【第七章】消えない傷痕(四)
王の葬儀はひっそりと行われた。彼の死を知るものは城の一部の人間と、そら達だけらしい。
しかし、この状況もいつまで持つだろうか。近いうちに大きな混乱を招きそうだった。
「上手く言えないんですけど……、そらには父のために鎮魂歌を歌ってもらいたい訳じゃないんです。父の起こした戦のせいで死んでいった兵達のために歌ってほしいんです。結局は、父が安らかに眠れるようにお願いしているようになるんですけど」
王子の複雑な気持ちに沿えるよう、そらは素直に頷いた。
悲し気なメロディがそらの口から流れ始める。昔から王国に伝わる鎮魂歌だった。それは曇天に響いて、重苦しい空気を浄化していく。
「そら……」
皆、静かに目を瞑り、そらの歌を聴いていた。
歌い終わると同時に、少し離れたところからバサバサッと雪の崩れる音がした。
雪の中から出てきた左手に、親指はなかった。サフラン? いや、違う!
「コガレさん!」
そらは思わず叫んだ。
駆け寄り、その左手のまわりの雪を払う。
中から朱が滲んできて、そらは息を呑んだ。
「王子、毛布持ってきてもらっていいですか。こんなときに、申し訳ありません」
「気にしないで下さい。持ってきます」
雪から出てきたのは、間違いなくあの、ビドの町で会った青年――コガレだった。
顔は血の気が無く蒼白で、死んだように冷たい。腹に深い傷を負っているようだ。
「コガレさん、コガレさん!」
「う……」
返事があり、そらは少しほっとして、冷たくなった身体を抱き起した。
別荘の一室を借り、エレミスとシトラがコガレをその部屋に運び込んだ。
シトラは、傷ついたコガレを見た瞬間にそらの目の色が変わったのを見た。荷物の中から治療に使う道具を出し、並べていくその手つきに無駄な動きはひとつない。
確か、クロノも、そらと初めて出会ったとき、腹に深い傷を受けていたと聞いた。
こんな風に、少しの迷いもない目つきで彼を助けたのだろうか。
まるでわざととでもいうように、その傷は急所から外れていた。そして、そらから聞くところによると、見た目よりも浅い傷であったらしい。
痛み止めの副作用か、コガレは深い眠りについている。
やっと落ち着いたそらは、まず王子に向かって頭を下げた。
「失礼しました、王子……、葬儀が途中になってしまって」
「先程も言いましたが、どうか気になさらないで下さい。今はこの方を助けることに専念して」
「ありがとうございます。……とても、大切な人なんです」
数時間コガレが眠っている間、そらはずっと彼の左手を握っていた。まるで、その左手に何か絶対に信頼できる力が宿っているかのように。その心配そうにコガレを見守る横顔に、シトラはしっかりそらに惚れなおしてしまったのだった。
***
昨晩、そらが飲ませてくれた薬湯が効いたのか、朝、日差しが部屋に差し込んでくるまでクロノは眠り込んでいた。
ここ数日、よく眠っていた。窓を開けて部屋に新しい空気を招き入れる。
そらが寝ているはずの二階のベッドを覗き込むが、彼はいなかった。
(珍しいな……)
普段、そらは誰かに起こされるまで起きない。相当遅くまで自分が寝ていたということか。
部屋を出て、台所の方へ向かうとマキバ達が朝食の後片付けをしていた。
やはりそらの姿は見えない。
「……おはよ」
「あ、クロノ! 遅かったなあ! ……あれ、そらは?」
「いないのか」
マキバが怪訝そうな顔をする。
「珍しいな? いつも二人で起きてくるじゃねえか」
「そういえば、エレミスさんとシトラさんも今日はいないよね」
リトが首を傾げる。
嫌な予感がした。昨晩、そらにやってしまったことを思い出し、頭を抱える。
「クロノさん、そらから何も聞いてないんですか」
ユーリの何気ない問に追い打ちをかけられ、さらにクロノは落ち込んだ。敢えて口に出しては言わないが、かなり不安である。
昨晩、そらはどんな感じだった?
そんな、勝手に去っていくほど嫌がっていただろうか。いや、でも普通に嫌だろ、男として。何考えてたんだ、俺。
最悪だ。
うまく頭が働かない。
(まさか、本当にエレム村に帰っちまったのか……?)
***
夜、コガレが目を覚ましたのに気付き、そらは蝋燭の明かりを点けた。
「良かった、気がついて……! あなたのことを、サフランが探してましたよ!」
「……あんたは、確か」
「そらといいます。ビドでお会いしましたよね」
「ああ、師範の……」
腹に手を当てて、コガレはゆっくりと起き上った。
「あんたが助けてくれたんだな」
「皆が協力してくれました」
そらはここが、王子の別荘であることを説明した。エレミスと、シトラと自分の三人で、王の葬儀に参加していたのだと。
「そうか……。やっぱりあいつは止まらなかったんだ」
「その傷も《闇の方》から受けたんですか」
「よく知ってるなあ、そらは」
コガレが苦笑いを浮かべる。
「師範に見られなくてほんと、良かった」
「いいんですか。本当に会わなくて」
「会いたいけど今会ったらきっと俺、折れるから。それに俺がいるべき場所は師範の隣じゃない」
サフランも同じようなことを言っていた。自分のいる場所なんてあらかじめ決められているものなのだろうか。
釈然としない顔で曖昧に返事すると、コガレは再びベッドの上に横になった。
「悪い……もう少しだけここで休んでもいいか。なんか、頭がうまく働かない」
「白湯いりますか」
「ありがと」
そらは部屋を出て、給湯室に向かった。この別荘には何人か召使がいるらしく、廊下を歩いていると、落ち着き、気品のあるメイドと数度すれ違った。
「そら」
給湯室で王子に呼び止められ、白湯の入ったマグカップを手に、そらは振り返った。
「先程の歌、この王国に溜まった悪いものが浄化されていくようでした。そらの歌には本当に不思議な力があるんですね。実は最初にそらの話を聞いたとき、半信半疑だったんですけど」
自分ではあまり実感が沸かない。でも自分の歌が何かの力になるのであれば、それは本当に嬉しいことだった。
***
(師範……)
夢の中で何度も助けを求め、呼ぶのはいつも同じ人だった。
(師範……、俺は、どうしたらいい?)
人の強さも、弱さも、全て受け入れてくれる大きな背中。その背中に追いつきたくて必死だった。
いつからだろう。彼が行く道と別の道を歩き始めたのは。
(後悔はしてないさ……)
あの日犠牲にしたあるはずのない親指が、この時期になると疼き始める。この痛みを他の二人も感じていると思えば、多少の苦しみは乗り越えられた。
「う……」
コガレは自分の手を握る温かい手を頼りに意識を取り戻した。
「大丈夫ですか」
いつの間に戻ってきていたのだろう。台の上に置いてあるマグカップからは白い湯気がもくもくと立っている。
「悪い……寝てた」
「この短時間で随分魘されてました。起きれますか」
背中にそらの掌を感じた。細くて頼りなさそうな腕なのに、力はかなりあるようだ。
「……こんな風に、師範も助けたのか」
そらの腕に背中を預けながら、コガレは呟く。
「……あの夜、師範を脅した。王国の軍に見つかれば最悪火あぶりになるし、逃げたところで誰も助けてくれないってね」
コガレはそらの手を握りしめた。
「……師範を助けてくれて、本当にありがとう。あのまま師範が一人で苦しんでいたなら、俺とサフランは死ぬまで師範を殺さなかったことを後悔したはずだ」
かなり饒舌になっていると自分でも気づいた。しかし止まらない。色々な感情がごちゃ混ぜになって、今にも子どものように泣き出してしまいそうだ。
「……この傷は《闇の方》から受けた。なんであいつ、今まで散々苦しめておいて、今更」
「わざと急所を外したような傷でした」
そらもそう思うならば、それはきっと自分の思い込みだけではないだろう。
《闇の方》は、敢えて自分を生かした。
――お願い、私を止めて……!
そんな悲鳴さえ聞こえてくる。彼の本心は一体どこに。
――まさか私が人を愛することなどないと思っていたのか。
ショックなのは、彼を愛していたからか。
この感情は、一体何?
「俺は……」
「止めてもいいですか」
言うより先に、そらの手に力が籠った。
しかしコガレは反射的に言い返していた。
「じゃあ俺を殺して」
少しの間もなく返答され、そらは言葉に詰まっているようだ。
やがて、震える声で彼は答えた。
「……それは、できません」
「なら、止めないで。向こうにはビャクもいるみたいだし感動の再会を果たしてくるさ」
「……一つ、聞いてもいいですか」
「何」
「……コガレさんにとって《闇の方》はどんな存在なんですか」
コガレはどきりとして、そらを見つめた。
少しの間口をぱくぱくさせたが、結局何も言えず、白湯と一緒に渡された薬を喉に流し込み、毛布の中に逃げた。
「……殺したいくらい、憎い存在だよ」
次の朝、椅子に腰かけて眠っているそらの顔をしばし眺めた後、コガレは窓から別荘を去った。
***
診療所を発ってから二日目の晩、そら達が診療所へ戻ると馬の足音を聞きつけ、マキバ達が飛び出してきた。
「そら!」
「エレム村に帰っちゃったのかと思って、すごく心配したんだから!」
「クロノなんか昨日一日、ずっと上の空だったぜ! 病気だよ、あれは!」
一気に畳みかけられ、そらは苦笑した。
エレミスから、王子のところへ行くことを誰かに言ってはいけないと注意されていた。思いの外たくさんの人たちが診療所に集まってしまった。どこで誰が聞いているか分からないのだ。
そらは曖昧に頷き、心配をかけてしまったことを謝った。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回から新章です。
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