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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第二部】逡巡
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【第七章】消えない傷痕(二)

 結局、左手の指一本だけの犠牲で済んだ。発狂する手前くらいの勢いでコスブリに挑み、何匹も殺した。試験が終わった時、自分達はほぼ獣の状態だった。

 まさか生きて試験を終えるとは思っていなかったのだろう。馬に乗って帰っている途中、襲われた。王国の人間に。

 彼等は僕達に不正を訴えられたら困るのだ。クロノが怖い。口封じだった。


 冷たい地面を裸足で踏む感覚。錆びた臭い。石から伝わる鈍い感触。色々なものが混ざって、その上、後からおかしな嫌疑までかけられたから、そこからの記憶は混乱したまま、今では何が正しい過去なのか分からない。


 でも、僕らはその場にいた全員を殺した。




 目が覚めると、クロノの元でできた仲間が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。


「ここは……」


「もう大丈夫だからな。大変だったな、サフラン……お前、普段フラフラしてっから心配してたんだ。その上……」


 その友達は言葉を止め、周りを見渡した。


「なあ、お前ら倒れる前のこと、覚えてるか」

「え……」


 はっとして、サフランは起き上った。


「コガレとビャクはっ? 僕達、帰ってる途中に襲われたんだ!」

「それだ! やっぱりそうなんだな、サフランっ? 拙いことになってるぞ。ああ、コガレもビャクも何とか無事だ。まだ目は覚めていないがな」


 早口に言って、彼は自分に水を渡してくれた。

「お前らが試験の帰りに気が狂って、試験官達を殺したってことになってる。師範が今、その出所を確かめに行ってるんだけど、まだ帰ってこない」


「な……、ちがっ! 違うっ!」


「分かってる。師範も俺達もちゃんと分かってるから。落ち着いて、何があったか話して」


 全て話して、親指の無くなった左手も見せた。カプセル食糧さえあれば、ナイフさえあれば。……触れたら燃やされる結界さえ張られていなければ、こんなことにならずに済んだ。


 しかしその後、自分達の立場はどんどん悪い方に転がっていき、クロノともなかなか会えない日が続いた。初めてクロノの元から出た、異例の存在。試験官を全員殺したというその衝撃的な話は瞬く間に城中に広がった。


 数日後、三人は夜遅く、クロノを尋ねた。

 この時はクロノと会うのも怖かった。

 もしも彼が他の人と同じく気味悪いものを見るような目で自分達を見てきたら。

 苦しくて、心臓が張り裂けてしまいそうだった。


 二回ノックしてから、扉を開けた。

 師範という立場に就いて尚、クロノの部屋は小さい。他の師範と同じように少しは不正してお金を手に入れ、贅沢すればいいのにとも思う。


 しかし、そう思う一方で今のクロノが自分達は大好きだった。


「やあ、遅かったじゃねえか」


 何事も無かったかのように振り返り笑ったクロノに三人で飛びついた。ビャクとコガレの涙を見たのはこの時が最初だった。


「泣くこたねえだろー……」


 そう言ったクロノも、三人の親指が無くなっているのを見て涙を流した。長い一か月が終わったのだと、この時ようやく気が付いた。


「頑張ったなあ……、本当に、よくやった……」


 眼玉が溶けてしまいそうな程泣いて、一晩クロノの部屋で過ごした。


「やっぱり下級の軍に入るしかないんですかね……」


「……何とか処罰の件は止められたが、そこまでは。軍の隊長がいい成績だった兵を引き抜くようになってるからな」


「……」


「悪かった。全部、俺のせいだ。周りから良く思われてないのは知っていたが、何もしなかった。まさかこんなことになるとは」


「師範のせいじゃないです!」


 口を揃えて言い返したが、クロノは相変わらず悲し気な顔をしていた。

 そして、下級兵士として死ぬつもりだった自分達は、抱えた闇を見抜かれたのか、《闇の方》に拾われた。結局、自分達に選択肢はなかったのだ。


 《闇の方》が良からぬことを企んでいるのは、すぐにわかった。しかし、殆どの者がそのまま仕え続けた。彼は怖い。目の前で、逆らい殺された者がいるから、逆らおうなど考えもしなかったのだ。


 クロノは何かと自分達を気にしてくれていたが、時が経つにつれ、自分達からクロノを遠ざけるようになった。大好きな師範に任務の内容を知られたら、きっと自分達は生きていけない。


 そして《闇の方》が王国を滅ぼす心算で力を蓄えていると知ったとき、自分達の考えは変わった。なんとしても止めなければならないと三人で誓ったのだ。止められるのは自分達しかいないと知っていたから、より責任感が芽生えた。

 あの試験を乗り越えてきた自分達だから、という自信もあったのだ。


***


「でも……、ビャクは死んだ。コガレも今、消息が分からないんだ」

「……」


 今にも叫びたい気持ちを押さえるように、サフランは声を低くして言った。


「でも、ビャクは間違いなく此処にいるから」


 二枚の赤い布を握りしめる。その手に親指はない。

 想像を絶する話を聞いて、そらは暫く声も出なかった。

 サフランは続けた。


「ちなみにね……」


 元々、死人を出す試験はやめた方がいいという案はあったらしい。そこに、試験官が全員殺されるという事態が発生したから、次の年からもっと安全で、多くの人の目がある方法がとられるようになったと言う。


「皮肉な話だよね。危険だって分かってるなら早く終わらせてくれたら良かったのに」

「……」


 そらはサフランの左手を取り、額を寄せた。


「……痛そう」


「何年も前の事だ。もう痛くない。……聞いてもらえて嬉しかった。薄れてきた記憶も、話すことで再確認できたしね。大丈夫。僕はまだ、立てる」


「俺達と一緒に来ないんですか」


「城の方にコガレを探しに行くよ。《闇の方》も止めに行く」


「……」


 そうだ、と思い出したように顔を上げ、サフランはポケットの中から何かを取り出し、台の上に置いた。

 それは、鏡の欠片だった。


「これが百年間、魔を封印してた」


「――」


「そらに託すね」


 サフランは椅子から腰を上げた。その顔は先程よりもずっとさっぱりしていた。


「そら、どの道が正解なのかは誰にも分からない。ひょっとしたら、正解なんて無いのかもしれない」


「「でも」」


 声が重なった。互いの瞳は揺れない。


「僕が言っていい?」


「はい」


「僕達は信じたものを最後まで信じればいいだけ。それが、死んだときに一番後悔しない道だと考えてる」


 そらは力強く頷いた。互いの手を強く握り締める。向かう場所は違えど、信じているものは同じだ。

 しかし一体《闇の方》とはどういった人物なのか。


「彼はビャクを殺した。絶対に許さないよ。コガレとは違う理由だけど、俺だって《闇の方》を倒したい」


「コガレさんとは違う理由……?」


「まあ……さっきも言ったけど、コガレの考えてることなんて、一生かかったって分かりやしないんだ。悔しいけどさ……」


 コガレという青年にもう一度会って見たかった。一体どんな人なんだろう。

 血に濡れて、それでも美しかった姿。

 月を背にこちらを見つめる顔が脳裏に焼き付いている。


「……コガレさんに、会えたらいいですね」

「ありがとう」


 手が離れていく――。


 サフランの背中を見送った後も、暫くその場を動けなかった。


ここまで読んで下さりありがとうございます。

次回【第七章】消えない傷痕(三)は 2017年8月17日23時 投稿予定です。

よろしくお願いします。

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