ニャルラトホテプとノーデンス・2
黒い球体にヒビが入り、ぽろぽろと破片がこぼれていく。それと同時にハワトの体も薄れ、透けていく。恐らくあの球体がトファーセボルの本体なのだろう。
タイムリミットはあとどれほどだろうか?
「ナイアーラトテップ様……!」
「ふむ、世界が崩壊すると共に貴女も消える、と言うわけですか」
「その、わたしは、終わるんですか?」
「恐らく」
その言葉に正気を失ってから初めて、彼女の頬に涙が伝わった。
人生の強制終了による絶望か。それとも――。
「な、ナイアーラ、トテップさま――」
「はい」
「ありがとう、ございました。貴方様の従者になれた誉れは忘れません」
「ハワトさん……」
「そ、その、畏れながら、畏れながら、わたしを抱きしめてください。その、お恥ずかしながら、怖くて、立っているのもつらいのです。どうか、ご慈悲を」
見ればガクガクと初めて彼女と出会った時のように脚が震えている。そんな彼女の背後に周り、初めて彼女が魔法を使ったあの日のようにその両肩に手を添える。
すると彼女の顔に安堵とそうでは無いと言う困惑が見て取れ、思わず苦笑してしまった。
「勘違いしているようなので言っておきますが、世界の崩壊を止めればハワトさんは消えませんよ」
「え――?」
とは言え、崩れゆく世界を止めるのは至難のわざだ。だが外なる神の私に出来ない事は無い。
「ふむ、壊れた部分を補完して修復――。というのは難儀しそうですね。いっそのこと世界そのものを転移させ別世界と同化させてしまいましょう」
「貴様!? 何をするつもりじゃ!」
ノーデンスの怒鳴り声に思わず笑みがもれる。やはり神をおちょくるのは非常に楽しい。
「この世界をドリームランドと繋げます」
「な!? 世界を繋げる!? そんなこと出来る訳が無い! 如何に貴様が宇宙の法則たる外なる神とはいえ、そのような力、お主にはありはしない!」
「えぇ。私だけでは無理でしょう。しかし宇宙を創造した父上ならあるいは」
「ふぉっふぉっふぉ! バカめ! 何を言うかと思えばアザトースを召喚するつもりか? じゃがお主の思い通りになると思うか? あの盲目にして白痴の肉塊がお主の命令を聞くものか! それにお主にとってその世界はそれほど大事か? ならわしが自ら破壊してくれよう!!」
「やれやれ。私と戦うというのなら止めはしません。ちょうど私もあなたにムカついていた所です。さぁかかってこい! ぶち殺してやる。ぶち殺してやるぞ! クソ爺!!」
体がぼこぼこと泡立ち、そこから月に吠えるモノとしての体が沸き立つ。それと同時にノーデンスは中空から巨大な貝殻の戦車を召喚し、先ほど可愛がっていたイルカがそれを引く。
「大いなる深淵の大帝たるわしの力、とくと目に焼き付けるが良い!! !」
勇ましい言葉と共にノーデンスの口からおぞましく、冒涜的な呪文が浪々と宣布される。それと同時にかの神の手に三つ叉に分かれた槍が出現し、それを天高く突き上げる。すると虚空に十も二十もの黒点が現れ、急降下するように迫ってきた。
コウモリのような翼、頭部より突き出た一対の角。モノを掴むのに適した手。トゲのついた尾。黒い不格好なそれは顔の部分が空白になっている。生物進化の枠外に産み落とされたとしか思えぬ異形の化け物。
それこそノーデンスが使役する夜鬼だ。
「ハワト。伏せていなさい」
「はい!」
まぁ私もこのまま素直にノーデンスが事を見守ってくれるとは思っていない。
まずはナイトゴーントを使役するノーデンスを殺してからハワトの世界をゆっくりと救おう。
故に無防備に突っ込んできた一体のナイトゴーントに対してタイミングを併せて鉤爪を突き立てる。無貌のモンスターはその力を見せる事無く断裂し、黒い霧となってかき消えた。
だがすぐに二体目、三体目が飛びかかってくる。キリがないな。
「 」
歌うように招来の呪文を紡ぐ。もっとも嫌いなアイツの下僕を招来させる呪文だ。本当ならばその眷属の姿さえ見るのも嫌だがこうなれば仕方ない。
すると白い空から一筋の流れ星が降ってきた。いや、流れ星ではない。それは生きる炎の怪物だった。これは生ける炎――クトゥグアの眷属である炎の精である。
舞い降りてきた炎の精は私が命じるがままに(それでも主の仇敵である私の命を聞いてくれるとはありがたい)ナイトゴーントに触れる。すると触れた箇所から炎が吹き出して彼の化物共を灰へと変えていく。
対してナイトゴーントは一体の炎の精に翻弄されるばかりで次々と火だるまになって無辺の荒土へと還っていくばかりだ。
それもそのはず。炎の精の性質は炎その物。火を殴っても意味が無いように炎の精には物理的な攻撃が一切効かず、ダメージを与えるのなら水や消火剤で火を消すしかない。それに対してナイトゴーントが行えるのは人に似た手を拳にする事くらいであり、炎への対処法が存在しないのだ。まさにワンサイドゲーム。少々つまらないな。
「使えぬ奉仕種族めが! ハイヤー!」
もっとも一方的な展開に心を痛めるのは私だけではない。
不甲斐ない奉仕種族にしびれを切らしたノーデンスがチャリオットの手綱を引く。するとそれに応えたイルカがまるで弾丸のように宙を飛翔し、次なる獲物を探す炎の精の目前に飛び出した。
「 」
ノーデンスは忌まわしき呪文と共に槍を炎の精に向ける。するとその穂先から濁流が噴出し、炎の精を包み込む。その聖なる水に触れた炎の精は盛大な音をたてて掻き消えてしまった。
やってくれるな。それにあれは見た事も無い魔法だ。オリジナルの呪文だろうか? 対抗呪文を放つ暇が無かった。
「くすくす。良いぞ! 非常に良い! やはり万事が上手くいかないのは心が躍る!! そう、神々の戦とて例外ではない!! くすくす!!」
「うるさいわい! その減らず口、今こそ我が神槍にて縫い付けてくれよう! ハイヤ!」
空中からチャリオットが逆落としのように急降下してくる。
神の腕がうなり、三つ叉槍がカタパルトで射出されかのように鋭く突き出される。もちろん回避などしない。そもそもこれほどのスピードの攻撃など避けようが無い。
深々と槍が体に食い込むが――。
「やはり老いたな! ノーデンス!! その程度の攻撃で私を殺そうとは片腹痛い!」
「な!?」
「 !!」
三つ叉の槍を逆に掴み、それを握っていたノーデンスをチャリオットから引きずり落とす。それと共に邪悪な祝詞――ヨグ=ソトースの拳の呪文が口をつく。短い詠唱と共にノーデンスの体を不可視の拳が襲い、まるでゴム毬のように老神の体が白い世界を飛び跳ねた。
兄上の拳を借りたこの魔法は相手を強制的に吹き飛ばし、意識さえも摘み取る力技で、正直言ってスマートではない。だがあの高飛車なノーデンスに一発いれたのだから多少の粗野さも目を瞑るとしよう。それに溜飲も下がってスッキリした。
さて、ノーデンスはこれで戦闘不能だし、ナイトゴーントも炎の精にやられて空をゆくモノは居ない。
後はサクッと異世界をドリームランドと接続するだけだが――。
「ぐぅ、ぎ、貴様、よくも……!」
「おや? さすがは旧神の筆頭。兄上の拳を受けてまだ意識がありましたか。しかしその体ではもう何も出来ませんよね。まぁそこで黙って世界の創造を見ていると良いです」
「くッ! そ、そこの娘! お前を我が眷属として迎え入れよう! だからこの槍でニャルラトホテプを倒すのじゃ! 我が眷属になれば消失の恐れなど抱かずにすむし、死の恐れさえも捨てられるぞ! さぁ!」
だがハワトは私の背後に隠れるようにノーデンスの言葉に耳を傾けようとはしなかった。
まぁ彼女が裏切る事は無いだろう。
「――なぜじゃ。なぜ……。わしは、ただ世界を救おうとしているだけじゃぞ」
「それは旧神の理論に基づいた世界の救済だ。旧支配者を排除し、最後に宇宙に君臨した種族――旧神の御託でしかない。
お前達の言う安寧とはただ停滞した世界だ。止まり、淀み、滅ぶしかない世界。それでは完全なる破壊と同じく、何も起こりえない。まるで面白くない世界になってしまう」
「何故じゃ。誰もが闇に怯える事もなく、平和と安寧を教授する世界じゃぞ。恐怖も不安も無く、誰もが詩と音楽を愛する正しき世界じゃぞ。誰もが望む世界を我ら旧神は創ろうとしているのじゃぞ。
それなのにどうしてお前のような蛇の甘言に人間は騙されるのじゃ? 天地創造の御代より何も学んでおらんのか? こやつの言葉の先には破滅しか無いと言うのに――?
そこの人間もそうじゃ。お前の行き着く果ては破滅じゃ! 旧支配者共を見よ。知性を奪われ辺境に封印され、かつての栄華を失った悪しき神々を。強大な旧支配者を封印出来たのは我ら旧神が奴らより優れていた上、我らの戦いが正義であったからじゃ! 正しき神に人間が従うのは道理ではないか!?」
確かに大いなる戦争において旧支配者は旧神共に負けた。無残にも、恥辱にも、慰然にも負けた。
旧支配者は旧神の掲げる一方的な正義の名の下に敗れたのだ。
そう、彼らは――。我が友たちは戦いもせずに知性を奪われ、屈辱的な封印を強いられた。私のせいで――。
「何を言うかと思えば。別段、あなた方が優れていたから大いなる戦争に勝ったのではない。そうだろう? 旧神は勝つべくして勝ち、旧支配者は敗れるべくして敗れたのだ。
それに人間から闇を奪い去り、闘争と不穏を否定して何が残る? 愚かにも知恵の実を口にするほうが、愛いらしくは思えないのか? 過ちを繰り返すからこそ、人は面白いのではないか」
「……ぐ。うるさい! うるさいわい! お主は破滅を導く凶兆じゃ! お前が行く先には不幸な終末しか存在しとらん。お主を野放しにしておくにはあまりに危険じゃ。そんなモノは封印されてしかるべきじゃ。
その証拠に貴様が肩入れしていた旧支配者はお主の裏切りによってわしらの軍門に下った! 違うか?」
「………………」
「だんまりか? じゃがお主が旧支配者を大いなる戦争の直前に我ら旧神に売ったのは紛れもない事実じゃ! あの頃は旧支配者と共に戦う同志としてお主を迎え入れ、他の邪神と違って知性を奪って封印するような事はしなかった。
じゃがあの戦争の後、それが間違いであるとわしらは知った!
お主はことある事に世界を破滅に導く悪じゃ! 絶対的な悪なのじゃ! そんなもの、この世界には必要無い! 平和と安寧を乱すモノなど誰も求めておらん!」
「そ、そんなことありません!!」
それはハワトが初めて旧神に投げかけた言葉であった。
すでに存在自体が揺らごうとしているのに、彼女はいよいよ力強くノーデンスに立ち向かう。
「ナイアーラトテップ様は必要のない神様ではありません!」
「ふん、よく洗脳されておるのう」
「違います! これはわたしの意志です! ナイアーラトテップ様はわたしを助けてくれました。わたしに服をお与えになりました。わたしに文字を教えてくれました。わたしにとってナイアーラトテップ様に代わる神は存在しません」
「それはエゴじゃ! たかが創られた存在が偉そうに! そうした想いは全てお主の生み出した自己意識でしかない! そんな無為な――」
「なら、あなたは盗賊に襲われてたわたしを、助けてくれましたか?」
「――ッ! それはまやかしの救済じゃ! 現世利益を求めた浅はかな考えじゃ! それに救いを見出すとは貴様も生かしておくだけで安寧を、平和を妨げる神敵じゃ!!」
その言葉と共に空気を裂くような音が迫ってくる。それはノーデンスのチャリオットを引いていたイルカだった。それがハワトめがけ一直線に突き進んでくる。
「――え?」
ハワトの脆い体では触れた瞬間に肉が破け、死することだろう。
故に彼女を触腕が弾き飛ばし、代わりにイルカの前に立ちはだかる。
これは、不味いな。
「きゃ――! な、ナイアーラトテップ様!?」
「なに、気にする事は無い」
鉤爪でイルカの肉を裂けばギュルッと言う不気味な声を出して宙に浮いていた体が崩れ落ちた。
まったく、まったくまったく……。
生命力を失いすぎたな。
「ノーデンス。貴様は勘違いしている。確かに私は旧支配者達を裏切った。だがそれは別に旧神の考えに賛同したからではない。私は私の都合で友を裏切ったにすぎない。あのまま大いなる戦争で旧神と旧支配者が戦えば、世界は完全なる破壊を受けたことだろう。どちらの陣営が覇権を掴んだとしても、その頃には治めるべきモノは全て無くなっていただろう。それがどうしても、私は許し難かった」
強大な力を持つ神々の最終戦争。そのような戦いが起こればいくつもの銀河が粉砕され、虚無しか残らなかったろう。
そのようなつまらない世界を私は許容する事が出来なかった。
兄弟喧嘩の耐えないクトゥルフ君とハスター君からも、許し難きクトゥグワからも、怠け癖のあるツァトゥグア君からも、蛇人間の父たるイグ君からも、気のあったイゴーロナク君も、我が妻イホウンデーも、そして世界に生きる全てが――。
そうした何もかもが無へと帰してしまうなんて、許容する事が出来なかった。
故に私は旧支配者達を裏切り、本格的な戦争が始まる前に彼らの知性を奪い去った。そして敗戦の末路を辿らせててしまった。
それでも何も残らない世界より彼らが封印されていた方がマシだと思えた。永劫の封印からいずれ皆を解放してあの頃に帰ろうと思っていた。だが私が裏切った事実が消える訳ではない、だからこそ――。
「まぁこれが裏切った代償と言うならば、仕方がないな」
さて、我が罪は大人しく償うとして、それよりも邪魔者たるノーデンスは排除したのだ。主目標をクリアしてこのゲームのエンディングを迎えるとしよう。
「さぁ始めよう。世界の終焉を――!」
「無駄じゃ! アザトースを呼びつけるようじゃが、あの愚鈍な王は応えることはないじゃろ! お主の願いを聞くような気まぐれを起こすほど浮かれている訳がない!」
「やってみなければ分からんだろう? さぁ――。 」
すると白い空間がぐらぐらと揺れ、ついにひび割れ、天井が剥離する。そこには深淵に染まる宇宙の中心――父の玉座の間だ。
そこから相変わらず聞くに耐えぬ鼓笛の音が漂い、狂ったように体をくねらせる父の従者達が見えてきた。
そして空間が割れ、いよいよ玉座とこの白い世界が繋がる。
「あれが……。沸騰する混沌の中心――。アザトース様……!」
ハワトの視線の先には奈落の底を思わせる深淵が蠢いていた。誰もあえて口にしない無限の魔王にして我が父。あとは父を楽しませて私の願いを聞き届けてもらうだけだが、これが一番の至難だ。そもそも狂った父が何を喜びとするか私でさえ予想がつかないのだから。
ラスボスにはちょうど良いが、ノーデンスとその畜生のせいで我が命は風前の灯火だ。最高難易度のさらなる上のステージに挑む気分だな。
「……ん? まさか――」
いつになく父は楽しそうだ。むしろ上機嫌とさえいえる。まだ何もしていないというのにこれはどうした事だろう?
ふと父を慰める蕃神の数が増えている事にきがついた。
「あ! あれは――。盗賊の頭領か」
狂ったようにくるくると踊る男が一人、そこには居た。そしてその者は見覚えがあった。
ハワトの村を襲った盗賊の頭領だ。確かにシャンタク鳥によって父の玉座まで送り届けたが、まさか生きて父を楽しませているとは思いもよらなかった。
「な、何故だ!? 何故アザトースがこれほど活発に!?」
「くくく、くすくすくす! これだから人間は面白い。脆弱な肉体に貧弱な精神を宿らせているというのに奴らは安定もせず、感情のままに突発的に動いてしまう出来損ないの生命体だ。その軽率さこそ私を楽しませてくれる!! あー! なんと言う日だ! なんと、なんと良き日か! 主よ! 感謝いたします!!」
「バカな……」とノーデンスの口からか細い声が紡がれる。
そしていつになく上機嫌の父に語る。我が望みを――。
「 」
「 」
そして吠えるような、うなるような。言葉にならぬ支離滅裂なそれは返事をしてくれた。それと同時に背後にあった黒い球体の崩壊が止まり、一瞬でそれが虚空から消え去った。
無事にドリームランドと接続を果たしたようだ。その証拠にハワトの体がしっかりと質量を持つものへと戻っている。
「やれやれ。ここまで主体的に動くのはあまありやらないのでくたびれたな」
「な、ナイアーラトテップ様! お姿が――!」
「ん? あぁ……」
醜い体が薄れていく。ふむ、生命力が足りないか。ふと父を仰ぎ見るとすでに玉座の間も薄れだし、消えようとしていた。さすがに助けてはくれないか。
「これは――。死ぬしかないようですね」
「そ、んな……! どうにか、どうにか――!」
「良い。お前が気にする事はない」
「でも、どうにか、どうにか出来るはず――! 『ネクロノミコン』を使えば――」
「ハワト。私は気にするなと言ったのだ。私を煩わせるのか?」
「でもそんな! こんな唐突な別れなんて――! そうです! わたしの命! わたしの命を差し上げますので――」
「くすくす。面映ゆい言葉ですね。そう言えばハワトは私を殺してくれた事がありましたね」
初めて彼女と出会ったとき、彼女は生を諦めないために非力な身で私を殺し、あまつさえさらにダメージを与えようとした。
本来なら私を殺した事を讃え、大人しく星間に帰るのが私のルールであったが、それを怠っていた。
「ハワトよ。お前はよくぞ私を殺した。それではまたどこかで不運な星辰の導きによる出会いを期待しよう。さらばだ」
最後に我が名を叫ぶ声が耳朶を打つ。あぁ楽しかった。




