冒険者登録
ホテルミスカトニックはゆるりと流れる大河の岸辺に立つ閑静なホテルだった。
そのホテルに入る前に隣接する厩舎に馬と荷馬車を預けて、一階のロビーで受付をすます。幸い、二等室が一室空いていたのでそこを一泊だけ取る事にし、その足で冒険者ギルドに向かう事にした。
「ふむ、それにしても妙ですね」
ロビーを出てホテルミスカトニックを見上げれば五階建てのそれが私達を見下ろすようにそびえていた。そもそも宿施設が近代並に整備されているのはどういう訳だろう。
そもそも宿と言うのは何かと金がかかる。寝室の整備に食事、それらに関わる従業員への人件費。それに領主と言うのは税を取るために住民が移住しないように様々な法整備を行うものだ。それについてはハワトを見れば分かるが、村民などが旅行を行おうなんて発想がそもそも生まれないようにしているはず。
それなのにこれほど立派な宿が整備されているのは不思議だ。中世期――と言っても千年ほど幅がある上にヨーロッパは広いから一概に言えないが、少なくともあの頃など宿と言えば巡礼者向けに教会がそうした役割を担っていたくらいだったのに比べ、偉く進んでいる。
「どうかされましたか?」
「いいえ、ただ不思議な世界だと思いましてね」
「――? わたしからすればナイアーラトテップ様の方が不思議なお方だと思いますが」
「くすくす。そうですか?」
それから私達は冒険者ギルドなる場所に足を向ける事にした。もっとも場所に関してはハワトに心当たりがあるらしく、その案内に従ってミスカトニック川を横目にそこを目指すと――。
「ほぉ。中々大きなところですね」
二階建てのそこには剣を交差させたマークが描かれた看板が下がっており、そこに出入りする者も武器を身に着けた者が目につく。なるほど、あそこか。
「あそこが冒険者ギルドです。その向かいのお店は装備品の売買をしているギルド直轄のお店で、武器とか防具に魔導書とかも売っているんですよ」
「魔導書ですか。それは少し興味がありますね。では後程中を見てみましょう」
ギルドの扉を開けるとまず目についたのは銀行や郵便局を思わせる横に広がるカウンターと待合室、壁にかけられた掲示板を前に談笑する人々。
つぶさにそこを観察すればカウンターの一角の看板に登録窓口と書かれたスペースを見つける事が出来た。そこに行くと清楚なブラウスにベストを着た受付嬢が見事な営業スマイルを浮かべ「いらっしゃいませ」と丁寧に一礼する。なんと教育の行き届いた受付嬢だな。
「新規の登録をしたいのですが、こちらで大丈夫でしょうか」
「はい、新規の登録ですね。登録される方は……?」
「私と彼女です。二人分をお願いします」
「かしこまりました。登録に際して加盟費としてお一人様につき五千ゴールド。また別途で年会費五千ゴールド――合計一万ゴールドになりますが、よろしいでしょうか?」
ふむ、加盟費と年会費が取られるのか。これで残りの手持ちは四万ゴールド。まぁここで渋っても始まらない。それに金は使わなくては価値が無いのだから無為に抱き込んでいる必要もないだろう。
「えぇ、かまいません」
「ありがとうございます。では登録の前に当ギルドについてご説明はいりますか?」
「お願いします」
受付嬢の話をまとめると冒険者ギルドと言うのはステサキャサム王国とよばれるこの一帯を治める国の方々に支部を設ける冒険者の互助会であり、これに加盟する事でクエストの受注や身分の保障がされると言う。だが犯罪行為やギルドの規約違反者にはその資格が剥奪されると言ったペナルティーが下されるそうだ。
規約に関してはクエストを受ければ依頼内容に過度な齟齬が無い限りそれを完遂する、クエスト遂行中の死傷にギルドは責任を持たない、クエスト失敗時のペナルティーと罰則金について等々について説明された。
「また、当ギルドはステサキャサム王国を中心に支部を設けておりますのでクエストの達成報告等は最寄りのギルドまでお願いいたします。以上、簡単な説明ですが、これでギルドに関しての説明を終わらせていただきます。何かありましたらいつでもお気軽にご質問ください」
「ありがとうございます。では早速質問なのですが、冒険者にはランクがあるそうですね。どういう基準なのか教えて頂けますか?」
確かハワトの村を襲った盗賊の頭領は自分の事をCランク冒険者と言っていた。あれでどの程度なのだろうか?
「はい、当ギルドにおきまして冒険者の質を表すためにS、A、B、C、D、Eの六ランク制を採用しており、登録された段階でその方はEランク冒険者になります。昇級に関しましてはLvやクエストの達成率、素行を踏まえてギルドにて討議した後に決定いたします」
「ちなみにCランクと言うのはどの程度の方なのでしょう」
「中には飛び級される方も居れば数年を経てそのランクになられる方もいらっしゃいますので一概には言えませんが、Cランクであれば基本的に五、六年ほど冒険者――平均Lv25くらい方が多いですね。ちなみにDランクへの昇級はおよそ一年前後で達成されますので焦らずに頑張ってください」
ふむ、そうなるか。他に気になる事もないし、そのまま冒険者登録へ進む事にした。
「では二人合わせて二万ゴールドですね。どうぞ」
背後でハワトが動揺しているのを感じつつ金貨を差し出すと受付嬢は「確かにお受け取りしました」と言いながら二枚のカードをカウンターの下から取り出す。
親指ほどの丸みを帯びた長方形のそれは鈍い銀色をしており、一見すると軍人が身に着けている認識票のようだが、魔法がかけられているようだ。
「こちらはギルドカードと言う物でギルドの登録証です。これに血を垂らしてください。そうすれば自身のランクやステータスと言った情報がギルドに登録され、それらの情報をいつでも閲覧できるようになります。クエストを受ける際の参考やパーティーを組む際に互いの実力を知る事が出来るようになりますのでぜひご活用ください。血を垂らすにはこちらに針がありますのでどうぞ」
ふむ、血を媒体にその者の本性を暴く魔法か。姿を惑わして偽る幻惑の対抗呪文とも見る事が出来る。
これなら身分を偽る事も出来ないから身分証として使えるのだろう。
その一枚と針を受け取り、血を垂らす。すると輝いていたはずのギルドカードが一瞬にして黒に変色してしまった。まるで銀を毒物に付け込んだかのような変化だ。
「これで大丈夫でしょうか」
「あれ? そんな!? い、いえ失礼しました! 大変申し訳ありません。すぐに御取り替えします」
「……どういう事でしょう?」
「本来なら登録者様の血に混じる魔力に反応して情報が書きこまれるのですが、そのせいで強い魔力を浴びるとこうして黒色に変色して使い物にならなくなる事があるのです。普通はドラゴンの魔法攻撃を受けるとか、国の大賢者を複数人集めた儀式の際にこうなる事があるのですが……。不良品かしら」
……まさか私程度の魔力に耐えきれない術式だと?
いや、よくよく考えれば私が少し魔力を込めただけで街道の結界がショートした事があったな。
まさかアレが一般的なのだろうか。だとするとこの世界の魔法は遅れていると言わざるを得ない。世界そのものは地球に比べて魔法を扱いやすい環境が整っていると言うのにそれに対して人間が無知すぎる。
これは予想外だ。
肉体――外見こそ人間のそれを被っているおかげで体力や筋力に関しては人間に準ずる身だから偽装はこれだけで良いと思っていたが、魔力の方も抑えなければならないとは。
これは少し厄介だな。魔力とは即ち精神力に直結する力だ。これを人間と同程度の華奢な精神に偽装しては私の精神そのものが私の神性に耐えられずに発狂する事さえありえる。
だがここで冒険者ギルドに登録しなくては面白くない。くすくす。
「お待たせしました。代えギルドカードです。こちらをお使いください」
「ありがとうございま……」
血のついた手でそれを触った瞬間、再びカードが黒化する。おかしい。先ほどと違って魔力の一部を封じたはずだが――。これは一体なんなのだ? まさか私の知りえない術式が存在しているのか? いや、そんな訳は無い。これほど未熟で稚児が使う様な技を魔法と呼称するような連中が私の偽装を欺く魔法を扱える訳が無い。ならばこれは一体どうしたと言うのだろうか。
「はわ!? すすすいません! すぐに新しいのをご用意します!」
その時、くいっと背広の裾が引っ張られた。
「どうしました、ハワトさん?」
「……凄い、形相ですよ」
ハワトの端麗な顔が青く歪んでいる。いや、私の方が凄まじい形相をしているのやもしれない。
くすくす。外なる神たる私が慌ててどうする。
「すいません。少し驚いてしまいまして。やはりここは不思議な世界ですね」
「ですからわたしからすればナイアーラトテップ様の方が不思議です」
「くすくす。貴女が外なる神の不思議を解き明かすにはしばし時間が要りそうですね。さて、仕方ないのでハワトさんが先に登録なさってください」
「分かりました」
ハワトは新しい針を受付嬢より受け取り、己のギルドカードに血を垂らす。
するとそこに黒の文字が浮かびあがり、『Eランク冒険者ハワト』やLv5、MP32/5と言った表記の他にも攻撃力や防御力と言った項目まで書かれていた。
ふむ、本来ならカードに施された魔法が血からその者の性質を読み取り、文字媒体として表示させる仕組みか。
「こ、これで大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫です。こちらですが、魔力を流していただくとより詳しいステータスが表示されますのでご確認ください。またこちらの情報は当ギルドにて一括管理しておりますので紛失等による再発行が必要な時は最寄りのギルドにお越し下さい」
「はい、ありがとうございます」
ふむ、ハワトは無事に登録出来たか。と、言う事はやはり問題はギルドカードそのものではなく私にあるようだ。仕方ない。魔力の大半を一時的に封印してしまおう。
「では私もやりなおさせ、て……。くださいますか?」
く、精神力を大幅に下げたせいで眩暈がする。
「大丈夫ですか!?」
「ナイアーラトテップ様!?」
「いえ、ただの貧血です。心配いりません」
これはただの貧血では無い。精神を人間並に下げてしまったせいで自身の神性に耐えるのがキツイ。
そんな状態でギルドカードを触ると全体に灰色がかりながらもなんとか文字を判読できる状態の物が出来上がった。
やれやれ。苦労させられる。
「これでどうでしょう?」
「一応これで大丈夫だとは思いますが……」
「なにか?」
「その、こういう状態の物は前例が無くて……。念のためギルドカードを確認してもよろしいでしょうか?」
受付嬢の申し出を快諾してギルドカードを渡すと再び彼女が凍り付いた。その理由を探るべく彼女の手にあるカードを覗くとそこにはLvの項目は黒い四角に塗りつぶされ、名前も『Eランク冒険者 』になっている上、MPに至っては『100』とだけ書かれ分母が消滅していた。
まるで私だけ別のゲームルールでプレイしているかのような錯覚を覚えてしまう。
少なくともギルド登録は失敗したと見るべきか。だが簡易な身分証はあって困るものではない。このまま登録をごり押しするか。
「 。もうよろしいですね。私のギルドカードに不備は無かった。そうですね」
「……はい、不備はありません」
受付嬢の瞳から光が消え、とろんとした虚脱を映しながらギルドカードを返してくれた。少々強引だが、これ以外に事を隠蔽する手段が無い。
まったくの想定外。いや、これはこれで良い。アクシデントと言う不意のプレゼントは何物にも勝る贈り物だ。それが作為であれ無作為であれ良い刺激になる。
だからと言って私の身が人でない事が露顕するのは好ましくない。故に忘却の呪文を使ったのは難易度云々を抜きに必要な事だったのだ。うん。
「ではクエストを受けたいのですがどちらに行けば?」
「……このカウンターの並びで受注できます。クエストは掲示板に依頼書を貼ってありますので、そちらからお選びください」
「ありがとうございます。つつがなく登録が出来て良かったです」
「……はい、ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
さて、一波乱あったがこれでいよいよ待望のクエストだ。まずはそれを楽しんでみよう。




