ニャルラトホテプとノーデンス・1
宇宙からの帰還を果たし、森に着地すると命令通りハワトが私の帰りを待っていてくれた。
「お帰りなさいませ」
「あぁ」
黒い体がずるずると収縮し、人間の身に戻る。
「どうでしたか? 違和感の正体が分かりましたか?」
「……えぇ。分かりました」
もっとも真実を話して良いものだろうか。
この世界は私を封印するためだけに創られた檻であり、そこに暮らす者達は私を楽しませるだけのただの駒のようなものであると伝えるか。
それはそれで面白い反応が見られるかもしれないが、それ以上に現状が面白くない。箱庭での一人遊びほど虚しいものは無い。
何より誰かに閉じこめられている現状を許す事が出来ないのだ。
「さて、ハワトさん。先ほどの調査でこの世界が私を封印するためだけに創られた事がわかりました」
「――?」
ぽかんと理解の追いつかない瞳を向けられ、思わず苦笑してしまう。
まぁ世界の真実を教えられた人間がそれを理解するのは難しい事だろう。
「よって私は本当の意味での帰還を果たさねばなりません」
つまり閉じられた世界こじ開けねばならないと言うことであり、恐らくだがこの世界は内からの破壊を端に崩壊していく可能性がある。
その事を丁寧にハワトに教え込むと彼女はニッコリとほほえみながら言った。
「ナイアーラトテップ様がなされる事こそ一番の事だと思います」
「世界が壊れても、貴女は私と居るから破壊から免れると?」
「そ、そんなつもりはありません。確かに、死んじゃうのはイヤです。父さんとの約束を違えてしまいますから。それに、自分が終わる事を想像するだけで怖いです」
ふと、ジークに胸を突き刺されたハワトの姿が思い浮かぶ。
あの瞬間、彼女は何を思い描いたのか。絶望か? 怯懦か?
「ですが、ナイアーラトテップ様がそう望まれるのなら、わたしはこの身が滅んでも構いません。わたしはナイアーラトテップ様の従者。貴方様の気まぐれにより生かされている身です。それに、ナイアーラトテップ様はわたしが手に出来ないようなモノを与え出くださいました。そんなわたしが返せるものなどこの命くらいしかありません。ですので、ナイアーラトテップ様の御身のなされる事をなしてください」
『汝のなすべきことをしなさい』か。
中々懐かしい言葉だ。
それに私がたかが人間の言葉に振り回される事もない、か。
「では当面の目標をこの世界からの脱出としましょう」
「はい。でしたら『ネクロノミコン』に門の創造と言う呪文がありましたが、これを使って別世界に行くというのはどうでしょうか」
「良いアイディアですが、門の創造は距離を瞬時に移動するものであり、時間移動くらいなら問題ありませんが、世界を跨ぐ力がありません」
良い線だが、惜しい。
「では……。あ、ヨグ=ソトース様を招来するのはどうでしょうか?」
「兄上を? ふむ、確かに良いアイディアですね」
門にして鍵なる兄であれば世界を越える力を持っている。
確かに招来出来ればすぐにこの世界を脱出出来るだろうが――。
「しかし、兄上の招来する儀式には準備がいりますし、世界が閉じられているので外の世界から兄上を呼びつけられるかどうか」
「――? ですが、わたしはシャンタク鳥の招来に成功していますよ? 呼べば来ていただけるのでは?」
――!
確かにハワトはシャンタク鳥を招来させ、盗賊を襲わせていた。
その上、シャンタク鳥を使ってお使いまで頼んでいたではないか。
ならばこの世界と次元を繋ぐ通路が存在するはず。恐らくその通路は時間と共に閉じられているはずだが、空間として他に比べ脆いはずだ。そこを突けば――。
くすくす。待っていろよ、ノーデンス。すぐに会いに行くぞ!
◇
無辺の白い世界。そこで一人の老神が髭をいじりながらイルカのような生物の背を撫でる。そのイルカは水もないと言うのに苦もなく、空中を浮遊するように漂い、老いた主神を気遣うようにキュルルと愛らしい鳴き声をあげた。
「よしよし。これで一段落ついたわい。ふぉっふぉっふぉ」
ギリシャ神話をモチーフにした彫像をそのまま生き写したかのような風体の神――ノーデンスは愛らしいペットであり、数々の戦を共にしてきた戦友を撫でながらいよいよ満足感を露わに高笑いする。
その傍らにはエジプトのミイラを思わせる白い包帯に体を包まれた子供のようなモノが何もない空間にイルカ同様に浮遊し、それを一瞥したノーデンスの口元により深い笑みが宿る。
「まさかこの歳になって眷属を新たに創るとはな。じゃが消耗したかいのある出来じゃ。お前もそう思うじゃろ」
「きゅるー!」
「ふぉっふぉっふぉ! そうじゃろう、そうじゃろう。ニャルラトホテプを封印するためだけ神を作るのは非効率じゃが、それでも奴が居なくなるのならこれくらいの手間はおしまん」
「きゅー?」
「なに? あの世界がトファーセボルの夢の世界だと奴が気づかないかじゃと? なに、少なくとも数百年はばれんじゃろ。異世界と言う言葉に釣られておったし、奴がトファーセボルの夢に飽きないようにいくつかアーティファクトも放り込んで一筋縄では攻略できぬようにしてある。ニャルラトホテプが飽きる頃にはトファーセボルそのものを次元の彼方に幽閉する事も出来よう。そうなれば奴はこの世界へ帰還する事も出来なくなる。つまり勝負は奴がトファーセボルの夢に入った所でついておるのじゃ。ふぉっふぉっふぉ!!」
まさに完璧な計画だと言わんばかりにノーデンスは顎がはずれんばかりに歓喜を露わにする。
「大いなる戦争に勝利して以来、旧支配者共から知性を奪って封印する事が出来たが、ニャルラトホテプだけはそれが叶わなかったからな。約定故、致し方なかったが奴ほど知性を封印されなければならぬ邪神はおらん! それを為したのじゃ。我ら旧神の悲願たる安定した世界の構築は目前と言えよう! いやぁ清々するわい!」
「きゅるるー!」
「そうじゃろ、そうじゃろ。これで真の大いなる戦争が終わるのじゃ。実に良い日じゃな。ふぉっふぉっふぉ!」
「きゅっきゅっきゅっー!」
世界を滅亡に導く悪しき神々が居なくなり、旧神が望んだ世界がやってくる事に高笑いする二人。
だが唐突にその笑いに混じって「ピギッ」と言う悲鳴が混じった。
「ん? なんじゃ――?」
その声の主は包帯に包まれたトファーセボルから発せられ、その頭部に一線の血が滲んだかと思うとまるで口を開けるようにその頭部が包帯を突き破るように開帳する。
「うあ!? な、なにが起こったのじゃ!?」
解き放たれたトファーセボルの頭部からおびただしい鮮血が白い世界を染めて行く。それに目を覆ったノーデンスの耳にありえない声が響いた。
「あぁ、お久しぶりです」
「――!?」
楽しげに語り合っていたノーデンスの顔が一気に強ばり、悪鬼を思わせる形相が私達を射抜く。
「お元気そうで何よりです。ノーデンスさん」
「き、貴様は――!? ニャルラトホテプ!? い、一体どうして!?」
「なに、箱庭で一人遊ぶのがイヤになりましてね」
考えれば簡単な事だった。私が異世界にたどり着いた最初の場所――ハワトの村にほど近いあの森。あそこが次元を繋ぐ通路だったのだ。
そこには巧妙に平凡な見せかけと言う偽装魔法がかけられていた。これは対象をありふれたものと幻視する魔法であり、モノを隠したりするのに打ってつけの呪文である。
もっとも本気で精査すれば平凡な見せかけくらい看破出来たのだろうが、異世界の魔法のレベルが低い事から自分達と同レベルの魔法がそこにあるなど思いも寄らなかったか。ハッキリ言って油断していた。
そしてそれを証明するようにノーデンスの脇には痙攣するミイラが一体――あれがトファーセボルか。
ふむ、頭部を破ってこの世界に戻って来たと言う事は奴の夢の世界にでも幽閉されていたのか?
まぁ今となってはどうでもいい。
「さて、旧神の分際でよくも私をコケにしたな? もちろん覚悟は出来ているんだろう?」
「なッ!? ――ん? その小娘は?」
「これは私の従者です。優秀な――」
ふとハワトを見やると彼女の体が薄らいでいる事にきがついた。ぼんやりとだが、彼女の体を通して背景が見て取れるのだ。
「あれ? あれ!? な、ナイアーラトテップ様!? か、体が!?」
「ふぉっふぉっふぉ。お主、無理にトファーセボルの夢から出て来よったな? そのせいであの世界が――トファーセボルが崩壊を始めたのじゃな。畜生め! お前を閉じこめるためにどれほど苦労してコイツを作ったと思っておる!」
急に激情を露わにするノーデンス。そして気がついたがトファーセボルの割れた頭からスッと黒い球形の物体が姿を現す。全ての光を吸い込んでいるのではないかと思えるほどの完璧な黒。
その完璧な黒に亀裂が入り、パラパラと破片がトファーセボルと呼ばれたミイラを汚していく。
「世界が崩壊するのじゃ、その世界のモノすべてが壊れる。全て、全てお主のせいじゃぞ! ニャルラトホテプ!!」
「やれやれ。このように不完全な世界を創るとは、それでもあなた、神ですか?」
「うるさいわい! こうなれば今日こそお主の息の根を止めてやる!」
「そうイキらないでくださいよ。私もあなたをぶっ殺したくなっちゃうじゃないですか」
崩壊する世界。それと同時に消えゆくハワト。そして絶対に私を殺そうとするノーデンス。
くすくす。面白い。面白いぞ!! 高難易度のゲームほど面白いモノは無い。さぁ私を楽しませてくれ!




