邪神と従者の朝食
秋葉原でイゴーロナク君を勧誘した後、ハワトと共に人気のない路地に入る。
「ハワトさん。ここで良いでしょう。鍵を」
「はい、ナイアーラトテップ様」
彼女は胸元に手を入れ、そこから簡素な紐でつり下げられた首飾りを取り出す。もっともソレは適当な装飾品などではなくイゴーロナク君に渡した銀の鍵と瓜二つのアーティファクトだ。
まぁ誰にも銀の鍵が一つだけとは言っていないが、イゴーロナクなら「なんで鍵が二つあんだよ!」とツッコミをしてきそうではあるな。くすくす。
「では門を開けましょう」
「はい!」
じめじめとした路地に面したとあるビルへの入り口。その前に立ったハワトはおもむろにドアノブの下に張り付いた鍵穴に銀の鍵を差し込む。本来なら真の鍵でなければ挿入もままならないそこに銀の鍵は何の抵抗も無く吸い込まれ、軽い金属音と共に開錠された。
「開きました」
「よろしい。それでは帰るとしましょう」
ハワトが扉を開けばそこには原初の闇が広がっていた。地面も天上もない、ただの深淵。
その暗黒の世界を照らす玉虫色の輝きを放つ球体達が現れた。それは絶えずに邪悪な流動を繰り返し、時には泡のように沸き立ち、時には破裂して四散したと思えばまた集合する肉塊だった。
そう、この永遠と泡立つ外宇宙の恐ろしい怪物こそ我が兄――ヨグ=ソトースなのだ。
「うわぁ……。すごく、きれいです」
「くすくす。数え切れぬ時間を過ごしてきた兄をそのように形容するモノはおそらく貴女が初めてでしょう」
「その、すみません。外なる神、門にして鍵たるヨグ=ソトース様を矮小な人間の感性で形容するなどおこがましい事でした。伏して非礼をお詫びいたしますので――」
「なに、命まではとりませんよ。ハワトの素直な表現は見ていて興味深いです」
「ナイアーラトテップ様の寛大なお心に感謝いたします」
くすくす。ハワトの初な反応は愛らしいものがあって心を癒してくれるようだ。良い愛玩物を手に入れられた。
やはり色々と無理をしたかいがあったものだ。
「では参りましょう。次元の裂け目へ」
ハワトが闇に一歩を踏み出すと、まるで崖から転落するように彼女の姿が闇にかき消える。それに続いて私も闇に歩を進め――そして唐突な浮遊感に包まれた。
見る見ると玉虫色に輝く球体が迫り、その粘膜質に覆われた肉に飛び込む。
そこには極彩色に彩られた脈絡無い幾何学的な文様が無数に渦巻き、独特の浮遊感が皮膚を通して臓器を愛撫してくる。どこからともなく沸き起こる多幸感に身を任せてサイケデリックな空間を飛び続けると突如として視界が暗転。
突然、己の腹が破けて小腸が、肺が、心臓が零れ落ちてしまう。それをかき集めようと手を伸ばすも私の臓器達は手から逃れるように次々と身体から落ちて行く。それと共に皮膚という皮膚を虫が這いまわる感覚が襲ってくる。
どこからともなく現れ、表皮の上を駆けて行く虫たち。
あぁ! なんと素晴らしい光景なのだろう! くくく、くすくす。
ふと、目を開けると木製の簡素な天井がそこに広がっていた。下には清潔なシーツによって包まれた藁のベッドがあり、そこに身を横たえているのがわかった。
ふむ、戻ってこれたようだ。
「げ、げぇ……」
首をめぐらせるとそこには窓に向かって顔を突き出す我が従者がおり、湿った冒涜的な音を口から垂れ流していた。
どうやらハワトにとって次元跳躍は刺激が強すぎたらしい。行きの時はまだ我慢出来ていたのだがなぁ。
「な、ナイアーラトテップ様、すみません。お目覚めを汚してしまって、うぅッ」
「バットトリップは生理的な反応ですから気にしていませんよ。さぁ思う存分続けてください」
「お、お言葉に、甘え――。うぇえッ」
さて、そう言えば兄上にお会いしたが、何も言われなかったな。
まぁ兄上は全能なる外なる神の副王ではあるが、同時に無能でもある。全てを知るが故に知識と意識が攪拌されすぎて薄まってしまっているのだ。故に兄上は全てにして一なるものであり、門にして鍵でもある。
もっともノーデンスの一件について何かあるかと思ったが、杞憂だった。もしくは寝ていたのかもしれない。はたまた意識をどこか別の時空間に飛ばしていた可能性もある。我が一族は気まぐれモノが多い故、どこで何をしていても不思議ではないから想像もつかないが。
「さて、ハワトさん。スッキリしましたか?」
「……お騒がせしました」
いつも以上に目を落ち窪ませ、げっそりとした頬を頂くハワト。その口元が濡れて妖艶に光り、精気を失った瞳がまるで懇願するように熱を帯びている。
彼女の口腔から唾液と混ざった胃液を吸い出したらどのような表情を見せてくれるだろうか。きっとトロケるのを待つチョコレートのような扇状的な表情をしてくれるのだろう。
ま、そんな事を乞われているような空気ではやりたくない。乞われていないからこそそれをする価値があると言うものなのだから。
「では貴女にかけた幻惑の呪文を解きましょう。 」
口からこぼれた狂気的な言葉の羅列が並ぶと元の世界の衣服をまとっていたハワトの服が変形していく。
濃紺のパーカーはフード付きのローブに変わり、薄草色のキャミソールからはみ出した丸みを帯びた両肩を隠す。
そして仕上げに部屋の片隅に鎮座する机に乗せられた魔女帽子を取り、彼女のパサパサとした白い頭に被せれば完成だ。
「やはりその服はよく似合っていますよ」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
やせ細った頬を朱に染め、恥ずかしさからを身を隠すように両手でスレンダーな体を抱きしめる彼女に思わず笑みがもれる。
先ほどまで吐瀉物をまき散らしていた人間とは思えぬ可憐さを湛えた彼女に苦笑がもれてしまう。なんとも見ていて飽きないな。
この新編された世界においても宇宙の真理を垣間見た彼女の容貌は変わらずに壊れているようだが、それでも愛着を覚えてしまう。
ふむ、今までは壊れたモノは無価値だと思って捨ててきたが、壊れたモノでもそれはそれで価値があるようだ。新境地開拓とも言えるだろう。それを自覚させてくれたハワトにはより愛着を覚えてしまう。
「それでは朝食を取りに行きましょう」
「は、はい……」
どうやら胃の中身をぶちまけたばかりのハワトは乗り気では無いようだ。
まぁ私も朝食が必要か否かと問われれば否なのだが、せっかくだから人間ごっことして食事をしたい。
「では行きましょう」
ホテルミスカトニックには付属の食堂があるらしく、そこに向かう。どうやら朝食はバイキング料理――日本で言うところのビュッフェスタイルのようだ。
食堂に足を踏み込むと数々の料理の乗った大皿が目に付き、利用客達がそこから料理を見繕っている。
ふむ、本来の中世の頃なら宗教的な精神の節制のために簡素な食事が奨励され、基本的に昼食と夕食だけの二食しか食べないのが常であった。もっとも朝食や夕食の少し前の時間帯に何か軽く食べる事はあったが、もっと簡素的なはず。
そう考えるとこの世界の創り込みは甘いと言わざるを得ない。
やはり私を封印するためだけに世界を創っただけあって細部が雑なのだ。その世界をドリームランドにくっつけただけでデバックもしていないのだから私の仕事も中々の雑ではあるが……。
「お客様。失礼ですが、お部屋の鍵はお持ちですか?」
ふと振り返るとそこには清潔そうなシャツを着込んだホテルのボーイが居た。どうやら彼が声をかけてきたらしい。
「どうぞ」
そんな彼にハワトが部屋の鍵を見せるとボーイが笑顔で「お好きなお席をお使いください」と手慣れた接客をみせてくれた。それについて行こうとしたが――。
「お待ちください。貴方様のお部屋の鍵をお見せください。この食堂は二等室以上のお客様専用の食堂になりまして、お部屋の鍵を確認出来ない場合は入場できません」
おや、困ったな。
そう言えば私はハワトの部屋に無断宿泊している形であり、彼女がとっていた部屋も一人部屋だった。
ここで彼女と相部屋だと言っても嘘だと看破されてしまう。
しかしここで新たに店を選び直すのもまた面倒だ。
やれやれ。食事ごっこをしたいが、店を変えるのが面倒とは我ながら面倒な性格をしていて困ってしまう。治す気はさらさらないが。
「――貴方は私の鍵をチェックした」
「……え?」
「貴方は私の鍵をチェックした。 」
支配の呪文を口早に唱える。相手の意志をねじ曲げ、従属させる呪文はすぐに効果を表し、虚ろになったボーイの目があらぬ方角を向きながら「私はお客様の鍵をチェックしました」と繰り返す。
ふむ、これで良いだろう。
「さてハワトさん。席を取りましょう」
「わかりました! ナイアーラトテップ様! それにしてもすぐに支配の呪文を唱えられるなんて! 素敵です!!」
「くすくす。貴女も唱えられるでしょうに。ではあの席にしましょう。私が席をとっておくのでハワトさんは先に朝食を選んできてください」
「ですが、いえ、分かりました。ナイアーラトテップ様の仰せのままに」
私の手を煩わせないとはどうやら分かってきたようだ。
それに満足感を覚えつつ窓際の席につく。
ふと窓を見るとそこには狂気染みた高さと角度を持つ巨山――カダスの山が見て取れた。
そう言えばあの山の向こうには地球在来の神が住む正気を狂わさんばかりの大きさを誇る瑪瑙によって作られた城がある。そう言えばあの夢を自在に渡りゆく物書きも瑪瑙の城を訪れた事があったな。
ならば今度、ハワトをあの城に連れて行ってやるのもまた一興か。
「お待たせしました。――? どうされましたか? なんだか楽しそうですね」
「えぇ。今後の予定が一つ立ちましたのでね。しかし予定が一つしかないのはよろしくありません。貴女もしたい事があれば遠慮なく提案してください。暇こそ私を殺す最大の天敵ですからね。何より楽しくないものほど価値はありません。どうせなら楽しく過ごしたいものです」
「ナイアーラトテップ様に提案するなど畏れ多い事ではありますが、そう求められるのなら矮小な知恵を振り絞りたいと思います」
「良い心がけです。では先に食べていてください。私はご飯を取りに行ってきます」
さて、この世界をドリームランドに繋げた事でより面白い事がおこってくれることだろう。
それを楽しみにしよう。
あぁどうか私を飽きさせないでくれ。
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