【第六章】離れる手(三)
遅くなり申し訳ありません;;
リクは本物の悪魔を見た。それは人であり、人でなかった。そらの腕の中でぐったりとしていた男が、突然起き上ったのだ。
「師範っ?」
既にそらと見知らぬ二人の少年、そして王国の者らしき青年の、四人が、その悪魔を守るようにして囲んでいた。
真っ赤な口から犬歯が覗いている。瞳も不気味に赤く光っていた。
シトラが何発か銃で撃った。そらが近くにいたが、躊躇はないらしい。彼が生粋の軍人であったことを改めて思い知らされる。
「そらっ」
リクは叫びながら目を瞑った。そらが撃たれるところなど見たくなかった。
しかし、悪魔がそらを庇ったのだ。
「いなっ……」
そらが叫ぶ。と同時にリクは目を開けた。
銃声は止まない。そらが叫んだ。
「もういい! もういいから! クロノさんは人間だ、死んじゃう!」
「でも、約束した!」
悪魔の声は、先程の男の声と違っていた。しゃがれた、地獄の底から湧き上がってくるような声だ。
それにも臆せず、そらは怒鳴った。
「二人が死んだら、意味ない!」
そして、銃声が止んだ。弾が切れたのだ。
シトラが荷物の中から銃弾を素早く取り出す。
しかし、そらの方が早かった。
その場で歌い出したのだ。
「そらっ……?」
村で最後に聞いた歌声よりも遙かに力強い声が、太陽の高く昇る天に響いた。
***
意識が戻った瞬間、体中に激痛が走った。うまい具合に急所は外れていて、死ぬに死ねない。
いなの奴も勝手なことをしてくれたものだと思う。
(まあ……自分でも同じことをしたんだろうけどな)
遠くで叫び声。
「待て! クロノを殺すなアッ!」
エレミスの声だった。同じ言葉が三度続いた。
(何でお前まで……!)
「クロノッ、大丈夫かっ?」
馬から降り、彼が近づいてきた。
「なんでお前が……」
エレミスは一瞬答えに詰まったようだったが、暫くして静かに答えた。
「……王が崩御した。今国を仕切っているのは《闇の方》だ。こんなおかしな世界、捨てたところで悔いはない」
「はは……」
笑うことしかできなかった。
そして、もう一人。
「あんたに救われた命だからな。使う場所は間違ってないだろ」
《濡烏》の狼だ。鳶色の瞳がじっとこちらの顔を覗き込んでくる。
「それに……あんたの教え子の一人になりたいんだ」
エレミスが立ち上がる。
「撃て。それなりの覚悟は持ってきた。クロノと共に、死ぬさ」
「――」
動く者があった。
駆け足でこちら側に寄って来て、セキの肩を軽く叩いた。
「俺の後輩だな」
ウィロである。
周りの様子が変わった。自分を囲んでいた教え子達が、一斉に向きを変えたのだ。
「お前らァ……っ」
馬鹿野郎。
もしもシトラ達治安部隊が王国に戻り、この事実を告げたら、皆晒し首になる。
「隊長……っ」
困ったようにシトラの部下が指示を仰ぐ。
シトラは黙って、暫し何か考えている様子だった。
国王が死んだ。
《闇の方》という人物に、一度帰って指示を仰ぐ暇はない。
エレミスは反逆者側に。
一体何を信じていいのか分からないらしい。
自分の意志で動くのを長い間諦めていた軍人だったのだ。
「……」
「シトラさんッ!」
長い間黙っていたそらが叫んだ。
「お願いです……クロノさんを、助けて下さい。クロノさんが悪くないの、分かってるでしょ……」
切羽詰まった声だった。美しさの欠片もない、ただ枯れた喉を酷使するような声。
ぽたぽたと頬に滴が落ちてくる。そらのものだった。
そして、痛い程に手を握りしめてくる。緊張しているのか、ひどく冷たかった。
「クロノさんを殺すなら、俺を先に殺して。もし聞き入れてもらえないなら、俺は今すぐ、自分でこの喉を掻っ切ります」
さらりと恐ろしいことを言う。しかし、彼は本気のようだった。
ばか、と口の中で呟き、クロノはそらの手をぎゅっと握り返した。
そらは絞り出すように言った。
「シトラさん、お茶、奢ってくれるって言った……っ」
そこで堰が切れたのか、ボロボロと泣き出してしまった。
***
シトラの出した決断は王国を裏切るものであった。しかし、治安部隊は全員その場に残り、彼の指示に従ったのである。
そらは涙で濡れた顔を上げ、彼の目をしっかりと見つめた後、頭を下げた。
水狩布を地面に敷き、その上にクロノを寝かせる。彼はひどい怪我を負っていたが意識はあるようだった。落ち着け、と笑みを絶やさず自分の手を握り返してくれる。
しかし、苦し気な呼吸は隠しきれていなかった。
やがてリトが駆け足で帰ってきた。こうとスザク、そして呉羽も後ろからついてきている。
「ああ、ひどくやられたな」
「はは……」
普段ならば冗談交じりに返事するクロノも、今回だけはそうはいかなかった。今にも途切れそうな意識を必死に保っている。
「俺、お湯湧かします」
早く治療を始めなければと思い、そらは立ち上がった。その手を、クロノが引いた。
「そら……、傍にいてくれ。頼む」
目尻に涙が浮かんでいた。とうとう終わりかもしれない。そんなことをふと考えて、そらはぞっとした。彼がこんなにも率直に、自分を求めるのは初めてだった。
「そら。いいからそのまま手握っててやれ」
こうがそう言って、隣にいたスザクに水を持ってくるように頼んだ。
「師範……」
心配そうに彼の教え子達が集まってきた。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回【第六章】離れる手(四)は 来週土曜日投稿予定です。
不定期更新になってしまい申し訳ありません。テスト期間が終わったら少しずつ戻していこうと思います。
夏休み中に完結する予定です。
よろしくお願いします。




