悪夢
それからクレアはぽつぽつと重い口を開いてくれた。
「昨日、ギルドに失敗の報告をした後、ちょっと仮眠したのよ。でも思ったより疲れていたみたいで仮眠のつもりが本当に寝ちゃって……。それで、夢を見たの」
「夢、ですか?」
カウンセリングのポイントは相手の悩みを自分流に解釈してアドバイスを与える事ではなく、言葉を反復して相談者に自分の悩みを考えさせる事にある。
総じて内なる秘め事をどうしたいかという答えはすでに己の中にあるもので、それをどのように導き出すかの課程で悩んでしまうからこそ人間は精神の均衡を崩してしまう。
故に相手の言葉を繰り返す事で相手に悩みを返してあげるのだ。
「思い出すのもイヤだけど……」
彼女の口から語られたのは常人が見るような記憶の断片をつなぎ合わせた悪夢ではなかった。
クレアは夢の世界ではどこかの海にいたのだという。青く突き抜けるような空。陸地の影さえも見えない海原の中、意識は徐々に深みへと沈んでいく。
やがて光も消え去った深海にたどり着くとそこには海底に鎮座する遺跡が出迎えてくれた。
繁栄を極めたであろう巨大な都は海流により蚕食されているものの巨大な岩を組み合わせて作られた建築物が、うず高く立ち並んだ石柱がかつての名残を物静かに語っていたという。
だがそれら作られし物達はどれも正常な幾何学の理から外れた造形をしており、どこの文化圏にも属さない独自の建築様式をなしていた。それらはまさに人間とは全く別の種族がそこに息づいていた事を無言で脳に刻みつけるには十分な痕跡であったという。
「そ、その遺跡からは、どこかからか聞いたこともないような呪文が響いていたの。むしろあれは人の言葉というより獣の鳴き声のようなもので、でもそれは意味をもっているように同じ音を繰り返していて……。その音のような呪文を強いて声に出すなら――」
いあ いあ くとぅるふ ふたぐん――。
「そ、それから――」
「そして見たのですね。名状し難きそれを」
「ヒィ。ど、どうしてそれを――!?」
おっと。思わず言葉を差し込んでしまった。
だがこれは口を出さずにはいられない。
その遺跡はかつて栄華を誇ったものの、旧神の怒りを受けて海底に没した魔都――ルルイエ。
本来なら地球の南緯四七度九分、西経一二六度四三分――ニュージーランド、南米大陸、南極の間にあたり、もっとも陸地からもっとも離れた海底に没する深海の古都である。
そこにはルルイエで栄えたモノ達が旧神に封印されて深い眠りについた彼らの神――旧支配者の目覚めを未だ待ち続ける哀愁の地でもある。
「それで、貴女は異様なるモノを目撃した?」
そう問えばクレアは恐怖に口を閉じ、ただ黙って目を伏せた。まるで忌々しい記憶を封印してしまいたいというように。
くすくす。強がっているものの精神に受けた動揺が手に取るように分かってしまう。
「で、でも直接見た訳じゃないの。大きな建物の中で、なにかとてつもなく大きなものがそこにいるのを感じて……。そう、今思えばあれは神殿だったのよ。入り口だけでも一キロメートルを越えるほど大きかったけど、あれはナニかが祭られていた神殿で、きっとその奥には神体としてアレが……! アレが……! ひぃ!!」
クレアはさっと背後を振り向く。まるで何かに見咎められていたかのような反応。それほど精神が弱っているのだろうか? いい気味だ。
「おい、クレア。大丈夫だって。何も心配いらない」
「でもジーク!」
「戦闘で疲れて、たまたま見た不気味な像が頭に残ったせいだよ」
「不気味な像?」そう問うとジークは言おうか言わないかと逡巡を見せたが、それをつくように静かに紅茶に口をつけていた少年に似た中性的な声が割り込んだ。
「昨日のクエストであの人達が拝んでいた像」
アウグスタの言葉が差すあの人達とは邪教徒――ダゴン秘密教団といったか――の事だろうか。
まぁお世辞にもルルイエの主――クトゥルフ君の像は人の心を打つようなものではないからな。
「クレアはあの像を見てから気分が悪いといってる」
ふむ、なるほど。
そう言えば昨夜は像の前で星辰を揃わせてしまったな。
クトゥルフ君は星辰が揃うと眠りが浅くなり、復活の兆しとしてルルイエを浮上させるのだ。その際だが、クトゥルフ君が見ている夢の一部を感受性豊かな人間が見る事がある。
彼の夢を人間の薄弱な精神が見るのだから精神錯乱する者が後を絶たず、それを福音と読み解いた邪神崇拝者が増えるのだ。地球では一九二五年に短期間だが、浮上したルルイエのおかげで楽しみが多くなったのは言うまでもない。
「もしかするとこの世界にもルルイエがあるのかもしれませんね」
「ん?」
「いえ、なんでもありません」
もし本当にルルイエがこの世界にもあるのだとしたら、きっと私を楽しませてくれる事だろう。
くすくす。受動的に面白い事が起こらないかと待つのは性に合わないが、それでもこの世界は楽しめそうだ。無理をしたかいがあって良かった。
「うぅ。話したら余計に夢の事を思い出しちゃった」
「おい、大丈夫かよ。宿に戻るか?」
「そうね。ほんと、ごめん。クエストしたかったのに……」
「しょうがないだろ。万全の体調じゃないのに無理したら怪我じゃすまないかもしれないだろ。今日はゆっくり休もう。買い物は俺とアウグスタがやっとくから」
「ん。クレアは休んでて」
三人はいつしかオーダーしていた紅茶を飲み終え、席を立ち始めた。
彼らは律儀にもコップを返却しようと店に向かっていく。
その時、クルリと踵を返した緑髪の少女の挙動を観察していたが、疑惑が確信へと昇華した。
「アウグスタさん」
「……なに?」
「昨夜のクエストについてですが、貴女はどうしていました?」
「……質問の意味が分からない」
「貴女はたしかジークさんと同じ前衛組でしたね。ジークさんのパートナーとして一緒に戦っておりましたか?」
「乱戦だったから、ジークとは離ればなれ。それが?」
「……いえ、べつに。ただ、ギルドから私は冒険者の中に邪教徒と通じる裏切り者がいたと聞きました。貴女の身が潔白かどうか、ジークさんは証明できない、ということですね」
愉悦が滲む目頭を隠すことなく詰問の真似をするとそれを庇うようにジークが私とハワトのテーブルを力強く叩いてきた。
「アウグスタが裏切ったと言いたいのか? 自分の事を棚に上げて――!」
「おっと暴力はいけません。貴方が例え私を殴ったとしても、私は貴方を許しましょう。しかし報復を捨てて許しても痛みが消えるわけではないのですよ」
それに殴られたらハワトが何をするか分からない。
それはそれで面白そうだな。彼女の事だからナニカを招来させてアーカムを滅ぼしてしまいそうだ。
と、なるとよろしくないな。完璧な破壊からは何も生まない。物事ゼロにしてしまえば始まりようがないのだから。それはつまらない。
「ギルドから邪教徒の疑惑をかけられた私のささやかな復讐、とでも思ってください」
「――ッ。行こう」
肩を怒らせて店に向かうジークの背中を見送り、不快を滲ませたアウグスタが眼前を通り過ぎる直前、彼女だけに聞こえるように正しき発音で彼女等の祝詞を紡ぐ。
聞くだけで不快感を露わにする冒涜的なそれに彼女は初めて顔を強ばらせ、目を見開いて私を見てくれた。
「今夜、個人的にお会いできますか?」
「ん。夜の鐘が鳴る時。ミスカトニック大学の正門で」
「分かりました。それではご機嫌よう」
さて、アポはとった。
ふと、手元を見るとすっかりぬるくなったハーブティーと、腕を強引に握ったハワトの手があった。
おっと、強く握りすぎて彼女の指先が青紫色へと変わってしまっている。
それでも声一つ漏らさず私の会話を邪魔しなかったのは素晴らしい。さすがは我が従者だ。
店員に新しいハーブティーを二つ頼み直し、夜の鐘が鳴るのを待つことにした。
さぁどんな愉しい事が私を待っていてくれるだろうか?
それではご意見、ご感想をお待ちしております。




