【第五章】追手(五)
本棚の影から不意に呉羽が姿を見せたのだ。
二人の悲鳴は館中に響き渡り、逆に呉羽がぎょっとしてしまった。
「もう! 二人になると途端に頼りなくなるんだから!」
「ごめんなさい……」
呉羽はここで、何か手掛かりになる本はないか探していたらしい。一人になっても相変わらず落ち着いている。
小さな部屋にはびっしりと本が詰まっていた。歩くたびに床と本棚がみしりと音を立てる。
呉羽は一冊の本を開き、そのページをそらとリトに見せた。日記のようだ。
「そろそろ気づいてると思うけど、この屋敷、死んだ兄妹が関わってるらしいわね」
「ひいい、やっぱり幽霊っ?」
「……あんた達二人が無事でいられたことが不思議でたまらないわ」
「ひっどーい! 私だって、やるときはやるんだからねっ」
「はいはい。でね、どうやら三階の奥の部屋が怪しそうなの。お兄さんの方の書斎だったらしいんだけどね?」
そらは真っ青な顔になり、震える声で尋ねた。
「い、行くの……?」
「行くに決まってるでしょ。全く……そらがこんなに頼りないとは思わなかった! 暗殺部隊、大蛇……色々やりあってきたのに今更幽霊なんて怖がらないでよ!」
「幽霊は専門外です! 薬草効かないし!」
呉羽の冷たい視線を受け、そらは言い訳するのを止めた。
再び薄暗い画廊に出て、三階への階段を探す。何だかんだ言いつつそらが先頭だ。
先程の肖像画は何度見ても慣れない。幼い女の子が、こちらに向かって微笑んでいる。苦しい。胸の奥からこみ上げてくるものがある。
死んだ者は戻らない。
もしもそれが嘘だとしたら?
過去を変え、
運命を捻じ曲げる。
もしもそれが叶うならば?
「――」
「そら?」
名前を呼ぶ声が遠くなる。誰かに腕を引かれた。
「そらっ!」
「!」
突然、目の前の扉が閉じた。
リトと呉羽の高い悲鳴が扉の向こう側から聞こえてきた。
「リトッ! くれはァッ!」
扉をドンドンと叩くが、返事はない。
そらは周りを見渡した。小さな部屋に連れ込まれたようだった。
目の前には、一人の娘。
肖像画に描かれていた、可愛らしい女の子だった。
「――」
「ねえ、死んだ人に会いたくない?」
「え……」
女の子が一歩近づいて来る。
「ねえ、私の手、握って……、会えるよ……?」
「あ……」
後ずさった瞬間、何かに躓いて、後ろに倒れた。
「何、これ……」
日記のようだった。呉羽が先程持って歩いていたものかもしれない。一緒に扉の中に入って来てしまったのだろう。
自分に語りかけてくるもう一つの声。日記から、伝わってくる。
――死んだ者は戻らない。
――過去は変えられない。
つらくても明日はやってくる。
明けるなと願っても明けない夜は無い。
「でも……」
願ってはいけませんか。
大切な人と、もう一度会いたいと、
願ってはいけませんか――。
頬を伝う涙は誰のものか。
そらは天を仰ぎながら、ゆっくりと首を横に振った。
「う……」
少女の手を、振り払った。
***
「こうっ、しっかりしろ、こう!」
スザクが呼びかけても、こうが瞼を開くことは無かった。長い夢を見ているようだ。
先日、妹を亡くしたと聞いた。
その妹の名前をずっと呼んでいたのだ。
「こう――」
「……スザクさん?」
リトの声がした。
いつの間にか、呉羽とリトまで捕まってしまったようだ。
「二人は元気そうだな……」
「私達は死人に会いたいなんて感情持ってないから、まだ」
「そうか……」
「ユーリとマキバはきっとお兄さんに会いたかったのね」
クロノはウサに。
こうは妹に。
皆、一生会うことのない誰かを思い続けている。
「どうやって起こす?」
「そらが一喝してくれたら、クロノは起きそうだけど、私達にはどうにも……」
***
あの日、自分を助けるために死んでいったウサ。
何故あのようなことをしたのか、今でも分からない。
あの時、自分が逃げていなければ、彼は助かったかもしれない。
死んだ者は戻らない。
分かってる。
でも、どうしても割り切れなくて。
もしかすると、死者を甦らせることのできる方法がどこかにあるのではないか。
そんなことさえ考えてしまう。
目の前に女の子が立っていた。金髪の長い髪をした、青色の瞳の女の子。まるでお人形さんみたいだ。にこりと微笑みかけてくる。
「手を取れば、契約完了!」
小さな手が差し出される。
光を求めるように、手を伸ばした。
――と。
歌が聞こえてきた。
上の方だ。
それは、ぽたり、ぽたり、と澄んだ水が落ちてくるような。
静かな音だった。
音の一つ一つが、沁みわたってくる。
「ああ……」
涙が零れた。
どうしても諦めきれない。
全て夢だったら良かったのに。
そんなやりきれない思いを、そらの歌声が溶かしてくれる。
「あ――」
歌声が止み、鋭い声が頭上から降ってきた。
「クロノさんっ、前!」
***
全く、クロノは何をやっているのか。
天井裏から書斎の様子を覗き込んだそらだったが、クロノが大蜘蛛に向かって手を伸ばしているのを見てどきりとした。幻覚でも見ているのだろうか。
その大蜘蛛は部屋の半分を埋めてしまう程の大きさがあった。
そらは勇気を出して、軽く深呼吸した後、短刀を片手にクロノの目の前に飛び降りた。
何十、何百にも重ねられた細い糸をばっさりと切る。宙ぶらりんだったクロノがその拍子に背中から落ちた。
「大丈夫ですか!」
「そらっ、後ろ!」
腕をぐいと引かれ、床に押し倒された。埃が立つのを感じながら、反射的に閉じてしまった目を再び開く。
「っ……!」
クロノが上から覆いかぶさっていた。そのすぐ隣に、人の腕ほどの細さの黒い足が床に突き刺さっている。
「っぶね……」
まだ切れた糸が絡まっているのか、少し動きづらそうだ。
「……おかげさまで目ぇ覚めたわ。下がってろよ」
「はい」
かなり頭に血が上っているらしい。一段と低い声にぞわりとする。こういう時の彼には近づかない方がいい。
巻き込まれたくないならば。
そらはゆっくりと後ろに下がり、クロノの背後に立った。
クロノが刀を構える。
その後ろ姿を見送ってからそらはすぐにリト達の元に走り寄り、一人ずつ、下ろしていった。
「ユーリ、マキバ、大丈夫?」
「う……」
二人とも同じタイミングで目を覚ました。
「あれ……兄さんは」
「契約は?」
「契約? 完了したらお前ら食べられてたぞ……」
こうもスザクの腕の中で目を覚ました。驚いたのか、起きた瞬間スザクの顔面を殴っていたが。
「皆の大切な人を使うなんて許せない」
「幽霊じゃないなら、薬草が使えるんじゃないの」
嫌味っぽく呉羽が言ってきたが、そらは首を横に振った。
「クロノさんが怒り心頭だから俺が手出しすることもないよ」
クロノは自分よりもずっと大きな敵にも怖気づくことなく、斬りかかった。
「それにしても……」
そらは両手で顔を覆った。
くれはとリトが怪訝そうな顔でじっと見つめてくる。赤い顔がばれてしまいそうだ。
「……クロノさん、かっこよすぎだろ……」
「は……」
呆れないでほしい。
あんな風に助けられたら、誰だって惚れちゃうって……。
大蜘蛛の体を傷つける度に緑色の液体が飛び散る。その気味の悪いものを被ってもクロノは止まることなく、遂にその背中によじ登った。
「ウサの名前を出したこと後悔するんだな」
そう言って、心臓部に刃の先を下ろした。
大蜘蛛が思わず耳を塞ぎたくなる程嫌な鳴き声を上げる。
柄まで刺さったのを確認してから、クロノは刀を抜き、背中から飛び降りた。
緑色の液体が噴水の様に飛び散る。段々体が小さくなり、最後には消えていった。
それでも怒りが収まらないのか、クロノの拳は小さく震えている。
「クロノさん」
「……俺の代わりに、ウサが生き返ったかもしれない」
心臓を突かれた気分だった。
俺だって代われるもんなら代わってやりたい。クロノさんの心の中にいるのはいつだって、ウサなのだから。
もしもウサが生き返って自分が死んだら、彼の一番になれるだろうか。
「そんなの無理だって、分かってるでしょ」
吐き出すようにそらは言った。何に対しての否定か、分からなかった。
クロノの気持ちが痛い程に伝わってくる。
分かっていても、割り切れない。
どうして彼が死ななければならなかったのか、今でも分からない。
「はー……」
大きく息を吐いて、クロノが振り返った。
「心配かけたな、そら」
ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回【第六章】離れる手(一) は 来週(未定) 投稿予定です。
お楽しみに!




