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邪神の遊び

 惨憺たる結果に終わった邪教徒の討伐クエストを行った翌日。

 討伐クエストに参加した冒険者達は一様に冒険者ギルドに呼び出しを受けていた。



「次の方、お入りください」



 顔を暗くしたパーティーがぞろぞろと退室してくると入れ替わるように受付嬢の剣呑を帯びた呼び出しが響いた。

 それに私とハワトは“ギルドマスター執務室”と書かれた部屋に足を踏み込む。

 ふむ、明るい日差しが降り注ぐ良い部屋だ。その中央には来客用と思われる背の低いテーブルとソファーが二脚あり、窓際にはがっちりとした執務机が鎮座している。

 その机には如何にも顔の険しい壮年の男が座り、ソファーには顔を青くした受付嬢と柔和な顔を能面にした神父――ヨハネがいた。



「Cランク冒険者のハワトさんと、その師の……」

「ナイと申します。以前にも名乗ったはずですが?」



 ニッコリと表情の硬いお三方に微笑みかけるが、残念ながらジョークを介する余裕もないのかなんのリアクションも返されずに受付嬢から「お掛けください」と無情な宣告を告げられる。

 やれやれ、参ったな。もう少し笑顔という名の余裕を持てば世の中生きやすいというものだろうに。



「本日、貴方達を招集した理由はご存じですか?」

「昨日のクエストについて、でしょうか? いやはや。まさかあのような結果になるとは思いませんでしたね」

「……冒険者の方の調書を作っているのですが、その中でナイさんが邪教徒に奇襲を掛ける直前に叫んだ、と言う話を聞いたのですが……。どうなのでしょうか?」

「いえ、そのような事実は()()()()()

「神に誓ってそう言えますか?」

「えぇもちろん!」



 詰問してくる受付嬢から神父にスマイルをお届けすると、神父も顔に困惑を浮かべつつ重い溜息をついた。



「実は邪教徒――ダゴン秘密教団と連中は名乗っているようですが――の様子からして、クエストに参加した冒険者達の中に裏切り者がいたのでは? と我々教会は訝しんでいるのです。何か心当たりは?」

「はて……。気づきませんでしたね」



 チラリと横を見るとハワトがさっと左手が右手の甲を隠すところだった。

 そこには私の印――崩れた五芒星の中央に目玉を模した焼き印が押されているのだ。本来はエルダーサインと呼ばれる旧神の印ではあるが、それを反転させて邪悪に歪んだ加護を意味するようにしてある。

 それはまさしく邪教徒の印とも言えるだろう。そんな裏切りの印の意味をこの神父は介する事は無いだろうが、それでも彼の神とは違う神を信じるハワトは反射的にそれを隠してしまったのだろう。



「それは残念だ。今まで聴取を取った冒険者の幾人かからは誰かが自分達の居場所を暴露された後、背後から攻撃を受けて昏倒したと証言する者や邪教徒を逃すのを助けるような仕草をしていた者もいたとか。これが本当ならば治安を預かるギルドに忌まわしいダゴン秘密教団の教徒が紛れているという大問題となります。ですので重ねて問いますが昨夜、気になった事はございませんか?」

「そうは言われましても……。先ほど言った通り、神に誓って心当たりはないとしか」



 本当に心当たりがないな。背後から冒険者を昏倒させた事はしていないのだから。

 それにしてもまさかイスカリオテのユダが二人も居たとは驚きだ。一体誰なのだろう? くすくす。



「本当に? 我々は草の根をかき分けてでも邪教徒を見つけ出し、適切に処理をせねばならぬのです。どのように些細な事でもかまいません」

「はぁ……。しかしそう言われましても――」

「……失礼ながら教会としては邪教徒の存在を容認する訳にはいかぬのです。そのような煮え切らない返事など求めてはおりません。我々は何としても邪教徒から正しき信仰を守り、民心を安んじる使命があるのです。それにどうか協力していただけませんか?」

「ですから心当たりがないのです」

「神に誓って言えますか?」

「『われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか』ですよ。例え主がこの身に艱難辛苦をお与えになろうと私の信仰は変わる事はありません。ならば貴方のその問いかけ程度で揺らぐ信仰は持ち合わせていないということです」



 その言葉に神父は柔和な顔に似合わない渋い色を浮かべて口を閉じる。

 そう、神とは利益ばかり与える存在ではないのだ。時には躾けるように過ちを悔いさせるために死さえも救いのような罰を与える。

 そしてその人が信仰を復し、正しき教えに帰依する事で何倍もの幸いを与える――。それが信仰という物ではないだろうか?

 まぁ私に信仰というものは存在しないが。



「ではナイさんとハワトさんは昨夜、不審人物を見なかった、ということでよろしいですね?」



 話をまとめかかった受付嬢に同意し、二、三ほど当時の状況を話し終えると私達は重苦しい空気からやっと解放された。もっとも始終私が喋るだけで隣のハワトは借りて来た猫よろしくただ黙っていたので実質的に私と受付嬢、そして神父の三者の会談となったが、それでもあちらさんはハワトへ言葉を振り向けるような事はしなかった。

 ふむ、となると狙いは最初から私か。

 どうやら盛大なゲームコールを気に入らない人から密告があったものの確証は得ていないと見るべきか、まだ泳がされていると見るべきか。

 まぁ密告の主はパーティーを仕切っていた【解放者(リベレーター)】のリーダーたるジークだろう。私は彼の目の前で事をしているから十中八九間違いない。



「では失礼いたします。また何かあれば御呼びください」

「はい、お疲れ様でした」



 互いに作り物の笑顔を受付嬢と交換しつつ執務室を後にする。

 どうやら私達が最後のペアだったらしく、他に待機している人影はいない。



「ナイアーラトテップ様。この後はどういたしましょうか?」

「そうですねぇ。撒いた種は明日、明後日で芽が出る訳ではありませんし……」

「あ……。やはり昨夜の事はナイアーラトテップ様が――」

「――しておりません。良いですね?」

「分かりました! ナイアーラトテップ様!」



 素直でよろしい。

 気持ちの良い答えを出した褒美にその頭を撫でてやりながらふとした興味で執務室の扉に耳を当てる。聞き耳は得意だからな。



「――先ほどの男、信用できるのですか?」

「ハワトさんの師と言っておりましたが、ギルドとしてはなんとも……。そもそも確証が取れないので――」



 神父と受付嬢のやり取りか。

 まぁギルドのメンバーではない私は素性不明の怪しい男としかどちらも認められないだろう。



「そんな不確かな者をクエストに参加させるなど、ギルドの責任問題ではありませんか?」

「そうだな。君、どうしてそんな男をクエストに参加させたのかね?」

「そ、その……。どうしてなのか……」



 二人からの詰問に言葉を詰まらせる受付嬢。残念ながらその問いの答えを受付嬢は持ち合わせていないのだからこの問いは時間の無駄でしかないが。



「教会としてはあの男がダゴン秘密教団の一員かをおいておいても身分不詳の者をクエストに参加させたギルドの責任を問いたいと思っております」

「それはもちろんギルドの落ち度です。近々、教会に誠意を示すおつもりのですので――」

「それはもちろん。では今後は教会独自の調査の上、ダゴン秘密教団に通じていると思わしき冒険者の捕縛を行いますので、どうか協力を。私は近々アーカム教会を離れる事になるので、後のことは後任に引き継ぎ――」



 ふむ、内部の不穏分子を一掃するつもりか。ギルドとしては痛くない腹を探られるつもりだろうが――。いや、確かに不穏分子は存在するのだからギルドとしても何か動くかもしれない。

 もっとも他人事でいられる訳にはいかないようだな。



「ハワトさん。近々アーカムを出ましょう」

「他所の町へ行くのですか?」

「あてはありませんが、どうやらアーカムには居られなくなるようです。ハワトさんも準備を進めてください」

「分かりました。ナイアーラトテップ様。ですがわたしの持ち物など『ネクロノミコン』さえあれば十分です! いつでも出発出来ます!」

「良いですね。ではお茶をしたらアーカムを出るとしましょう」



 身軽なのは良い事だ。

 富んでいる者が神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしいものでもある。

 ならば彼女の身軽さは好ましい点である。



「どこか、良い茶店はありませんか?」

「ご案内いたします」



 ハワトに導かれるままにミスカトニック河の畔にあるオープンテラスの喫茶店に足を向ける。

 今日も今日とて若干だが汗が浮かぶ良い陽気のため外での一杯は格別なものだろう。そう思い、店先の席についてハーブティーを二つオーダーすると、ちょうど別の客が入るところだった。



「最悪……。最悪だわ……」

「おい、大丈夫かよクレア?」

「無理しないで」



 赤髪に灼熱色の瞳の高慢そうな少女を先頭に心配そうな少年と、これまた少年に見間違いそうなほどボーイッシュな緑髪の少女の一行――【解放者(リベレーター)】の面々だ。

 どうもジークを筆頭にこの店に入るようだが、どうもクレアの顔色が優れていないように思えた。



「あれ? ハワトちゃんに――」

「やぁどうもこんにちは」



 やさしく微笑むと顔色を曇らせるジークだったが、連れの体調が優れないせいか、はたまたスタッフが気持ちよく「いらっしゃいませ!」と声をかけたせいか渋々と手近な席につく。それを見ていたハワトがげんなりと隈のついた目をさらに暗くしたのは言うまでもない。



「紅茶を三つ」

「かしこまりました」



 スタッフがメニューを聞き終えて消え去れると間髪入れずにジークが口撃と言わんばかりに敵意をむき出しにした。



「ナイさん。昨日の事はどういうことです? その件も含めて今回の討伐クエストについてギルドに報告しましたが、俺としては直接事の真相を知りたい。あんた、まさか邪教徒なんじゃ――」

「やだな。そんな訳あるわけありません」



 雑草という名の草が存在しないように邪教徒という教徒は存在はしないのですよ、それぞれが違った神を祀っているだけなのだからと高説を垂れてやったらどれほど面白い事が起きることか。

 だが折り悪く注文のハーブティーをスタッフが運んできたがために言い出すタイミングを見失ってしまった。このやるせない気持ちをどうするかとハワトがティーポットより注いでくれたカモミールを主とするハーブティーの香りで紛らわせる



「それよりもクレアさんの御加減が悪そうですね。何かあったのですか?」

「“何か”? そりゃあったさ。ギルドにクエストが失敗した事の報告をして、それから――」

「ジーク、ちょっとうるさい」

「あ……。ごめん」



 テーブルに突っ伏す姿からは勝気なお嬢様という影は見て取れない。

 だが前の世界から行ってきた数々の侮辱を許す私でもないし、ハワトの布教活動を邪魔した点も見過ごせない。弱っている相手には塩を塗りこんで追撃するべきだ。



「クレアさんは、お風邪――。ではなさそうですね。何かお悩みがあるのならお聞きしましょう」

「……あんたのような胡散臭い奴に見てもらう筋合いなんて――」



 目にも止まらぬ速さでハワトの腕を握る。そこには未だ熱々のカモミールティーが注がれたカップが握られ、私が止めなければそれが全てクレアに直撃していた事だろう。

 私としては外傷を負わせてはい、お終い! という事態の収束は望んでいない。お茶は熱いが、そんなぬるい仕返しで終わらせるつもりなど毛頭ないのだから。



「な、ナイアーラトテップ様!」

「我が手を煩わせるつもりか?」

「い、いえ! も、申し訳ありませんでした……」

「……分かればよろしい」



 湯気の立つハーブティーをかけられて落ち着いて話など出来るはずがない。

 まったく。コレはその点出来が悪い。だがそのひたむきな心意気は買っても良いだろう。



「さて、クレアさん。私、こう見えても医術に心得があります。どうか心をお開きになってみてはいかがでしょう? 心に悶々としたものを抱き続けるより楽になるものですよ」

「フン。あんたにわたくしの何が分かると言うの?」



 再び腕に力の籠るハワトを抑えつつ内心、舌なめずりをする。

 コイツはもう私の舌の上だ。なんといっても私と会話のテーブルについてしまっているのだから、あとはゆっくりと煮るなり焼くなり美味に調理してやろう。



「そうですね……。では手始めに今までの会話から貴女の素性を当てる、というゲームをしましょう」

「ゲーム? いいわよ。どれほどわたくしの事を見抜けると言うのかしら?」



 陰鬱そうな表情に若干だが、いつもの高慢さが戻ってきている。

 その時、スタッフが【解放者(リベレーター)】の分のオーダーを運んで来た。それをクレアは深紅の液体の注がれたカップを優雅に口元へと運んでいく。



「紅茶の飲み方がお美しいですね」

「あら? お世辞?」

「上流階級出身者である証と思われます。ですが言葉の端々に浮かぶ刺々しさは私との身分差によるものではないですね。

 むしろそれは身分を越えた先にある自信の表れでもあるのではありませんか? 

 先のクエスト募集の時に貴女は自らをLv36の冒険者と名乗られておりましたね。見たところ武器も携帯されていないようですし、クエストでは遠距離組のリーダーを買って出ていた事から貴女が魔法に絶対の自信を得ている事が伺えます。そこまでの自信があるということはどこか、大きな学校か何かで魔法を修めたのでしょう。しかしそれにしては年齢が若すぎます。

 家庭教師による教育の可能性もありますが、それより大学を飛び級で卒業した、という方がしっくりきますね。何故なら言葉のきつさに現れる棘は大学で誰よりも魔法を修めた自信があるからです。故に飛び級で卒業できたのではありませんか?

 よってここから推測するに貴女は高貴な家柄の出であり、両親の期待を一身に背負って魔法を学び、才能を開花させつつも弛まぬ努力を積んで己を研鑽して誰からも才を認められて大学を卒業した。

 そして己の力を試すために【解放者(リベレーター)】に属し、学友や教授から与えられていた承認欲求が他の冒険者や依頼者からも認められるようになった。

 貴女は微かにでも己は魔法が誰よりも使える事を誇りに思っている。誰よりも魔法が秀でているからこそ貴女はジークさんの隣に立つ事が出来るのだと思って――」

「う、うるさい!」



 クレアが喋る暇もないほど言葉を連射していると暴力的な悲鳴によってそれは遮られた。まったく、人の話は最後まで聞きなさいと習わなかったのだろうか? 人ではないが。



「私も度が過ぎましたね。しかし大方合っているのでは? ですから貴女は怒った。違いますか?」



 優しく微笑んであげると彼女は顔を羞恥に染めて俯いてしまう。だがその顔色にはどうしてわたくしの事がそこまで分かっているの? との恐怖の入り混じった疑問が浮かんでいた。確かに片手で数えられる程しか面識のない彼女にとってズバズバと内心を抉り取った私の事を畏怖するものだろう。

 まぁ私としては前の世界で彼女の事を知っていたからその事をさも心を読んでいる風に喋っただけなのだが、心理的な揺さぶりとしては十二分なはずだ。



「さぁどうでしょう。私は貴女の理解者になれると思うのです。ですから、話してくださいませんか?」



 思わず口角がつり上がってしまうのを我慢できない。

 これはアーカムを出る前に面白そうな事が起こりそうだ。くすくす。

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