【第一章】雪嵐の夜(下)
彼と出会った当初の自分は、こんなことになるなんて想像もしていなかっただろう。
くっきりとつけられた痕を眺めながらため息をつく。
「ちょっと……、これ、どうすんですか」
「見せつけてやれよ。特にシトラにはクロノさんにされましたって言ってやれ」
「さいってー……」
まだ先程の余韻が温もりと共に残っていた。ぼんやりとした意識の中、そらは肌の温度の心地良さに身体を預けている。
「クロノさん……」
「ん?」
「もしもですよ?」
「ああ」
クロノの声が柔らかい。
「もしもいなの力を借りて、永遠の力を手に入れることが出来たら、クロノさん、どうしますか……?」
クロノが上半身を起こした。
「突然どうした、そら?」
「考えたこと、無いわけじゃないでしょ。俺にも聞かせて下さい。クロノさんが考えてること、知りたい」
「……」
先程までガタガタと揺れていた窓がいつの間にか静かになっていた。
クロノがこちらを見つめてくる。
「そら、しっかり心に刻め? 一回しか言わねえぞ」
「はい」
クロノの瞳の中に、蝋燭の明かりが映る。
「――どれだけ力を手に入れようと、そこに生きてるものが持つ強さは何処にも無い。永遠の生を手に入れた時、そこには苦しみだけが有り生き物の持つ尊さは無い」
「……」
「あのな、そら」
「はい」
前髪と額の間にクロノの手が滑り込む。
そのままクロノは愛おしそうに、そらの頭を撫でた。
「いつか終わりが来るって分かってるから、俺達は人を愛せるんだ」
そらはホッとして頷いた。クロノの手に両手を添え、自分の額に押し付ける。
「本当はあの日、逃げようとしてたんです」
「あの日?」
「クロノさんと初めて会った日です」
クロノは暫しの間黙り込んでしまった。あの時のことを思い出しているらしい。そして、問うた。
「……ああ、確かに追うつもりはなかったな。何で逃げなかったんだ?」
「……笑わないで下さいよ?」
クロノは既に呼気で笑っている。少しためらったが、考えるよりも先に言葉が飛び出していた。
「俺……あの夜、自分に会ったんです。たぶん、これから先の自分に」
「……」
「最初見た時は分からなかったんです。自分とは全く違う人間に見えて。髪も今みたいに一つで結ってたし、気迫だって自分が持っていたものと全然違ってた」
次はクロノに覚えていてもらう番だ。それは誓いに近かった。
「未来の俺が言った言葉、覚えておいてください」
首を傾げながらも、クロノは頷いてくれた。
「――俺は何度でもあなたに会いに行く」
頭を撫でるクロノの手が止まった。
「……どういうことだ?」
「たとえこの先に苦しみが待っていたとしても、俺はクロノさんと出会ったこと、後悔しないってことです」
「分からねえな」
彼に分かるはずがない。自分だって、今の今までその意味に気付けなかったのだから。そう簡単に分かってたまるか、と思う。
いつか分かってくれたらいい。
そう思ってそらは続けた。
「もしも過去に戻ることができたとしても、俺は何度でもクロノさんに会って、クロノさんを助けて、クロノさんと約束する」
「……」
「それで、何度でもクロノさんを好きになるんだ」
蝋燭が消える。最後の一瞬、部屋が一層明るくなった。その瞬間に見えたクロノの顔は殆ど泣き顔に近かった。そしてそのまま、抱きしめてくる。
「分かった、ありがとな」
「……信じてないでしょ」
「ううん、何度でも俺を助けに来て。俺もお前のこと、何度でも好きになる」
「……」
例えどちらかが死んだとしても、この夜に生きていたという事実は嘘じゃない。
温もりを感じながら心にもう一度誓う。
この先、何があっても必ず自分はクロノと出会おう。何度だって過去に戻って、自分の背中を押し続ける。何千、何億の夜を繰り返したとしても、一度だって迷わない。
今、ここにいるのは間違いなく幸せな自分なのだから。
***
普段早朝に起きてくるクロノが、今日は皆が朝食を食べ終わってもまだ食堂にやってこない。低血圧のそらもさすがにこの時間には目を覚ましている筈だが、姿が見えなかった。
「マキバ、もうご飯が冷めちゃうから二人を呼んできて」
皿を洗っているリトはまだ手が開かないらしい。ユーリはなにやら怪しげな札を使ってこれから始まる船旅を真剣に占っている。「はあっ!」やら「うっ!」やら胡散臭い気を込めている背中にはとてもじゃないけど声をかけられない。
仕方なくマキバは一人で二人の部屋に向かった。昨日のこともあるし互いの気持ちを確かめ合っていたらどうしようかという不安がある。
(これで事後だったりしたら最悪……でもまさか、あいつらに限ってそんなこと)
……あっちゃった。
ドアを開くと、ベッドの上のクロノと目が合った。彼も驚いたらしい。
上半身(掛け布団の下は考えたくもないが、)裸のクロノの腕の中、隠れてはいるが、少しそらの頭が見える。
人間、驚くと本当に声がでないんだな。俺は人間じゃないけど。
「マキバ? そらに殺されたくなかったら、このこと秘密な」
クロノが笑いながら人差し指を口元に当てる。いや、誰にも言えないだろ、これ。
診療所の部屋に鍵がないことを恨んだ。
「朝ごはん、冷める」
「ああ……、それで来たのか、悪かったな」
クロノが頭を掻きながら、ベッドから起き上がってくる。
「……一応誤解のないように聞いとくけど、お前ら、とうとう一線越えちゃった感じ?」
「とても感動的な夜になりましたとさ」
どうせ意地悪をして泣かせたんだろ。何が感動的だよ。
「あーあ。そら、可哀そー……」
「可愛かったぞぅ。涙目で見上げられながら『大嫌い』って言われてみ? 止まらねえぞ、お前」
そこで同意を求められても困る。何だよ、もめるだけもめて勝手にいい感じに落ち着きやがって。
(心配したこっちの気にもなれってんだ)
本当に心配したのだ。
クロノがそらを庇って受けた傷だって決して浅くなかったし、それ以上にそらが傷ついていたことも知っていた。
一晩中自分を責め続け泣いていたそらに、自分は声をかけることさえできなかった。
もうこの旅が終わるかもしれない。
それは寂しく、悲しいことであった。
何だかんだ言いつつも気に入っていたのだ。この旅の仲間を。
友達を思って喜怒哀楽する優しいそらはもちろん、クールな顔をして意外に人情味あふれるクロノだって大好きだった。
いつだって二人の応援をしていたし、これからもしたいと思う。最後まで――二人が本当に笑顔になれるまで、背中を見守っていきたいんだ。
ただ、それを口にするのは少し面倒で、マキバは何も言わずドアノブに手をかけた。
それを不安に思ったのか、クロノが低い声になる。
「……マキバ。俺を避けるのはいいけど、そらへの態度は変えるなよ。俺がそらのこと好きになっただけで、気持ち悪いのも普通じゃないのも、全部俺なんだから」
やっぱり、何だかんだ言いつつそらには甘い。
「……ばっかじゃねえの。そらだって、お前のこと大好きだよ」
少し腹が立って、マキバは振り返った。
「俺は、ちょっとだって気持ち悪いとは思わないし、普通じゃないとも思わない。ただ勝手に収まったお前らに腹が立っただけ。こっちがやきもきしてたの、察しろよ」
「……マキバ」
「それに、それがお前らの選んだ答えなら俺は全肯定するし、できるだけ守ってやるから。そらも、お前も」
「……ありがとな」
クロノの言葉を最後まで聞かずに、マキバは部屋を後にした。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回は【第二章】繋がる歌(一)です。
よろしくお願いします。




