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旧支配者と外なる神・2

【ハワト視点】



『ん? おい、来客だぜ』

「――!?」



 急いでインク壺に蓋をし、書きかけの『グラーキの黙示録』を手にかけたところでギシリと廊下が軋む音がした。足音を殺しているが、確かに誰かいる。

 オーベッド達が様子を見に来たのだろうか? 違う。オーベッド達であれば足音を忍ばせる必要などない。それじゃ誰が?

 その時、ノブが勢いよく廻り、扉が開け放たれる。



「動くな!」

「――ジーク!?」



 剣を構えたジーク、そして杖を構えたクレアが続々と部屋に押し入って来た。

 どうして【解放者(リベレーター)】が――。



「ハワトちゃん。訳はナイさんから聞いたが、どうして邪神崇拝なんてバカな事をしてるんだ?」

「邪神……崇拝?」

「ちょっと! とぼけるんじゃないわよ! あんたの連れが言っていたのよ! 従者が邪教徒だってね!!」



 そうか。ナイアーラトテップ様が逃げ出したわたしを捕まえるために【解放者(リベレーター)】を使ったんだ。

 ちらりとベッドに寝転がっていたイゴーロナク様を探すが、いつの間にかその姿は掻き消えていた。まぁあれはわたしの幻覚でもあり、他の人には一切見えないものだから放っておいても問題はないが、残して行ってはなんだか後味が悪くなりそうだから探したまでだ。



『まったく嬢ちゃんはモテてんな』

「やめてください。わたし、この人きらいなんです」



 キヒヒという笑いが脳を揺らす。

 さて、どうしよう。部屋の出入り口はジークとクレアに抑えられてしまった。

 もう逃げ出せるのは――。



「抵抗は止めて魔導書を渡してくれたら――。あ! ちょっ――!!」



 ジークが制止の声をあげるが、それを無視して一気に窓へと走り、跳躍する。

 両腕をクロスして顔を守りつつ体は窓を突き破り、暗黒の世界へと飛び出す。

 すぐに内蔵を押し上げるような浮遊感が襲ってきたと思うや、眼前に隣家の屋根が見え、そこに鈍い音と共にぶつかる。



「ぐぇ……」

『キヒヒ。思いっきりが良いな!』



 体の肉を押しつぶされるような痛み――。だがそれを知覚している暇もなく体はずるりと屋根の傾斜沿いに滑り落ちそうになる。

 慌てて掴めるものを探し、屋根の隙間に指を入れようとするが上手くいかず、ついにはごろりと身体は地面へ向けて動き出す。



「きゃッ……!」



 一転二転。迫りくる死というものに頭が白くなる中、奇跡的に手が何かを掴んだ。

 窓枠だ。屋根からせり出した出窓。そこに取り付けられた手すりを運よく掴むことが出来たようだ。その上、屋根の傾斜もそれほどきつくはなく、一度勢いが止まれば体がずり落ちることなどなかかった。



『おいおい。こんなことで安堵してる暇なんかねーだろ』



 頭の中で囁く邪悪な声にギルマンハウスへと視線を向ければ窓から二つの顔が覗いていた。



「飛び移った!?」

「ジーク! 下から誰か来る! 早くしないと邪教徒の仲間に見つかっちゃうわ!」

「くっ……! まずはここから逃げるぞ!」



 どうやら窓からは追って来ないようだが、連中は高Lv冒険者の【解放者(リベレーター)】だ。

 ステータスで敵う訳がないからさっさと逃げなくてはならない。

 拳にローブを巻き付け、出窓に思いきり叩きつけてガラスを割り、出来上がった隙間から慎重に窓内に手をいれて解錠し、進入すれば埃が舞った。

 どうも空き家だったらしい。これは幸いだ。面倒事が減った。



「家主が居たらどうやって切り抜けようかと思っていましたが、幸いでしたね。あとは幻惑の呪文をわたしにかけて変装すれば――」

『んな暇はねーようだぜ。来なすった』



 イゴーロナク様の忠告と共にドアが蹴破られ。そこから緑髪の少年と見間違いそうな少女が飛び出してくる。

 思わず一歩下がろうとするが、その前にアウグスタが手にした神速のダガーがわたしに迫る。情けない悲鳴と共に硬直した足元に思わず体がよろめいて体勢が崩れるが、そのおかげで体はダガーの軌道からずれる事が出来た。

 だが相手はBランク冒険者の【解放者(リベレーター)】。掌のダガーをクルリと滑らせて逆手に持ち変えるや、倒れ込んだわたしの鳩尾を全力で踏みつけて来る。



「かはッ!」



 肺から空気が押し出され、この場を打開するために唱えようとしていた呪文が息と共に吐き出されてしまう。それでもなんとか呪文を唱えて窮地を脱しようと息を吸おうとするが、その直前に喉元を細腕が押さえつけた。



「喉を潰すのは対魔法使い戦における常識。これで声が出ないから呪文も唱えられない。これからいくつか質問する。正しいなら首を縦に、違うなら横に振る。早く答えないと窒息させる。良い?」



 有無を言わさぬ口調に為すすべなく縦に首を振るとアウグスタは少しだけ周囲を伺い、それから質問を始めた。



「貴女はボク達を裏切った?」



 首を横に振る。



「……裏切ったのはナイ?」



 うーん。どちらかと言うと裏切ったのはわたし――。く、くるしぃ――!



「早く答えて」



 ナイアーラトテップ様には申し訳ないが、縦に首を振る。きっとそうした方が面白くなるだろうから。



「クトゥルフ様を復活させる気はある?」



 縦に首を振るとアウグスタは拘束を若干だが緩めてくれた。新鮮な空気が肺を満たしてくれることに体の力が抜けてしまう。



「ん。抵抗はしないのね。でも万が一にも抵抗すればどうなるか分かる? Lv差もそうだけど、この距離で偵察者(スカウト)のボクに魔法使いのハワトが勝てるとは思わないで。あと呪文じゃなくても大声を上げたらどうなるかも、分かる?」



 そもそもわたしは純粋な魔法使いではないからこの距離で何をされても勝てる見込みは万が一にも存在しないのだけど……。いや、そんな事はどうでもいい。



「あの、どうなっているのですか? わたしは儀式の準備をしていただけなのですよ。そもそもどうして儀式の事をジーク達が知っているのです? むしろ裏切ったのはそちらじゃないんですか?」

「違う。ナイが突然、夕食の準備をしている時にやってきてハワトが邪教崇拝をしていて、インスマスの町民を使った儀式の準備をしているから止めてくれって」



 クレアも同じような事を言っていたから信憑性は高い。やはりナイアーラトテップ様は【解放者(リベレーター)】を使ってわたしを探していたのだ。

 それでジークやクレアが何かしらの方法でわたしを探し当て――。



「それでボクの【追跡】スキルを使って貴女を探した。ちょうど不自然にギルマンハウスの三階の一室に灯りがついていたから」

「それでばれちゃった訳ですか……」



 さすがはBランク冒険者。いや、わたしが不用心すぎたのか?



「ボクはバックアップとしてここに潜んでいた。それで儀式はどうなるの?」

「もちろん行います。オーベッドさん達に生贄を船へ運ぶよう伝えてください。わたしの身柄はどうします? ここに飛び込んだ事はばれてますから一度貴女に拘束されるべきでしょうか?」

「ナイがホテルの前で待っている。ジーク達と合流すればまず逃げられない」



 ナイアーラトテップ様が居られるのか……。あのお方と敵対こそしているが、正面から戦うような不敬極まりない行為は行えない。だがナイアーラトテップ様の御前に連れ出されれば有無を言わさずに戦闘となることだろう。

 だから合流は不味いかもしれない。

 かといってBランク冒険者のアウグスタがわたしを取り逃がしたというのは苦しい言い訳になるだろう。

 最悪わたし――邪教徒と通じていると疑われるかもしれない。どうしようか……?



「………………。……仕方ない。最悪の手段だけど、ジーク達を裏切ってハワトと共に逃げる」

「なるほど。それは良い考えですね」

「ん。ぐずぐずしないで。異変に気づけばジーク達がすぐに来る」



 素早い身のこなしで体から離れたアウグスタがドアの前で周囲の気配を伺う。一流冒険者の集まりである【解放者(リベレーター)】の偵察者(スカウト)なのだから気配察知系のスキルも持っているのかもしれない。



「誰もいない。まずは父さん達に合流する。急いで」

「その前に、アウグスタはどうしてクトゥルフ様を崇拝されている理由を――。いえ、高名な【解放者(リベレーター)】を裏切る理由を聞いても? わたしのような日陰者でも【解放者(リベレーター)】の噂は聞き及んでいます。それほどの仲にあるはずのパーティーを裏切る理由をお教えください」



 時間が無いのは重々承知ではあるが、彼女がわたしを裏切っている可能性も否定できない。甘言を弄してわたしを捕らえる事も十分考えられるだろう。

 だからこそ、彼女が何を思っているのか聞いておきたかった。



「父さんのためだから」

「………………。……え? もしかしてですが、それだけ?」

「ん。父さんは元々冒険者で、海を旅していた。クラーケンと戦ったり、最果ての海まで行ったり……。父さんは誰も行った事がないような海まで旅していた」



 だがアウグスタの祖父――前町長が亡くなり、その跡を継ぐためにオーベッドは冒険者を辞めて新しい町長へと就任した。

 折よく町は冒険者向けの武具の売買により賑わい、順風満帆に町長を始めたらしい。

 しかし繁栄は長くは続かず、モンスターの減少や奇病によりインスマスは徐々に衰退を始め――。



「父さんは苦心して町を盛り立てていこうとした。でも母さんも奇病に倒れて――」



 およそ十年前。最愛の妻を亡くしたオーベッドは失意のどん底にいながらもインスマスのために心血を注いだという。それは病没した妻への悲しみを忘れる為だったのかもしれない。もしくは愛した妻と過ごした往年のインスマスを再び取り戻したかったのやもしれない。

 彼の内心を察する事は出来ないが、少なくともオーベッドは狂信的にインスマスの復活を為そうと忘れ去られようとする神へも縋る勢いだったという。



「父さんはたぶん、また町のみんなと笑いあえる日々を取り戻そうとしていたんだと思う。それで町を元通りに出来れば、きっと父さんはあの日のように笑ってくれる。母さんとボクと一緒に過ごしたあの日のように――」



 暗い世界においても彼女の表情が手に取るように分かるのはどうしてだろう。

 それほど親しい仲ではないというのに彼女の心が分かるのはどうしてだろう。

 いや、分かってしまうのだ。わたしも、あのお方との日々に心を焦がしていたのだから。



「だからボクは父さんの助けになるよう、町を盛り上げるために何が必要か知るために冒険者になった。その折り――二、三年前くらいにとある()から魔導書を託された」



 クエストの報酬として受け取ったそれには海の神の事が書かれており、何かと役に立つだろうと依頼主は言っていたらしい。それが父の助けになるかもと持ち帰ったところ――。



「父さんはあの本の解読に熱中した。寝食を忘れてしまうほど」

「魅せられちゃったわけですね」



 その気持ちは大いにわかる。深淵からもたらされる人類が知るにはあまりにも悍ましい知識を得たいという好奇心が暴走してしまうのだ。自分ではもう止めようがないほどの探求心に身を任せ、闇よりの知識を得たいと切望してしまうのだ。

 だからこそオーベッドの気持ちも、アウグスタの気持ちも分かる。分かってしまう。



「なるほど。お気持ちよく分かりました。大丈夫。クトゥルフ様の復活を必ず成し遂げます」

「ん。それじゃこっちへ」



 そして私は夜の闇へと連れ出されていくのであった。


 ◇

【ナイアーラトテップ視点】



「ナイさん。逃げられました」



 ギルマンハウスの裏手からやってきたジークとクレアは闇夜でも分かる渋い顔をしていた。彼らが突入してからほどなくしてガラスの割れる音がしたからもしかしてと思ったが、案の定だったようだ。

このまま柄になくジークを怒鳴りつけてやればどれほど胸がすくだろうかと考え、それがどれほど面白みのないことであるかと思いなおして止める。



「お気になさらず。高名な【解放者(リベレーター)】の皆さまでもミスはございましょう。ところでアウグスタさんは?」

「「………………」」

「おやおや。黙っていては分かりませんよ。死傷――ではありませんね。貴方達であればアウグスタさんの生死を問わずに置き去りという選択肢は取らないはず。ならばアウグスタさんは忽然と姿を消したわけですね」

「そ、それがなによ!」

「そう怒らないでください、クレアさん。では考えられるのはハワトさんにアウグスタさんが負け、拉致られた」

「不意打ちでもアウグスタを拉致するのは無理です。だってアウグスタはLv48の冒険者なんですから、後衛職のハワトちゃんが一対一で勝てるわけ――」

「ではハワトさんと共に姿を消した、ということですか?」



 すると二人に明らかな動揺が走った。恐らく心のどこかでその可能性を考えていたのだろう。目を背けたくなるその可能性から。

 だが遠慮はいらん。彼らが傷ついても私は傷つかないのだから。むしろその痛みを表層化してしまおう。



「だってそうではありませんか。ハワトさんもアウグスタさんもいらっしゃらないという事は二人が共謀して逃げたという事でしょう!?

 だからギルドで教会から聴取された時に裏切り者は私ではないと言ったのです! それなのに教会は私を疑って――! あぁ、そう言えば私達を邪教徒と告発した方がいらっしゃったようですが、あれはまさかアウグスタさんの陰謀――」

「落ち着いてください!! 今はそれどころじゃ――」

「………………。……まぁ良いでしょう。ではジークさん。ここは互いに協力プレイで行きましょう」



 もっともジークもクレアも私の言葉に半信半疑といった具合に互いに視線を交換しあっている。

 それもそうか。ジークは私が邪教徒討伐の時に奇襲を失敗させられた経験があるからな。



「良いですか? 私は嘘つきと疑う気持ちを捨てろとはいいません。しかしここは一致団結し、邪教徒の陰謀を阻止すべきではありませんか? あと私は嘘などつきませんので、どうか誤解のないように」

「誤解って……」



 その言葉に顔を見合わせる二人になんとも仲がよろしいことで、といってやりたかったが、面白そうでなかいから止める事にした。やはり世界は面白い方が良いのだから。



「では参りましょう。ハワトさんはインスマスで祀っていた(いにしえ)の邪神を復活させるつもりのようです。と、なれば海で儀式をするのは必須。港へ向かいましょう」

「わ、分かりました。……ナイさん」



 なんでしょう、と歩み始めながら問えば幾ばくかの躊躇いの後、ジークは言った。



「本当にハワトちゃんは邪教徒なんですか?」

「えぇ。私が言うのですから間違いありません。そもそも、私は嘘を言いません。そういえばクエストの前に教会に集まりましたね? その時に私は言ったはずです。腕には覚えがある、と」

「……分かりました」

「ジーク! 良いの? アウグスタが邪教徒に組みしているなんて信じられないわ! あの司祭――ヨハネから何を言われたのか知らないけど、アウグスタが裏切る訳なんてないわ! 何かの間違いよ」



 おや? アーカムの司祭からジークは何か言い含められているようだ。と、なると教会が焼き落ちた晩に私が吹き込んだ疑念の種が芽を出したのか。

 これは良い。当たり構わず種を撒いたかいがあった。

 彼は苦しむ事になるだろう。信頼していたパーティーメンバーに続々とあらぬ疑いを積み重ね、それに苦しむのだ。



「クレア。とにかく行こう」

「あんな奴を信じるの? それよりアウグスタを信じるべきだわ!」

「もちろんそうだ。だけど、あの人が腕に覚えがあるってのは、確かなようだ」



 背後からジークが周囲を見渡している気配がした。

 そこには私によって切り裂かれ、無残にも死した異形の死骸が散乱している。

 せっかくのファンタジー世界なのだから自然と死体も消えるだろうと思っていたが、異界由来のためかイゴーロナクの子供達は消えずにその躯をさらしているのだ。片付けなど舞台役者のする事ではない。

 くすくす。今宵の演目はいよいよ佳境だ。盛り上げて行こう。くくく、くすくす。

それではご意見、ご感想をお待ちしております。

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