邪教の純粋な祈り
滾々と降り注ぐ月光の中、ゆっくりとした足取りで邪教徒討伐のクエストを受けた冒険者達が森の中を歩いて行く。
街や街道には結界が張って有り、モンスターは近づく事も出来ないが、ここは原初の闇が潜む森の中。もちろんいつモンスターが飛び出してくるかは分からない。
もっとも人工的な光源が無いため、降り注ぐ月明りのおかげで文字さえも読めそうなほどだ。
それでも枝の重なり合う場所には闇が蠢き、そこから得体の知れないナニカがこちらを見返しているような錯覚を覚える。
そんな中、森の中に人工的な明かりが見えてきた。
「よし、それじゃ手筈通りに」
暗がりで立ち止まったジークの言葉に無数の瞳が頷き返す。
「前衛組の準備が整ったら火魔法を打ち上げる。それに合わせて魔法を打ち込み、それが終わったら前衛組が突っ込む。みんな、頑張ろう……!」
覇気の籠った気力が充実し、今にも溢れんばかりだ。
そんな中、ジークと共にゆっくりとした足取りで後衛組から離れ、森の中を進んでいく。
そして一つの茂みにたどり着いた。
そこからはキャンプファイヤーよろしく放射状に並んだ薪に赤々と黒を駆逐する炎が燃え上がり、その周囲には情報通り二十人ほどの人影が見て取れる。もっとも誰もが目深にフードのついたマントを被っており、人相はおろか男女なのかさえ判別が出来ない。
――その時、澄んだ音と共に薪が爆ぜた。
それを合図にしたかのように邪教徒達は一斉に天を仰ぎ、呪われた忌まわしき祝詞を唱和する。
いななき、叫び、吠えるような、人間の言葉とは思えぬ獣のような呪文。それは聞くだけで精神の糸を逆撫でし、怖気を刻み付けるほど冒涜的な音階であった。
『いあ! いあ! くとぅるふ・ふたぐん! ふんぐるい・むぐうなふー・くとぅるふ・る・りえー・うが=なぐる・ふたぐん――!!』
それは強く罵るように。それでいて星々の彼方。深海に沈みし古の都に眠るモノを恋い焦がれるような憐憫に似た声で。
そうして彼らは立ち上がり、三つの柱を立て始めた。その柱一本一本に人が――正確に言えば処女を連想させる若さの娘達が縛られていた。おそらく儀式が佳境となった際に供物としてバーベキューになるのだろう。
くすくす。別段、彼らが崇める神は人間を食おうとは思ってもいないのに。まぁただその命さえも差し出す信仰心に応えてやりたいという想いは少なからずあるだろう。クトゥルフ君はそういう優しく、そして嫉妬深い奴だ。
ちなみに私としては生贄を捧げられても実はうれしくもない。強いて言うなら生贄が死ぬ瞬間まで私を楽しませてくれるかどうかが重要かであり、面白ければ別段、生きていても死んでいても構わないタイプだ。
『いあ! いあ! くとぅるふ・ふたぐん! ふんぐるい・むぐうなふー・くとぅるふ・る・りえー・うが=なぐる・ふたぐん――!!』
彼らは謳う。彼の主が目覚める日が来る事を願って。
彼女らは謳う。深き眠りについた神が再び大地に降臨する日を願って。
なんと……!
なんと素晴らしい光景か……!
なんと美しい光景か……!
己の私生活を捨て、信仰のために生き、還らざる神のために祈りをささげる。
原初から人間は神を求め、宗教を求め、救いを求めて来た。
そうして彼らは獣から離れた高貴なる神の掟を手に入れた。それが例え人の手によって創造されたものとしても、彼らは慎ましく戒律と言う名の規範を守り、時にはそれに怯えて暮らすようになった。
今は廃れ、改変された教えが蔓延る世界になったものだと嘆いた事もあったが、ここには人間共が忘れ去った信仰が息づいている。
その光景に私の心は打ち震えた。やはり人間とは素晴らしいものだ。
「――!? あれ? ナイさん!? 貴方確か遠距離組じゃ!?」
おや? 気づかれてしまったか。
まぁ良い。それよりもまだ前衛組の準備は整っていないな。
「どうして貴方が!? く、戻る時間もないか。ここに隠れて――」
「ゲーム・スタートッ!!」
立ち上がり、高らかに宣言すれば邪教徒達が時間を止められたかのように全ての儀式を中断する。
それは当然だろう。自分達の秘め事の最中に乱入者が現れたのだ。
さて、そうした乱入者をどうすると思うか?
「な、なんだ!? 教会の連中か!?」
「教会の犬共め! 崇高な儀式を邪魔させるな!!」
「いあ! いあ! くとぅるふ!!」
くすくす。くくく、くすくす。
我、奇襲に失敗せり、だ。
怒りを露わにした邪教徒達が薪と思わしき角材やナイフなどを手に襲ってくる。
「な、なにを!? ナイさん! あなた一体なんて事を――! くそ、突撃だ! みんな突っ込め!」
彼がそう宣言すると共に適当に魔力を集め、それを放る。するとそれは発光しながら闇夜を駆けて行った。
もっともそれを見た前衛組みは多くはない。何故ならジークの掛け声と共に信者達との白兵戦に夢中になっているからだ。
だが後衛組は私の投げた合図を確かに見ていた。
私からすれば原始的で、初歩的で、幼稚な魔法が広場に向けて降り注ぐ。
それは炎であり、風の刃であり、氷の礫であり、そうした雑多な攻撃が振るわれ、乱戦になっていた儀式の場を襲う。
「うああ!?」
「やめろ! おれは味方だ!」
「魔法使いが森に居るぞ! 気をつけろ!」
敵味方の区別もつかぬ大乱戦。
くすくす。なんだかお祭りのようで楽しいな。
意味も無く騒ぎ立てるのは知恵を使わぬ分、どこか物足りないがその単純さ故に思考を挟む余地の無い直感的で粗野な快楽を感じられるから嫌いでは無い。
「あー。なんということだー! たいへんなことになってしまいましたー!」
さて、私もそろそろステップを踏もう。せっかくだからな。
少し遊んだら外からこの輪を見ていよう。
「ナイさん! お前――、くそ!」
「あー。ジークさん! あぶないー! うしろ――」
「後ろ!? って、あれ? 誰も居ない? て、うわ!」
一生懸命に剣戟を交えるジークが反射的と言うべきスピードで背後を振り向くも、そこには誰もいない。ただ私は後ろと言っただけで後ろに敵が居るとは一言も言っていない。
そろそろ別の所にちょっかいを出しに行こう。
ふらふらと懇切丁寧に作られた祈りの場へと歩を進める。
ふむ、どうやら特別な陣などは使わずにただ生贄を捧げる為だけの集会らしい。
なんとも稚拙だが、その分、一生懸命さが伝わってきて感動を覚える。
「動かないで」
女とも男ともつかぬ中性的な声の主を見るとフードを目深に被ったそいつが刃渡り二十センチほどの片刃の短剣――ダガーを手に私を睨みつるように腰を低くして相対してくる。
ふむ、キャンプファイヤーの灯りのみのせいでフードの下が私のどこを狙っているのか判然としないな。それに縮めたバネのように身を屈める姿勢に右手で構えたダガー、左手は正中線上――心臓部分を守るように体にひきつけられている。
ナイフのような小ぶりの刃物での戦闘で最も恐れるのは投影面積の少ない突きだ。柔軟な足運びを可能とする低い姿勢からそれが繰り出されれば避けるのは至難とも言えよう。
もっとも小ぶりな刃物は急所を正確に狙わねば致命傷を与えられぬ性格上、外なる神たる私にそれが通用するはずもない。
だがかと言ってまじめに戦うのは趣味ではない。
「あっちの森の中に魔法使いや弓使いといった遠距離組がいらっしゃいますので気をつけてくださいね」
「ん? ん、わかった」
「さぁ、共に君らの神を讃えよう!! 」
「――!? い、いあ! いあ! くとぅるふ!」
正確無比に彼らの祝詞を叫べば、フードは混乱を浮かべつつもそれを唱和して森に向かっていく。その際にキャンプファイヤーがフードから零れた緑の髪を照らし出したように思えた。
あぁ、そう言えばハワトもそっちに居るが、大丈夫だろう。彼女には私の加護をかけてあるから普通の攻撃では虫に刺されたようにしか感じぬはずだ。たぶん。
それよりもよくよくキャンプファイヤーを観察すると一つの像がそこにある事に気がついた。
それはタコを想わせる触腕を生やした顔をし、背中に蝙蝠に似た一対の翼を生やしたナニカの座像。思わず目を背けたくなるほど醜悪な存在感を放つそれはどう見てもクトゥルフ君を模しているように見えた。
なるほど。彼らの崇める神を石像に象って祀っているのか。感心、感心。
だが粗末な儀式と言い、その願いがクトゥルフ君に届く事はないだろうし、何より星辰の位置が悪い。
「しかしこれほど純粋な願いが届かぬというのは物悲しい……」
そうだ。私の心を打ち震えさせてくれた礼をしてあげよう。きっとみんな喜ぶ事だろう。
「 」
我が祈りの言葉は人の耳を害する超越的な呪文となり、喧噪の中に紛れながらもしかと無限の闇を讃えた狂的な夜空へと吸い込まれていく。
星々が鳴動し、星辰が動き出す。多くの者が知覚さえも出来ぬほど恐怖が蠢き出したのだ。それが明確なる悪意を抱くに成長する時、人々は時が流れ過ぎている事を知るだろう。
もっとも彼は目覚めが悪い上、その知性と理性を奪われたままだ。どうなるかは信者達に任せるとしよう。
「さて、やりたい事もやりましたし、後はボーナスステージといったところだろでしょうか?」
振り返れば剣戟に悲鳴が混じったステキな世界が広がっていた。
ふむ、どうやら邪教徒達の捕縛というクエスト達成は訪れそうにないな。どうせ多くは蜘蛛の子を散らすようにどこかに行ってしまっているのだから。
クエストは失敗したが、それでも種は残せた。
その種はいずれ萌芽し、狂気を実らせる木となる事だろう。
あぁ、早く芽を出しておくれ。愛おしい災厄の芽よ。
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