【第五章】追手(一)
朝早く大臣のエレミスから、今すぐ部屋に来いという知らせが入った。
シトラは治安部隊隊長であり、何度かエレミスと会っている。しかし、このように急な呼び出しは受けたことがなかった。慌てて飛び起き、着替えると、すぐに駆け足で大臣の執務室へ向かった。
「急に呼び出して悪かったな。今すぐ出れるか」
「はい」
「……ビドでクロノが見つかった。どうやら北に向かっているらしい。フォグ=ウェイヴの命令だ。今すぐ治安部隊と――」
エレミスが唇を噛み締める。つうと血が流れ、口のまわりに滲んだ。
「治安部隊と、王の用意した兵を連れてクロノを探しに行け。《濡烏》はもう向かっている。見つけたら殺せ。いいな?」
ふと彼の顔を見上げると、彼はぼろぼろと涙を零していた。
確か、クロノとこの男は仲が良かったらしい。彼らが食堂でよく一緒にいたことを思い出した。
王の用意した兵。
尋ねずともシトラにはその意味がよく分かった。兵でクロノとまともに戦えるのは彼の教え子くらいしかいない。
(とうとう折れたかよ……)
「シトラ。もしも今、過去が何かの拍子で捻じ曲がって、クロノが帰ってきてくれたらどんなにいいかと思うよ。俺はこの王国でどうやって生きていけばいい?」
エレミスの言葉には、王国への不信感が現れていた。
ひたすら王国を信じ、戦うことを求められる――そんな軍人であるシトラはこの言葉を心の奥へしまいこみ、そっと鍵をかける。これが、彼に対しての礼儀だった。
「過去は変わりません。絶対に。死んだ人間が帰ってこないのと同じように。必ず、クロノの首を取って帰ってきますよ」
***
「コガレ! 大変だ!」
「分かってる」
夜中、アジトに慌てて駆け込んだサフランは、既に準備をしていたコガレを見て息を呑んだ。
「行くの?」
コガレが静かに見つめ返してくる、彼は時々、こんな風に何を考えているのか分からないときがある。
《濡烏》がクロノを殺しに向かった。今回は寄せ集めなんかじゃない。最初に受けた怪我を治し、悔しさからさらに訓練を重ねた殺しのプロフェッショナル達だ。
「ほら、お前のだ」
見慣れた赤の布が手渡される。二本受け取った。ビャクのと、自分の。三本目はコガレの首に巻き付いている。これが自分達を繋ぐ絆のようなものだった。
「俺は《闇の方》を殺しに行く。あんたは、それを持って逃げるなり、師範を助けにいくなり、好きにしろよ」
「コガレ、俺も行く」
「馬鹿野郎。お前、師範を助けに行きたくて堪らないって顔してるぜ。ビャクの思いも一緒に連れていってやれ」
「……」
深い青の瞳が真っ直ぐに自分を見つめてくる。長い間、自分とコガレ、そしてビャクは一緒だった。《見習い兵》の頃から、ずっと。
ビャクが死んだ。そして、コガレともこれで最後だと思った。こんな風に顔を見合わせるのも、名前を呼び合うのも。
きっと、この場所に戻ることはもうないのだろう。
どうしても尋ねたいことがあった。
「コガレ。君の気持ちはずっと、どこにあったの?」
クロノではないことは知っていた。そして自分達でも、王国でもないことを。
一体何が彼をこんなに、必死に生かしているのか。
「サフラン、信じられないかもしれねえけど、俺は」
「言わないで、やっぱり」
涙が零れた。言われなくても、知っている。
「全部、知ってるから。俺、コガレのこと、大好きだよ。ビャクと同じくらい、大好き」
「はは。あの世でビャクに殴られそう。あいつ、お前のこと好きだったろ」
いつだって自分達の一歩先を歩き、ひょいといなくなっては、何事も無かったかのようにまた戻ってくる。謎に包まれた、皮肉屋の彼の気持ちを汲み取ることなど、一生かかっても出来やしないだろう。
それでも、今は彼の辛さが痛い程よくわかった。一人で戦わなければならない。コガレも、自分も。一つ、自分の命をかけて信じたもののために。
「次は来世かな」
「三人……いや、四人に増えてたりして」
ばーか、とコガレは呟いた。
僕はいいよ、と言った。苦しくて、涙が止まらない。
コガレが顔をくしゃくしゃにして笑ったのが見えた。彼のこんな顔を見るのは初めてだった。
「じゃあ、また、必ず」
***
サンクオリアの町を発った日の夜、月が傾きかけた頃にそらは目を覚ました。とても、悲しい夢を見ていた気がする。
ユーリとマキバと団子になって寝ていた。リトとくれはは向かい側の木に背を預けるようにして眠っている。そして、隣ではこうとスザクが寝相の悪さを競っていた。彼らもミナトまで一緒に行くこととなったのだ。
たった一日で、スザクの腕の痺れと腫れが昨日よりも数段、収まっていた。薬草の効果をスザクが大変喜び、ミナトまで一緒に行かせてくれ、と言い出した。自分も何かあったとき力になれるだろうからと。
そういう訳で、また旅仲間が増えていた。
(またクロノさんに嫌な顔されるな……)
少し向こうにクロノの姿があった。彼は起きて、焚き火の炎をじっと見つめている。
雪こそ降っていないが、とても冷える夜だった。
炎が絶えれば、さらに周りの温度が下がるだろう。そうすれば皆、こんなにぐっすり寝てもいられない。それを気にしてクロノは起きているのだろうか。
「……そら?」
声をかけられ、そらは顔を上げた。クロノが自分の起きた気配に気づいたようだ。
「来いよ」
と言う。
自分が再び泣き寝入りしようとしていることも、全て見通しているらしかった。
ずず、と鼻を啜り、そらはクロノの元に近づいた。
「ったく、こそこそ泣くのやめろよなあ」
ほら、と水狩布を頭から被せられる。堰を切ったようにぼろぼろと涙が溢れてきた。
「クロノさんにいっつも泣かされる」
「俺がいじめてるみたいに言うなよ」
暫くの間、そらが落ち着くまでクロノは黙って待っていた。かける言葉が見つからなかったのかもしれない。
そらはふと思い出して、荷物の中からクリームを取り出した。薬草を練り込んだものだった。
「クロノさん、手出して」
「あ?」
クロノの無骨な手が差し出された。やっぱり、と思う。あの日、見て見ぬふりした火傷が炎症を起こし痛々し気に残っていた。
「こんなの、舐めときゃ治る」
「悪化しますよ。……すみません。知ってたのに、見たくなくて逃げてました。また助けられたんだなって思うと、情けなくて。俺も、強くなりたいです」
「そんなこと考えてたのかよ。ほら、早く、薬よこせ!」
ひょいと薬の包みを奪われてしまう。塗るくらいさせてほしかった。
ふてくされていると、何かに気づいたのか、クロノが薬をほんの少し親指に馴染ませ、唇に触れた。
「じっとしてろよ」
大きな手が頬を包む。
親指が唇を割って入ってきて、そらは思わず口を開いた。
「っふ……」
抵抗すればいいのに、頭が麻痺してしまったように動くことができない。
クロノの顔がずいと近づいた。
熱っぽい表情で、どきりとした。
「……」
目が合う。キスされる、と思ったが、やはり避けることなどできなかった。
「は……」
その距離を詰めぬまま、ぱっとクロノが手を離した。
気まずそうに目を逸らす。
「……唇、乾燥してた。疲れてんだろ。少しは寝ろ」
「今ので目が覚めました」
「ばーか」
クロノは近くにあった一メートル程の木の棒を手繰り寄せ、短刀で黙々と形を整えはじめた。満足な出来に仕上がったのか、もう一本どこかから探してきて同じことを繰り返す。
やがて、朝日が昇るのを二人で黙ったまま見届けた。
辺りが少し明るくなった頃、クロノは炎を消して、不意に立ち上がった。
「ほら」
先程の木の棒を一本投げ渡される。
「身体動かそうぜ」
「……」
こくり、と頷き、そらも立ち上がった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回【第五章】追手(二)は 来週 投稿予定です。六月は多忙のため更新が不定期になっております。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします。




