村人・1 【ハワト視点】
今回はヒロインに視点が移ります。
何時もと変わらぬ日々が延々と続くのだろうとわたしは常々思っていた。
朝は眠たい眼をこすりつつ井戸から水を汲んで、朝ごはんを作るお母さんの手伝いをして、それが終わったら薪を拾ったり畑の世話をして――。
だがそれだけだ。
毎日、空模様を窺っては作物の出来を心配し、擦り切れた衣服をどう繕おうかと悩み、一日を消費していく。
せっかくお父さんから読み書きを習ったというのにそれを生かす事無くただ一日が終わってしまう。
読み書きが出来れば町で何かお仕事が出来るかもしれない。そうなれば新しいお洋服も買えるだろうし、家の暮らしも少しは楽になるかもしれない。何よりこの閉じられた村から出ていける。
だがわたしは毎日眠たい眼をこすって井戸から水を汲んでいる。
そんな何も変えられず、何も変わらない日々が延々とやって来るのだろうと思っていた。
「どうして――?」
朝の薪拾いから帰ると村が燃えていた。
街道沿いにあるとは言え、村人が百人と住んでいない小さな小さな故郷から黒煙が立ち上っている。
何が起こったのかと思って走るとそこには惨状が広がっていた。
村の中央にある朽ちそうなほどの小さい教会の周りには血溜まりができ、誰も彼もが倒れ伏している。それに数軒の木造の家から黒煙が立ち上っていた。
その間を粗末な衣服と革鎧に身を包んだ粗野っぽい男達がいったりきたりしている。あれはきっと盗賊に違いない。
お父さん達が近隣の街道に盗賊が出るから町の冒険者ギルドに討伐を要請しようと話していたから間違いない。
――早く家に帰ろう。
お父さんは無事かしら。お母さんは? それに妹のアリスは?
木こりをしているお父さんは村一番の力持ちであり、元冒険者だから盗賊なんかやっつけているかもしれない。でもお母さんは体が弱いし、五つ下のアリスはまだ十歳だ。だから早く帰ろう。
いつもみんなと遊んでいる森の隠し通路を足早に駆ければ家の裏手に出る事が出来る。
村から木霊する悲鳴にすくむ足になんとか力を入れて走るが、その音によって盗賊が来たらどうしようとさらなる恐怖が足を重くする。
ただでさえドキドキする心臓の音が周囲に響いているんじゃないかという思いが絶えず頭をかすめていくが、幸運にも盗賊は森に気を止める事無く村の中ばかり気にしているようでわたしの存在は気づかれなかった。
「よかった――!」
森から出れば家に火の手はあがっていなかった。
きっと家の中に籠もって森にお仕事に行っているお父さんの帰りをお母さんもアリスも待っているに違いない。
でも違和感がある。
盗賊から籠城していると言うのにどうして窓の雨戸が開いたままなのだろう。
嫌な予感を覚えつつその窓に近づき、中を窺うと―。
「――ッ」
居間になっているそこにはお母さんもアリスも居た。
わたしの髪はお母さん譲りの綺麗な金髪だとみんなから言われていたが、その金の髪をさらけ出したお母さんが白目をむいて粗野な男に組み敷かれていた。どこからともなく聞こえる湿った音と重なった二人が小刻みに揺れるリズムが同調し、言いようのない嫌悪感を募らせてくる。
だがそれ以上に目に付いたのはお母さんのお腹にささった短剣だ。
白いエプロンを濡らすテラテラとした液体が身体が揺れる事に溢れて来る。
アリスは別の男が――熊のように大きなお父さんよりもさらに体の大きな男に組み敷かれ、アリスのお気に入りだったエプロンドレスを乱雑に破かれていた。わたしのお下がりだと言うのにアリスはそれをいたく気に入っており、ことある毎にそれを着ていた大切なそれが無残にも散り散りになっている。
その上、思い出を汚すように大男は頬を上気させて腰を動かしていた。その度にアリスの股から鮮血が床に伝わっていく。それにアリスはまるで人形のように為されるがままになっている。
その瞬間、わたしは全ての日常がここに崩壊してしまった事を悟った。
体中から力が抜け、膝を地につけてしまう。
どうすれば良いのか分からなかった。だがこのままでは自分もあぁなってしまうのは分かる。分かるが、体が言うことを聞いてくれなかった。
その時突然、口元に節くれ立った手が押し当てられた。悲鳴をあげようにもその力強い手により一言も言葉が発せられない。
「ハワト! 落ち着きなさい」
耳元で囁かれた言葉は紛れもないお父さんの声だった。
抵抗を止めて振り向くとそこには大木を思わせるどっしりとしたお父さんが居た。
「おとう、さん……」
「ハワト。逃げるぞ」
「でもお母さん達が――」
お父さんは首を横に振る。それだけで心の底が抜け落ちたかのような空虚感が襲ってくる。あぁあぁ……!
「良いか。よく聞きなさい。お前はあいつ等が居なくなるまで森に隠れていなさい。だが結界から出てはいけないよ。賢いお前だ。分かるな?」
「お父さんは?」
「お父さんは、やらなければならない事がある。もし、お父さんに万が一の事があればアーカムの町に行ってランドルフ叔父さんを頼りなさい。きっと力になってくれる」
「いや、お父さんが居ないと――」
「我が儘を言うんじゃない。お父さんはしなければならない事が、あるんだ」
ふと、お父さんの手に一振りの斧が握られているのに気がついた。いつもの仕事道具。丁寧に磨き上げられた自慢の仕事道具にはべっとりとした赤がこびりついている。
そしてお父さんがしている事としようとしている事が分かってしまった。それに初めて涙がぼろぼろとこぼれ始める。
「ハワト。分かったか?」
「うん。でも盗賊達ってステータスが高いんでしょ? お父さんじゃ、お父さんじゃ――」
「心配するな。樵をする前は冒険者をやってたんだぞ。それもDランクのな。だから心配するな」
「でも、でも……。わたしアーカムには行きたくない。お父さんと一緒に居たい」
「……分かった。お父さんもがんばろう。そうだ、これを持っていなさい。護身用だ」
そう言ってお父さんはベルトの背後から一振りの短剣を渡してくれた。擦り切れた革が柄に巻かれたそれはお父さんがいつも大切そうに手入れしている一振りだ。
「昔使っていたものだ。切れ味はお墨付きだぞ。だが無理に戦う必要は無い。これはどうしようも無くなったら使いなさい」
「うん」
「それと、何よりも自分の命を守る事だけを優先するんだ。絶対に死んではならない。お父さんとの約束だ」
「うん」
「……愛している、ハワト」
「お父さん、わたしも――」
だが突然「ここにも居たぞ!」と声が上がる。その方向を見れば垢だらけの男が剣を掲げているのが見えた。その小汚い男には不釣り合いな毛皮のチョッキを身に包み、舌なめずりをしながら近づいてくる。それと同時に家内からもドタドタとあわただしい音が響いてきた。
「ハワト! 行きなさい!」
「――ん!」
弾かれるように森に向けて疾駆する。
森での隠れん坊は得意だ。村のみんなとやっても中々見つけられないと定評だから、いつもの木陰に足を進める。
そこは古木の根本であり、大きな根がトンネルを作っているおかげで子供一人をすっぽりと隠せる絶好の穴場だった。
ここなら絶対に見つからない。その自信を抱きながら身を休めていると様々な事が去来してきた。
お母さんの笑顔。アリスの泣き顔。お父さんの優しくも厳しい怒り顔。
どれくらいの時が経ったか分からないが、思い浮かべる物が思い当たらなくなってきた頃。ふと足音が聞こえた。
お父さんが迎えに来てくれたのかな? でもよくよく耳を澄ますと音は三つ――。
より身を縮ませて穴の奥に入ろうとした時――。
「お嬢ちゃん。その根本に隠れているのは分かっているんだぜ」
思わず悲鳴があがりそうになった。だが気づかれるはずがない。ここは絶好の隠れ場所なのだから。だからこれはきっとやまをかけただけのはず――。
「お嬢ちゃん。俺たち盗賊は宝探しや追跡が得意なんだ。そこよく隠れてるんだろ? 何度も下草が踏みつけられた跡があったから追うのが楽だったぜ。さぁ出ておいで」
そんなまさか――。でも盗賊は追跡等のスキルを持っているって話を聞いた事がある。
だったらここはもう見つかって――。
そう思ったとき、外から舌打ちと共に「早くしろ!」と怒鳴り声が響き、根のトンネルの入り口から”ナニカ”かが転がってきた。
ベチャリと言う音と共に転がってきたそれは、お父さんの首だった。
「い、いやああああッ」
滑る足を無理矢理動かして穴から飛び出す。
するとそこには先ほどの毛皮の男の他に家でお母さんとアリスを組み敷いていた男達も加わっていた。
「よし、ウサギちゃんが出てきたぜ。てめぇら、遊んでやれ」
「「へい、兄貴!」」
下卑た笑いを浮かべた男達が迫ってくる。その二人に対して短剣を抜き、がむしゃらに振り回すもそれは空を切るばかりだった。
「げへへ。嬢ちゃんそんな危ないもの捨てちまえよ」
「に、握るならオレの逸物を握ってくれよ。げへへ」
汚らしい笑みに背筋が震える。それに粘着質な笑みを浮かべた毛皮の男も加わる。
「そうだな。こちとら街道の結界が壊れたせいで魔物が街道を跋扈しててな。そのせいで商人共がめっきり減って商売になんねーし、下の方も大分貯まってるんだ。お前のような生きの良い娘なら大歓迎だな」
「あ、兄貴。俺はもっと幼い方が好みだな。あの家の娘のような」
「てめぇの幼女趣味だなんて誰も聞いてねーよ。巨漢のくせに気持ちわりーぜ――。だがそれにしても良い女だ。その綺麗な長髪は好みだぜ。ぐへへ」
「ち、近づかないで!!」
短剣を毛皮の男に向ける。
その時、突然背後の茂みが揺れた。
その方向に短剣を向けると、そこには黒い男が居た。
貴族様が着られるような黒の上品そうな上下。浅黒い肌をした長身の美形。だが森の中を歩いて来たのか肩に蜘蛛の巣や落ち葉などがはりついている。
「おや? これはみなさん。ご機嫌よう。実は道に迷ってかれこれ一週間は森を彷徨っておりまして――」
囲まれた。逃げ場がない。
ふと、手にした短剣を見やる。お父さん――。
「――人里は。おや?」
黒い男が言葉を止めると共に短剣を喉元に当てる。この身が汚されるくらいならいっそ――。
その思いでわたしは短剣を握る手に、力を入れる。