決闘騒動・5
「な、なんじゃこりゃ!? なんで動けないんだチキショウ!!」
その声の主は見るからに屈強そうな壮年の男だった。革鎧をつけていても分かる筋肉質な体がバッタのようにもがいているが、目に見えぬ何かに押しつぶされるかのように地面に縫い付けられていた。
ふむ、ぎゃーぎゃーと喚く様はゴブリンに通じるものがあるが、残念ながら人間の冒険者のようだ。
「おやおや。ハズレのようですね」
「……何が、起こってるの?」
不可視の触腕に絡めとられた男を直視したアウグスタの青眼が見開かれている。彼女の中で現実離れしてしまった現状をどう解釈すれば良いのか答えが見つからないのだ。
いや、見つかるはずもない。異形の神の御手によって男が拘束されているなど分かる訳が無い。
「な、何かいる……!?」
アウグスタが両手にナイフと短剣を構えて腰を落とす。第一級警戒態勢と言ったところだろうか?
だが残念ながら周囲に害をなしそうな生物は存在しない。何を勘違いしているのだろうと思っているとふとひらめいた。
もしかして不可視の触手を警戒しているのか?
確かに彼女からすれば正体不明の何かが男を取り押さえているのだから警戒心もつのるもの。
「ナイアーラトテップ様、これは一体なんなのでしょうか?」
「クトゥルフのわしづかみと言う呪文です。相手の行動を奪う効果がありますが、一定時間経つと拘束が解けてしまいます。しかし魔力を供給し続ければその分魔法は持続しますので長時間相手を拘束するには難のある魔法です」
さて講義もここまでだ。残念ながら狙っていたモンスターでは無いが、まぁ獲物は獲物だ。落胆こそ覚えるが贅沢を言うつもりはない。
「さて、ハワトさん。貴女はお店で買ったナイフを所持していましたね」
「はい、ナイアーラトテップ様!」
「待て。迂闊に動かない方が――」
「アウグスタさんは少々煩そうなので少し寝てもらいましょう。ハワトさん。精神的従属の呪文を」
ハワトは『ネクロノミコン』をめくり、少し目を見開いてからとあるページの呪文を淀みなく詠唱する。すると即座に呪文の効果が表れ、アウグスタの目から光が消え去った。もっともそれと同時にハワトの体がグラリと傾いたので彼女の肩を抱いて支えてあげる。
「大丈夫ですか?」
「す、すみません。『ネクロノミコン』の内容を意識してもいないのにスラスラと読めてしまって……」
早速昨日の調整の効果が出たか。全ての言語をハワトの脳に直接ダウンロードしたおかげで彼女は文字情報を見るだけで言語に変換できるようになっている。故に『ネクロノミコン』の他のページさえ目に入ってしまえばそこに何が書かれているのか流し読みの状態だが、理解してしまう。
これで色々と捗るはずだ。
「ではハワトさんのギルドカードを拝見しましょう」
「どうぞ。これがわたしのステータスなのですね。文字が読めると言うのは新鮮です!」
「くすくす。これからは様々な物を読み解き、理解せねばなりませんが、まずはその気持ちを楽しむのが良いでしょう。ではこれからいくつか試したい事があります」
まずはどのような仕組みでLvが上がるか調べなくては。もっとも検体一つでそれが分かるとは思っていないし、複雑な要因によってLvが上がるのかもしれない。
それには検体の母数を多くして調査すればおのずと知れる。まずは一体目から。
「ではハワトさん。試しにその男を死なない程度にナイフで切り付けてみてください」
「はい、ナイアーラトテップ様!」
冒険者ギルドの前のお店で仕入れた三日月を思わせる反りの入った三十センチ弱のナイフを手にしたハワトが倒れ伏した男に近づいていく。
「た、助けてくれ! 身動きがとれ――。お、おい! なにするつもりだ! や、ヤメロー! 死にたくない!! 死にたく――。うわー!!」
ジョキジョキとハワトが男にナイフを滑らせて肉を切り分けて行く。
「そこまでです。ギルドカードに変化は?」
「えと……。ありません」
「ふむ、そうですか。でしたらもう少し続けてください。私は出血の加減を見ておきます」
簡単に死なれては困る。適度に経過を観察しつつ時折ハワトのギルドカードに変化無いか確認する行為を続け、続けて……。
ふむ、ただ傷つけるばかりでは無意味なようだな。
「ハワトさん。少し休憩にしましょう。貴女も疲れたでしょう」
「いえ、そんな。わたしはまだやれます!」
「それは頼もしい。しかしそろそろ鼻血の方を拭った方が良いと思いますよ」
「え? ほ、本当ですか!? やだ、恥ずかしい……」
静かになったアウグスタに精神的従属の呪文を施し続けていたハワトの鼻筋からタラタラと流れ出るそれを彼女は羞恥に染まりながら隠す。もっとも男の解体に勤しんでいたその手の方がべったりと赤が付着しているが、そこを指摘しては恥の上塗りになりかねない。
それは女性に対して失礼だろう。
「さて。治癒の呪文でもかけておきますか。 」
本来なら傷の治りを助ける程度の呪文だが、周囲の魔力をも使いこんで即座に傷を塞いでいく。まぁ断線した神経やら筋肉やらが誤着する可能性は否定できないが、どうせ生きては帰さぬつもりだから問題ない。
そもそもここまでしてLv上げに固執する必要があるのだろうか? ギルドカードを書き換えてしまった方が早いし、確実だし、簡単だ。
いや、待て。確かにLv上げに飽きてしまっているのは否定し難い事実ではあるが、ここで魔法を使っては面白みに欠けてしまう。もう少し粘らなくては。
「いやはや。私の悪癖が出てしまっていますね」
「ナイアーラトテップ様に悪癖がおありなのですか?」
「それを言うなれば我々外なる神や旧支配者は人間にとって悪癖しか持っていませんが、まぁ人間風に言うと私は飽きっぽいのです。単調な作業が嫌いで、刺激に飢えているとも言えます」
もっともそれでいてチートは物事の難易度を下げ過ぎてよりつまらなくしてしまうから使いたくないと面倒な性格をしている。我ながらに手に負えない性格だ。
「そうなのですか。それじゃここは終わりにして別の獲物を探しましょう!」
「え? いや、それは早計に――」
もっとも私が止める間もなくハワトは何かを小さく呟く。すると棒立ちしていたアウグスタがよろよろと歩き出したかと思うと手にしていた短剣を男へと突き刺した。
せっかく傷を塞いでやった男から鮮血が再度吹き出し、それを正面から浴びたアウグスタが段々と赤に染まって行く。
私の労をなんだと思っているのかとハワトに問いただそうとした時、彼女の口から「あ」と言う言葉がもれた。
「ナイアーラトテップ様! Lvが上がりました! Lv8になりました!」
「……相手にダメージを与える行為が経験値になるのではなく、相手の息の根を止めた場合にLvが上がるのでしょうか」
ふむ、怒りよりも興味が優るな。
それに刺激的な実験になりそうで楽しみだ。くすくす。




