、西暦が始まったばかりのイスラエルが舞台となっております。詳しくはあとがきに舞台設定の補足を記しましたのでよろしければご一読ください。
若干聖書的なお話が濃くなってしまいますが、どうかお付き合いいただけたら幸いです。
【???視点】
西暦三十三年。ローマ帝国ユダヤ属州。
眩い月光に照らされた丘の中腹。昼の乾いた灼熱にさらされ、夜の凍えるような寒さに襲われるそこは全てが風化して砂っぽい。生えている草も背が低く、干からびる手前でなんとか命をつなぎ止めるようなものばかりの荒れ地において赤いひざ下まであるローブに青い肩掛け布を羽織った男を見つけた。
はぁ。やっと目当てのお方を見つける事ができた。
「先生。先生! お一人では危ないと何度言えば――」
「やれやれ。見つかってしまいましたか。貴女はなかなか良い感を持っていますね」
一パッスス(約一・五メートル)もありそうな岩に腰を下ろした浅黒い肌の男が可笑しそうにワタシを見て笑う。
もっともその整いすぎた顔立ちを月光が照らす様を永遠に見ていたかったという誘惑にかられたのは言うまでもない。
だがその誘惑を跳ねのけ「不用心すぎます」と敢えてキツイ言葉を選ぶ。
「最近は熱心党の連中が夜討ちをしていると聞きますし、ローマの兵士もそのせいでピリピリしているとか。いらぬ嫌疑をかけられないためにも今は大人しくしているべきです」
「貴女は心配性ですね」
「……御身の事を思えば、です」
それに先生は最近変なのだ。この前も自らの死を予言されてみんなを大いに慌てさせるし、ここ最近は司祭様に喧嘩を売るような折伏ばかりされている。
なんというか、生き急いでいるような空気が日に日に濃くなっているように思えてならない。
それが今、その月を見る横顔の悲しそうな表情にその予言が正しいことなのだと思い知らされた。
「あの、先生は死ぬおつもり――」
「そういえばなのですが、思考を放棄した坊主との討論は面白かったですね。ローマに税を納める事が正しいか? 歩けぬ者に『赦された』というのは主への冒涜だ? 姦淫の罪を犯した女は石打ちにすべきか?」
先生は短く「くだらない……」と幾度も吐き捨てる。
確かに昨今の大司祭カイアファを筆頭としたヘロデ神殿の連中は堕落の極みだし、ローマに尻尾を振る犬でしかない。
だからローマの支配に綻びを生もうとする先生のことを陥れようと問答を挑んでくるのだ。
「私の失言を引き出したいつもりだったのだろうが、ならばもう少し程度の良い問いかけをしてきても良いと思いません? まぁ、毎日では辟易しますが、たまにであれば良い刺激です。くすくす。あぁおもしろかったな」
「………………」
これだ。先生はすぐにおもしろい事に飛びつこうとする。
先生の言葉で言うのなら”いつも喜んでいなさい”だ。誰もその言葉の真意を見いだそうと頭をひねっているが、これに深い意味などない。字面通りの意味に他ならないのだから。
「先生は、それでよろしいのですか?」
「えぇ。私は面白いことを見聞きし、体験するのが好きなのです。もし悪魔が私に『全ての国の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう』と言ってきても、私は首を横にふります。箱庭の国を手に入れても面白くはありませんからね」
「“悪魔にひざまずいて国をもらうより、主なるあなたの神にのみ仕えよ”ですね。先生は悪魔にそう言われたと聞きました」
「おや? 前にもこの話はしましたっけ?」
「はい、先生」
先生が何を求めているのか、それは朧気にだが察するものがある。
この人はただ面白い事を求めているに過ぎない。その課程で人に施しを与えているに過ぎないし、奇跡の御業も先生にとっては娯楽の一つに過ぎない。
故に、故にわたしは恐怖を覚える。
このお方は面白いを求めるがために水をワインに変え、業病を癒し、時には死者さえ蘇らせるのだ。
そう、全てが”面白い”という目的のためだけに先生は奇跡を御行使される。それをみんなは神の御業だと喜び、そこに救いを求めている。中には先生のことをローマの支配から自分達を解放してくれる救世主だと思っているものもいる始末だ。
みんな、みんな分かっていない。分かっていないのだ。
誰も眼前で起こる奇跡だけを追って、先生の御心を知ろうとはしない。
もし、先生の内心を少しでも察することが出来たのなら軽々と奇跡を喜ぶことなどありえない。
だからこそわたしはその奇跡が怖かった。いや、このお方こそが、怖かった。
「さて。厳しい目付役に見つかってしまいましたし、帰るとしましょうか。貴女もそうですが、ケファも血気盛んで厳しい人ですから見つかればきっと怒られてしまうでしょう。やれやれ、困ったものです」
「お言葉に異を唱えさせていただきますが、わたしをあんな岩野郎と一緒にしないでください」
「おや? 気に障りましたか? これは失礼を」
ケファは先生の弟子の中でも古参の部類であり、弟子達のリーダー格である。もっともケファは先生の弟子になる前まで漁師とあって喧嘩早い性格をしていた。
そんな彼をみんなは好いているようだが、わたしはあんな脳筋が嫌いで仕方ない。彼もまたわたしの事を嫌っているようだから好きになる努力などとうに諦めているくらいだ。
ワタシが余所者だからってあれほど嫌わなくても良いだろうに……。
「確かに、彼と貴女は雲泥の差ですから比べるのもおこがましいことでしょう。まぁ彼の泥臭くて男気のあるところは嫌いではありませんし、むしろ燃えるような熱意は好ましく思っております。まぁ短気なのがよくはありませんが。しかしそれを差し引いても彼は一番ではない」
先生は岩の上へ立ち上がるとその両手で星々を掴もうというように天へとそれを掲げる。
その様が澄んだ夜空より降り注ぐ月光により不気味で、背筋の凍りつきそうな影を地面へと落とす。
その禍々しい御姿がわたしを見下ろし、口元を笑顔の形に歪める。それにわたしは自然と王様に対するように膝を着いて頭を垂れてしまった――。いや、垂れさせてもらう。
「くすくす。まるで王にかしずく大臣ですね。私達の財務一切を取り仕切ってくれている貴女なら財務大臣といったところでしょうか?」
「……御戯れを」
「別段、貴女を困らせるつもりはなかったのですがね。しかし。王ですか……。ケファ達は、まだ私を王にしたいと思っているのですか?」
「そのようです」
「ふむ。困ったものだ……。しかし、そこまで言われると気も変わるというものか」
え? という呟きを無視するように先生は岩から軽やかに飛び降り、わたしの手を取る。
月明りに照らされた青白い先生の顔が間近に迫り、その吐息が耳をくすぐり――。
「私が父の御名においてローマを討ち滅ぼし、再び主の威光の下、この国の王になる。そう言ったら、どうします?」
「な、なにを――」
「くすくす。こう見えても昔、ファラオをしていたことがあるので国の統治については多少の心得があるのです。どうです? 私が王となったあかつきには貴女を大臣として召し抱えましょう」
「ご、御冗談を」
「本当に冗談だと、思いますか?」
黒く淀んだ瞳が私を射抜く。全てを吸い込んでしまいそうなほど黒い瞳に見つめられた時間は一瞬だったようだが、わたしにはそれが一時間にも、二時間にも――。無限の時のように思えてしまった。
「帰ったら早速作戦会議ですね。ケファは元漁師とあって腕っぷしが良いですから、きっと良い大将になってくれるはずです」
「うそ……」
そう。これは嘘だ。先生はワタシに嘘をついた。
だって先生が求めるのは王位ではなく、面白いことなのだから。
それにローマは強大な大国だ。世界の全てを治めるような大帝国を相手にしてはいかな先生とてただではすまないだろう。いや、謀反の計画を立てた段階でローマの兵士に逮捕されてしまうはず。そうなれば極刑は免れない。
「ま、まさか先生はわざとローマに捕まる気なのですか……?」
そうなれば先生の教団は壊滅してしまう。
だが先生を救世主と崇める民衆の勢いは日ごとに増すばかりだし、いずれ歯止めが効かなくことは目に見えている。
かと言ってローマに反旗を翻したところで待っているのは凄惨な戦争しかない。
そしてきっと、主より選ばれたわたし達の血は根絶やしにされてしまう。ローマは反逆者を決して許しはしないのだから、草の根をかき分けてでもわたし達を探し出して息の根を止めるはずだ。
もし、それを阻止するならば今のうちに叛乱の首謀者をローマに差し出すしかない。
つまり――。
「やはり、先生は死ぬおつもりなのですか!?」
「………………」
「そうなのですか!? 先生ッ!!」
先生は軽く微笑むとわたしの髪を梳きながら「聡い娘だ」と呟かれた。
「そろそろ救済を完遂せねばならないのですよ。そのために私は貴女達から離れなければなりません」
「そんな! き、急すぎます」
「しかし残念ながら私は飽きっぽい。このままでは救済を投げ出してしまうかもしれません。それだけは決して許せません。しかし性分というのは変えられるものではありませんからね。そろそろ頃合いというものでしょう」
先生の手が止まる。
その整いすぎた貌がここではない、どこか遠くを見ながら言葉が紡がれる。それはわたしに宛てたものではなく、遙か過去に向けられているように思えた。
「私が起こした過ちを償うために胎からこの地へと落ちてきたのだ。彼らを救えなかったからこそ、人間くらいは救ってやろうと決意してきたのだというのに。だというのに私は飽きようとしている。そんなこと赦されない。きっと彼らもそんな私を許そうとはしないだろう。いや、そもそも許されざることをしたのだ。許されるなどと思うのは傲慢か?」
「な、なにを――?」
「意味などありませんよ。私は私の中で完結した約束を果たすために急がねばならない」
先生の存在は生きる世界が違うようにどこか現実味が薄れているような、先生との間に越える事の出来ない壁によって断絶されているような錯覚を覚える。
いや、実際そうなのだろう。この方とは生きる世界も時空も理も違う。
「私は種を蒔いてきました。時に水をワインに変え、業病を癒し、死者を蘇らせた。それらは全て私が蒔いた種だ。貴女にはそれが分かるでしょう?」
「……はい、先生」
先生の教えの本質は人外の理に基づいた悍ましい御業ではない。
確かに先生の御業は人知を超えた、遥か宇宙的恐怖をもたらす代物だが、それはただの方便に過ぎない。
そもそも人を越えた存在である先生の奇跡を矮小で、虫けらに等しい人間が真似をすることなど出来ようはずもない。
だからこそワタシ達は信ずるしかない。決して疑ってはならない。奇跡を待つのではなく、神を信じなくてはならない。
それこそが信仰であると先生は教えてくれた。いや、そう伝えたかったと言うべきだろうか?
「では頼みましたよ」
「……あの!」
「なにか?」
「ローマに仇なしたとなれば極刑は免れません! それはつまり、先生が……」
「私が、なんなのでしょうか?」
先生は動じることなく、逆に不思議そうにわたしを見つめ返してくる。
その黒々とした身の毛のよだつような視線に思わず言葉が詰まってしまう。
ここで「先生が死んでしまった後は、どうすれば良いのでしょう」と言えたのならば、どれほど気が楽になることだろう。
いや、先生のことだ。ローマに捕まろうと主の御業によって必ず助かるはず。
だけどもし、そのまま死んでしまったら――。
「なんでもありません」
「そうですか」と先生はスタスタとサンダルを動かしてどこかへと行かれてしまった。そんな先生をワタシはただ見送る事しか出来ず、体が言う事を聞くようになったのは先生を完全に見失ってからだった。
「わたしは……。先生が死ぬことで救済が起こるということを、疑ってしまった……」
”もし”とわたしは先生に疑念を抱いてしまうなんて。
それはもっとも忌むべき事だ。
先生が何よりも大事にしてきたことは主を信じるということであり、わたしはそれを冒してしまった。
「先生がそれを望まれているのだから、ワタシはそれに従うしかない。でも――。いや、でもなんて存在しない。してはならない。そう、疑うなんて――」
だが心に芽生えた疑心を取り繕うことなんて出来ない。いくら忘れようと思っても、逆にそれを意識してしまう。疑うなんて嘘だと思いこもうとしても、心がそれを嘘だと看破している。
忘れることも、嘘と言い切ることもできない。
「先生……。ワタシは――」
どうすればよいのでしょうか。
あぁ、かみさま――!
補足
西暦三十三年。ローマ帝国ユダヤ属州。
現在のイスラエル。当時はユダ王国を征服したローマ帝国の植民地。
ユダヤ人をユダヤ人たらしめるユダヤ教徒の国であり、ローマの支配を受けてもそれは変わらなかった(ローマ帝国は宗教に寛容だったため弾圧はしなかった)。
そんなユダヤ人はローマ人の支配から脱却しようと独立のために熱心党と呼ばれるレジスタンスを作って抵抗運動をしていた。
ユダヤ教の考えを簡単にまとめるとユダヤ人(イスラエル地域に住んでた一民族、もしくは人種問わずユダヤ教を信じる者など宗派によって定義が異なるが、ここでは前者)こそ神(YHVH)に選ばれた唯一絶対正義の民族であり、神を信仰することで国を得られるとされていた。
そのため信仰心を失うと神が怒り、他民族がイスラエルを植民地にしてしまうが、救世主の登場により信仰が回復し、国土を奪還できると信じられていた(かなりおおざっぱに話を端折っております)。
そのためローマの支配下になったイスラエルでは自分達ユダヤ教徒を解放する救世主の存在が求められ、その矛先が湖の上を歩いたり、水をワインに変えるなどの奇跡を起こしたとある大工の息子に向けられていた。
赤のローブと青い肩掛け布
赤は受難を、青は誠実さを表していると言われます。
宗教画でこんな格好をしている人がいたらまずそれはナザレの大工さんの息子です。
ちなみに青色の服を着た女性は聖母マリアであることが多いです。
※色々書きましたが、映画パッションやジーザス・クライスト・スーパースターを見て頂ければ雰囲気がつかめると思います。私としてはこのどちらもお勧めなのでぜひご覧ください。
”悪魔にひざまずいて国をもらうより、主なるあなたの神にのみ仕えよ”
ルカの福音書4:8
また、何か疑問点があればお気軽にメッセージを送ってください。こちらの補足に追加いたします。
ご意見、ご感想をお待ちしております。




