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邪神とリベレーター

 早朝からビュッフェを楽しんでいると食堂の入り口ががやがやとうるさく鳴り出した。

 それに眉を顰めつつ茹でられてはちきれんばかりに膨張したウィンナーにフォークを突き刺す。僅かな弾力と共に腸膜が破け、すりつぶされた肉塊にフォークが割り込むのを指先に感じつつチラリと騒音の元を見やる。



「……あの方々は?」

「――? 【解放者(リベレーター)】がどうかしましたか?」



 そこには一人の少年を中心に二人の少女を侍らせたパーティーがいた。



「確認ですが、ハワトさんはあの方々と面識が?」

「えぇ、一応。何度か集会を邪魔された事があります。なんでもナイアーラトテップ様の教えは邪教で、取り締まる必要があるとか」



 ふむ、ハワトの口振りからして()()()()の【解放者(リベレーター)】とは別の確執があるようだ。

 そもそも私が封印を破って異世界から飛び出した事で世界そのものが崩壊を始めてしまったのを補修するためにドリームランドとつなげたのだ。

 その結果、中途半端な天地創造に関する記憶をこの世界の者は持っていない。つまり最初から自分達の世界はドリームランドにあったのだと思っているのだ。

 そのため世界の崩壊そのものが()()()()事になっている手前、崩壊に直接関わった私という存在も掻き消えてしまった。

 もっともハワトが私とその狂気を覚えていた上、私の招来の呪文を唱えたからこそこの世界に戻る事ができた(やろうと思えばいつでもドリームランドに行くことは出来たが)。



「なるほど。私そのものが居なかったのでクレアさんは私を詐欺師と呼ばなかったのですね」

「あ……。やっぱりあの女はナイアーラトテップ様の事を侮辱していたのですね! この世界の出来事では無いとはいえ許せません。絶対に許せません!! 至高のお方であらせられるナイアーラトテップ様を下等生物たる人の身でありながら辱めるなど言語道断! あいつを時間も止まる永劫の闇の中に閉じこめて誰にも知覚されずに永遠と死んでも再生させる呪法を施してやります!」

「落ち着きなさい」



 くすくす。なんとも頼もしい事だ。それよりハワトもその下等生物の範疇になっているが、それで良いのだろうか?

 まぁ良いのだろ。そうした謙虚な自覚があるのは良い事だから。



「ハワトさん。よく考えてください。私達は幸いです。なんと言ってももう一度、彼らに絶望を与えられるのですから」

「なるほど! おっしゃる通りです。さすがナイアーラトテップ様!」

「しかしただ襲ってはい、終わり、では芸がないと思いませんか?」



 「確かに――!」と手を打ち、どうするかうなり出す従者に苦笑がもれてしまう。

 何事にも全力で取り組むハワトの美点だ。思い悩む人の姿もまた見ていて面白い。



「して、集会を邪魔されたと言いましたね。ハワトさんは何か人を集めているのですか?」

「集めていると言いますか、集まってきたと言いますか……。ナイアーラトテップ様のすばらしい教えを布教するために『ネクロノミコン』の朗読会をしたところ好評で、最近では次から次へと人が集まってきているんです」

「……『ネクロノミコン』を大衆の前で読んだのですか?」

「は、はい。不味かったでしょうか?」



 不安そうに顔を曇らせ、己が不祥事をしてしまったのだと恥と恐怖に打ち震えるハワトはまさに小動物のようであった。

 眼の奥底には過ち対して死をもって詫びねばという忠誠心と生への終着から生まれる恐怖がない交ぜになったものが渦巻き、それが身を震わしている。

 なんとも。なんとも健気なことか。くくく――。



「――くすくす。安心してください。怒ってなどいませんから。なに、面白い事をしたとものだと関心していたのですよ」

「面白いこと、ですか?」

「『ネクロノミコン』に記された事物は口に出すのもはばかられる宇宙の真理の一端です。それを……。くすくす。あろうことに朗読とは! くくく、くすくすくす。これは傑作です。くすくす」

「そ、そんなに笑わないで、くださぃ……。うぅ……」



 耳の先まで赤らめたハワトが消え入るように体を小さくしていく。

 てれてれと紅潮した頬を汗が流れ、行き場を失った視線が右往左往する。

 くすくす。面白い。やはり人間とは面白い。ハワトほど見ていて飽きない人間はそういないが、彼女を含めた下等生物たる人間のする事は突拍子も無いことを脈絡無く行ってくれる。

 これほど愉快な種族は宇宙を探しても人間だけだろう。

 あぁ愉快だ、愉快。



「くすくす。やはり人間とは面白い生き物だ」



 それにしても『ネクロノミコン』の朗読会か。

 なんとも斬新な布教活動に舌を巻くばかりだ。とは言え、そこにあの三人組は水を入れたのか。それはよろしくない。非常によろしく、ない。



「して、ハワトさんは彼らと敵対しているようですが、こうも堂々としていてよろしいのですか?」

「念のため幻惑の呪文を使って人相を変えていたのでおそらく気づかれてはいないかと」



 手抜かりは無いか。なるほど、なるほど。

 まぁ私にとってこの世界は謂わば一回クリアしたゲームを再プレイ――二週目と呼ぶべきものだ。焦らず周回プレイを楽しむとしよう。



「あれ? ハワトちゃん? 今日は食堂使ってるんだ。珍しい」

「……えぇ」



 賑やかな一団の長――ジークが朗らかに笑いながら自然と机に近づいて来る。それにハワトはなんとも愛想の無い返事を返す。

 そんなあからさまな拒絶をしたというのにジークはそれに気づかないのか、人当たりの良い笑顔をハワトに向けながらやってきた。



「って、この人は?」

「このお方は偉大な――」

「待ちなさい、ハワト」



 一週目の経験で私が外なる神だとカミングアウトされてしまう気がした。別に知られたところで困りはしないが――。いや、困るな。ただの人間と思われているほうがトリッキーに動けるし、何よりネタバレというものは面白さの本質を破壊する忌むべき行為だ。



「初めまして。私はナイと申します。ハワトに魔法を教えたモノです」

「あぁ、ハワトちゃんの先生ですか。オレはジーク。キングスポートを拠点にしている【解放者(リベレーター)】のリーダーです。最近はアーカムに遠征に来てて。それでハワトちゃんとは冒険者ギルドにて知り合いました」

「ハワトさんとよろしくしてくれているようで、彼女に代わって感謝いたします」



 もっとも当のハワトは面白くなさそうにやつれた頬を膨らませ、テーブルに鎮座していた漆黒を湛えたコーヒーに口をつけた。

 そう言えばこの中世ファンタジー世界には何故かコーヒーが流通している。世界の作りこみが甘いと咎めるべきか、それともこの町――アーカムがアメリカはマサチューセッツ州のアーカムをそのままコピーしているからコーヒーがあるのは当たり前と見るべきか判断に迷うところだ。



「あ、一緒に朝ごはんをとってもいいですか?」

「そうですねぇ。どうでしょうか、ハワトさん?」

「えぇ……!?」



 くすくす。ハワトがコーヒーをより苦々しく飲んでいる。表情が豊かなのもハワトの良い所なのだが、いささか内心を隠せていないのが難点か。

 しかしジークと朝食を共にしたくないという気持ちは分かる。

 さて、どう断ろうか。そう思案していると助け船は意外な所から現れた。



「ちょっとジーク! 早く! お腹ペコペコよ!」



 それは前の世界と変わらぬ輝かしい赤髪に自信を張り付けたかのような強気な灼熱色の瞳をしたクレア・クセスだった。

 ふむ、世界が改変された事により精神崩壊したはずのクレアが常人然としていると言う事はハワトと直接的な戦いはしていないようだ。

 つまりこの世界で再び彼女の精神を引き裂くことができるという訳か。前の世界のハワトはクレアを使って愉悦のなんたるかを自ずから学んでいたが、さて。この世界でクレアはハワトにどのような成長を促してくれるのだろうか。楽しみで仕方ない。



「おう、今いくよ。……あ、そう言えばハワトちゃんはあのクエスト受ける? 受けるなら一緒にパーティー組まない? アレってパーティー推奨じゃん」

「前にもお話しましたが興味ありません」

「そう? すっげー興味ありそうに見てたクエストじゃん。それにソロよりパーティーを組んだ方が安全だと思うけど」

「………………」

「たはは。ま、【解放者(リベレーター)】はいつでもメンバー募集してるし、気が向いたら来てくれよ。と、言っても他のクエストが一段落したし、今日あたりあのクエストを受けるつもりでさ。それで、それが終わったらキングスポートに帰ろうと思ってるんだ。一応言っておく。じゃ!」



 爽やかな笑顔を煙たそうに見やるハワトに小声で「あのクエストとは?」と尋ねると彼女は複雑そうに眉を顰め、周囲を伺いながら小声で教えてくれた。



「ナイアーラトテップ様の教えを同志達と語らう会をしていたら、教会がそれを邪教と決めつけてきたんです。それで冒険者ギルドに不敬にも邪教徒の集会を解散させるクエストが入ってきて……」



 なるほど。そう言う訳か。

 まぁ宗教とは多かれ少なかれ排他的な面を持ち合わせている。それが民族や国家としての帰属意識を高め、団結力を増すからだ。その恐ろしい所は他を攻撃するためなら神の名の下に全てが許される点にある。

 約束の地を手に入れるためにユダヤ人がアラブ人をどれほど殺したか。

 十字軍においてどれほど虐殺と強姦と略奪が起きたか。

 魔女狩りにて無辜の民がどれほど煮えたぎった釜に投じられたか。


 くすくす。くくく、くすくすくす。


 あぁ! 人間とはなんと愚かな種族だろうか。過去から何も学ばず、繰り返し相争い合う。特に魔女狩りの時は面白かった。

 魔女裁判など見ていて心が躍ったものだ。一番傑作だったのはアメリカはセイラムでの魔女裁判だ。とある黒人に化けて被告の女がブードゥーの魔法を使ったと()()させたのを機に、減刑と引き換えに他に関係者が居ないか詰問したら芋づる式に告発が相次ぎ、最終的に一九人もの村人が絞首刑になった。

 まるで暗雲の中に道を見失ったが如く疑心暗鬼が徘徊したようだった。今でもあれは思い出し笑いが浮かんでしまう。



「ナイアーラトテップ様?」

「いや、なに。昔を思い出していただけです。それで、アーカムのギルドは邪教徒を締め出すつもりなのですね」

「はい。見つけ次第、教会に引き渡して裁判にかけるそうです。まったく失礼な話です。ただ、それがわたし達の同志を標的としたクエストじゃないようなんです」

「――と、言うと?」

「実は最近になって他にも独自の神を祀る教団があるようなんです。怪しげな像を拝む集団が町の外で夜遅くまで儀式をしているとか。なんでも町で攫った人を生贄にしているという話です。そのとばっちりで同志達との語らいも難しくなりつつありまして……」

「ハワトさんの所はそういう事はしないのですか?」

「――? もちろんしますよ。大いなる存在――外なる神を招来させるために生贄は欠かせないと『ネクロノミコン』にも書かれていましたし」



 ……それはとばっちりでは無いのではないか?

 だが、ふむ。他にも怪しげな儀式をする教団がいるのか。それは興味深い。非常に……。くすくす。

遅れて申し訳ありません。


それではご意見、ご感想わお待ちしております。

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