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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第二部】逡巡
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【第三章】西へ(六)

「――ところで、百年前にいなを迷宮神殿に封印したのはあなたですか?」


 エメから温かいコーヒーを受け取りながらそらは尋ねた。


「いや、私じゃない。先代――私の師匠だ。二〇年前に亡くなった。大往生だったよ」

「そうでしたか……。あの、そのことについて何か聞いてないですか?」

「悪いが、全く何も聞いていないのだ。しかし、何だったかな。確か、迷宮神殿は本当にあると言っていた」

「クロノさんは助かりますか」


 ここでエメに「助かる」と断言されたらひどく心強かっただろう。

 しかし、彼女は「分からない」と曖昧に首を振った。


「助かるかもしれないし、助からないかもしれない。まさか魔を連れたまま生きていけないだろう」

「そうですか……」


 そらはしゅんとなって肩を落とした。これからも手探りで進んでいく日が続くらしい。これをすれば助かる――そんな確実な手段が欲しかった。

 俯いてしまったそらを見て、エメは具合悪そうに頭を掻いた。


「でも、助かる可能性はあそこにしかない」


 それもそうだと思った。

 そらは頷いた。


「……ですってよ、クロノさん」


 寝たふりをしているクロノにそらは声をかけたが、返事はなかった。しかし、確かに起きて、この話を聞いていたと思う。返事に迷っているのだ。

 返事が無いと分かると、そらはエメに言った。


「村の子ども達が俺に言ったんです。どうして『悪魔』は殺されるの、って」


「どういうことだ」


「村の大人達はクロノさんのことを――いなを『悪魔』と呼んで殺そうとしていました。俺もそのひとりです。でも子ども達は『悪魔』がどうして雨を降らせて、関係のない自分達に仇を成すのか分からなかった」


「……」


「確かに、そうですよね。人を傷つけるのにも理由はあるはず。そのときは存在してるだけで悪いものなんだって、俺は答えました。でも、クロノさんの姿を借りた、いなを見たときに違うって思ったんです。すごく、悲しそうだった……」


「だからクロノを助けたのか」


「存在自体が悪いものだなんて、そのときは一欠けらも思えなかった。助けられる権利が彼にもあるって」


「……」


「いなは一体何者なんでしょうか」


 エメは暫くの間無言で、何か考えているようだった。


 クロノはずっと同じ体勢である。先ほど目を覚ました様だったが、それから少しも動かなかった。また眠ってしまったのか、それとも眠ったふりをしているのか、そらには分からなかった。


 窓の外はまだ暗い。遠くから低く恐ろしい獣の鳴き声が聞こえてきた。


「そら……これはいつか師匠から聞いた話なんだがな。本当かどうかは分からない。でも、いなは、どうやら人間だったらしい」

「!」

「百年前にクレアスとツテシフで大きな戦争があったのは知ってるだろう。いなはその時、ツテシフ側の兵だったとか」


 戦争の途中、何かが起こった。互いに、領土を大きく失い、戦争どころではなくなったと言う。

 そこでエメの師匠が立ち上がったという訳だ。

 少し冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干す。底に溜まっていた最後の一滴はひどく苦かった。




 それから、そらは殆どの時間をベッドの上で過ごした。大丈夫だと言って先を急ぐのを、クロノが許さなかったのだ。確かに、体内に入り込んだ毒のせいで体力はぎりぎりのところまで落ちていた。

 ベッドの隣には窓があり、そらは時折開けてみては外の音に耳を澄ませた。

 生命の音はしない。しかし、雪がしんしんと積もっていく音は気持ちを穏やかにさせた。

 この森では時間が緩やかに進んでいくようだった。


 顔も思い出せない両親のことを思うのはつらいことだった。会ってみたいような気もしたし、逆に忘れたままでいたい気もした。しかし、その思いは漠然としていて、どこか他人事であった。そのことを考えている時は、大体窓の外を見つめたままぼうっとしていた。

 一方、先のことを考えるのはひどく疲れることだった。全く何も考えずにエレム村を飛び出してきてしまったのだ。本当にあの村に帰ることができるのだろうか、と何度も不安に思った。

 もしもクロノが死んでしまったらどうなるのだろう。果たして自分はその首で賞金をもらおうとするだろうか。


(いや、もらわないだろう……)


 学校を作りたい――その夢さえあの夜に捨ててきてしまったのか。


 もしもクロノが助かったら。しかし彼は既に追われる身である。きっと師範にはもう戻れないのだろう。彼の事だから、戻りたいとも思っていないかもしれない。

 自分はエレム村に帰るだろうか。それとも、どこか遠い地へ旅を続けるクロノの後を追うのだろうか。




 魔女の森を発つ日、エメは少し寂しそうだった。


「本当は私もついていければいいのだが……生憎、冬は皆が冬眠しているからな。私がこの土地を守らなければならぬ」


「困ったときはまた此処に来ていいですか」


「いつでも来い。待ってるから」


 エメの方がいくらか背が高かった。彼女の血管の浮き出た細い指が、そらの髪を撫でた。

 立ち止った時間が長ければ長い程、次の一歩を踏み出すのに時間が掛かってしまう。不安もあって、そらは暫くその場を動けなかった。見ていられなくなったマキバがその手を引く。


「行こうぜ、そら!」


 エメが苦笑しながら、先を指さす。それは、早く行けの合図。

 頷いて、クロノの背中を追いかけた。



  外伝  リト



 そらの意識が戻った日の夜、クロノは風の音で目を覚ました。隣ではそらが、すやすやと気持ちよさげな寝息をたてている。

 ひどく喉が渇いていた。

 そらを起こさぬよう、そっとベッドから出る。そのまま台所へ向かった。


 夜中である。しかし、ぼんやりとした明かりが台所から漏れていた。

 こっそり覘いてみると、リトの後ろ姿が見えた。コップに水を汲んでいるらしい。


「ずいぶん遅いな、リト」


 声をかけると、彼女の肩がびくりと上がった。返事はなかった。


「リト?」


 様子がおかしい。側に寄り、腕を引いて、やっと彼女が振り向いた。


「え、泣いてんの」

「――」


 ブラウン色の真っ直ぐな瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちている。


「……どうした。腹でも下したか」

「ち、ちが……」


 まずい。本格的に泣き出してしまった。落ち着いたところを見計らって、どうしてこんな夜中に泣いていたのか尋ねると、少しの間戸惑ってから、リトは口を開いた。


「ねえ、クロノさん。私、そらやマキバみたいに強くないし、ユーリみたいにここぞというとき正しい判断ができる訳じゃないでしょ」

「……」


「本当は分かってたの。ついてきたって何の役にも立てないって」


 そう言って、リトは口を固く結んだ。

 コップの水をじっと睨む目元には涙が溜まっている。

 そして、大きく深呼吸をしてから、彼女は再び口を開いた。


「……私、何にもできなかった……」


 クロノは壁に背中を預けたまま、じっとリトの言葉に耳を傾けていた。


「なんでこんなに要領が悪いんだろう」

「リト」


 クロノは穏やかな声で彼女の言葉を遮った。


「戦いは俺たちに任せておけばいい。人には向き不向きがある」

「……」

「今はそんなことを考えるより大切な、お前にしかできないことがある」

「なんですか」

「物理的な強さが本当の強さだとは思わない。お前は本当に強くなれるよ。自分の弱さを知ってるから」

「……煙に巻くつもりですか」

「はは。不服そうな顔すんな」


 クロノは、ぽん、とリトの背中を軽く叩いた。


「俺は頼りにしてるんだからな。俺になんかあったら、そらたちを頼むぞ」


 リトの顔が引きつった。自分でも心にないことを言ってしまったと思う。


「いや、まあ、そらは最後まで俺に任せてくれていいけど」

「……そんなところで対抗心燃やさないでください」


 リトは頬を膨らませた。

 クロノは首の後ろを掻きながら視線を逸らせた。


「男には譲れねえもんがあるんだよ」

「私も男の子に生まれたかったなあ」

「そうか? 俺はリトに憧れるけど」

「え?」


 意外に思ったのかリトが顔を上げた。


「はは。焦るなよ。俺も含めてみんなそんなに強くない。あんたもまだ伸びる。思う存分時間をかければいいんだ」

「……」

「先陣切れよ。強さの本当の意味を知れ。強いあんたは何よりも綺麗だ」


 リトは少し不安そうだ。でも、先ほどより綺麗になった気がした。

 大丈夫だよう、と、そらをまね、歌うようにクロノは言った。


ここまで読んで下さりありがとうございます。

今回で【第三章】西へ 終了です。

次回【第四章】サンクオリア(一)は 明日2017年5月26日23時 投稿予定です。

お楽しみに!

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