【第六章】離れる手(四)
肺に銃弾が当たったらしい。あと少しずれていたら致命的だったと、治療室から出てきたこうは皆に話した。
ミナトの町である。
あの後、クロノをこうの小さな診療所に運び込み、すぐに手術が始まった。
そのまま数時間、そらは治療室から出てこない。先に出てきたこうが、皆の顔を見るなり溜息をついた。
「まあ、今夜、明日あたりが山場だな。今のところ息があるのが奇跡だ」
「……」
「とんだ悪運の持ち主だよ」
こうの無責任な言い方にムッとした者もいたようだが、結局は何も言うことができなかった。
皆が一度に治療室に入ることはできなかったので、何人かに分かれて順番に入った。
リクは待っている間にそらを見つけた。彼は誰とも会話することなく、診療所の外に出ていった。
「……」
リクはその後を追い、彼の姿を探した。
そして、診療所の裏で彼が丸まって座っているのを見つけたのだ。
頭に小さなネズミらしきものを乗せていた。それは心配そうにそらの肩に乗ってはきょろきょろとして、再び頭の上によじ登る。
そらは膝を抱えたまま頭を上げない。彼の肩が小刻みに揺れているのが分かった。
「そら……」
声をかけると、彼ははっとした様子で顔を上げた。その顔は涙に濡れ、迷子になった子どものようだ。
「リク……」
自分の知っているそらで、ほっとした。やっぱりお前には銃なんて似合わない。
そらの目に、新たな涙が浮かんだ。
*
「っ……」
夜中、クロノは目を覚ました。
やはり傷が熱を持って痛む。また、ひどい頭痛とめまいがした。
全身が熱い。
睡眠薬の入った鎮痛剤をそらから飲まされていたが、どうやら切れてしまったらしい。とにかく、水が欲しかった。
「クロノさん?」
身じろぎすると、すぐに反応があった。
蝋燭に火が点り、そらが顔を覗き込んでくる。
「どこか痛みますか」
「水……」
そらは台に置いてあった竹筒をクロノに差し出した。
「起き上がれますか」
言いながら、ゆっくりと背中を抱き起してくれる。
「ちょっとずつ飲んでください。時間をかけて、ゆっくりですよ」
そらは過剰なほどに心配しているようだ。
体に力が入らず、殆どそらに寄りかかるようにして水を飲み込む。
そらの低い体温が心地良い。
「ずっと起きてたのか?」
「まあ、何かあったら大変ですから」
再び横になるときに借りた手を、クロノは離さなかった。
「そら」
「はい」
「勝手にどっか行くな……」
そらの、息を呑む気配が伝わってくる。
少し焦った様子で彼は答えた。
「水汲んでこないと」
「もういらねえ……」
熱に浮かされ、普段であれば決して言うはずのない言葉まで口走ってしまう。
「傍にいてくれ……」
ああ、でもだめだ。意識が続かない。痛みの中で色々な感情が壊されていく。
「そら……」
***
リクがエレミスとシトラと共に部屋を訪ねたとき、クロノは静かに眠っていた。
既に窓から月が顔を覗かせている。
クロノのベッド横の椅子に座り、そらは本を読んでいた。
この間そらに会った時はとてもじゃないが話せる状態ではなかった。結局、そらと落ち着いて顔を合わすのは、ここに来てこれが初めてであった。
リクはそらを見るなり、駆け寄り、両手を取った。
「馬鹿そら……、心配した」
そらはこの間よりもずっと落ち着いた表情で笑った。少し大人びたような気がした。
「悪かったよ、リク……、ありがと」
沢山話したいことがあった。そして彼の冒険話を聞きたかった。気になることもあった。
「クロノはもう大丈夫なのか」
エレミスの問いに対し、そらは穏やかに頷いた。
「ええ。今は静かに眠ってます」
互いに複雑な思いを胸に秘めていた。
エレミスはシトラに命令を下した。
シトラはクロノとそらに銃を向けた。
……そして、そらは初めから王国を裏切っていた。
リクはクロノを殺す心算であの夜、そらを山に誘った全ての原因である。
何か一つが欠ければ、今の状態は無かった。
どれが正解でどれが間違いなのかは、もはや分からない。
眠ったままのクロノを囲み、長い沈黙を守る。
そらがそれを最初に破った。
シトラに向かって、頭を下げたのだ。
「すみませんでした。仮にも助けようとしてくれていた人に銃を向けるなんて」
この言葉に対して、シトラは暫し言葉を失い、やがて首を横に大きく振った。
「謝らなければならないのは俺の方だ。俺にとって上の命令は絶対。そらの話を聞いていると自分の小ささがよく分かるよ」
事情を深く知っているらしいリトという少女が自分達に話したのだ。必死にそらとクロノを弁護していたのが印象的だった。
「そら、俺からも礼を言う。大切な人を助けてくれてありがとう」
「――」
エレミスは王国の大臣の一人だと聞いた。とても誠実そうな瞳でそらを見つめていた。
「クロノさんと、仲が良かったんですか」
「ああ。まあ、今回のことで友達を名乗る権利もなくなったがな」
「――」
「誰がなくなったって?」
声が後ろから聞こえ、皆が一斉に振り向くと、クロノが口元に笑みを浮かべながら、エレミスを見つめていた。
「クロノ……大丈夫なのか」
「大丈夫だよ。そら、手、貸せ」
「駄目です。出来るだけ横になってて下さい。傷に良くないんです」
「……」
「駄目です」
そらにぴしゃりと断られ、クロノは不満そうに唇を尖らせた。
「横になったままで悪いけど」
再びエレミスの方へ向き直る。
エレミスは苦笑いを浮かべながら、顔の前で手を振った。
「安静にしていてくれ」
「エレミス、俺を殺すように命令したお前は正しかったんだ。お前の、私情で行動できない立場くらい分かってる。むしろ……」
「……」
「むしろ、来てくれたことに驚いてるし、あの場で助けてくれたことに本当に感謝してるんだ」
照れたのか、エレミスは曖昧に頷いて立ち上がった。クロノに背を向ける。
「そっか……。そうだ、クロノ。お前に会わせたい奴がいるんだ」
突然話題を変えたのは、その涙声を隠すためだろう。
エレミスは扉を開け、セキ、と小さく手招きした。
「あ……えっとう」
入ってきたのは、鳶色の髪をした青年だった。その鋭い目つきは狼を連想させる。
「セキリュウです。……覚えてますか」
「はは、覚えてるさ、小さな《濡烏》さん。何でまた、ここに?」
クロノが尋ねると、セキは少し戸惑いながらも、言葉を重ねていった。
「俺……他人から『生きろ』って言われたの、初めてで。こんな命捨ててもいいって思ってたところだったんです。それをあの時、助けられて……」
リクはこういった皆の話を聞いているだけでも、そらが何故クロノに惹かれたのか分かっていく気がした。
「落ち着いたら、俺をあんたの教え子にしてください。城に戻れなくたって、あんたくらいの力があれば、道場を開けるでしょ」
クロノは笑みを浮かべ、頷いた。
「そうだな。考えとくさ。なあ、そら?」
突然話を振られたそらが、驚き、曖昧に頷いた。困ったような笑顔を浮かべている。
今、話すべきだとリクは思った。
「そら。本当にツテシフに行くのか」
「――」
どきりとした表情を向けられる。
「村に、帰らないか。アンジュさんが心配してる。ツテシフに行って、本当に帰って来られるのか」
そらは視線を逸らせた。
「俺だって考えなかったわけじゃない。でも、今更……帰れるかな」
「子どもの相手をまともにできるのはお前だけなんだよ。村の皆がお前を恋しがってる。特にチビ達が。俺もお前がいないとこう……調子が出ないっつうか」
「何だよ、それ……」
「つまるところ、俺達にはお前が必要だ」
自分達の会話を、周りは静かに見守ってくれている。ただ、じっとこちらを見つめているクロノの視線が痛かった。そらは曖昧に頷き、少し考えさせてほしい、と言った。
***
皆が部屋から出ていったあと、クロノはひどく不機嫌そうな顔をしていた。
「……お前、約束は」
責めるような口調で問われたが、答えず、ベッドの隅に腰を下ろす。クロノの顔をこうして見下ろすのは初めてだ。
「俺のせいでこんなことになっちゃったんですよ」
「やっぱりそれを気にしてたのかよ」
思うようにいかないと舌打ちする癖。
クロノはかろうじて動かせる右手を、伸ばしてきた。その手はそらの後頭部を捕らえ、ぐいと力を籠めてくる。
顔を引き寄せられ、唇が重なった。
深い口づけだった。この間の一瞬が、まるで子ども騙しのように思える。
「口、開けろ」
「……」
恐る恐る唇を開く。ぬめりとしたものが口内に侵入してきて思わずそらはクロノの身体から離れようとしたが、怪我人とは思えない程の力で押さえ込まれてしまった。
「んんっ……」
力づくで逃げないことに気を良くしたのか、乱暴に掴んでいたクロノの手が、少し優しくなった。
濡れた音が鼓膜に響いて恥ずかしい。どちらのものかも分からない唾液が顎を伝う。
キスがこんなに気持ちがよいものなんて、知らなかった。自分の命さえ引き換えにしてもよいと思えるくらい大好きな人が、今、自分を求めてくれている。
「っふ……」
苦しくなって顔を上げると、クロノがにやにやと笑っていた。自分は息が上がっているというのに、彼は余裕の表情である。
「……そらがあんまりにも可愛いから、……」
照れ臭さを誤魔化すようにクロノは冗談めかす。
「ここ数日、頑張って乗り越えてきたというのに何にもねえってのはなあ……」
「……」
「自分でできないしな、この怪我じゃあ」
痛い所をちくちくと刺激してくる。こちらはノーと言い辛い。
嫌な訳ではない。むしろ、彼に求められていることは素直に嬉しかった。
「俺、下手くそですよ」
「むしろお前が上手かったら引くわ」
早くしろよ、とクロノは言う。彼の方は何の躊躇もないらしい。むしろ待ってましたとばかりにぐいぐい押してくる。
暫く考えていたそらだったが、やがて大きなため息をつき、頷いた。
「――そら」
髪に触れた、と思ったら、ぱさり、と後ろでまとめていた髪が落ちてきた。クロノが紐を取ったのだった。
「……何ですか」
「こっちの方が可愛いさ」
「……」
ウォックの町で髪の毛を褒められてから、何となく切りづらくて、ずっと伸ばし続けていた。
見つめると、クロノは恥ずかしそうに笑い、頭を掻いた。その仕草さえも何だか愛おしい。
「そら、触って」
その声に促されるまま手を伸ばした。
まだ盛りたいらしい。危うくベッドに縫い付けられそうになったが、何しろ相手は起き上がることすらままならない怪我人だ。
軽く蹴り倒して、そらはベッドの上から飛び降りた。
「安静にしていてください。ほんと、次傷開いたら死にますよ」
「……俺もそらに触りたい」
クロノから「好きだ」とか「愛してる」とか、そういった類の言葉を聞いたことは無かった。だから、こういうやりとりにも、どう対応していいのか分からない。
調子に乗っても、いいのだろうか。
「――そら?」
返事のないそらを心配したのか、クロノが顔を覗き込んでくる。
軽く息を吐いて、そらは彼を睨んだ。
「とにかく今は暴れないで下さい。……傷が塞がったら」
「塞がったら?」
布を握りしめる。恥ずかしくて心臓が爆発しそうだ。
できるだけ冷静を装いながら、答える。
「……か、勝手に、したらいいじゃないですか」
クロノがにやあ、と悪い笑みを浮かべたのを見て、そらは逃げるようにしてその場を離れた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
次回【第六章】離れる手(五)は来週投稿予定です。
よろしくお願いします。




