【第一章】目覚め(三)
ミナトに向かったスザクとこう、そして部下の二人もまた、どちらに逃げても兵が向かってくるという状況に悩まされていた。
向かってくる大軍を見て、スザクは船に引き返すことを決めた。
「大将、引き返すのはいいですけど、船は戦場のど真ん中ですよ!」
「まだ時間はある! 船をクレアス側に動かせ!」
まだ海水は腰のあたりまで残っていた。大きな船ではない。四人がかりで道具を使って動かせば、少しは進むだろう。
海水が減り、船がひとつも動かなくなったところでスザク達は中に身を隠した。
「屍に意識があるとは思えない。こんな船、相手にもしないだろ」
「……痛みも感じないのか」
こうの問いに、吐き捨てるようにスザクは答えた。
「死んでるんだ。感じねえよ」
やがて、何百何千もの足音が地面を揺らしながら近づいてくるのを聞いた。
船が大きく揺れた。右を、左を、馬が嵐のような勢いで駆け抜けていく。揺れによって荷物が転がり、ぎいと船が重く唸った。
バランスを取ろうとしたこうの足が、床が傾いた瞬間、ぐいと曲がる。
「いっ……」
「こう!」
スザクはこうの頭を抱え込んだ。上から木材が落ちてきたのだ。それはスザクの背中に落ち、床に転がった。
こうの息遣いが間近で聞こえてくる。この異常事態に恐怖しているのか、スザクの腕から逃れようとすることもなかった。
戦場を駆け抜ける足音はそのままツテシフの方向に遠ざかっていった。
暫くの間四人は声も出さずじっとしていたが、のんびりともしていられず、最初にスザクが立ちあがった。
「行くぞ、お前ら」
「……」
「こう?」
こうが俯いたまま、かすかな笑みを口元に浮かべる。
「置いていけ。死体ばかりの場所に医者はいらん」
立ちあがろうともしないのを見て、スザクはすぐに、彼は足を怪我したのだと察した。
こうの横顔がやけに大人びて見えた。そういえば、彼の方が自分よりやや年上かもしれない。
最初、ミナトの診療所で出会ったとき、偏屈で頑固そうな医者だと思った。今もその印象は変わらない。一度決めたらもう迷わない銀色の瞳は、錆びた壁をじっと見つめている。
スザクはこうの前で腰を下ろした。
「……足手まといになるのは嫌だ」
「借りた恩を返すのがうちのルールでさあ」
「義理でなど、助けられたくない」
「じゃあ俺が……俺がお前のことを必要としている、と言ったら大人しく助けられてくれるか」
こうの息を呑む気配があった。
「……嘘」
「嘘じゃない。あんたのことが、好きなんだ。純粋に。傍にいてほしい」
「――」
「お前が動かねえなら、俺も動かねえぞ」
覚悟を決めたのか、こうの細い腕が首にまわった。
ゆっくりと持ち上げ、スザクは呼気で笑う。
「すげえ軽いのな。ちゃんと食ってんのか」
スザクは立ち上がり、部下に「行け」と目で合図する。
外に出ると太陽が明るく地面を照らしていた。潮の匂いが残る空気のなか、四人は歩き始めた。
***
「……待って」
北と東に続く分かれ道の手前でマキバは立ち止った。
山をようやく登りきり、これからさあ北に下ろうか、というところであった。
「リト達と合流してきていいか」
山の頂上からツテシフの城を見ることができる。振り返れば、自分達が越えてきた海も見下ろせた。
「心配なのか」
「リトを連れてきたのは俺だからな」
マキバは義務的な理由を口にしたが、それが本心でないことは誰にとっても分かることであった。
ここでマキバとユーリが離れていくのはクロノとそらにとって不安の種が増えるようなものだったが、引き留めることはしなかったし、できなかった。
皆、己の意志でここにやってきたのだ。
そこに、なんの責任も感じないほど図太いわけではない。それでも、その責任に押しつぶされないくらいの信頼関係は、確実に築かれていた。
「分かった。ふたりとも気をつけろよ」
「ああ。すぐに追いつくさ」
マキバは余裕たっぷりの笑みを口元に浮かべて手を高く上げ、心配そうなそらにハイタッチを求めた。
「そら、笑っていけ!」
良い音が山に響いた。
……マキバとユーリの後ろ姿を見送って、そらとクロノは顔を見合わせた。
不安な気持ちを押し隠すように、ふは、とそらが白い息を吐いて笑った。
「やっと二人旅に戻れましたね」
「ばか。もっと嬉しそうな顔しろよ」
そらはわざとクロノの腕に鬱陶しく絡み、額を押しつけた。
「クロノさん、大好き」
「調子にのんな」
そらの頭を小突いて、クロノは早足で歩き始めた。
迷宮神殿はツテシフの最北端に位置している。その神殿を守るかのように北部には森が広がっていた。その森の入り口にひとつ、小さな村がぽつりと存在している。
ウサの家は、その村にあった。
背の低い家が何件か並んでいる。オレンジ色の屋根の前でクロノは立ち止った。
「……ここだ」
ドアの手前に立ち、懐から手紙を取り出す。千草色の封筒は長い旅により、少しだけ色あせた。
扉をノックしようとして、手を止めた。
手紙を持つ手が震える。
「――」
既に日は暮れていた。外に人気はない。
しかし、確実に人々が暮らしている気配はあった。きっと、この家でウサの家族も彼の帰りを待ちながら日々を過ごしている。
本来ならばウサが帰るはずだった。
「クロノさん……?」
会えない。どんな顔をして、ウサの両親の前に立てばいいか、わからない。
クロノは黙ったまま、手紙をポストのなかに入れた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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応援してくださった皆様本当にありがとうございます。これからも精進いたしますので、最後までお付き合いください!
次回は【第一章】目覚め(四)です。
よろしくお願いします(*´-`*)




