【第三章】懺悔の歌(三)
それから着々とライブの準備は進んだ。こんなに大勢の人達が一つの目的を達成するために一生懸命になるのは初めてで、そらもわくわくした。
「呉羽」
そらは練習中、手が空いていた呉羽を呼び止めた。
「何?」
「ちょっといい?」
そらは教会の外に出て、誰もいないのを確認した。
海の天気は変わりやすい。今日は晴天で、背中に暖かい日差しがあたって気持ち良かった。
「クロノさんとスザクさんと三人で話したんだけど、子ども達のライブが始まったら船を出そうと思ってる」
「!」
「みんなには言わないつもりなんだ。まさかこんな……戦争とか、そんなことに関わるとは思ってなかったから」
「私は船に乗ってもいいの」
「そうじゃないと帰れないだろ」
優しいなあ、と呉羽は笑った。
「……そら。色々ごめんね。本当に、たくさん傷つけたね」
「気にしてないよ」
事実、呉羽が悪いなどと思ったこともなかった。そりゃあ、互いに嫉妬や羨望が全く無かったと言ったら嘘になるけれど。
「あんたは、ほんとに……」
呉羽は頬をうっすら紅に染めて視線を逸らせた。
「……ありがと。でも、ほんとにいいわけ。皆に言わなくて」
「うん。なんかあった後では遅いから」
「そうだね。私もそれでいいと思う」
遠くから子ども達の歌声が聞こえてくる。明るくのびのびとした、なににも縛られない響きが天にこだまする。
「いよいよ明後日だね。うまくいくかなあ」
呉羽が呟いたと同時に、そらは教会へ向かう女の姿を見た。大きな帽子を被り、周りをきょろきょろと見回す。落ち着きのない様子から教会の関係者ではないことが分かった。
「誰だろ……」
「行ってみよ」
女の後に教会に入ると、何やら嬉しそうなシスターと目が合った。
「どうしたんですか?」
「ミツキくんのお母様よ。差し入れを持って来てくださったの」
「!」
そらと呉羽は驚いて、ミツキの眼と似て気の強そうな眼光を放っている女に視線を向けた。
「最近ミツキが妙に活き活きしてたからね。もしかしたらと思って来てみたの」
手にはスザクが町に配っているライブの広告が握られていた。
「広告を見た時は自分の目を疑ったけど、面白い思いつきだと思うわ。私達にはきっかけが必要だった」
リクにひじで小さく突かれたミツキが照れ臭そうに頭を掻いている。
そんな彼を眩しそうに見つめ、強き母はシスターに頭を下げた。
「きっと色々な人が色々なことを言うわ。でも決して間違ったことはしてないと思う。どうか負けないで」
順調に明後日の本番を迎えられると思った矢先のことだった。
おもちゃ箱のように楽しく明るい音楽は、何かが崩れるような大きな音に中断された。
「いちご!」
今まで何でもないような様子で皆と一緒に歌っていたいちごがひな壇から落ちたのだ。
前で見ていたそらは真っ青になり、突然倒れた彼女に駆け寄った。下の段にいたくうが咄嗟に庇ったおかげで怪我はなかった。
抱き起した体がひどく熱い。苦し気な呼吸を聞き、そらはすぐにこうを呼んだ。
こうはすぐに駆けつけてくれた。そしてしばらく様子を見た後、複雑な表情で言った。
「風邪だな。なぜこんなになるまで放っておいた?」
「気づかなかった……。確かに少し顔は赤かったかもしれないけど、さっきまで元気そうだったから」
「……どっかの誰かさんみたいだな」
「?」
風邪だとわかれば薬を用意できる。
そらはいちごをベッドに連れていき、用意ができるとすぐに薬草を混ぜ合わせた薬を飲ませた。
ヒヤリンゴまでとは言わないが、相当苦い類のものである。まだ幼いいちごにはきついかもしれないと、そらは宥めながら飲ます覚悟を決めていたのだが、予想に反して彼女は静かにこくこくと冷たい水と一緒に飲み込んだ。
いちごがいなくなった聖堂では、くうが何とも言えぬ悔し気な表情をしていた。幼い子どもと関わるのは苦手なクロノだったが、心配に思って、彼に素っ気なく声をかけた。
「いちごは大丈夫だってよ。さっきこうのやつが言ってた」
「風邪だろ。なんで言わなかったんだよ」
いっつもそうだ、とくうはふくれっ面になる。みんなのリーダーであると自負している彼にとって、一番年下のいちごに頼られないのはどうしようもなく悔しいことなのだろう。
その後何度か合わせて、その日の練習は終わった。なんとなく暗い雰囲気のまま、それぞれの家路につく。
クロノはそらが戻るのを静かに待っていた。そこで、日が暮れてもいちごの楽譜を睨みつけたまま帰ろうとしないくうを、見ていられなくなったのか、リクが話しかけに行くのを見た。
「よう。いちごが心配?」
「……別に。ただの風邪だろ」
「そのわりに落ち込んでるじゃん」
くうの隣に腰かけて、リクは肩の上に乗っていたハニをつついた。いちごに付き添っているそらから預かってきたらしい。乱暴につつかれたのが嫌だったのか、ハニはその指に噛みついたあと、こちらに逃げてきた。
リクがこちらに視線を向け、小さく舌打ちをする。
「ったく、ハニもクロノを選ぶのかよ」
「悔しいのか?」
「俺は、くうの気持ちがようく分かるよ。もうちょっと甘えてほしいよなあ!」
こちらにも聞こえるくらいの大声でリクはそう零した。そしてくうに語り始める。
「そら兄わかるだろ。あいつもいちごと同じだよ。昔は人に迷惑かけないようにって、大事になるまで誰にも相談しなかった」
「そら兄が……?」
「今はもっとひどい。全部ひとりで解決しちまう。俺はそらのこと誰よりも信頼してる。でもその信頼が一方通行って、すごく悔しい……そうだろ?」
「……」
「だから俺は、追いかけてきたんだ」
放っておけば、そらはどこまでも遠くへ行ってしまうだろう。無茶をしようとする彼を連れ戻せるのは自分しかいないと思っていた。だから。
……エレム村という小さな村から果てしなく広がる外へ出ていくのにどれほどの勇気が必要だったか。
クロノは黙ってリクの話に耳を傾けた。
「人間、誰かに甘えないと生きていけない。でもあいつらは自分から甘えられないんだ。だからさ、くう。お前がちゃんと見ててやれよ。鬱陶しいって言われるくらい。」
「……うん」
リクはどこか寂しそうに笑い、くうの背中を押した。
「行ってやれよ」
くうの後姿を見送ってから、リクがこちらに近づいてきた。
クロノの隣に腰かけ、はあ、と大きなため息をつく。
「そらみたいなのを友達にすると大変だよ」
「俺みたいなのがなんだって?」
「っ!」
クロノは思わず声を上げて笑った。
彼の背後に、くうと交代してきたそらが黒い笑みを浮かべて近づいてきていたのだ。
「そら、ちがっ、今のは間違いで」
にやにやしながらそらはリクに掴みかかった。リクも負けじとその手を掴み返す。
「……っ、まあいいや。くうのことありがとな」
「ふん。別に、お前に礼を言われることじゃねえよ」
ようやく手を離し、そらはリクの前に立った。腕を組み、暫しの間無言だった。なんと言うべきか思案しているようだ。
時計の音だけが小さく聞こえてくる。
「……くうに叱られた。リクを頼りにしろって」
「あの馬鹿、余計なことを」
「してるよ」
ぽつりとそらは零した。
リクが驚いて、そらに視線を向ける。
逆にそらは少し視線を逸らせながらも、はっきりと呟いた。
「……リクがいなかったら、最初からだめだったんだ。ずっと感謝してた」
「……」
「追いかけてきてくれてありがと」
明後日、ツテシフに行くことをそらは言わなかった。その夜、クロノはそらが声を押し殺して泣いているのを聞いた。
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次回は【第三章】懺悔の歌(四)です。
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