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九十三日の幻、永遠の約束  作者: 吾川あず
【第二部】逡巡
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【第三章】西へ(四)

 話終わると女はぬるくなった茶を啜った。

 そらを隣の部屋で寝かせて、こっそりこの話を聞いている。


「その……途中、大分省きましたね」


 マキバが尋ねたが、女は頑なに首を横に振った。


「……忘れたい記憶だ。私も、そらも」


 女は五人に紅茶と茶菓子を振舞った。言葉は粗野だが、根は優しいのかもしれない。言葉の節々に、そらを心から気遣う様子があった。


 それからそらは五日間目覚めなかった。クロノは一日に何度も口移しで水と薬を飲ませた。


 最初の約束を思い出す。確か自分は泣いていたと思う。ウサのことも魔のことも、全て話した。それを受けてそらは言ったのだ。必ず手紙を届けて、と。

 その結果がこれである。散々彼を言葉で傷つけて、挙句、こんな状態まで追い込んだ。


 全て自分の責任だ。


「そら……」


 涙が出た。幸い、部屋には自分と、眠ったままのそらしかいなかった。


「ごめんな……。本当に、ごめん……」


 誰も聞いていないと思って、本音が零れる。

 本当は怖かった。一人で旅をするのが恐ろしかった。いつか傷つけてしまう。予想は出来ていたはずだ。しかし手放せなかった。傍にいて欲しかった。


 失えない。

 彼なしでは、進めない。


 事実、恐ろしいほど、自分はそらに依存していた。ついてこなくていいと口では言いながら、隣に彼がいてくれることをどこか期待していた。たとえそれが、とても危険な旅だと知っていたとしても。


 もっと早く色々伝えておけば良かった。そうすれば、こんなおかしな状況にならずに済んだかもしれない。


 時々、ベッドの中から苦しそうな呻き声が聞こえてくる。何日もの間、この調子だ。魔女がそらの荷物の中を漁って、毒消しを見つてくれたが、それを飲ませても、すぐに良くなることはなかった。


***


 夜、そらは目を覚ました。

 部屋には誰もいない。しかし、ベッド横の台に置いてある蝋燭には細い煙が残っていた。

 額には少しぬるくなったタオルが当てられている。


 窓の外は暗い。雪が降っているから相当な寒さのはずだが、熱を持った身体には心地良い温度だった。


(呪われた子……)

(たくさんの人を傷つけた……)


 眠っている間、たくさんの夢を見ていた気がする。


 アオイから言われた言葉が、消えない。それでも、思い出せないのである。

 自分の存在が誰かを傷つけたことも、誰かに憎まれたことも。

 思い出すのが怖い。


 クロノから預かっていた短刀が、ベッドの脇に、荷物と一緒に置かれていた。

 ぼうっとした頭のまま、手を伸ばしてそれを取り、ぼんやりとした興味から指先を撫でたそのとき、廊下から近づいてくる足音があった。


 はっとして、そらは短刀を掛布団の下に隠した。

 入ってきたのは、桶を抱えたクロノだった。歩くたびにカランカランと氷同士がぶつかり合う。


「そら……」


 起き上っているそらを見てクロノは目を見開いた。彼は桶を台の上に置き、そのままそらの頬に手を当てた。

 ふわりとクロノの身体が覆い被さってきた、と思ったら、そのまま力強く抱きしめられる。

 そらは戸惑った。自分が気を失っていた時間の長さを知らなかったのだ。


「失うかと思った……」


 クロノの掠れた声。泣いているのだと気づくのにそう時間はかかからなかった。

 彼の涙を見たのはウサの話を聞いたとき以来で、まさか自分のために彼がこんな風に泣くなんて思ってもいなかった。


「そら、頼むから、あんまり無茶すんな……。リト達が傷つくのもつらい。でも、お前が死んだら、俺は」


 どうしていいか分からない、と額を肩に擦り付けられる。


「五日も目を覚まさなかったんだ……」


 そんなに長い時間、自分は眠り続けていたのか。


「旅……急いでるのに」

「急いでない。それより痛い所は。もう大丈夫なのか」


 確かめるように後頭部から背中にかけて強く撫でられる。

 余程心配をかけてしまったらしい。クロノがここまで動揺しているのを見るのは初めてだった。

 不意に、クロノの腕がぴくりと強張るのを感じた。


「そら、お前、それ……」


 掛布団から出てきた短刀に驚いて、彼はさらに泣いた。


 何が何だか分からない状況に突然放り込まれて、泣くことさえできなくなっている自分の代わりに彼は泣いている。

 そのまま両手で頬を挟まれ、ぐいと上を向かされた。赤くなった瞳がじっと、真剣に見つめてくる。


「そら、ごめんな。きっとこれからも俺と一緒にいれば傷つく」

「嫌です。置いていかれるのは、嫌だ」

「違う、俺はそんなことを言うつもりはない。お前を失うことだけはできない。だからお願いだ、傍にいてくれ。生きて……」


 不器用で、真っ直ぐな言葉。全然かっこよくない。でもそれは、そらがずっと求め続けていたものだった。


***


 クロノから、そらが目を覚ましたという報告を受けてマキバ達はワイワイその部屋に向かった。

 窓から見える森は相変わらず暗いままだが、それでも所々に木々の間から漏れる光は眩しい。

 マキバは思い切りドアを開いた。


「そらーっ、大丈夫か?」


 すると、太陽のようにカラッとした明るい声が返ってきた。


「うん。もう平気! 心配かけてごめんな」


 ベッドの上でそらはいつものように穏やかな笑顔を浮かべる。心底ほっとしてマキバはユーリと共にその身体に飛びついた。


「ほんと、無茶しやがって」

「心配したんだよう」


 リトもその隣で明るく笑っている。

 やがて魔女も部屋に入ってきた。入ってすぐは暗い面持ちをしていたが、そらが元気なのを見てほっとしたらしい。安堵の表情に変わり、そらに近づいた。


「久しぶりだな……と言っても初めてみたいなもんか」

「えっと……」

「この家の主だよ」


 クロノが説明する。暫くの間、そらはじっと魔女を見つめていた。何か思うところはあるらしい。


「まあ……思いださなくてもいいさ。何せ昔の私は美人だったからな……今もだが。きっと思いだしたら惚れちまうぜ」

「名前は?」


 無視して、そらは名を訪ねた。彼はこの手の冗談に対してひどく冷たい。


「……エメだ。それにしてもよくここまで成長してくれたな。しかし、背はそれ以上伸びないのか?」

「クロノさん、この人超しつれー!」

「いや、本当のことだろ」


 そらの肘がクロノの脇腹を打つ。理不尽だとマキバは思ったが、犠牲者に加わりたくはないため黙っておいた。

 そらが小さく「エメ」と呟く。その響きにどこか懐かしさが感じられるらしい。二、三度口元で繰り返した。


ここまで読んで下さり、ありがとうございます。

次回【第三章】西へ(五)は 明日2017年5月21日23時 投稿予定です。

お楽しみに!

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