【第七章】消えない傷痕(一)
サフランは静かに語り始めた。
そう、それは冷たく、寒い朝だった。目が覚めると見知らぬ場所に転がされていた。
でも昨晩の《見習い兵》に与えられた夕食がやけに多かったから、想像はついていた。……そう、試験の日が来たんだと。
詳細はクロノから聞いてた。
一か月、外に出られないよう結界が張られた山の中に閉じ込められる。
そこにはコスブリという恐ろしいものが住んでいる。そらは知らないかもしれないな。普通は人間の世界に立ち入ってこない者達だから。
とにかく、その恐ろしさは後で語るとして、一週間、飢え死に回避用のカプセル食糧を一人一つずつ握って過ごす。山の中で食糧が取れたらいいけど、何しろ試験は真冬だ。何もない。あるとすれば、コブスリンの肉だけ。結界に体が当たれば試験終了。
この試験の結果によって、上の地位に就くか、どん底まで滑り落ちるか、決まる。
その、一生に一度受けられる試験で、粘りすぎて死ぬ者も多い。
……僕達が師範から聞いていたのはこれだけだった。
でも、僕らには絶対的な自信があった。
クロノの教え子は毎年全員その試験をいい成績で通っているのだ。他の師範で、賄賂を使ってどうにかしようとする輩もいたが、クロノはそういうことを全くしなかった。
僕らは本当に厳しい訓練を乗り越えてきた《見習い兵》だった。試験に落ちるはずがない。コスブリだって倒して見せる。
そう意気込んでいたのだ。
夕食が出た時、ついに来たと思った。
中には眠り薬が入っていることも知っていたが、これから一週間まともな食事はできなくなるので入るだけ腹に入れた。
そして食べながら寝落ちて、気づいたら見知らぬ場所にいた。
おそらく、このときだけだろう。コガレとビャクに勝ったのは。二人よりも先に僕は目覚めていたのだ。
とても寒い朝だった。山の中にぽいと放り込まれた心臓が悲鳴を上げる。
「――コガレ、ビャク?」
隣で眠ったままの友に声をかけると、眠たげな返事が返って来た。まだ薬が効いているのか、それとも寝起きが悪いだけか。
「……ついに来たか」
「うん」
「寒いな」
他愛ない会話を交わし、置かれた必要最低限の荷物を確認する。そして、絶望した。
「……ない」
カプセル食糧が三人とも入れられていなかったのだ。それどころか、他に支給されるはずのものが一つも入っていない。赤く、薄い布一枚が、ビャクの荷物に入れられていた。
「まるで血の色だな。嫌がらせか?」
「……三つ、考えられるな」
ビャクが三本の指を立てた。
「一つ、今年から、試験を受ける全員がこの状態になった」
一本折る。
「二つ、試験官のミス」
コガレはハッとして、慌てて境界線に近づいていった。
「コガレっ?」
彼は境界線の上に、枯葉を置いた。
その瞬間、パリパリに乾いた枯葉は、境界線に触れた瞬間、ぼうっと火に焼かれていったのだ。
ビャクが顔を顰める。
「三つ、俺達を殺す心算」
「――最悪だ。死ぬぞ、俺ら」
コガレが吐き捨てるように言う。
思い当たる節はあった。
賄賂を使う者、あるいは使わない者も、沢山の師範がクロノを妬んでいた。少しくらい賄賂を使えば教え子がこっそりと食糧を試験官からもらうことだって可能になる。
それでもクロノは絶対に使おうとしなかった。この日のために厳しい訓練を続けた。
ここで教え子が死ねば、きっとクロノも偉そうな顔をしていられなくなるだろう。
……あいつらが考えそうなことである。
偉そう、というのは単に自分の意見をはっきり言い、信念を曲げないだけであって、決して驕っている訳ではない。しかし落ちこぼれ、腐敗した周りから見れば、クロノは目の上のたん瘤のようなものだった。
「とにかく……コスブリが来る前に武器、作るぞ」
「急がなくちゃ」
もちろん、山の中に鉄があるわけではない。尖った石を探し、それを他の石で磨いて刃にした。
それで木の枝を切り、形を整えた。とにかく、時間が無い。
「今日の食糧は?」
「コスブリ探すぞ!」
既に厳しい寒さと空腹感が自分達に襲い掛かってきていた。
こちらから探さなくても、人の臭いを嗅ぎつけて、あちらからやってきてくれる。
しかし、実際に姿を見るのは初めてで、その姿を見た瞬間、三人は絶望した。
背は高く、横幅も広い。人間の五倍ほどの大きさだった。二足歩行で、暗い緑色の身体。ぎょろりとした瞳をこちらに向けている。真っ赤な口からはみ出した鋭い牙は薄汚れていた。
嫌なのが、ひどく人に近いということだ。
三人はもっと獣らしいものを想像していた。これではまるで、人を殺すのに近い。
まだ実戦を経験していない三人は、当然ながら人を殺したことなどまだ無かった。
「どうする? 一度逃げる?」
戸惑ったビャクが苦笑いを浮かべる。しかし、逃げ切れるとはとても思えなかった。
三人掛で殺した時の気持ちはなんともいえなかった。きっとこの時、自分達は初めて人を殺したのだと思う。もう二度とこんな思いをしたくなかった。でもこれが、これから始まる長い道のりへの第一歩に過ぎなかったんだ。
そしてそれを焼いて食べた。そうしないと生きていけなかった。
焦げて緑色が分からなくなるまで焼いた。
三等分に切り分けた硬い肉片。
味は覚えていない。一食目は三人とも全て吐き出した。しかし、何日も過ごすうちに何の感情も抱かず黙々とそれに手を出すようになった。
何日もコスブリが手に入らず、飢え死しそうな時があった。
試験が終わるまであと数日。もしもここにカプセル食糧を一つずつ持っていればどれだけ違っただろう。
大体、木の枝と石で戦うということが不可能だったのだ。コスブリ一匹倒すのにも命懸けである。支給されるはずのナイフさえ入っていない!
それまで、あまり自分の内側を見せなかったビャクとコガレが、ある夜だけ、性格を露わにした。その時の会話は今でもよく覚えてる。
行き場のない怒りが三人の雰囲気を悪くしていた。今、コスブリが来たら絶対に敵わない。
俺を殺して食べればいい、と最初に言ったのはビャクだった。
ぞくり、と背筋が凍り付いた。
「ビャク、それは……」
「いつコスブリが来るかもわからない。ここで三人死ぬわけにはいかないだろ?」
「……」
今まで黙っていたコガレが、よろよろと立ち上がった。
「三人いる。なんでビャクなんだ? 俺も確かに考えたよ。ここにいる一人が死んで、それを食べたら二人は生き残れるってな。でも自分が死のうとは考えなかった」
「……」
「恨みっこなしで殺し合うか? でも俺は帰ってから師範に言えねえぞ、一人を喰ったなんて」
「じゃあ三人で大人しく死ぬのを待つのか」
焚火に照らされたコガレの顔が、不気味に歪む。
「利き手じゃない方の親指、全員で切り落とそうぜ」
「!」
「片手……いや、片腕くらい無くなったってどうってことねえよ。師範が片手で一本ずつ剣を持ってるの見たことあるだろ」
「だからって……」
「俺は、三人で帰りたい」
はっきりと、コガレは言った。
その時は本当に怖かったよ。自分で自分の指を切り落とすなんてさ、あり得ないと思った。でも、そうでもしないと誰か一人を殺してしまうことになりそうだったから、頷くしかなかった。
コガレの提案はある意味で、俺達の救いになったんだ。
必ず、三人で帰ると。
それから、ビャクの荷物の中に入れられていた赤い布を三等分に切り分け、止血に使った。
大遅刻でしたね、ごめんなさい。ここまで読んで下さりありがとうございます。
今回のあらすじはダチョウ倶楽部パロでした。相変わらずひどい……
次回【第七章】消えない傷痕(二)は 2017年8月16日23時 投稿予定です。
よろしくお願いします。




