旧支配者と外なる神・3
別話をミス投稿しておりました。申し訳ありません。
【ナイアーラトテップ視点】
夜も更けるインスマスに陰謀の影が蠢く。
細く消え入りそうな月明りの中、そして演目は終幕へとひた進む。
「ねぇ、こんな堂々としていて良いの?」
それは幕が上がるのを待つクレアが発した言葉だ。
彼女の言う通り我々は埠頭のど真ん中に立って生贄を捧げるために船を出そうとするであろうダゴン秘密教団を待ちかまえていた。いや、棒立ちして待っているというべきか?
「ご心配なく。見た所、インスマスにおいて船を出せる場所はこの湾内だけのようです。ここに居れば連中が船を出そうとするのを妨害できるでしょう」
二つの岬が覆うように湾を作っている関係上、どうしても埠頭の造成には場所的な制約が加わる。そのため港を一望できる埠頭の一つに陣取っている訳だ。他にも港を囲う様な倉庫の影に潜むのに適した場所もあるにはあるが、そこだと万が一にも船に乗られたら手も足も出なくなってしまうからこうして水際での防衛作戦を選んだのだ。
「ふむ、どうやら気づかれているようですね」
ジーク達に聞こえない様に呟けば波止場の先――闇に閉ざされた倉庫の脇から複数の視線が集まって来るのを感じる。ハワトが魔力を感じて看破したか……。それとも一般人も排除対象とダゴン秘密教団が強硬策に出ようというのか。
どちらにしろ戦闘は長くは続くまい。単純計算でいけばこちらはBランク冒険者が二人。対してダゴン秘密教団側はアウグスタ一人だ。Lvの上昇が前の世界と同じならただの町民であるダゴン秘密教団の連中に高Lv、高ランク冒険者が居るとは思えない。それに彼らの目的は戦闘ではなく儀式の成功だ。
ならば一戦交えて即、海に出ようとするはず。
まぁルール無用のジョーカーであるハワトを握っている。それがどう切られるかが見ものだな。
「……ん? ――ッ!」
それは三日月が照らす世界が雲によって塗りつぶされた瞬間であった。
世界が深淵に没した時、どこからともなく人が聞くには堪えない陰鬱で忌まわしいな呪文が唱和されはじめた。
『いあ! いあ! くとぅるふ・ふたぐん! ふんぐるい・むぐうなふー・くとぅるふ・る・りえー・うが=なぐる・ふたぐん――!!』
ダゴン秘密教団が愛してやまない彼らの暗黒神に捧げる呪文を口ずさみながらより黒を強めた倉庫の影から飛び出して来たのだ。その数、およそ八人、いや、十人……。まだ増えるな。二十人くらいいるのではないか?
手に剣や銛のような即席の武具を持った者、ズダ袋――恐らく生贄入り――を持った者達が迷いなくこちらへと迫る。目的は船の奪取だろう。
「くそ、邪教徒め! クレア! 援護!」
「言われなくても! 炎よ! わたくしに力を与え給え! エクスプロージョンッ!」
クレアが杖を向けて呪文を唱えればなんともちんけな火球が出現し、彼女が杖を横に払えばそれは邪教徒目がけて飛翔し、彼らの眼前で爆発する。
闇夜を切り裂く閃光に思わず目を伏せてると頬を温かな爆風が撫でて行った。
「まぁ、こんなものね! ジークの取り分とっちゃって悪いわね」
どやぁと誇らしげに胸を張るクレアにジークが構えていた剣を苦笑交じりに仕舞おうとするが、魔法の爆煙を突き破るようにダゴン秘密教団の教徒達が駆けぬけてきた。
やれやれ。フラグを立てるから……。
「うそ!? どうして!? わたくしの魔法が――!?」
「肉体の保護ですね。連中、無傷ですよ」
私がハワトに授けた加護――魔力を装甲としてダメージを減じる肉体の保護が連中にもかけられていたか。
確かにハワトにとってクレアの児戯のような魔法など最初から敵ではない。彼女が相手にすべきはこの私のはずだ。だからこそまずは陽動で私の注意をそらすはず――。
「見え透いた攻撃です。本命があるはずですのでクレアさんはその警戒を」
「い、言われなくても分かってるわよ!!」
己の研鑽をつんだはずの攻撃がまったく通らなかった事にクレアは動揺を隠せないようだ。
なんとも口先だけの女だ。同じ女であるハワトの胆力を見習ってほしい。
「いくぞ! 邪教徒共! はああッ」
ジークはジークで間合いを詰めて来た邪教徒と切り結ぶ。
Lv差もさることながら剣技において上手であるジークは慣れぬ手つきで剣を振るう邪教徒の剣を下から切り上げて吹き飛ばすや、流れるような身のこなしで固まってしまった男の頭に柄頭を叩き込み、意識を摘み取る。
やはりジークの剣には魔法を無効化する能力を秘めた神代の遺物のようだ。肉体の保護を受けた人間にダメージを通しているところから確信が持てた。
「はああッ!! お前等が何人束になっても同じだ!! 観念しろ!!」
その男をその勢いのままなぎ倒し、次々と襲ってくる邪教徒と剣を交え出した。
それをクレアも援護しようとするが、絶えず動くジークを誤射してはいけないと魔法を放つ機会がなうなってしまった。
それに敵は本命――アウグスタとハワトが姿を現していない。
……まだ、彼女達は姿を見せない。
…………まだまだ、彼女達は姿を見せない。
………………まだまだまだまだ、彼女達は姿を見せない。
これはよもや――。
「………………。……本当に来るのか?」
胸に去来した疑念を口に出す。
もし、だ。もし、イゴーロナク君の目的が私と戦うためにクトゥルフ君を復活させるという前提が間違っていたら……?
「そうか。確かにイゴーロナク君は私の事を恨んでいるが、戦う理由が――。戦闘イベントを起こさねばならぬ理由が、ない――!!」
そもそもこの場で雌雄を決する必要などどこにもないではないか。ゆっくりと確実に己を顕現させて今はドリームランドのどこかへ雲隠れし、機を見て私に復讐すれば良いと考えていたら――。
「となるとあいつはここへは来ない――! 別の場所で顕現の儀式を行うはず」
サッと雲が流れ、周囲を月明かりが満たしてくれる。僅かで乏しい光源だが、それでも人工的な明かりの存在しないこの世界において月光は夜を切り裂く絶大な光源だ。
正面。倉庫街にジークと共に暴れるダゴン秘密教団達。
右。せり出した半島に囲まれた湾内。
背面。黒々とした波に波頭が砕けた白が混じる海。遠方には不気味に突き出した悪魔の暗礁。
左。桟橋が並び、そのさらに奥には一軒の大きな建屋――町唯一の精錬所。その精錬所の屋根で何か動いた。
目を凝らせば夜空に魔女帽子を被ったシルエットが見て取れた。
「あそこか――!!」
剣戟に夢中になるジークの脇をすり抜け、それに気がついたダゴン秘密教団の男が拳を振るってくるが、それを屈むように避ける。完全に私を殴る事で運動エネルギーを使うはずだった男はそのままたたらを踏むように二歩、三歩とよろめき――。背後から軽く背中を蹴って海に突き落とす。
振り向きざまに新たな男が拳を突き出して来たのでその腕を掴み、その勢いを殺す事無く回転させるように男を投げ飛ばす。
すると相手は数瞬宙を舞ったかと思うとすぐに埠頭の先へと消えて行った。
「な、ナイさん!?」
「野暮用です。あとは適当にやっちゃってください」
突き出された銛を半身だけ傾けて避け、彼らの包囲網を脱する。その時、別の桟橋へズダ袋を持った邪教徒達が居たようだが、あれもすぐにジークかクレアが処理するだろう。
「くそ、なんでこいつら無駄に固いんだ!? どんなエンチャントの装備していやがる!」
「ジーク! 魔法で牽制する! 離れて!!」
ふむ、二人は二人で苦戦してしまっているのか……。だが肉体の保護程度の魔法でBランク冒険者を足止め出来るのだから費用対効果は高いと言えよう。
いや、今はそのような分析などしている時でないか。
せっかく包囲を脱したのだ。全力でインスマスの町並みを駆けて行く。
昔は財に潤っていた名残のような石畳は今でこそ割れて、隆起しているが、走る分には支障はない。背後を伺うと二、三人ほど追手がついたようだが、ぐんぐんとその距離は離れて行く。
残念ながら私は百メートルを九秒台で走ってしまうタイムを持っているのだ。そこらの人間が私に追いつける事はないだろう。
もっとも全力で走るとお気に入りの革靴のソールが傷ついてしまうのが難ではあるが……。
「おや? どうやら振り切ったようですね」
背後を盗み見るが、追手はどこかへ消えていた。それから一度左手――港の方へ視線を送ると二隻ほどの船が逃げるように湾から脱出を図っているところだった。船というよりタッカーボートと呼ぶべき手漕ぎの漁船達にクレアが放ったであろう火球が周囲に着弾し、水しぶきをあげていた。あれではいつ沈むか分からないな。
「やれやれ。よくよく頑張りますね」
こちらも慣れないが、一つやってみるとしよう。
「しかし骨が折れる」
言った傍から辟易を覚え始める我が身だが、それでも精錬所までたどり着いた。運良く外壁に張り付くように外階段があり、誰でも屋上へ向かう事が出来るようになっているようだ。
これは運が良い。
一息に階段を上り、二階を経ていよいよ屋上へ躍り出る。
そこにはまだ少女が居た。そう、少女だ。まだイゴーロナク君の顕現は行われていない――。つまり彼の顕現を阻止できた私の勝ちだ。
「いやぁ。探しましたよ。前々から君は私と同じで他人の不幸を見るのが好きな同好の邪神だと思っていましたが、貴方は私と違って底の浅い悪役を演じるのが好きでしたね。今回も貴方に振り回されましたが、これでゲームセットです」
屋上に佇む一人の少女。
夜空のように漆黒の世界に舞う濃紺のローブ。顔を隠す魔女帽子。黒いプリーツスカートから覗くほっそりとした脚は鍛えられて引き締まったように――。
……鍛えられて?
「残念。ボクはハワトじゃない」
魔女帽子をくいっと押し上げたのは、アウグスタであった。
なんだ? これは一体どういうことなのだ?
どうしてアウグスタが我が従者の服を着ている?
ふと、湾内に目をやれば湾を抜け出した二隻の手漕ぎの船のうち一隻に積み込まれたズダ袋が動き出した。露天となっているためそこから這いだす顔がよく見て取れた。
闇と出も分かる。あの不健康そうな少女こそ、ハワトではないか!
「くくく、くすくす。くすくす。そうか! 謀ったな! くすくす!!」
愉快だ。
愉快で愉快でたまらない……!
この私が、星の一生よりも長く生きる外なる神が、こうも矮小な人間に踊らされるとは……!!
なんと、なんとすばらしいことかッ!
「くすくす! やってくれたな。よくぞやってくれた!」
「ん。これでボク達の勝ち」
◇
【ハワト視点】
「ふぅ。なんとか沈没は避けられたようですね」
ズダ袋から這い出て周囲を見渡せばちょうど湾を脱したところのようだ。
周囲に水柱が立ち上っていた時はどうなるかと思ったが、なんとかなったようで思わず胸をなで下ろしてしまう。
もっとも念のためにアウグスタに囮になってもらうために彼女の衣服を交換したせいか、胸元が若干苦しい。
「それに、恥ずかしいですね」
偵察者という身軽さに重点を置いた彼女の衣服は動きやすいように脚の露出の多いホットパンツにピチっとした上着と革鎧と、体の線が出てしまうもののため羞恥が絶えず押し寄せて来る。
もっともわたしの気おくれなどお構いなしというように船員達はオールを漕ぐ者と浸水した水をかき出す二つのグループに分かれて作業しており、この船ではそれをオーベッドが監督していた。
「よし! もう魔法の射程外だ! 全力でオールを漕げ! これから潮流が増すぞ。船内に入った海水は適時汲みだせ!!」
「「「へいッ!!」」」
船長の声に船員達の息の合った返事が唱和し、船はぐんぐんと沖へ進んでいく。そして悪魔の暗礁の正面に船が差し掛かったところでオーベッドより停船の命令が放たれる。
「ここらで大丈夫でしょうか?」
「えぇ。十分です。始めましょう」
邪悪に口元が歪む。
これより深海に封じられし盟友を解き放とう……!
在りし日に地球を統治した強大な支配者――。
「ではクトゥルフ様、復活の儀を執り行います。生贄を――」
オーベッドが合図をすると船員達が船底に転がる人が入っていそうなズダ袋を海に投擲する。その数、五つ。もう一隻のほうでも同じように海へ生贄を投じているので合計で十だ。
ふと、空を見上げるが、やはり星辰の位置がまずい。もしかすると儀式は失敗するかもしれないが……。
ここは出たとこ勝負だ。
「『 』」
底知れぬ漆黒の果てより生じた波が打ち寄せる中、恐るべき呪文が邪悪な星々へと紡がれる。
気づけば潮の香りを押しのけるような異臭――そう、魚臭さが辺りに充満しだす。それは絶えず闇夜より吹き付ける潮風があるというのにこの場に滞留し、濃度を上げていく。
波間がざわめき、何かが海面へと姿をのぞかせるようなちゃぽん、ちゃぽんという音が聞こえる。
あぁ! そんなはずはない。何もない沖合で潮が打ち付けられる音が聞こえるものか? 光源もない場所で魚が空気を吸おうと集まるだろうか?
そんな訳はない。そんな訳はあるわけないのだ――!
「霧が……!」
船員のうめき声に気づかされたが、極めて透明を保っていた景色は今、白へと変貌を遂げた。
生温い風が海原を宣布し、いよいよ古の主が蘇った事を宣ったのだ!!
「見ろ! あれを!!」
霧の彼方に黒い影が動く。肌が粟立つのが抑えられない。これほど冒涜的な存在が許されるだろうか?
それは海面から出ているだけで優に十メートルを超える巨体をしており、顔にはタコのような触手が生え、背中にはコウモリのような細い翼を持っている。
まるでわたし達が信じていた世界観を否定するかのような存在が、眼前に現れたのだ。
「……おぉ! 神よ!!」
船上で呟かれたのは正気を失いかねない真実を逃避するためか、それとも歓喜の声か――。
あまりにも悍ましい化物の招来に硬くなっていた船員達も徐々に口角を笑顔の形にし、彼のモノがかき分ける大波に船を揺らされながら海神を讃える祝詞を叫ぶ。
いあ! いあ! くとぅるふ・ふたぐん! ふんぐるい・むぐうなふー・くとぅるふ・る・りえー・うが=なぐる・ふたぐん――!!
この非常にクトゥルフしている光景を読んでしまった読者の皆様は成功で1D10、失敗で1D100のSAN値チェックです。
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




