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魔宴

 地球とは違い、人工的な明かりの乏しいこの世界において太陽が没すれば色濃い闇がそこに息づいている。

 それはアーカムという町の中でも変わらず、人の途絶えたミスカトニック大学の前では遠くに街路灯が輝くのみで闇が絶えず蠢いていた。



「あの、ナイアーラトテップ様」

「どうしました?」



 闇に染まる魔女帽子の下から不満そうな瞳が私をのぞき返してくる。



「本当にアレはダゴン秘密教団の一員なのですか?」

「まず間違いなく」

「だとしても崇める神が違うのに、同志の元に連れて行くのは……」

「ダメですか?」

「い、いえ! ナイアーラトテップ様がそう望まれておられるのなら、わたしから言うことは何一つありません!」

「それはよかった」



 だが彼女が抱く悶々とした気持ちは消える事がないようだ。

 その時、闇の中を素早く迫るモノがいる事にきがついた。視線を向けると暗がりから緑の髪が見えると共にどこからか鐘の音が響く。



「時間通りですね」

「気づかれた?」

「敏感なもので。ではハワトさん。会場にご案内してください」

「かしこまりました」



 ハワトを先頭に夜のアーカムを行く。

 アウグスタから尾行の可能性を聞くも、気配を消して部屋を出ることなど朝飯前だと言われた。

 そもそもパーティーの前衛の中の前衛――偵察者(スカウト)である彼女は気配を消して周囲の探索を得意とする冒険者らしく、私に隠密行動が見破られたのがショックらしい。まぁ相手が悪かったな。


 そしていくつかの路地を過ぎ、大路に出るとそこのとある二階建ての一軒の酒場にハワトが入っていった。

 てっきり『ネクロノミコン』の愛読者達が集まると聞いていたから裏通りの小さくて汚い店が会合の場だと思っていたから肩すかしもいいところだ。

 むしろこの店は大路の中程にある活気の良い場所にあり、そこで邪悪な神を祭っている店とは思いにくい普通の店構えだ。



「ふむ、逆にこんな目立つ場所にあるから教会の目が届いていないのかもしれませんね」



 ハワトの後を追って入店するとアルコールを入れてたがの外れた声で笑いあう声と「いらっしゃいませ」とカウンターの奥で酒ビンを持った壮年の男の声が出迎えてくれた。

 おそらくマスターだろうか? 綺麗とは言い難いが、それでも身なりを整えた彼はカウンター席の客に酒を注ぎながら接客してくる。



「お二人さまですか?」

「いえ、連れがいます。先ほど入った魔女帽子の――」

「あぁ。あの階段を上ったところへ」



 店主が指さした先には酒を酌み交わす客達で埋まる丸テーブルの他に”階段”という名の梯子が吊り下がっていた。なるほど、密談は二階で、一階は通常営業か。

 促されるままに階段を登るとそこにも丸テーブルがいくつか置かれたスペースができており、二十数人が座れるであろう席がほぼ満席になっている。

 その中でハワトが席に座る人たちにぺこぺこと挨拶している姿があった。だいぶ人気者のようだ。



「ん? 君達は誰だ?」



 階段の近くの席を占拠していた燕尾服に似た洋装の老人が睨みつけるように警戒を露わにした。



「ハワトさんの紹介で来たものです。以後お見知り置きを」

「あぁ、ハワト師の。ならばよく来てくれました! ようこそ星の知恵派へ!」



 先ほどの態度とは一変して破顔した老人に同じく笑顔で挨拶し、ハワトの元にアウグスタと向かう。彼女もここに来てこの場が独特の雰囲気を宿している事に気が付いたらしく、警戒を露わにしている。



「ハワトさん」

「ナイアーラトテップ様! ただいまお席をご案内いたします!」

「いえ、私達の事はお気遣いなく。先に挨拶周りをしてください」

「でも……」



 困ったとハワトの落ち窪んだ目が曇る。すると先ほどの老人が席を立ち、ここへどうぞと声をかけてくれた。



「ありがとうございます、アーミテッジさん。ナイアーラトテップ様。この方はミスカトニック大学図書館の館長をしているヘンリー・アーミテッジさんです。わたしの書いた『ネクロノミコン』の訳本を気に入ってくださって、そのご縁で生活の支援をいただいているのです。アーミテッジさん。このお方はわたしの師でもある――」

「ナイ、と申します。お恥ずかしながらハワトに色々と手ほどきをしたモノです」

「おぉ! ハワト師の師――大師様ですな。ハワト師から紹介のあったアーミテッジです。どうぞよろしくお願いいたします」

「えぇこちらこそ。ハワトが世話になったようで」

「とんでもない! むしろ我々こそハワト師より福音を授かったのです。どうか我らに深淵の理をご教授ください」



 物腰の丁寧な老人だ。非常に好感がもてる。

 そんな彼の好意を得てテーブルにつくと店主が階段から上がって来た。



「ご注文はお決まりですか?」

「ではお任せを一つ。アウグスタさんはお酒など大丈夫ですか?」

「ん。飲める」

「お任せのお酒を二つお願いします。お金には糸目をつけません」

「わかりました」



 そう言えば金を持ち合わせていなかったな。適当に魔力を固めて魔石を作って渡せば良いだろうか。

 もしくは払った事にしてしまっても良い。

 いや、そんな小狡い悪さは私に似つかわしくないな。そういう事をするのは彼――イゴーロナク君の方だ。そういえば彼は元気だろうか?



「ナイアーラトテップ様。申し訳ありませんが、この語らいに出るのも久しぶりですし、アーカムを発つので――」

「えぇ。私はアウグスタさんとお話がありますので、どうか気兼ねなく」

「ありがとうございます!!」



 さて、と席につくと未だ警戒の色を浮かべたアウグスタと二人きりになった。まずは警戒心を解いてあげよう。そして出来上がった心を隙につけ込む――。



「さて、ここはハワトさん達星の知恵派という、教会のいう邪教徒の集会場です。私もここに来たのは初めてですが、どうでしょう? 別の集いに呼ばれた感想は?」

「………………」

「そう警戒しないでください。私はただ貴女の神様について少々知識がありましてね。貴女もそれを確かめるためにここに来たはずです。ダゴン秘密教団のアウグスタさん」



 そう、クエストの最中に冒険者を背後から襲い、邪教徒を逃す手引きをしたもう一人のユダ。

 私にナイフを向けてきたフードの存在こそ彼女――アウグスタなのだろう。あの素早い身のこなしは熟練者のそれであり、フードから見た体格や足運びが彼女と瓜二つだったのだから間違いはない。



「ん。仮にボクがダゴン秘密教団の一員だったとして、貴方はどうするつもり?」

「おっと、別に貴女を脅そうという訳ではないのでそう殺気立たないでください」



 よくよく見れば起伏の乏しい彼女の体のあちこちに得物を隠しているようだ。

 まず目につくのが腰の後ろに吊っている刃渡り二十センチほどの両刃のナイフ――ダガーと呼ばれる短剣だろう。その他にブーツにも一本ずつ仕込みナイフが隠されているようだし、ホットパンツを止めるベルトにも一本、胸元を覆う革鎧にも一本、袖の下にも各一本だろうか?

 なんとも重武装なことだ。もっとも一番大ぶりな得物であるダガー――クエストの最中に私に向けて来たものだろう――でさえ急所を刺さねば致命傷を与えられないものであり、その程度で私を殺しきる事は不可能だろう。



「そうですね。では仮に貴女をダゴン秘密教団の一員だったとします。私は昨夜の信仰を見て心を打たれました。あれほど純粋な心が息づいている事に感動したのです。ですのでお力になれればと」

「……それをボクがギルドに報告したら、貴方はただではすまない」

「なるほど。ギルドは威信にかけて裏切り者を探し出すようですし、これ幸いと私はギルドの汚点を一身に背負わされてしゃれこうべの丘にて刑場の露と消されてしまうでしょう」



 そうなるのも悪くはないが、よろしくもない。

 私とて目の前の楽しさに飛びついて大魚を逃したくはないのだ。



「魅力的なお話ですが、互いに秘密を分かち合う仲じゃありませんか」

「ボクがダゴン秘密教団の一員という証拠は?」

「ですからそう殺気立たないでください。私がするのは告発ではなく提案です。互いがよりよく生きるための、ね」

「………………」

「訝しむのもまた当然。私の提案は貴女方が崇める神の復活の手助けです」



 その時、挨拶回りを終えたハワトが席にやってきた。これはタイミングが良い。



「ハワトさん。彼女に翻訳した『ネクロノミコン』を貸して差し上げてください」

「かしこまりました。すいません。アーミテッジさん!! 『ネクロノミコン』を貸してくださいませんか?」

「良いですとも。どうぞ」



 老人が差し出して来た本は丁寧に革で装丁された極上の一冊であり、コピー品としても値の張りそうな品であった。

 それを適当に開いて目を通す。

 ふむ、このページか。だとすると……。あった、あった。それにしても綺麗な訳を当てている。さすがは我が従者だ。



「アウグスタさん。このページをご覧ください」



 贋作とはいえ『ネクロノミコン』を直視した事により精神を汚染されたアウグスタが目をひそめながら指示したページに目を通す。

 ふむ、眼球の動きからして文字を認識し、理解している素振りが見て取れる。識字能力があるということはそれなりの生まれなのだろう。



「これは……!」

「左様。クトゥルフが如何なる神か記されているのです。ここにはクトゥルフ信仰についての私見ですね。それからこちらには儀式の様相まで書かれております」



 吸い寄せられるようにアウグスタが『ネクロノミコン』に目を通す中、彼女の鼻先を掠めるようにパタンと本を閉じる。

 不満を露わにした表情からは己がダゴン秘密教団の一員であると無言にも雄弁に語っていた。くすくす。



「昨夜の貴女方の儀式は心を打たれましたが、残念ながらお世辞にも出来はよろしくありません。きっと海の底で彼は嘆いている事でしょう。まぁ理性がないので嘆いていることはまずありえませんが」

「――?」

「失礼しました。独り言です。さて、ダゴン秘密教団はどこかで知識が断絶し、貴女方は正しい儀式を執り行えていない。対して我らはそれを知っている。どうです?」

「その対価は?」

「対価? くすくす。言ったではありませんか。私は貴女達の一心に神へと祈る姿に感動したと。これはそのお礼です」

「胡散臭い」



 ふむ、信じてくれない、か。

 まったくもって愚鈍な小娘め。外なる神(わたし)悪意(ぜんい)で手を差し伸べているのだからさっさと掴めば良いものを!

 何故、対価はいらないといっているのを理解できぬのだ!? そのような事さえ理解できぬ愚昧な脳みそなどあるだけ無駄だ!

 冥王星(ユゴス)の甲殻生物に似た菌類が行う外科手術のように貴様の痴愚な脳髄を生きながらに摘出して脳缶にぶちこんでやろうか。そして残った体を脳の前でゾンビの創造で生ける死体にしてしまうのも良いな。



「それは残念。では助力の話は無かったことにしましょう」



 もっとももう少しだけ交渉を続ける。

 『ネクロノミコン』をアーミテッジ老人の席に返し、話は終わりだと言うように足を組めば彼女の内心に恋い焦がれるような緊張が浮かんでいることが手に取るように分かった。

 ふむ、もう一押ししてやれば折れるか?



「野盗のような浅ましさでこの場の者達を夜陰に乗じて襲って『ネクロノミコン』を奪い去る事など貴女にとっては造作もないでことしょう。しかしそうなれば決定的な溝が出来上がります。私達は仕掛けられた戦いを黙認するほど善良ではありません。そうなれば『ネクロノミコン』に記された口に出すのも憚られる神々を招来させ、何もかもを破壊する事でしょう。これは脅しではありません。実行宣言です。バカな事は考えない様に」

「それは望まない。それと聞いておきたいのが貴方のいう“正しい儀式”で本当にクトゥルフ様は復活なされるの?」



 ふむ、いくらここで復活できると叫んでもそれではペテン師との違いを見破れる訳がないか。

 さて、どうしたものか。



「ナイアーラトテップ様。畏れながら申し上げますが、『ネクロノミコン』の力を実際に見せるというのはどうでしょうか」

「なるほど。百聞は一見に如かず。それが良いでしょう。それに星の智慧派の皆さまにも御業を見せる事も出来ますし、良い考えです」



 ハワトの発送は突飛ではあるが、確かに目に見える物を人は信じるものだ。逆に精神的な見えぬものほどあやふやになり、本来とは違うベクトルに歪められてしまう。

 なんとも浅慮で愚かな種族だろうか。奇蹟がなければ神さえ信じぬ不遜で傲慢で……。いや、それはどうでもいいか。



「ではハワトさん。お任せします」

「かしこまりました!」



 彼女は軽い足取りで窓際へと向かっていく。いや、比喩ではなく彼女の足取りは物理的に軽いのだ。

 確かに体形的には前衛職であるアウグスタと同じくスレンダーな見た目をしているが、鍛えられて引き締まった細さではなく、ハワトは病的な痩身をしているからこそ木の床を踏む音が静かなのだ。

 そんな彼女は閉められた雨戸を押し開け、夜空を仰ぐ。濃紺のローブが夜風に舞い、魔女帽子がそよぐ。

 そしてハワトは大いなる存在に己を見つけてほしいと言わんばかりに両手を広げ、祈りの言葉を囁く。

 忌み嫌われ、時の彼方に封印された邪悪な祝詞。



「          」



 それは確かに意味を持った“言葉”であった。だがそれは同時にガラスをこする様な不快感の羅列でもあり、一冊の本に浮かれる人間共に言いようのない怖気を振り撒いた。

 その時だ。

 ハワトが振り向くと共にその背後から醜い咆哮が夜のアーカムに響き渡った。

 凍てつく荒野のカダス山の彼方より漆黒の闇を切り裂くように飛んでくる黒点。

 それは馬のような頭を持つ象ほどの大きさの翼竜――いや、シャンタク鳥だ。

 蝙蝠のような被膜のついた翼をはためかせ、一匹の化け物が凄まじい速度でアーカムをフライパスしたと思えば即座にターンして減速しながら店の前に現れた。



「うあああ!」



 誰の悲鳴だろう?

 アウグスタか? 星の智慧派か? それとも通りを行く誰かか?

 そんな出所の分からない根源的な恐怖の原因が窓の向こうでホバリングしている。



「なるほど。シャンタク鳥は良い選択です。これはドリームランドのレンの高原に近い山の採石場に棲んでいますからね。そこからカダスの山を飛び越えればすぐにアーカムです。それにしても呪文を諳んじるとは驚きました」

「ナイアーラトテップ様から賜った『ネクロノミコン』は至高の一冊です。それを一言一句覚えることが身の悦びでもあります」

「よく努力しました。そのように勤勉な従者を持てた事を嬉しく思います」

「な、ナイアーラトテップ様……!!」



 歓喜に頬を上気させ、潤んだ瞳の彼女が絶頂したかのように体を震わせる。

 よくやった従者には褒美を与えなくてはならないな。そう思いつつ彼女を手招きし、その薄い鼻梁から垂れている鼻血を拭ってやる。

 どうやら体に負荷が掛かってしまっているのは前の世界と同じようだ。



「さてアウグスタさん。どうでしょう。我らはこのような名状し難き種を使役し、招来させる力がある事を理解していただいたと思います。どうでしょう? 私達の事を信じて一緒にクトゥルフの復活を成し遂げましょう」

「ん……。うん……」



 おやおや。

 中性的な顔を強張らせ窓の外のシャンタク鳥から視線が外せないでいる。

 本能的に目をそらせばあれが襲ってくるとでも思っているのだろうか?

 案外可愛いところがあるものだな。

ストックが尽きましたので連続更新は今日でお終いです。明日は戦火のを更新しますのでよろしければどうぞ!


それではご意見、ご感想をお待ちしております。

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