モンスター討伐へ・2
眼前の少女の顔立ちは高潔そうな美しさをたたえた顔に安心なさいと言いたげな笑みが浮かんでいる。
と、その時だ。仲間割れをしていたゴブリン達の奥から一人の少年が飛び出してきた。革鎧に長剣という出で立ちの彼は慣れた手つきで剣を大上段から振り下ろし、一太刀の元に一匹のゴブリンの命を摘み取った。
「はああッ!」
そして彼は返す刃で逆袈裟に残りのゴブリンを斬り伏せてしまった。
なんて事だ! なんて事だ!! せっかくの見せ物を!! ハワトが精神的従属の魔法をかけたと言うのに!!
これは台無しだ。面白くない。面白く、無い!!
「ふぅ。危なかったですね。奴らが偶然にも仲間割れを起こしていなかったら間に合わなかったかも。運が良かった」
少年は剣を振るって血糊を払いながら聞いてきた。運が良かっただと? ふざけているのかこの餓鬼。体から脳を摘出して円筒に詰め込んで人間が感じ取れる最大の苦痛を味合わせてやろうか。
「ナイアーラトテップ様落ち着いてください! 傷に障りますよ!」
「あら、怪我をしているの?」
赤髪の少女が駆け寄ってくるや完全骨折してしまった左腕を手に取る。
「見せてみて。わたくし、ヒールに覚えがあるの」
「……お手柔らかに」
慎重に背広を脱ぎ、シャツの袖ボタンを外すとそこには紫色に変色した前腕が現れた。腫れはそれほどではないが、放っておけば倍ほどに膨れ上がって感染症の元になる未来が見てとれる。
ふむ、解放骨折では無いのが救いか? 何にせよ地球の病院であれば早急に患部を固定して抗生物質を投与されるのだろうがこの世界の医療技術ではどこまで出来るだろうか。
まぁ中世の治療と言えば切断がポピュラーだろう。腕の一本くらい別になんでも無いし、最悪生やせるからそれでも良いのだが――。
「ちょっと動かないで。【癒しの力よ、傷を治せ。ヒール】」
少女の手が傷口に当てられると優しげな光がその掌からこぼれる。これは身体の治癒能力を向上させる魔法か。
だがこのままでは骨と骨が歪んで癒着してしまうかもしれない。
「ちょっと動かないで!」
「いやぁ、痛くて動いてしまうのですよ」
「ま、軽口が言えるのなら大丈夫ね」
ふむ、このように動かしておけば正常にくっつくだろう。これで機能障害も残らないはずだ。
そう言えば気づくと紫に変色していた腕がいつの間にか元の浅黒い肌に戻っている。
「ふぅ。これでよし!」
「これはこれは。助かりました、お嬢さん」
すると少女は「お、お嬢さん!?」と驚きの色を浮かべた。はて、何かおかしな事でも言っただろうか。
それを聞こうかと思った矢先に少女の背後の藪ががさがさと音を立て、そして新たな少年――いや、少女が出てきた。
緑髪を少年と見間違うほどのショートカットにした青眼の少女だ。動きやすそうなぴったりした長袖の上着の胸が若干盛り上がっている。その腰には二振りの短剣が下げられ、ホットパンツを履いている。この少年と少女の仲間だろうか?
「ジーク。辺りを探すたが、今の所この辺に他のゴブリンは居ない」
「ご苦労様。アウグスタのおかげで二人を助けられたよ」
緑髪の少女――アウグスタは頬を染めながらそっぽを向き、「別にそんな」と呟いた。
だがそれが気にくわないのか赤髪の少女が「わたくしはどう?」と問いだすと少年はさっきの魔法は流石だったよと即答で答えた。
「さすが飛び級で大学を出ただけはあるな」
「当然よ。【解放者】の一員なんだからこれくらい出来ないとね」
楽しげな会話を聞いているとベストの裾がついっと引っ張られた。
振り向けばハワトが困ったような笑みを浮かべており、この状況をどうしたものかと目で聞いてきているようだった。
ふむ、せっかくの楽しみを台無しにされたのだからそれ相応の報いを与えてやりたい気持ちではあるが、腕を治された手前怒りを露わにするのも不躾か。もっともあの療法では腕に障害が残ってしまうのでありがた迷惑とも言えるが。
「まずは腕を治療していただいた事に感謝を」
「別に良いのよ」
「そうですよ。困った時はお互い様です」
ジークと呼ばれた少年の言葉に残りの二人が頷く。
「でも危ない所でしたね。ゴブリン四匹に囲まれるなんて。そちらの近接職はどうしたのですか?」
「近接職? あぁ、前衛の事ですか? そのような方はいらっしゃいません。私達二人で討伐クエストなるものに挑んでおりまして」
するとジークは驚いたように目を見開いて困惑を露わにした。
「近接職も無しに探索なんて自殺行為ですよ! もしかして初心者?」
「えぇ。先ほど冒険者ギルドにて登録してきたばかりです」
「あのですねぇ。討伐クエストは遊びじゃないんですよ。どこぞの貴族の方か知りませんがそんな気持ちでクエストに挑んでちゃいずれ怪我だけじゃすまなくなるに決まっている!
今日はたまたま俺たちが近くに居たから良かったものの、あのままじゃゴブリンに袋叩きになって殺されていたはずです。
それにこんな無茶なパーティー編成に付き合わせた彼女が可哀想だ! 権力に物を言わせて無理に付き合わせているんでしょうが、他人を巻き込むなんて人としてどうかしている!」
おやおや。まさかこんな子供に説教を受けるとは思わなかった。まぁ私を貴族と勘違いしている早とちりさんには反論の刃で切りかかっても無駄だから黙って話を聞いてやろう。
こういう手合いとは嵐が去るのを待つように言いたい事を全て言わせて頷けば満足して話が終わる事が多い。”良い事を言っている”自分に酔う連中への対処は沈黙と同意が一番効果的なのだ。
だがジークの言葉にハワトは顔をゆがめ敵意をちらつかせながら反撃に出てしまった。
「あの、わたしはナイアーラトテップ様に無理やり付き合わされている訳ではありません。むしろわたしがナイアーラトテップ様に拾われたのです!
それにさっきのゴブリンもナイアーラトテップ様からいただいたこの魔導書を使って操って仲間に攻撃するよう命令していたんです。偶然仲間割れが起こった訳じゃありません!」
「ゴブリンを操る? そんな魔法あるわけ無いじゃない。何を言っているのよ」
今度はハワトの反論に赤髪の少女が噛みついてきた。どうも魔法に一家言あるらしく、胡散臭そうにハワトを見ている。
「そもそも複雑な思考をする生物を意のままに操れるなんて神話に出てくる失われた魔法くらいしか無いわよ。もっとも本当にそんな魔法があったのかはなはだしい疑問だけどね。そんな神代の魔法が使えるなんてすごいのね。一体どこの魔法学校を出たの? 言ってみなさいよ」
「――ッ」
「ははぁ。分かった。さてはそこの貴族に騙されてる? 魔導書を読めば魔法使いになれるとか言われてるんじゃないの? それともその人にカッコいいところを見てもらいたいの?」
「ち、違う!」
パンっと手を打ち鳴らす。このままでは埒があかない上に血を見る事になりそうだ。
「ハワトさん。時には自重が必要なのですよ」
「わたしが罵られた事は別に構いませんが、ナイアーラトテップ様の事を辱められたのですよ! 許せる訳がありません!」
「その気持ちだけで十分満足です」
魔女帽子の上からハワトの頭を撫でてやると彼女は怒気を忘れたようにはにかみを浮かべて「ナイアーラトテップ様がそう仰るなら」と折れてくれた。うん。とても良い娘だ。
「ちょっと、何話をまとめているのよ。それより貴女、その男に騙されているんじゃないの? 頭撫でられただけでうっとりしちゃって。チョロイんじゃないの?」
「な!? ナイアーラトテップ様! やっぱりわたし、許せません!」
「はぁ。ハワト、控えろ。私を煩わせるつもりか?」
「い、いえ! 申し訳ありません!!」
「……さて、ジーク君と言いましたね。様々な忠告には感謝しましょう。しかし無用な軋轢が生まれるのは本望ではありません。貴方はどうです?」
ジークは「そうだけど」と顔をしかめる。ふむ、私の仲裁は不服のようだ。
まぁ相手を嗜めていたと思ったら逆に嗜め返されたのだから不服にもなるか。
もっとも問題としては私とジーク少年との間は一応の解決を見せたが、ハワトと赤い髪の少女とのやり合いはまだ鎮火の様相を見せそうにない。あの勝気そうな少女はタイミングを見て再びハワトを口撃する事だろう。やれやれ、女とは面倒でいけない。
だが助け船は以外にも緑髪の少女から発せられた。
「まだ遠いけど近づいてくる気配がある。何かまでは分からないけどゴブリンが呼んだ仲間かも」
「まじか!? ならさっさと剥ぎ取ってここを離れよう」
あの娘、気配を読めるのか。確かにここから五十メートルほどの距離に何か動く気配がある。
まぁおかげで議論も終わりだ。私達も得る物を得て移動しよう。
「ハワトさん。ゴブリンの剥ぎ取り方は知っているのでしたね」
「はい。胸の所に核となる魔石があるはずです。それをギルドの窓口で交換すれば報酬が貰えるんです」
そう言いながらハワトの口から小さく「あ……!」と声がもれた。
「も、申し訳ありません。ゴブリンを解体するための刃物がありません……!」
「あらら。これは困りましたね。すいませんがジークさん。刃物を貸していただけますか?」
「え? まさかですが、横取りするつもりですか?」
その言葉の意味が分からず首を傾げると赤髪の少女がはっきりとした怒気を顔に浮かべ抗議の声をあげた。
「ちょっと! 何様のつもり? ジークが倒した獲物なんだから魔石はわたくし達の物じゃない」
「ふむ、おっしゃる通り。もちろん我々が横取りしようだなんて事は一切ありません。あなた方が倒した三匹のゴブリンはどうぞ好きにしください。ですがそこの一匹は私達のものでは?」
「はぁ!? 何言ってるのよ。そもそも貴方達一匹も倒していないのに魔石だけもらおうだなんて図々しいわ!」
いや、そんな指図する貴女の方が図々しいですよ、と言いたいが、どうしよう。いや、“どうしてしまおう”。言葉ではおそらく意志の疎通が出来ない。ならば魔法で意志を伝えねばならない。そうだ。忘却の呪文を使って自分が誰かさえも忘れさせてしまおう。きっと面白いはずだ。
「早く。近づいてきてる」
「ちょっとアウグスタ。わたくしに命令するつもり!? それよりこの不届き者にお灸を据える方が大切じゃない?」
やれやれ。だいぶ嫌われてしまったようだ。まぁ強硬論を行使するのは容易いが、それでは面白くない。
しばらく耐えて面白みが無ければ強硬論に切り替えるとするか。軍隊にしろ警察にしろまず警告射撃をするものだからな。
「言っておきますが私達に戦う意志はありません。それとあなた達が倒したゴブリンが三匹。少なくともそれは事実ではありませんか。ならば新人冒険者である私達に仲間割れで自滅したその一匹を分けてくれても、良いのでは?」
「だからゴブリンの魔石は全部わたくし達の――」
「そうですね。まぁこちらもそこまでムキになるつもりは無いんで」
ジークの言葉に赤髪の少女が「こんな奴らに譲歩するの!?」と目くじらを立てるも、ジークは良いじゃんと飄々と返す。
「それに長居は無用だ。話をするのならアーカムに戻ってからでも良いだろ」
「ジークがそう言うのなら……」
彼らは慣れた手つきでゴブリンを開胸するとそこからピンポン玉くらいの大きさの青く光る石を取り出した。
ふむ、瘴気と魔力の固まりだ。あんな物がギルドに売れるのか。あれなら森に渦巻く瘴気と魔力を合成すれば作れそうだな。
少しやってみよう。ポケットの中にこっそりと合成を開始する。
「これで、よし、と。それじゃこれが貴方達のだ」
ジークが一粒のそれを渡してくれた。その間に私も一個だけだが同じサイズのそれを作り終える事が出来た。だが人工合成はこれっきりにしよう。森に行くだけで苦労無く魔石が得られては面白くない。
作業ゲーと呼ばれる永遠と同じ動作の繰り返しほどつまらない物は無いからな。
「ありがとうございます。では私達も戻るとしましょう」
「え? 戻られるのですか?」
「えぇ。忠告を受けた手前、探索を続ける訳には行きませんからね」
どこかで彼らと別れたら再度、森に入るとしよう。
「それじゃ、俺達も上がるとしようぜ」
「分かったわ」
「ん。ジークに従う」
おやおや。ジーク君には人望があるようだ。上手く仲たがいさせたら面白いのではないか?
だが面倒事はあまり好かない。早々にどう料理すべきか見極めるべきだ。くすくす。




