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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第四部】王国崩壊
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【第一章】目覚め(二)

 心臓がばくばくと音を立て、息もひどく上がっていた。槍を両手で握り締めながら、そらはその場にしゃがみ込んだ。


「ちょっと休憩するか……」


 そう言ってクロノも木に寄りかかった。


「お前ら、まだ寝るなよ」


 気温は相変わらず低い。その上冷たい海の水に浸かったのだ。動かないはずの身体を無理矢理動かしたため、体力はもう限界だった。

 しかし、幸いにもクレアス軍が到着するより早くツテシフに辿り着いた。今頃海の中心部で屍同士がぶつかりあっているはずだ。


 戦争は考えていたよりもずっと悲惨なものだった。あれだけ多くの人間があの場所で死んだのだ。


 そらは荷物の中を見た。

 もしかすると、という淡い期待を捨てられなかった。


「……」

「ハニがいねえのか」


 クロノに尋ねられた瞬間、そらは堪えていた嗚咽の声を漏らした。

 ハニが巻き込まれるなんて思ってもいなかった。なぜあのタイミングで外に飛び出したのか。

 隣でユーリまでがぼろぼろと涙を流し始め、マキバが慌てている。


「そら……」


 クロノは強い。あの状況の中、もしもクロノがいなかったら自分達は狂っていたと思う。そして同じ屍になりかねなかった。彼が場慣れしているのもひどく悲しいことであった。彼もまた兵として戦争に参加していたのだと改めて思い知らされたのだ。


「嫌なモン見たなー……」


 そう語りかけながら、クロノが頭をくしゃくしゃに撫でてきた。


「ハニなら大丈夫だ。何しろ小さいからな。きっとうまく隠れたさ。俺達より安全に逃げられたかもしれない」

「……」

「そら」


 宥めるように名前を呼ばれ、さらに涙が溢れてくる。困ったようにクロノは眉を下げ、しばらくの間、背中をさすってくれていた。




 幼い頃の夢を見た。自分は母に連れられ、夕日が沈んでいく水平線を眺めていた。


 ――これから貴方にはきっと辛いことがたくさん起こるわ。

 ――一国の王なんて、私達には荷が重いね。


 さざ波の音を聴きながら、母が優しく語りかけてくる。頭を優しく撫でながら。その細い指先から、一言では言い表せないほどの愛情が伝わってくるのだ。

 自分と同じく灰色の長い髪が風に揺れる。そらと同じく童顔で幼さが残るが、その横顔には確かに母の持つ強さがうかがえる。

 彼女に教わった歌はまだ頭の奥に響いている。それは愛された記憶と共にこれから先、死ぬまでずっと残っていく。


 ――丈夫に産んであげられなくてごめんね……。


 そんな声を聞いた。

 今彼女が生きていれば元気な姿を見せることができるのに。

 心配しなくてもいいよ。必ず皆と一緒に生きて帰って、幸せになるから――。




 四人は少しずつ薪を集め、火を点けて暖を取ったところで、朝まで死んだように眠っていた。

 誰も呉羽とリトのことについて触れなかった。皆、何よりもこの二人のことを心配していたのだが、どうしていいかわからなかったのだ。今は、口に出せば悪いことが起きそうな気がするほど追い詰められていた。


 翌朝、クロノが目を覚ますと、既に空が紫がかっていた。三人はまだ眠っていた。

 彼は、自分の膝の上に小さな紙きれが落ちているのを見つけた。くしゃくしゃに丸めたものをもう一度広げたような皺がある。何か書いてあった。


『リトと城に向かってる。後で合流するね。呉羽』


 そらの隣で見慣れたネズミが寝ているのを確認し、クロノは笑みを零した。


「ハニ……よく頑張ったなあ」


***


 戦場を抜け、呉羽とリトはツテシフの城に向かった。既に夜は明け、日が昇り始めている。疲れは最高潮に達していたが、そのままの勢いで山を一つ越えると、すぐに城に辿り着いた。


 やはりクレアスの城とは雰囲気が違う。こちらの方がこじんまりしていて静かだが、掃除や季節ごとの飾りは細かなところまで行き届いており、温かみが感じられた。


 久しぶりに目にするツテシフ城を前に、呉羽は微笑んでみせた。


「リト、大丈夫?」

「うん。呉羽ちゃんがずっと手、引いててくれたから」


 へらりと笑うリトはここに来るまで一言も弱音を吐かなかった。


「こっちに巻き込んじゃってごめん」

「そんなことないよ。私、外で待ってた方がいいかな?」

「お願い。一緒に来て」


 リトが不思議そうにこちらに視線を向けてくる。部外者が入っていいのかな、と言わんばかりに。


「私一人では、クレアスのことを説明しきれないよ。あと……」


 呉羽は素直に本音を漏らした。


「私、本当は怖いのかも」

「どうして? 会いたかったんでしょ」


 見慣れた庭園を抜け、裏庭に入った。正面から入るより、裏から直接姫の部屋に行こうと考えたのだ。


「これで元の生活に戻れるのかな」


 怖い。

 私がいないところで代わりなどいくらでもいるのだと、そう思い知らされそうだった。


(やっぱり、あの人の特別じゃないと嫌なんだ……)


 こつんと、リトの指先が大丈夫だよと言わんばかりに自分の手に触れた。


 呉羽は、窓に向かって小石を軽く投げた。コツン、という音がして、その石が落ちてくる。

 間髪入れず、窓が勢いよく開いた。


「姫、遅くなりました」

「え……」


 戸惑っている声に少し不安を覚える。ずっと消息を絶っていたのだ。その間に色々なことが変わっていたとしてもおかしくはない。

 しかし、もう一度呉羽が姫の名前を呼ぶと、次はしっかりした言葉が返ってきた。


「呉羽……? 呉羽なのねっ! ねえ、呉羽が帰ってきたわ! 早く誰か呼んできて!」


 長い金髪の女が窓から身を乗り出してきた。一年ほど離れていたのに、そのシルエットは全く変わらない。


「そら……?」


 リトが隣で呟いた。

 そう。長い金髪と金色に輝く目を除けば、あとの顔かたち、体形まで、姫はそらとそっくりだったのだ。


「ね、似てるでしょ……ってひゃあっ」


 呉羽が悲鳴を上げた。姫が二階の窓から飛び降りたのだ。そこには一寸の迷いもない。

 慌てて呉羽は駆け寄り、その小さな身体を受け止めた。


「なっ、何やってんのっ!」

「こっちの台詞よ! 今まで何やってたのっ……なんで、こんな……」


 呉羽の腕の中でしくしくと泣き出す。

 どうやら自分の考え過ぎだったようだ。自分の居場所はまだちゃんとあったようで……彼女は自分の帰りを待っていてくれた。


 裏口からじいやと妃さま、そしてあの日私を突き落とした娘が出てきた。娘が、じっとこちらを睨みつけてくる。


「呉羽……生きていたのか」

「なんとか。助けがこなかったんだけど?」


 じいやの言葉に呉羽は小声で嫌味たっぷりに返事をした。彼女が本音を漏らせるのはツテシフで姫とこのじいやだけである。


「悪かった……死んだと聞かされていたのだ。そちらの方は?」

「クレアスで倒れていた私を助けてくれたんです。それから色々あって……とにかく、リトも交えて話をしたいのですが」


 呉羽は妃さまの前では姫に敬語を使うようにしていた。姫に対して粗野な口調を使っていると知っているのはじいだけだ。


「でも、ふたりとも怪我をしているわ。先にその手当はしなくてもいいの」

「これくらい大丈夫です。クレアス王国で何が起こっているのか、まずは話さないと」




ここまで読んで下さりありがとうございます。

次回は【第一章】目覚め(三)です。

張り切って参りましょう。よろしくお願いします。

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