真の決闘
こちらは現在24部分になっている『世界の真実』の冒頭にてサラッと書かれていた新たな時間軸での決闘を詳細に書いたものです。
それに合わせて『世界の真実』の冒頭も改変いたしました。
「ふん。良い? ルールは相手を戦闘不能にするか降参させるかよ! どう? 恥をかく前に降参したら? 今なら許してあげる!」
クレアからまさに最後通告がハワトに突き付けられるが、当の本人は興味無さそうに虚空を見つめるばかり。
それはクレアの逆鱗に触れるには十分な態度だった。
「む、無視!? 良い度胸ね! 覚悟しなさい!」
クレアがローブの下から三十センチほどの杖を取り出し、まるで銃口を向けるようにハワトにその杖先を突きつける。
ふむ、マジックアイテムか。
「あれは俺がクレアにあげたイチイの杖!」
「おや、プレゼント品ですか」
気づく隣に居たジークとアウグスタに思わず問いかける。
もうすぐ演目が始まると言うのにこのちょっとした時間が我慢できないのが私の悪い癖だ。治す気はさらさら無いが。
「えぇ。クレアがBランク冒険者になったお祝いに俺が送ったんです。魔力増加と魔法攻撃に補正のついたエンチャントがかかっていて。あれを使うという事はクレアの奴、本気を出すつもりです」
「そ、そうですか……く、す」
「――? どうしたました? 大丈夫ですか?」
……あのボロ杖がマジックアイテム? こいつ、私を笑い殺すつもりなのか?
いよいよ幕が上がる時に一人高笑いをしていてはマナー違反だから我慢しているが、まったくもって片腹痛い。
「行くわよ! 炎よ! わたくしに力を与え給え! エクスプロージョンッ!!」
渾身の詠唱と共にふわふわとした光がクレアの周囲に輝き、杖先に魔力が集約される。そしてそれは弾丸のように飛び出し、ハワトに直撃するや目を覆う閃光と共に爆発を起こして砂煙を巻き上げた。
なんとまぁ派手な攻撃だ。
「ふん、こんなものかしらね」
「ちょ!? クレア! 上級火炎魔法なんて人に向けて打つもんじゃないだろ! 怪我じゃすまないぞ!」
勝利宣言に違わないクレアの呟きにジークが慌ててクレアと煙に包まれたハワトを見やる。
訓練所にて期待のBランク冒険者と一週間で急速にLvを向上させた新人冒険者との決闘を見物しようと詰めかけていた他の冒険者達も一様にハワトの安否を心配するようなざわめきを生んでいて非常に不快だ。
「けほッ。けほッ。なんですかこの煙!? びっくりしました」
そして煙の中から現れたのは砂煙に涙と咳をこぼす無傷のハワトだった。
ふむ、見た所三半規管にも異常は無さそうだ。
爆発したと言う事は周囲の気体が急速に膨張したと言う事でもあるし、爆発の真っただ中に居たのだから鼓膜等にも影響が出そうなものだがハワトにその兆しは無い。
この世界の魔法とは実に不思議なものだ。
「それじゃ、ナイアーラトテップ様とのお約束通り貴女の攻撃を受けましたので今度はわたしの番ですね」
「な、なにを言っているの!? 上級火炎魔法を食らって無傷なんてどうなっているの!? まさかそのローブに反魔法のエンチャントでもかけてあるって言うの!?」
「――? よく分かりませんが、いきますよ」
白い少女の口の端がありえないほど歪み、笑顔の形を作り出す。禍々しく、忌まわしい表情にクレアが一歩後ずさる。だがさすがは歴戦の冒険者。すぐに杖を構えなおして第二撃を放たんと口を開くが――。
「 。貴女は、魔法の詠唱を全て忘れてしまう」
ハワトの口から人間の声帯では発音し得ない言葉を唱える。人の精神を逆撫でするような原初の恐怖が歌われ、彼女の口から呪わしき命令が発布された。まるで催眠術をかけるような、暗示をかけるような断定的な言葉を無視するようにクレアが魔法を唱えようとして――。
「――――。……え? うそ!? 詠唱が、思い出せない!?」
ハワトの邪悪な祈りの正体は記憶を曇らせる呪文だ。
これは対象の特定の記憶を封印する魔法であり、これを解くには術者が同じ呪文を使わねば解けない呪いでもある。
つまり今、頭を抱え震える少女は己のアイデンティティーを喪失した。
「ど、どうして!? どうして思い出せないの!? あんなに一生懸命に勉強したのに。大学も主席で卒業して、やっとお父様にも褒められたのに――!? どうして――!?」
「あれ? あれれ? お得意の魔法はどうしました? わたしの順番は終わりましたよ。さぁ、どうぞ。魔法使い様」
だがわなわなと震えるクレアはすでに戦意を喪失したに等しく、一向に攻撃の素振りを見せない。
まさか攻撃の手段が魔法だけと勘違いしているのだろうか? 魔法が使えないのならその杖でハワトを殴れば良いし、杖が折れたら腕がある。腕も無くなれば足で蹴れば良い。
さすがに足も無くなったら口で噛みつけだとか精神論まで唱える気はないが、少なくとも外なる神たる私に立ち向かったハワトのような気概は見たかった。
しかしハワトの暗い瞳に光が灯る。嗜虐心と言う名の光が。
「おや? おやや? 無視されるんですか? あれほど大口をたたいていらっしゃったのにその程度ですか? ではこんな魔法はどうでしょう。 」
「ひゃぁ!? 何これ!? う、腕が、か、体中の皮膚が腐っていく!? や、やだ!? やだやだ。落ちないで!! 骨見てちゃう! ダメ……!」
クレアが腕を抱き寄せ、もがくようにガクリと膝を着いた。まるで自分の皮膚が腐り落ちていくのを目の当たりにしているような彼女の口からひと際大きな悲鳴が立ち上る。
「あああッ! お、お腹! お腹がこぼれちゃう! きゃあああッ!! だめ! だめぇ!! こぼれないでッ!!」
今度は腹を抑え、そして何も無い砂の敷き詰められた地面から何かをかき集めるように手が慌ただしく動き出す。その瞳に移るは腐って破けた腹から飛び出した内臓しか映っていないようで完全にハワトの存在を忘れているようだ。
「くくく、くすくすくす。腐った外皮の呪いか。ハワトもまたえげつない魔法を使った物だ」
この魔法は相手に自分の皮膚が腐る幻覚を見せる魔法であり、実際に皮膚が腐り落ちて内臓が飛び出すような事は無い。つまり全てクレアの夢なのだ。
だが例えそれが幻覚だと分かっていても己の皮膚が生きながらにして腐り落ちる様を見せられて正気を保てる人間は多くない。
その顔は涙に鼻水に涎に汗に染まり、てかてかと恐怖に光っている。
そんなクレアにハワトはゆっくりと歩みより、慰めるように砂をかき集める手を握った。
「どうですか? わたしの魔法は?」
「ひッ!?」
「わたしはちゃんと魔法が扱えるのに偽物と決めつけるから貴女は魔法を忘れ、皮膚が腐れ落ちる魔法をかけました。わたしに言うべき言葉があるのでは?」
「……。ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!! わたくしが悪かったです、どうか許してください!」
――くすくす。くくく、くすくすくす!!。
その笑みは私のものだったのか、それとも別の誰かのだったのかは分からない。それよりも――。
あぁだめだ。演目の最中だと言うのに笑いがこみ上げて来る。
先ほどまで己の力に絶対的な確信を抱いていた少女が今、恥も外聞も憚らずに頭を地に擦り付けてハワトに許しを乞うている。
それを目の当たりにしたハワトはゾクゾクと背筋を震わせる。まるで絶頂しているかのように身をくねらせ、頬を興奮に染め、瞳に愉悦を宿して彼女は節くれた指を口元にあて、一瞬のうちに聖母も斯くやという笑顔を作る。
だがそのガラス玉のような無機質な瞳は、一切笑っていない。
「良いですよ。わたしを偽魔法使いと言った事は許します」
「ほ、本当!? わ、わたくし、魔法くらいしか取り柄が無くて。だから思わずムキになってしまって。でも、ありがとう、許してくれて、ありが――」
「でもナイアーラトテップ様を詐欺師呼ばわりした事は許しません」
「え……?」
「 」
ハワトの無慈悲な審判にクレアの顔が凍り付く。くすくす。ここで我が名を出されるとは思わなかった。
どうもハワトは思ったより腹に据えかねていたらしい。従順な信者と言うのは見ていて気持ちが良いし、何より先ほどまで安堵に弛緩していたクレアの顔の変化が見ていて最高だ。
その上、ハワトはストーリーに山と谷が必要なのだと一人でに導き出した!
まさに私が求めた以上の舞台。あぁ素晴らしい! 最高だ! くくく、くすくすくす。
「や、やだ……。なに、そ、そんな――。ゆ、許して」
消え入りそうな声に汁を垂れ流し、雪山の中に居るようにガクガクと震えるクレア。その決壊は人形のように整った顔に留まらず、ついに下半身からも止めどなく流れ出した。
ふむ、今度は恐怖の注入か。これは心臓を凍り付かせるほどの恐怖を心に流し込む魔法であり、先ほどの腐った外皮の呪文同様精神攻撃の作用がある。先ほどからの精神を逆撫でするハワトの魔法チョイスによりいよいよクレアの顔から流れる涙さえも凍り付きそうだ。
「 」
そして無情にもハワトは悪夢の呪文を語る。この呪文は永続的に対象者が悲鳴を上げるほどの悪夢を毎晩見させる魔法であり、正気が削りきれるまで悪夢にうなされる事になる。
最早ハワトが魔法を解かぬ限り気持ちの良い目覚めを迎える事は出来ないだろう。その上、唯一自己を形成していた魔法さえ偽魔法使いに奪われる始末。
くくく、くすくすくす――。
「素晴らしい! 素晴らしいです、ハワトさん! さすが我が従者です。やはり貴女を従者にしたのは間違っていなかったようでうれしいです」
「ナイアーラトテップ様! お褒め下さりありがとうございます!!」
頬を上気させ、恥ずかしそうに愉悦に口元を歪める顔を伏せるハワト。やはり、やはり私が時間遡行しただけのかいがここにはあった。
くすくす。




